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 更新の準備状況とか、その日ちょっと考えたこととか書いてるページです。

ちなみにこのページでは、新しい記事から上に載せて行ってます。

       

 

 

 

  

2010.9.24.

あったかいお茶が恋しい季節。

朝の紅茶タイムが戻ってきたよ♪

★ル・シュクルうさちゃん、最新情報★

その後もウサギ軍の侵略が続いている橘家ですが、巷ではル・シュクルうさちゃんシリーズ、秋の新作が続々登場しているもよーです。←写真は、いち早くゲットして来た新作マグなのよん♪

↓↓裏はコチラ♪

特にピンクのお洋服を着たチビうさがまたカワイイのだ♪

   

     

12ヵ月マグを揃えたので、もうマグはいらないぞと思ってたのについつい買っちゃう、この可愛さ。特に白うさちゃんの方は写真よりピンクの色合いが甘くて、めちゃ好きな色味なんです。周りに描かれてる赤いのはイチゴ。茶うさちゃんのは"たまごいろ"という感じの薄いイエローでこれまたぐー。緑のは四葉のクローバーね。どうしてもセットで欲しくなっちゃうよ♪

この秋は、他にも和食器風のお皿&おそろいマグとか、カレー皿とか、欲しいぞと思わせるグッズがいっぱい出ているので、ぬいに続いて食器もずいずいずいっと増えてしまいそうなんですが、それに加えて! なんと! とうとう出るぞ、待望の着せ替え!!!! 販売店さんのウワサでは、10月下旬頃発売だそうですが、入荷予定は遅れる可能性もアリ。でも、とにかくついに登場なのだ!! いつかは出ると思ってましたが、なかなか出ないもんだから、発売元に直訴しようかと思ってたくらい私はコレを待ってたんです。

お洋服の種類は6種類で、下着だけ着ている着せ替え用のウサぬいも一緒に出るみたい。でも、これまでのバージョンのコでも薄手のお洋服を着てるコには上から着せられるものもあるんじゃないかな。サイズは大サイズか小サイズかまだちょっとはっきりしないので、分かり次第お知らせ致しましょう。

とゆーことで、ますます発展のル・シュクルうさちゃんたちですけど、この先はお洋服だけ新バージョンが次々出てくることになると思うので、うちの本体増殖はなんとか止まりそう。ちなみに、現在うさぬいは118体、ぱぺ8体で(わはははは)、これに昨日は4体、通販で注文しちゃったから計130体まで来てます。注文した4体のうち1体は、とうとう買ってしまった超特大サイズのコで、高さなんと85センチ。超Bigハボぬいに匹敵するデカさのようです。しかし!! 先日、通販では高さ120センチという超々特大サイズが発売されてしまい、私としては、そっ、それだけは許してっ、状態なんですけど、果たして我慢しきれるかどーか自分でも分かりません♪

それにつけても凄い人気だなと思うのは、白うさ、茶うさ限定5体ずつ入荷したという超々特大サイズのうち、半分の5体が僅か1日で売れちゃってたこと。120センチなんてそんなデカいもの買ってって、皆さんどーなさるんでしょうね? やっぱり、飾っとくんでしょーか? 抱きマクラになさる? とにかくこの状況から見るに、どう考えてもおそらく世の中には、うちよか大量のウサぬいに埋もれてるとか、全バージョンコンプしてるとかゆーヒトが、絶対存在するはずだと思うんですけど...???

ま、そんなこんなで待たれる着せ替えなんですが、ちなみに2011年カレンダーも既に出回っています。

では、最後に先日手に入れたパペをお見せしておきましょう。これは前に写真出したチュニック着たコより前に発売されてた最初のパペで、初期バージョンだったせいか、次に出たのよかぷくぷくしてます。ちょっと手は入れにくいけど、それもまた良し♪ そして、ご覧下さい。大サービス、ミニうさつきつき♪ 本体も可愛いけど、これがまたキュートなのだ♪ こちらだけでもマスコットとして商品化できそうじゃないですか? ブローチにしてあったりしたら、 私は絶対買ってしまうぞ!!

      

★カビブロック365★

この夏、庭掃除と同時に盛り上がってやってたのが、お風呂のカビ取り。

と言っても、いつも換気には気をつけてるし、床面は折にふれて掃除してるので、そんなに酷くカビてたというわけではないんですが、前回、徹底的にタイルのメジカビ退治をやってから既に6〜7年は経ってると思うので、壁面メジにぼちぼち黒ズミが目立ってきてたんです。で、買ってあったメジカビ取りでキレイにしたんですけど、壁面全部やるとなると、これがけっこうテマかかるのよね。

せっかくキレイにするんだからこのままの状態を保ちたいが、定期的にやるってめんどいよなあと思っていたちょうどその時、通販カタログで約1年間カビをブロックしますとゆー、写真の溶剤を見て購入を決意しました。お値段は1本1760円(2010/9月現在)で、一般的な広さの浴室なら、壁面、床面全部塗って十分足りるくらいです。

床面なんかはよく水を流すので、さすがに1年はもたないでしょうけど、あまり水のかからない部分の場合、換気さえしっかりしておけば定期的に塗布し直すだけでメジカビそのものを防止できる可能性ありそうですね。壁面上部なんかは掃除しにくいけど逆に水はあまりかからないから、コレ塗っとくとお掃除かなりラクになるかも。床面にしても、何もしないよりは遥かにキレイが長持ちするんじゃないかな。使い方はカンタンで、掃除のあとスプレーして塗りのばすだけだから手軽です。ただし、塗ってから最低6時間は水を流してはいけません。

やるとなったら徹底的にやらないと気がすまないタチなんで、今はお風呂全体、すっかりキレイになっててすっごく気持ち良いんですが、これがどのくらい持続するか、三ヶ月ごとくらいに使用感をレポートしてみたいと思ってます。お楽しみに。

     

2010.9.23.-9.24.

★理想のじーちゃん像★

・この話について初めて読まれる方、登場人物等についておさらいしたい方は主要登場人物、用語等解説をご覧下さい。

・また、この話については2005年8月からAyapooで断片的にプロットをご紹介しています。メインストーリーの小説本文はまだ公開していませんが、興味がおありの方は専用のSTORY INDEXをご参照下さい。Ayapooの過去ログ内の記事を順を追って読むことが出来ます。

前回は、あやぼー理想の女性像について書きましたが、今回は"理想のじーちゃん像"について考えてみたいと思います。人間誰でも必ずトシを取る。これはもー、いくらアンチエイジング技術が普及しても避けられない現実であって、そうすると問題はどのようにトシを取るかとゆーことではないかと思うんですね。

私は"原点0定義"という概念を持ってまして、それは"人間はどのような生まれつきをしようと、生まれた時点の社会的価値は0である"という定義づけなんですけど、本来、これが"平等"という概念の基本でなければならないと思ってます。"平等"という概念は、封建意識の撤廃に役立つものではあるんですが、そもそも封建制の何がいかんかったかとゆーと、本人には何も責任のないこと、つまり親がどうとか、身分がどうとかで、その個人の努力に基づく発展が阻害されるという点が大きい。私に言わせればこれは"自我の圧殺"であって、そんな制度の中にいて人間の幸福が促進されるわけはないじゃないですか。そこで、"個人に由来しない事柄で差別はしない"という社会的取り決め、つまり"平等"という概念が"人間の幸福を促進する"という目的に適うと考えられるわけです。

しかし! 問題は昨今、この"平等"という概念を不当に拡大解釈している連中がいることで、彼らのリクツは"原点0"ではなく、人間の価値は"どんな生き方をしようと、ず〜っと死ぬまで100"なんだな。これは本人が気づいていようといまいと"人間だったらどういう生き方しても、この世で一番価値があるんだ"みたいな傲慢かつ不当な意識を基盤にしていて、結果として短絡に"人間の価値をず〜っと死ぬまで100"とするから"人間ひとりの生命は地球より重い"などとバカげたことがホザける(ついでに言えば、そんな根性で生きてるから環境問題なんか引き起こすんだ!)。他には、こんなのもあるな。"この世に必要ではない人間などいない"、これも典型的情緒的バカの発言だと思うけど、私に言わせれば、"この世に、最初から必要とされる人間などいない"だ、 バカ者!! 社会で必要とされている人はみな、自己の努力によってその位置を獲得したんだとゆー、明々白々なことすら理解せず、雰囲気と自己陶酔だけで発言するから"情緒的バカ"というのだ!!

"生まれた時に原点0"ということは、その後、どのような生き方をするかによって、その人の社会的価値はプラスにもマイナスにもなるということで、だから、その生き方の結果として、この世に必要じゃない人間なんてヤマほどいるし、ゴミも山ほどいるとゆー、それが現実というものじゃないですか? そして、その"現実"の蓄積が"歴史"なわけです。確かに歴史にも感動的な逸話なんてものはあるが、それは全体の中のごく一部でしかないのも事実。現実無視して、何を改善しようというのかね? 全く、バカは手に負えない。

先ほど、封建制は"自我を圧殺する"という点において"人間の幸福を促進しえない"ものだと書きましたが、これは基本的には社会、共産主義も同じ(ただし、これらは施行方法により機能する可能性はある)。突き詰めて言えば、全体主義に属する思想は概ね"自我を圧殺する"という点において、"人間の幸福を促進する"という哲学の根本命題に適わないと私は考えています。だから、個人主義に基づき"個人がその努力によって発展できる社会"であれば、リーズナブルかつ公平だと思うんですけど、どっか間違ってますかね、この考え方。

ともあれ、これでやっと当初予定のテーマに入れるわけですが、"理想のじーちゃん像"。それはやはり同時に"価値ある老人像"であるわけで、例を挙げればこれはもう、あやぼー的にはウィリアムじーちゃんとかロベールさんのような人たちですね。なれるもんならああなりたいと思うヒトは決して少なくないと思うんですけど、どんなもんでしょう?

"老人の現状は、その生き方の結果である"、これも私の持論ですけど、あのじーちゃんたちがああなのは、やっぱりきっちりするべき努力をして生きてきたことの当然の結果だと思う。お話では二人とも、元々が大富豪で貴族でって恵まれた生まれつきってことになってるけど、もしそうじゃなかったとしても彼らのような人なら"一代で財を築いた立志伝中の人物"になってたでしょう。だから結局人間、"精進努力"。

それに、いくら大金持ちだの貴族だのって身分に生まれついても、その器じゃなかったり、金に飼われるような性質しか持ってなかったら尊敬どころか蔑まれる老人になっちゃうだろうな。大きな資産だの身分だの持って生まれると、それを御するだけの人間的器が必要になるわけで(金目当てのバカも山ほど群がってくるし、心眼開いてないとやっとれんぞ)、それ無かったら、どんなに恵まれた立場に生まれても良い形で現状維持はできないしね。その器もないのに金だけ盛り上げれば尊敬されるとカン違いしてるような低レベルの成金どもは、その金のためにハイエナ呼び寄せてロクなことになってないって現実にだっていくらもある話でしょ? お金もナマモノなんだから、あんまりタメこみすぎると腐るのよ。そもそもが、金に群がるようなサル集めてチヤホヤされて嬉しいか? 連中がチヤホヤしてるのは、あんたじゃなくてカネなのよって、誰か教えてやってよ。

そんなわけで、逆に言えばそういうゴミを集めやすい身分に生まれついて、それでもウィリアムじーちゃんやロベールさんが情の深い家族に恵まれてるのは、それに値する努力をコツコツやってきたからだと思うな。ま、現実にも、そういう羨ましいご老人は実在するでしょう。そういう人たちは高いレベルで学問を修める(実質カラの学歴だけじゃ代用にもならん)ことにより社会で役立つ人間になるとか、自分の生き方そのものでもって子供たちに範を垂れるとか、客観的見地に立ってやっていいことと悪いことの躾をきっちりするとか、身分や経済力と関りなくデキの良い伴侶を迎えるとか、それにまず自分が他人さまのご厄介にならないで済む知力、財力を蓄え、余剰ができれば楽しく人助け(余力でやる楽しみなんだから"自己犠牲の精神"なんてカンケイないよね。そもそも自分を犠牲にして幸せな人間なんているか? 不幸も伝染するんだ。余力がないなら、まず自分が他人さまにご厄介かけないで済むところから始めてくれ、頼むから。自分のことも出来ないのに、他人に気を回して自己とーすいしてる場合じゃないでしょって!)

そういう生き方の積み重ねの上に、ウィリアムじーちゃんとかロベールさんみたいな人たちの"羨ましい老後"って成り立ってると思うわけね。ま、"幸福なヒトには、ワケがある"ってとこでしょうか。何事も、やっぱり結果にはそこに至る過程があるわけで、そう言えばこれまたバカのよくやることのひとつに"過程を無視する"というのがある。妬みの激しいヤツってたいていこのテのバカで、そういう連中は"恵まれた人がそこに至るまでどんなに努力してきたか"をまるっきり考えないから、いい状態にいる人を見ると、大したことはやってきてない自分のことはタナに上げて妬むのよ。羨ましい状況に対する人間として正常な反応は、"ああなりたいから自分も努力しよう"なんだ。うちのお客さんには、努力もせずに妬みばっかり振り回すバカなんていないと思うけど(そんなのは入れないないように結界張ってあるもん)、そういうのは先天性、後天性問わずビョーキだから、さっさと治療してもらわないと困るよね。迷惑だもんね?

で、まあコトのついでにちょっとキツい話になりますが、昨今、何が情けないと言って日本の老人世代。もちろん以下は一般論であって、きっちりやることやって生きてきた尊敬すべきご老人も例外的にいらっしゃることは踏まえた上で言わせてもらいますけど、一般に、日本史上で彼らほど甘えた世代もおそらく他にはないだろうと思うのね。まず、現代の60代前後って「戦争体験者ですらない」という事実を忘れないで欲しい。つまり彼らは、その前世代のように、どん底状態を殆ど経験してないってことで、これは人格形成上、人間的な幅や大きさに影響する。そう書くと、彼らの育てたコドモ世代が校内暴力、家庭内暴力、ついでに若年層の非行など、ロクな問題起こしてない原因もおぼろげに見えて来ませんか? つまり、彼らの多くには子供をマトモに育てられるだけの人間的な器が無かったのよ。実際、高度成長期に"今どきの若いもんは"と言われ始めたハシリのような世代でもあったわけだし。

では、以下にその罪状を記す。

・"高度成長期"という日本にとっての未曾有の歴史的好機を一代で食い潰した世代である

・ジジババはうっとおしいからと言って核家族化を進めた世代である

自分のミエのために子供を有名大学にやろうとして受験戦争を激化させ、結果として教育の空洞化と破綻を招いた世代である

まさにこれらの張本人世代だって忘れてもらっちゃ困る。これだけやっといて、次世代にボロボロの状況しか引き渡せなかった老人を、いったいどーやって尊敬しろとゆーんだ、どーやって!! "親の面倒を見なければならなくなるので長男と結婚するのは不利"だとか、コドモに向かっては"大学に入ったら遊んでもいいから"だとか、こういうセリフを一度でも吐いたことのあるヤツは全員極刑!! なぜならば、こういう根性が日本の現状を招いた大きな要因の一部になってるからよ。

まあ、だからね、年金が減額されようが、老人福祉が行き届かなかろうが、少なくともロクな生き方して来なかった老人には文句言う資格ないと思うんだけど、そもそも誰が今の日本をこんなふうにしたんだ、誰が!!! んで、結局てめーで育てたデキの悪いコドモがアテにならないからって、今度は国にタカろうってかい? いい加減甘えるのヤメなさいよねって思いませんか? 第一、"老人を尊敬しない社会"を作ったのは、あんたたちなんだよって誰か言ってやって!! そして、あんたたちの育てたバカなガキが、"大学入ったら勉強しな"かったために、どれだけ多くの一流企業が傾いたと思ってんの? いや、もうこれはね、風潮に流されず、それなりきっちり生きてきた、モノの分かったご老人ならば、おそらくご自身でこそおっしゃりたいことだと思う。

そういう、前世代に破綻させられた日本社会の負債を、ぜっんぶおっかぶされてなんとかしてかなきゃならないのは若い人たちなんだから、せめてごめーわくにならないように小さくなってて欲しいというのは、マトモな若モノの語られざる本音ってヤツじゃないですかね。しかし、はっきり言わない限り、こんな明々白々なことでさえ甘えた根性のヤツらほど自覚せんのだよ。全く、困ったもんだ。

賢明な我々としてはせめてこの前世代の轍を踏まず、いずれトシを取った時に自分が生きやすくなるように現在を積み重ねてゆくしかないでしょうね。遊ぶのもいいけど、老後考えたらやっぱりそれなりの経済力は必要だし(別にそんな大金持ちになる必要ないけどさ)、そもそもトシ取ってコドモに経済的におぶさるというのはコドモが可哀想だと思いませんか? 老人が無能だと負担は後へ後へ先送りされてしまう。しかし、老人が有能なら後の世代に負担をかけずに済むんです。若いうちから準備するほど先に行くにつれてラクになるもんだし、尊敬される老人とは、"若い人たちより経験を積み、多くのことを知り、様々な意味で力を蓄えて助言を与えられるような人"のことで、それも出来ないでトシだけ取って"お年寄り"に成り上がれるわけないでしょう? 

そこんとこ、もーちょっとよく考えなきゃいかんのじゃないかと思うんですけど、だから結局、私にとっての理想的な老人像ってさっき書いたように"経験を積み、多くのことを知り、力を蓄えてワカモノに助言を与えられる人"ってことなんだろうな。それってまさに、ウィリアムじーちゃん&ロベールさんみたいなヒトだと思うけどね。ああいう老人だったら、私は尊敬する。

★クロフォード家の事情★

     

2010.9.10.

やっと秋晴れの雰囲気。

芸術の秋だ!!

★浮世絵展★

ご贔屓のフィデリティさんが"特別鑑賞会ご招待"とゆーのをくれたので、今、神戸で開催されている浮世絵展を見に行って来ました。なんでも、フィデリティさんの本拠地はボストンなんだそうで、今回の展覧会はそこのボストン美術館に所蔵されているレアな140点を集めたもののようです。たぶん地元ってことで、美術館の後援とかやってるんでしょう。昨今、特にアメリカとかでは"文化に貢献してます"というのが良い企業イメージに繋がりますからね。

私としては浮世絵って積極的に興味持ってたわけではないので、これまで本モノを見たことって無かったんですけど、結論を先に言えばなかなか良かったぞってゆーか、思ってた以上に楽しめたって感じです。美術館の方の話によると、その前日は日曜日だったんですが、お客さんが二千人もつめかけちゃったようで、浮世絵って意外に人気あるんだなあと再認識しました。特別鑑賞会は休館日のとこを貸切って行われたのでそこまでヒトは多くなくて、おかげさまでじっくり見ることが出来ましたけどね。おまけに図録もプレゼントしてくれたし、喫茶室ではお茶に軽食まで出してくれたし。ありがとう!! フィデリティさん!! またこういう機会があったら、ぜひヨロシク!!

とゆーことで、この浮世絵展。何がそんなに良いかというと、まず何よりも二百年以上前のものにしては保存状態が良好で、描かれた当時の色彩がかなりはっきり残っているというとこでしょう。周知のように浮世絵は明治時代にかなりの量が海外に流出していて、ボストン美術館のものは日本からコレクションとして収集家が持ち帰ったものなので最初の状態からして良好だったんでしょうけど、中には「絵」として流出したわけではなく、ひどい話ですが輸出用の陶器など、ワレモノの包み紙にされちゃったなんてこともかなりあると聞いたことがあります。当時の日本人にとって江戸時代の浮世絵なんて、それこそ古新聞程度の価値しかなかったのかもしれませんね。

そんなわけで、我々が日本にいて日常目に入る浮世絵ってけっこうハゲちょろけとゆーか、状態が良くないものの方が多いらしく、結果として私のように現物をよく知らない者には、あまりキレイじゃないとゆーイメージがついちゃってたりするんでしょう。しかし、きっちり色彩が残ってるものを見ると、おお!、なかなかキレイなものなんだなと感心するとゆーか、感動するとゆーか。

浮世絵は特に使われている絵の具自体が退色しやすいものらしく、そのためボストン美術館本体でも一般公開は殆どしてないらしいです。今回、特別に公開されたものも、今後5年間は門外不出になるとかで、そこまで徹底して管理してないと現状維持すら難しいってことなんでしょうね。

明治時代に海外流出したことについては、それってけっこう理解できる事態かもと思ったんですけど、そもそも当時の日本人は文明開化に湧いてたわけで、江戸時代なんてそれそのものが過去の遺物、西洋のものが何でも良くて、昔のものなんてもー見たくもないわ! って風潮だったとしても不思議はない。それに、当時の日本人にとっては江戸時代って"近い過去"だったわけで、従って珍しくもなんともなかったんじゃないかな。でも、現代の日本人にとっては江戸は既に"遠い過去"となりはてているので、明治の頃に夢中で集めて持って帰った外国の人たち同様に、浮世絵に描かれているのはエキゾチックな別世界ってことになるし、それで今では返って見たいと思う人が多いのかもしれない。

今回の展覧会では、主に鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽をメインに、その周辺の画家の作品も集めてあって、140点という量ですから見ごたえ大アリ。本気で見るなら朝一番から行って、一日仕事で見て回るくらいの根性入れてもいいと思う。半日じゃ、ちょっと見きれないくらいの量ですからね。内容的には、美人画、役者絵、それから当時の風俗を描いたものが殆どなので、"江戸の暮らし"を偲ぶ気分になれますよ。付属展では開催地である神戸市立博物館の所蔵品も見れますが、やはり保存状態がボストン美術館ほどではないというのは、そちらの学芸員さんもレクチャーで言っておられました。ちなみに、"浮世絵の出来るまで"を紹介したコーナーもあり、当時、どのようにして版画が制作されていたかも細かく知ることができます。

それにつけても思うのは、錦絵って今で言うカラープリントだったんだなあ、ってこと。しかし、現代の機械印刷は確かにキレイですが、テマヒマかかってる版画って作法そのものが美術なんだなってことで、元絵を描く画家さんも凄かったかもしれないけど、版画に仕立て上げる技術者も職人さんだったんですね。図録ではキレイにプリントされたものを見ることが出来ますが、やはり本モノを間近で見ると、その経てきた年月ともあいまって、う〜ん、迫力あるなあって思いますよ。9月26日まで神戸市立博物館で開催されているので、本モノの浮世絵を見たことない方はこの機会にぜひ、ご覧になってみて下さい。オススメ♪ (※↓↓ 本物の色は画像よりぐっと風情があってキレイです♪)

              

    

2010.9.15.

★今年の夏★

今夏、日常最大の楽しみは一杯やりながらDVDを見ることでした。はっきり言って、今年は例年になくよくお酒を飲んだとゆーのが特筆すべき点で、夏の間にカンパリの小瓶2本+大瓶2本とカルーア大瓶1本空けましたから。

っても、私の場合、日常そんなにお酒が飲みたいという方ではないので、これまでは夏だけ缶カクテルをたまにって感じだったんですけど、今年は自家製カクテルにしようと思って、カンパリとカルーアを買ってみたんです。そしたら、カンパリオレンジソーダとカルーアミルクがことのほか美味しくて、これまでは夕方過ぎてからしか飲まなかったのに、暑いもんだから昼間から酒食らって昼寝とゆー、オヤジみたいなこともやってしまったが...、それはそれで楽しかったぞ。で、日が暮れるとシャワーを浴びて、おもむろにDVD鑑賞会となるわけなのだな。それもお気に入りのうさぬいを抱いて、一杯飲みながらDVDってもー、さいこー♪

しかし、DVDは主にチャーリーズ・エンジェルを生声、字幕なしで見てたから、酒飲んでてもちゃんと英語のお勉強になっていたのだ♪ ナイト・ライダーは始め全部日本語で見てしまったんだけど、チャーリーズ・エンジェルはほぼ全て英語で見て大体のストーリーは分かったもんね。遊んでても、私だってそれなり進歩はしているのよ♪

ちなみにカンパリオレンジソーダは、基本的にカンパリ1 : オレンジジュース2 : ソーダ1の割合、カルーアミルクはカルーア1 : ミルク2の割合で混ぜれば作れる。自家製だと自分で加減して好みの味に出来るのもぐー。

ところで、お盆からこっち、なかなか暑さが去らないので日中少しクーラーのお世話になりこそしましたが、それ以外では扇風機だけで十分過ごせたのでふと思ったんですけど、クーラーが普及し、温暖化が進む前の昔の日本って、要するに扇風機だけで凌げる程度の気温だったってことなんじゃないのかな。うちあたり山の中は、十年くらい前は扇風機すらいらないような気候だったんですから、今でギリギリ昔の日本の街の中くらいなんでしょう。それ考えると、なんだかなー。クーラーの電気代使って、そのぶん街を暑くしてるとも言えるわけで、全日本的に(いや、全世界的に?)クーラー使うのヤメたら返ってもーちょっと涼しくなるんじゃないか? まあ、温暖化には他の原因もあるから一概には言えないけど、なんかムダなことやってんな〜というか、涼しく暮らそうとして返って暑くしてるとも言えるわけだから、根本的に何でもかんでも究極的に便利だったり快適だったりしなくてもいいじゃないかとゆーか。

地球環境やエネルギー問題を論じるとよく、"人類は原始に返らなければならないのか"とか極端な意見が出てきてしまうけど、それって程度問題だと思うのよね。省エネっていうのはだから、とりあえずはいい傾向なんだと思うけど、もっと積極的に"ちょっとは不便でもいいよね〜"っていう余裕が人間全体に出てくれば、いろんなことが変わると思うんだけどなあ。まあ、二十世紀って進歩と発展の時代だったから、全人類的に快適さとか便利さをとことん追求するクセがついてるんだろうな。でも、二十一世紀の人類は一段余裕をもって不便さを楽しむとか、それでスロー・ライフとか言われてるのかもしれないが、中庸ということを意識すれば人間もっとずっとラクに生きれると思うぞ。

それにつけても、晩酌とDVDとウサぬい(&扇風機)、これだけあれば私はこの夏、十分シアワセだった...。人生とは、これでいいのかもしれないと思う今日この頃である。(←既に悟りの境地)

   

2010.9.15.-9.16.

★マイラ★

・この話について初めて読まれる方、登場人物等についておさらいしたい方は主要登場人物、用語等解説をご覧下さい。

・また、この話については2005年8月からAyapooで断片的にプロットをご紹介しています。メインストーリーの小説本文はまだ公開していませんが、興味がおありの方は専用のSTORY INDEXをご参照下さい。Ayapooの過去ログ内の記事を順を追って読むことが出来ます。

夏の間、昼間は暑くてアタマがヒマだったんで大昔に買った文庫本を漁ってボケボケ読んでたりしました。中でも某作家の作品を何冊か読み返してみたんですけど、基本的には本買うくらいだから好きな作家さんだったのに、当時から何か違和感を感じるところがあったんですね。で、今回読み返してみて、やっとそれが何か分かってきた気がする。それは、この方の書く"女性像"がことのほか気に入らない、と言うよりもっと積極的に私が大キライなタイプの女だったんだなってこと。

この作家さん自体はとてもシャープな感覚を持ってらして視野も広い方なんですけど、それが一旦女性を描くと、特に"とてもいい女"として描かれる女性像が、私にとっては"つまらん女"にしか見えないとゆー、だからこの人のアメリカを描写したようなストレートなエッセイは好きなんだけど、特に売れ出してからの小説は好きになれなかったんだろうと改めてよく分かった気がした。

で、それはどんな女かというと、一見"有能そう"に見えはするんだけど、その有能さはせいぜい行ってそれなりの有名企業の中間管理職止まりだろうとゆー、そして、こういう女がまかりまちがってそれ以上の地位についてしまうと、能力超えてしまうので余裕なくなって、眉間にタテじわ寄せて、ヒステリックになって、最後はロクな結果を招かんだろーとゆーよーな、その程度の女を"有能でいい女"として描くから私としては、ウンザリ、になっちゃったらしい。まあね、自分よか有能な女を好きな男も少ないと思うから、要するにこれがこの作家さんの許容限界ってことだったんでしょう。それでもこの時代には、それくらいの女性が分不相応なまでのプライドを持つとこまでバカじゃなかったからまだ許せた。しかし、これが現代にまで下ってくると、"その程度"ということに自分で気づかず、自意識肥大化して結果的に"レディコミの主人公"みたいな薄っぺらいものになってしまうだろう、と思われる種類の女ね。上には上がいるということをまるっきり理解しないどころか、意識することすら出来ないので自分が相当なもんだとカン違いしてるよーなバカ女。私は大キライなのよ、そーゆーの。

それでは、私が"有能な女性"を描くとすればどーなるかとゆーと、既にお見せしたようにそれはマイラとかカトリーヌみたいになるわけ。"Dialogue"の加納綾、あれは、まーやアリと同類の"人外"だから女の域に入れてはいけません。一般に"女性"という範疇で納得しうる限界を超えてますからね、綾は。しかし、マイラやカトリーヌ、それにアンナみたいな女性は、まだ人間の範疇にあると少なくとも私は信じているので、あれが私の"有能でいい女"像だと言えるでしょう。まず、他人にマネの出来ない個性とそれに基づく才能、人の上に立ってもやってゆける人間的余裕や確固たる信念、つまりは人間的な大きさよね。そーゆーものが前述の作家さんの描く女性像には一切、欠落していて、私としては結局"なんだ、こんな女"みたいになっちゃって、彼が一生懸命"いい女"として描写しているのがいっそ滑稽に思えちゃったんだろうな。ちなみに、キツいこと言ってますが、自分自身に関しては思いっきりタナに放り上げてますので悪しからず。ま、小説なんてものは、作者の希望とかユメとか、一方的で勝手な理想とかで成り立ってるもんですからね、ふつー。

さて、今回はその"あやぼー版いい女"の中でもマイラについて、お話したいと思います。以前も書いてたように息子のメリルに輪をかけて分かりにくいキャラだったんですが、上で書いたようなことを考えているうちに、そういう"低レベルのいい女像"ともいうべきものに徹底的に対抗してやりたくなってきてしまったのだ♪ で、これを描くにはマイラとディが出会って、どういう経緯でメリルが生まれることになったのかとゆー"発端"という話が良さそうだと思い、更に、ディの視点からじゃなくてマイラの方に視点を置いて書くと面白いかもしれないという気もしてきた。"発端"は、私にしてはわりとマトモなラヴ・ストーリーになりそうな要素だけは揃ってるしね(何を言うにも、とりあえず二人の性別がマトモだ! )。当初予定ではEpisode3になるはずだったんですが、今書いてる"告白"の後にどうしても"秘密"を入れたくなったので、今の感じではEpisode4になるんじゃないかな。

ではまず、マイラの亡くなったお父さんですが、彼がそもそもブックエージェントだったんです。この"ブックエージェント"という仕事、これは日本にないものなのでご存知ない方のために説明しておきましょう。辞書引くと"本を売り歩く人"とか書かれていることもあって、お〜い、大丈夫か〜ってくらいハズレてるんですけど、少なくとも現代のアメリカなどでは芸能人が所属するプロダクションの作家版というか、つまり作家の作品を出版社に売り込むプロダクション的なものと認識すると分かりやすいかと思います。

そういう仕事なので、マイラのお父さんは現代のクランドルで大作家と認められてる人を何人も発掘して世に出した人でもあったわけね。だから、もともと出版界に広い人脈を持っていて、マイラは日常的に著名な作家とか詩人とかと交流があるという環境で育ちました。アレクが言ってましたけど、現在では一般に"鉄の才媛"なんて呼ばれたりしてるくらいだから極め付きの才女。ずっと幼い頃から小説とかも書いてたし、それに父親の仕事にも興味があって、高校から大学に入るあたりで既に自費出版で雑誌とかも作ってた。そこへ集まってくる友達の作品を、父親のようにベストセラー作家を出すというわけにはいかないけど小さな出版社に売り込んだり、自分もあちこちで雑文を書かせてもらったりとかして、将来の足がかりを少しづつ築いてたんだね。お父さんの方は多少親バカもあったかもしれないけど娘の才能はけっこう認めていて、でもマイラが"売り込んでくれ"みたいなことは一切言わずに、自分は自分でというスタンスでやっているのを楽しく眺めているという感じだったらしい。

こう書くと少しは見えてくるかと思いますが、こういう種類の才女はやっぱりめったな男には惚れないよね。堅いと言うよりも、周りの男がバカにしか見えないタイプだから。それに、まだ十代半ばの頃に、かなり年の離れた、たぶん三十くらいは年上の作家と密かにつきあってたことがあったりするので、元々の性質に加えて、そのレベル以上の才人でないと男とは思えないとゆーとこもあったと思う。

で、そうこうするうちに大学時代にお父さんが亡くなって、彼が抱えていた仕事を放り出すわけにはゆかないこともあって、スライド式に彼女が父の地盤を受け継いだ形で活動することになります。ディと出会うのは二十代半ばに差し掛かる頃のことで、大学は卒業し、仕事もそれなりうまくいってるという状況でしょう。ディの存在はもちろん知ってたけど、実際に会うまで"才能はあるけど女に節操のない危ないやつ"とか思ってたので、それほど個人的に興味を持ってたわけではなかったようです。でも、実際に会ってみてちょっと話をすると、ディがそんな軽いやつではないということは簡単に分かるので興味持っちゃって、な〜んとなく、また会いたいな〜みたいな? ま、ディですからね、相手は。

これはいずれ本編で出てくると思いますけど(何年先か分からんが...)、マイラがディと出会うのはレイ・ロクスター侯爵夫人のサロンでのことです。新進の作家であり、そればかりではなく既にそれなりの若い人気作家を何人も世に出してるブック・エージェントでもあるマイラが、その人脈繋がりで芸術のパトロンを気取っているレイと顔見知りだったとしても少しも不思議じゃない。ディはディでまだ三十そこそこだったし、なんだかんだ言っても母の親友だった(しかも、一時は自分の愛人だった)レイには弱いので、たまには遊びに来なさいよとか言われるとヒマなら顔を出すくらいはしてやってたんだな。

その時は他にも何人も人がいたし、ただ、思ってたよりディが遥かに紳士で才人だということを知って認識を改めたマイラは、後になっても"あんな素敵な人だとは思ってなかったなあ"とぼーっと思い出したりとかして、それが自分でも珍しいことなので、あら? 私なんかヘン?、みたいな? 要するに、これは恋ですね、恋。で、一目惚れだったわけです。しかし、基本的に"男なんてつまらん"と日常思ってる彼女のことなんで、自分がディに恋してしまっているとはかなり後になるまで自覚がない。でも、そんなある日。

道路の石畳にマイラがクツのかかとを引っ掛けて折っちゃって困ってるとこへ、たまたまディのマセラーティが通りかかる。おや? あれは先日、レイのところで会ったお嬢さんじゃないかな? と気づいたディは、何やらお困りのご様子なのでクルマを路肩に寄せて、どうしました? と声をかけてみる。ディは基本的に女性に優しいので、顔見知りがお困りの様子なのに知らん顔できないというだけの理由だったんですけど、だからこれは純粋な厚意だったわけね。そもそも彼はちっとも女性に不自由していないから、いちいちひっかけて回る必要もないんだし。で、マイラは思いがけずディと再開できたことに内心すごく嬉しい気持ちになるんですけど、それでもまだ、それがディが好きだからだとは自覚してない。とりあえず"クツのかかとが折れちゃって"みたいなことで、それ聞いたディは、じゃ、近くに知ってるクツ屋があるからそこまでお送りしましょう、ということになる。

しかし、女性を店の前まで連れてってそこで放り出すというよーな、無責任なことを紳士な伯爵さまがするわけはないのであって(男性諸君は、後学のためによく覚えておきたまえよ)、店の中までエスコートしてくれて、クツ選びにもつきあってくれて、お店の人とも顔見知りだから、じゃ、壊れたかかとは修理して届けてあげてね、というところまで手配してくれて、更には通り道だからとマイラの部屋まで送ってくれて、んでもってマセラーティで颯爽と去ってゆく。ああ、なんて♪なんて素敵な王子さまなの〜、と、まだ若いお嬢さんのマイラが舞い上がっちゃっても仕方がない状況だな、これは。ディにしてみれば大したことじゃなかったんだが...。ちなみに、彼女は当時はまだ市内のアパートに住んでた。ただし、ここで言う"アパート"とは、日本式に言えば"高級マンション"のことなのでそれなりオシャレな住まいだけどね。

そういうわけで、その時はそれで済んだんですけど、マイラにしてみれば、もう一回会いたいな、でも、相手は伯爵家の当主で大画家で、今の自分がそう簡単に近寄れる人物でもないのよね、と、どうしよう、どうしよう状態。それでもまだ、それがディを好きになってるからとは自覚がない。ないもんだから返って、"お礼に行くくらいは"とかこつけて、ついついモルガーナ邸まで押しかけて行っちゃう。せめてもう一回だけ会いたというのが自分でも気づかざる本音なんですけど、この行動がそもそもマイラとしては"らしく"ないわけね。確かにお礼するべき状況ではあるんですけど、だからと言って相手が相手だけにいきなりおしかけてゆくというのは返って失礼、もしくは迷惑? くらいの気は本当なら回る女性ですから。しかし、こういうふつーの女の子がやるような、しかも他の場合なら自分は絶対しないと誓えるようなことをやってると後で気づいて、そのあたりから、もーしかしてこれは恋? とか自覚が芽生えてくるのであった。

一方、ディの方は彼女に訪ねて来られて、ああ、あの時のこと? そんなの気にしなくていいのに、とか言いながら、マイラの様子見てて、まあ、こっちは飽きるほど自分に恋しちゃった女性なんて見てますからね。決して自意識過剰ではなく見飽きるほど見てるから、あ、これは惚れられちゃったかな? と分かっちゃう。どっちかってゆーと、マイラ自身よかディの方が気づくの早かったかもしれない。ディとしては、なかなかアタマも良さそうな美人とくれば基本的に好意はあるわけで、相手も自分が好きそうだって、それ分かって断るようじゃプレイボーイやってないよね。レイからは、"男嫌いというんではないらしいけど堅いのよ"とは聞いてたし、それで面白そうだなと思うもんだから、この辺りから意図的に、しかし軽い気持ちで"いただいちゃおうかな"みたいな? 

それでアポイントもなくいきなり訪ねて来られたことも気にせず鷹揚に受け流し、じゃ、またね、と機嫌よく送り出して、その後かなり経ってから、つまり、不自然には思われないくらい時間が過ぎて、ディが自分を狙っているなどとはユメにも気づかれないくらい経ってから(その間は他の女の子と遊んでた)、実は友人がリサイタルを開くことになったんですけど、先日好きだと言ってらしたのでご一緒できないかと思って、とさりげなく声をかける。マイラの方は私のことなんてもう忘れられてるわよね、いいユメみたなと殆ど諦めてたのに思いがけなく彼からのお誘い、しかも、まさかのことにディのような人物が自分にキョーミ持ってるとは思わないから純粋な厚意と考え、でも内心はまた会えると喜んじゃって警戒もせずご一緒しちゃうと。

ま、このへんはよくあるパターンですけど、マイラが若いながらも自分の信念や哲学を持ってて、そのあたりによくいるタダの才女程度のものではないから、この先の二人の関係がディの思ってた以上に深いものになってくとゆーか、その結果が要するにメリルなわけだ。でも、ディがマイラにも思想的に関与するので、後に彼女が興す出版社Web Art Instituteも二人の関係が生み出した産物だとも言えるでしょう。ディは、まーやアリの成長にもずいぶん影響を与えましたが、マイラもそれと同様の影響をディから受けるというか。天才と才媛が出会うと歴史が動く、くらいまでスケールでかくないと私は面白くないんだもん。だから、最初に書いたように"その程度"の低レベル女とそれと絡んでる程度の男では、そもそも歴史なんか動かんのだから、私としては小市民的でつまらんと思っちゃうってことだろうな。

で、この話のラストシーンですがもう決まってて、それはディがマイラと別れ、でもメリルが生まれることになるとはまだ知らない時期のことなんですけど、これがまたけっこう"やっぱりディっていい男"と思っちゃうようなエピソードなんだな。何がどうなってそこまでゆきつくのか、それは何年先か分かりませんがいずれ本編書くので、その時までお楽しみにとゆーことでヨロシク♪

★理想のじーちゃん像★

     

 

 

     

2010.8.31.

8月も、もう終わり。

しかし、暑さはまだまだ続く...。

★自然との格闘★

月日の経つのは早いもので、もう9月が来ちゃいましたね。夏の間は実質死んでたので、涼しくなってきたらもっと更新したいとは思ってるんですけど、お盆過ぎたら、ちょっとは涼しくなるのかな〜と期待してたのに、それどころか日中は室内でも連日31度! お盆以降、日が落ちると比較的速やかに気温も落ちるようにはなって来ましたが、それでもこの室温ではさすがにクーラーのお世話にならずにはいられなくなりました。自分はなんとか我慢できても、あまりに暑い中でパソを使ってダウンされたらコトですからね。

ともあれこの暑さの中、アタマはすっかり溶けて思考力が失われていたんですが、そうなると今度は身体がヒマなので、実は私は今年の7月、8月、頑張って庭の手入れやってたんです。ふつー、街の中では手入れをなまけてても生えて来るのは雑草で、除去しにくくて困るのはせいぜいススキくらいですよね。しかし、うちあたり山の中は違うんです。なまけていると、勝手に生えてくるのは松などの立派な木!! で、それを10年くらい放置しておくとどーゆことになるかとゆーと、当然、見上げるような大木に成長してしまうんだな、これが。で、数年前からうっとーしーぞと思いながらも、既に幹があまりに太くなりすぎてしまっていたので手持ちの道具では切るに切れず、結局そのままになってた。しかし、そのうち木は二階の屋根を上越すほどの高さにまで巨大化してしまい、このまま放っておくと落ち葉が家の雨どいに落ちて山盛りたまってしまうぞ! とゆー事態にまで発展してしまったのであった。しかも1本や2本じゃない、そんなのが7〜8本あるんだ!!

そこまで放っとくなよってなもんですが、とにかく追い詰められた私はこのたびやっと手に入れたコードレスチェインソーを武器に、巨大化した植物に戦いを挑んだわけです。基本的に都会人なんで、せっかく生えてる木を切るのは可哀想...、とこれまで思ってたとこもあったんですけど、しかし、イナカの自然なんてものは、都会人のそんなセンチメンタルで弱腰な姿勢では太刀打ちできないものである、ということをここ数年で思い知らされました。とにかく、このまま放っておいたら家が危ないんだから仕方ない。それは落ち葉だけではなく、根が成長しすぎると家の土台を圧迫したり、擁壁を突き破ったりという心配もあるのよね。そうすると自然の勢いってのはもー、あまりに野生化すると手に負えないもんなんだなと実感せざるを得ませんでした。

ま、そんなわけで2ヵ月に渡って、ぼちぼち幹や枝を切っては捨てやすくするため葉を細断するとゆー作業を延々延々続けていたんですが、とりあえずなんとかこれ以上の成長を食い止めるところまではやりました。下の写真は細かく切った葉の山と、それが付いてた枝の山です。別の場所にこれと同じくらいの量がそれぞれもう一山できてて、幹に至っては、家庭用チェインソーで切れる太さには限界があるので上3〜4mくらいのところで切り倒し、枝をはらってとりあえず隣りの空地に寝転がしてあります。上部だけとは言っても太さが20cmくらいはあるので、この長さだったら殆ど材木状態。しかし、下部はまだ2mくらいがその場に生えたまま残ってます。写真に写ってるのは細い幹ばかりですけど、写ってないところに太いのがいくつもあるんだ。

空地に転がしてある幹の処分とか、太すぎて自分では除去できない根元部分とか、背が高くなりすぎてて切れない枝なんかは、仕方がないので庭師さんを呼ぶしかない。ただ、問題はその費用なのよ。先にちょっと調べてみたんですけど、ざっと見積もっても技術料と処理費で最低5万はかかりそうだった。それで、出来るだけのことは自分でやろうと思って頑張ったんですが、やってると葉っぱのついたままの枝って意外に嵩張るのが分かってきたので、最初の状態で庭師さん呼んでたら、おそらく処理費が思ってた倍はかかって、TOTAL6〜7万くらいは言われたかもしれない。

ともあれ、後は枝を捨てやすいように細断して、比較的細い幹を根元から除去するのに9月いっぱいはかかるかもしれないけど、そこまでやっちゃっておけば庭師さんの費用は大変助かるだろー♪それでも2〜3万はかかっちゃうと思うので、これからは庭の手入れは雑草で済んでるうちにやっておこう、と堅く誓うあやぼーなのであった。

それにしても、いくら山の中とは言っても本格的に林業やるほど山奥ってわけでもないのに、ちょっとほっとくとこの始末なんだから自然というのは驚異的に強力なもんなんだなあと思っちゃいますね。前回の更新で、気候の地域性はそこに住む人間の考え方や生き方に影響を与えてるだろうと書きましたが、やっぱり都会人の感覚で第三世界や未開地の人たちの感覚を計るのは絶対ヤメた方がいいと思う。実際に体験してみないと分からないことって、いくらでもありますからね。

     

★夏のセール・その3★

その2で、心斎橋に出かけてゆき、セールでまたお洋服を買ってしまったという話を書きました。それで済むかな〜と期待してたんですけど、その後、神戸に出かけてしまい、またいくばくかの浪費をやって来てしまいました。

と言うのは、BABYさんでもう残ってないだろうな〜と思ってた赤のJSKが奇跡的にまだあって飛びついたついでに、ブラウス1点と前々から目をつけてた黒のエンブロイダリーJSKも一緒に買っちゃった。そして、Prettyさんにお取寄せしてもらってたものを取りに行ったら、たまたま気に入ってるクツが半額になってて買っちゃった。ついでにニットも安くなってたから3点買っちゃった。それでもまだしつこく発作がおさまらす、神戸で買って来たBABYさんの赤のJSKが非常に良いので型違いも欲しくなり、まだあったよなとまた心斎橋に出かけてって運良く(悪く?)残ってたから買っちゃった。更に、Prettyさんが通販ラストセールみたいのをやったので見るだけと思って見てみたら、最初のセールの時、手に入れ損ねたブラウスの白が前回より安くなって出てたので、お色違い含めて計4点買っちゃった...。

とりあえず、巷ではセールの嵐もおさまりつつあるのでこれで打ち止め...、と思ってたら、今度は某お店からジェーンさんの秋ものカタログを送って来てくれてしまった。見なければ買わなくてすむと思ってお店行ってないのに、送ってこられたらつい見てしまうじゃないかっ、と怒りつつ結局目を通してしまい、アリスシリーズの指輪&ネックレスをご予約...。

い...、いつまで続くんだ、この浪費スパイラル!!! 最近、クレジットのお支払いに追われないですむ生活に切実にアコガレを抱くようになって来たのだが、買うのヤメれば追われなくてすむのにと思いながらヤメられないからスパイラルなんだろうな。全く、困ったもんだ!

     

★デュアンくんの好きなもの★

・この話について初めて読まれる方、登場人物等についておさらいしたい方は主要登場人物、用語等解説をご覧下さい。

・また、この話については2005年8月からAyapooで断片的にプロットをご紹介しています。メインストーリーの小説本文はまだ公開していませんが、興味がおありの方は専用のSTORY INDEXをご参照下さい。Ayapooの過去ログ内の記事を順を追って読むことが出来ます。

今回はデュアンくんの好きなもの/ことについてお話したいと思います。作中でも書いてるので既にご存知かと思いますが、デュアンはパソコンフリークでぬいぐるみ大好き少年です。

まずこのパソコンフリークって部分ですが、これは"ネットの書き込みでディの住所を教えてもらった"という話がまずあって、作者としては最初にそれ書いた時にはデュアンがパソ好きと分かってたわけではなかったんです。後にロベールさんがデュアンに何をプレゼントしたかを書くのにパームトップって喜びそうだなと思い、そのへんからデュアンはたぶんコンピュータ好きそうだぞという話になってったんですね。で、後から思うと確かにこのコの性質だと、パソコンなんていかにも嬉々として使いこなしそうじゃないですか。メリルやファーンももちろんそれなり使うでしょうけど、ファーンは"道具"として使うという感じでマニアにまではならないように思うし、メリルは少なくともデジタル作画には絶対興味ないタイプだな。翻ってデュアンはデッサン力あるから普通に絵も描くけど、デジタルもけっこう積極的に使うと思う。

私は基本的にデジタル作画そのものを否定するつもりはないし、筆や絵の具を使うのと同様にパソを使ってオリジナルなスタイルを生み出す画家というのももちろんアリだと思うんですが、ただ、昨今のコミックなんかを見てると、表現者にとって大切な"オリジナルなスタイル"という要素が決定的に欠落していることが殆どで、結局それってデジタルを使いこなせてないというか、誰が描いても同じという"低いレベル"で終わってるって感じするんだよね。もーちょっと独自性の追求ってヤツをやってもいーんじゃない? っていうか、そういうことを考えようともしないところにつまらなさを感じてしまうわけ。一方、デュアンがデジタルを使うとしても、このコなら他の誰にも出来ないような独自の作風を出してくるだろうし、そしてそのオリジナリティは肉筆で描いても、更には油彩を描いても、必ず出てくる、というか本人が意識してなくても出てきてしまうデュアンらしさであり、私はそーゆーものを"才能"と呼ぶんだと思ってるわけ。

これは後編で出てくると思いますけど、ディがデュアンに"何で描くかじゃなく、何を描くかが大事なんだ"って言うシーンがあって、それはイラストだろうが油彩だろうが、更にはデジタルだろうが、その媒体を使って"何を"表現しているかが大切なんだってことですが、この"何を"っていうのはもちろんテーマ的なものもありますけど、絵である限りは視覚性のオリジナリティも含まれてて当然でしょうね。

話を元に戻しますが、"デュアンの好きなもの/こと"というなら"絵を描く"というのもそうには違いない。ただ、そこそこの雑誌に依頼されて描いて原稿料もらってるってことを考えれば、既にして"趣味"じゃなく"仕事"と言った方がいいかもしれません。ちなみにまだしばらく先になりますが、IGDがオーストラリアに複合的レクリエーション施設を開設する時に、それには大規模な遊園地も含まれていて、そのPRにデュアンの絵が使われることになる。それで十代半ばくらいの頃には一躍世界的に有名なイラストレーターってことになっちゃうんじゃないかな。

デュアンの絵を使うってことについての発案は、意外かもしれませんけどアリシアです。ただ、彼のことですから素直に推薦するってわけにはゆかず、"コドモ向けのPRなら、コドモに描かせるのが一番ウケるんじゃない?"とか、また屈折した言い方で言う。するとマーティアもデュアンの才能は認めてるので、なるほどと思って賛成するから、PR担当も納得してデュアンに任せるってことになる。で、それこれするうちに、以前書いたようにメリルへの対抗意識から油彩も始めるんですが、デュアンが油彩やってるってことについてはディと親しい画商や評論家なんかは知ってますけど、デュアンが"兄さんに負けないものを描けるようになるまでは"と言って公開したがらないから、かなり後になるまで彼が油彩もやるというのは一般に知られないままでゆくでしょう。

さて、デュアンのもうひとつの好きなものである"ぬいぐるみ"。これはもう作者のシュミが出ていると言っても過言ではありませんな。でも、可愛い男の子に可愛いぬいぐるみ。すっごく似合うではないですか。デュアンくらい可愛かったら、お部屋がぬいぐるみで埋まってても微笑ましいなあって、結局これも私のシュミですけどね。そういえば、パタリロ! にタマネギっていますよね。そのうちの一人で44号っているんですけど、彼はすっごい美形でしかも強力な霊能者であるにも関らず、非番の時は部屋いっぱいのぬいぐるみと遊んでいるとゆー、私はこーゆー設定がすごく好きなんです。意外性だけじゃなく、二の線走ってても、三の線もしっくりくるというか、それって人間的な余裕ですよね。だから、デュアンもこの先、もっと年とってってもたぶん、ぬいぐるみは手放さないだろうなと思う。好きなものは好きなんだ! それが愛だ! これもきっとデュアンのポリシーだろうし。

で、そんなデュアンくんなので、うんと小さい頃にママに買ってもらった持ち古しのぬいぐるみを一番可愛がってたりするのよね。最近は、ロベールさんにもらった新品うさポシェも可愛がってるけど、やっぱり一番最初のは古びてきても一番可愛いらしい。たぶんそれもウサぬいだな、きっと。

ともあれこの"ぬいぐるみが好き"というデュアンの性質は、モルガーナ家に移る前に彼が住んでたお部屋の雰囲気、更には彼の画風にも影響してくる根源的なものでしょう。生命力豊かで強くて明るい。楽しいもの、可愛いもの、キレイなものが大好き。そういう人間でないと描けない絵だから、例えば大きな遊園地のPRにもってこいってことになるんだし、また、この性質のおかげで実の父親と恋人関係してても陰湿な方向にはゆかなくて、結局最後にはディを手に入れてしまうんでしょう。そこへ行くまで紆余曲折は当然あるに決まってますけどね。

★マイラ★

     

2010.8.13.

今年も暑い!

30度を越えると、アタマがメルトダウン状態だ!!

★ご無沙汰しました★

約1ヵ月のご無沙汰となってしまいましたが、皆さま、如何お過ごしでしょうか? こんなに間を空けるつもりはなかったんですが、ここしばらく気温が30度以上の毎日が続いていたせいかアタマがメルトダウンしてしまったようで、パソに向かっていることがすっかり出来なくなってたんです。寒いより暑い方がまだマシ! な体質ですから自分ではバテてたとゆー自覚はないんですけど、台風とか来てちょっと涼しくなってみると暑いうちはやっぱり死んでたなと思いますね。昼寝しまくってたし。で、ふと気がつくと1ヵ月も経っていた...。(← あやぼーらしいと言えば言えるが♪)

ともあれ、その間も、チェックして下さっていた方、申し訳ございませんでした。

とゆーことで、すっかり夏なんですが、お盆を過ぎると少しは涼しくなるのかな。暑い暑いと言いながらも、うちは今年もクーラーつけずに乗り切りましたけど、うちあたり山の中で日中の室内30度行っちゃな〜。街ん中は連日35度は行ってたようで、九州はどうだったんだろうとか、アフリカとかアラブとかはどーなってるんだとか、考えてると恐いものがありますね。

それでふと思ったのは、アラブってそれなり暑いですよね? それなのに、なんであのあたりのヒトたちはあんな足元まであるような丈の長い服を着て生活しているのか? しかもアタマにターバン(だっけ?)まで巻いている。いや、女の人のベールとかは宗教的なものだからそれはそれかなと思うんですが、なんで男のヒトまであんな丈の長い、暑そうな格好で過ごしているんだろう?? あれは単なる民族衣装で、日常はもっと涼しげな格好してるんだろうか??? でも、アラブ関係の報道ではたいてい、みんなあーゆーカッコで出てくるよね? あれってもしかして西洋人のスーツみたいなもので、フォーマルウエアなのか?

この疑問を更に追及してゆくと、あの周辺が歴史的に抗争を繰り返してるのは、もーしかしたらあんな格好で生活しているから、暑くてアタマに血が上りやすいせいだったりするかもとか、でも、それを言ったらアフリカ、もちろんあちらは涼しげな格好で日常過ごしてらっしゃるみたいですけど、あの地域が貧困からなかなか抜け出せないのは、もしかすると暑さで人間ナゲヤリになってるからじゃないのか? とか。一見関係ないよーに見えますが、しかし暑さや寒さが人間の精神に与える影響は当然大きいので、文化や歴史と気候の地域性はどこかでリンクしてるとは思えます。そうすると、そういう地域の考え方や生き方は、やはりこちらの尺度で一概に測れないものがある。

このまま進めてゆくと話がなんか不穏な方向に進んでしまいそうなのでこのへんでヤメますが、昼寝しながらそーゆーことをいろいろ考察してしまいました。やっぱり、暑いとアタマが溶けてますわ♪

    

★夏に食べたいもの★

この季節になると食べたいものとゆーと、まず天そば。しかし、私が毎年楽しみにしていたのに、かっ、悲しい話ですが、阪急西宮北口駅の阪急そばでは今年から天そばに! ウズラの卵がっ! 付かなくなってしまったよーなんです!(しくしくしく)

私はうちでザルソバする時も最近ではずっとウズラの卵をおつゆに落として食べるんですが、そもそもこれが美味しいと知ったのは、お店で食べると天ざるどころか単なるザルソバでも必ずそれが付いて出てきていたから。それなのに、それなのにぃぃぃぃ。阪急が阪神と合併したのは知ってますけど、そこまで経営が苦しかったとは! それでもウズラの卵くらい付けてよ! 付けてよ! 付けてよ! 680円もするんだから、10円〜せいぜい20円程度のウズラの卵くらい付けてよっっっっ!!!

... ああ、これで夏の楽しみがひとつ減ったよーな気がするぞ。

しかし、神戸・英国屋の宇治フラッペは変わっていなかったのでウレシイ♪ 神戸に英国屋っていくつかありますけど、私が行くのは三宮のLOFTから歩いて2〜3分のとこにあるお店で、ココは内装が昔ながらのって感じで好きなんだな。メニューはふつーに喫茶店ながら、この雰囲気は神戸っぽくて◎です。

宇治フラッペなんてどこでも出してるし、ココのもそんなに変わってるわけではないんですが、私がずーっと昔に神戸に初めて出かけてった頃、夏の暑い中でたまたまそのへん歩いてて入ったのがこのお店だった。洋館風のレトロな店内が気に入ったので夏になるとなんとなく足が向くんだけど、昨今のこのエコな世の中でガンガンに冷房きかしてるってとこが昔とちっとも変わってないのも良かった。その中でフラッペ食べてると寒くなってきますが、今となってはそれすらレトロ。今どきはどこ行っても、ぬるい冷房しかかけてませんからねえ。それそのものはエコで結構なことなんですが、たまにはこーゆーお店もあっていいかもとは思っちゃう♪

他に神戸でわりとよくお茶しに行くのが三宮センター街にある元・にしむらコーヒー店だったとこ。今はマウンテンコーヒーとかになってますけど、ここも古いよね。店名変わっても中はほぼ同じで、昔からよくある感じのいわゆる"コーヒー館"です。ここでは最近のお気に入りがあって、それが写真の"バナナモカフロート"(モカバナナフロートだったかもしれない?)。これはバナナシェークにモカ風味を効かしてアイスクリーム浮かべてあるってモノで、ちょっと変わったお味が気に入ってます。これは夏だからってわけじゃなく、わりと季節に関係なく行くと注文するってヤツね。

それから服装の関係で、ロリでは入りにくいので特に夏行くようになっちゃうのが中華屋で、一貫楼の肉めしも変わらず美味しいなあ♪ご飯にたっぷりほうれん草とお肉を乗せてあんかけみたいにしてあるやつでスープもつく♪で、確か680円くらいだったと思う。このお値段でボリュームたっぷりとゆーのが嬉しいのだ♪

アタマはメルトダウンしていましたが、この夏はこれら全てきっちり食べて来ました。どれも美味しいので、神戸に行かれた折りにはぜひお試し下さいまし♪

    


2010.8.14.

★モルガーナ家の事情★

・この話について初めて読まれる方、登場人物等についておさらいしたい方は主要登場人物、用語等解説をご覧下さい。

・また、この話については2005年8月からAyapooで断片的にプロットをご紹介しています。メインストーリーの小説本文はまだ公開していませんが、興味がおありの方は専用のSTORY INDEXをご参照下さい。Ayapooの過去ログ内の記事を順を追って読むことが出来ます。

モルガーナ家はアーネストを筆頭とする超絶プロ集団でハウスキーピングされているわけですが、今回はその中で主に料理人のジェームズさんと、庭師のチャールズさんと、運転手兼クルマ管理係であるスチュアートさんのお話をしましょう。

ジェームズは作中でもロベールさんが言っていた通り、若い頃、モルガーナ家の先代に気に入られてヨーロッパに修行に出してもらい、帰ってからは店を持つよりモルガーナ家で働きたいという本人の希望でずっと厨房に居ついています。しかし、モルガーナ家の傘下にはホテルやレストラン・グループなどもあって、それにはホテル・ソレイユのボン・シャンスのような一流レストランも含まれている。そうすると、それらを監督する一流のシェフが必要になるわけで、もちろん外から雇ってもいいんだけど、ジェームズのような天才シェフが身内にいるならやってもらえばいいじゃないかという先代の意向で、あれこれ外の仕事もやらされていたんですね。

そういうプレスティージャスな施設を監督しているともなるとマスコミにも騒がれるし、本を出すなんて話も舞い込んでくるし、本人はどちらかというとそういう騒がしいコトはキライらしいんですが(料理を作っていればシアワセなタイプ)、モルガーナの先代はもともとその才能を認めて肩入れしていたんだから、それが世間に騒がれるなんてことになれば純粋に喜んじゃって、どんどんやれ状態で次から次へと外の仕事をさせたり、本を出させたりしてたようです。そのうちにクランドル料理界の重鎮なんてことになっちゃったんだな。

ちょっと話が飛びますが、ここで作中にも出てきたホテル・ソレイユについて少し説明させて頂きます。これはモルガーナ家傘下にあるホテルのひとつなんですけど、元はゆうに創業100年を超える歴史を持つもので、ただ、一時期その古めかしさが嫌われて近代的なホテルに押され、経営難に陥っていた。それを先代が傘下に入れ、建物の古さや重厚さを生かしてクラシック・モダンをテーマに全館を改装、 戦前は貴族や富豪向けの超一流ホテルとして君臨していただけに殆どがスイートという広い客室と、クラシックでありながらコンテンポラリーを取り入れたモダンな内装、加えて全てのレストランからカフェに至るまで最高の味を提供するというパーフェクトなスポットに生まれ変わらせました。ま、先代はそれだけ商才のある人物だったってことですね。

そういうわけで現在ではソレイユは世界一豪華で趣味の良いホテルとして全世界の上流階級御用達であるばかりではなく、クランドルの土地っ子にも日常的に愛され、"パレ・ド・ソレイユ(太陽宮)"の異名を取るほどになっている。中でもボン・シャンス(= Good Luck)は中庭である大庭園に独立しており、30〜40席ほどのスペースといくつかの個室しかないこじんまりしたレストランながら、これまたクランドル最高峰として半年先まで予約でいっぱいという大盛況を誇ってます。ちなみにここでは広大な庭園を利用した園遊会も開くことができる。

ジェームズは他にもいくつもあるこういう施設の飲食関係をめんどう見てますけど、一方、庭師のチャールズ・コーエン氏。こちらは何代か前からモルガーナ家の庭師を務めるという家系で、本人もその敷地内で育ち、代々めんどうを見てきたこの庭をこよなく愛している。それで自分も親の跡ついで地味に庭師をやってたんですが、こちらはとにかく庭いじりしてればシアワセというタイプで、まあ、だからこそ先代が気に入ってたんでしょうけど、従って植物や庭園についての大変広い知識を持っています。それで、モルガーナ家傘下のどこかの施設で造園家が必要、なんて事態が起ると先代はチャールズに任せて、これまたその才能が発揮されるのを見て楽しんでたんだね。そのうち、そういう施設ばかりではなく、あちこちでそれなりの邸宅を持つ人たちからも造園の相談に乗ってくれないかという話が舞い込むようになり、そうこうするうちにソレイユの庭園設計なんかも手がけて、今ではクランドル有数の造園家ってことになっちゃってる。しかし、こちらもジェームズ同様、有名になってウレシイというタイプではないので、モルガーナ家を去って外で成功してやろうなんてことはまるっきり考えてもいないらしい。二人とも芯のある頑固者ってゆーか、ま、結局そのへん筋金入りの"アーチスト"ってことなんでしょう。だから、ディとも相性いいのよね。

さて、今度はスチュアートさんですが、彼は元はモーター・ジャーナリストだったんです。それがなんで運転手になっちゃったのか。

この時代になるとクルマはだいたい燃料電池車とかになってると思うんですけど、彼は本来そういうのよりも古いクルマの方が好きで、ジャーナリストやりながら趣味的に自分でレストアやったりして楽しんでたんだな。で、たまたまモルガーナ家が7〜8年くらい前に運転手を募集した時、その仕事にはコレクション管理も含まれていると聞いて、世に名だたるモルガーナ家のコレクションを間近に見せてもらえるチャンスかもと、ひやかし半分で応募してみた。自分でも本気で運転手になるとは思ってなかったみたいなんですが、しかし、アーネストが言ってた通り 50台を超えるクラシック・カーやヴィンテージ・カーのコレクションを実際に見せられてすっかり魅了されてしまい、こいつらのめんどうを見て毎日を過ごせるなんて桃源郷だとぼーっとなってる間に、気がついたら転職が決まってしまっていたらしい。結局、このヒトもシュミに走ったとゆーか、クルマ好きが嵩じてこんなことにっ、というクチですね。ただ、ジャーナリストやってた時より、今の方がずっとお給料はいいそうですが。(←転職して当然だったかもしれない...)

ディから人事を任されてるアーネストさんは、コレクションを見せるためにスチュアートをガレージに連れてって、入ったとたんにそのあまりの素晴らしさに理性が飛んじゃった状態の彼の表情を見て採用を決めたそうです。要するにモルガーナ家は主を筆頭に、単なる"もの好き"集団が類友で集まっているだけと考えることが出来るかもしれません。ちなみに、これらの旧車コレクションの一部はよくあちこちの展覧会などに貸し出されたりもするので、それの移動や、常にコンディションを整えておくのもスチュアートさんの仕事です。

ところで、最近ちょっと思ったんですけど、世の中、ハイブリッドから電気自動車、更にはソーラーカーへと動いているようです。でも、電気自動車やソーラーカーは排気音がしませんよね。そうするとそれでカーレースやるとしても所謂ところのエグゾースト・ノートもないわけで、それってレースやってるって雰囲気するのかな。ガソリン車のあの耳をふさぐようなウルサイ音、あれのないレースって、果たして参加してる人たちは燃えられるんだろーか? 20世紀半ばを中心として伝説的な逸話を残すほどレースに夢中になってたカッコいいヒトたちって、あのエグゾースト・ノートがあったからこそあれほど純粋に夢中になっちゃったんじゃないだろうかと思ったりする。まあ、ソーラーカーとかのレースもそれはそれでやれば面白いんだろうし、それ独特の楽しみというのもあるんでしょうけど、やっぱり音が人間心理に及ぼす影響は大きいと思うので、私なんかは音のないレースってなんか淋しいなあという気もするんですけどね。

それはさておき、話をモルガーナ家の事情に戻しましょう。作中にも出てきた通り、アーネスト、アドリアン、マーサが家の中全般の管理を指揮していて、その下には25人前後が働いています。殆どメイドさんだけど男の人も数人いて、実は私、そのへんでちょっと困ってることがあるんです。女性なら"メイド"という言葉が一般化してるからそのまま使えばいいんですが、日本では大きなお屋敷で男性の使用人というと昔は書生さんとか下男とか呼ばれてて、男女問わなければ召使という言葉もありますけど、どれも"メイド"という語感とのバランスが取れない。しかし英語の"サーヴァント"は一般に召使と訳されているものの、これは"メイド"ほど日本語化していないのでこれまたバランスが取れなくて文中の据わりが悪い。まあ、日本では今ではもう、そんなにたくさん使用人使ってるような大きなお屋敷が一般的にないから、それを指す日本語が一般化してないのも当然なんですけど、女性の"メイド"に対してバランスのいい言葉がないんだよ。一番近いイメージで語感もキレイなのは"侍従"かなとも思うけど、それもちょっとなあ...。

ともかく、家の中はそういう感じで総勢30人近くの大部隊が管理してます。厨房はジェームズ配下なので独立テリトリーとなってまして料理人が3〜5人くらい常駐している。この人たちは家の中のことだけしてるわけじゃなく、ボン・シャンスや他のレストランに出すメニューを考案したり、指示を出したりというジェームズの外の仕事も手伝ってる。これに対してチャールズが管理している外回りは庭師4〜5人、馬丁1〜2人というところでしょうか。もちろん、この人数の庭師では管理しきれないくらい広い庭なので、特に忙しい時期には外から人を入れることもあります。あと、運転手はスチュアートだけではなく彼の下に2人いて、3人で運転手兼コレクション管理を担当。なにしろガソリン車、それも古いクルマはデリケートですから、50台もいるとお世話係もこのくらい必要になるのよね。

とゆーことで、モルガーナ家では日常40人〜50人近い人が働いているということになります。ディとしては、こんなに沢山の人間に囲まれて暮らすのは殆どめんどくさい状態なんですが、先代までの伝統をそのまま受継ぐことに人生かけてるアーネストがいることもあって、昔ながらの貴族の暮らし方をそのまま続けてるんだな。アーネストに任せとけば煩わしいことは全部やってくれるから、無理に変える必要もないし、それにこの人たちの中から、ソレイユのような高級ホテルなどにマネージャーとして出る人とかもいて、これは傘下のホテルやレストランなどのサーヴィスの質を高いレベルで維持するのに一役買っているという事情もあるから、人材を育てるという目的も果たしているわけね。

ま、今どきは貴族のお屋敷と言えども、そんなに閉塞的ではないということかもしれません。しかし、これはお話の世界というか、あくまでクランドルでのことで、実際にはこういうモルガーナ家ほどの規模のお屋敷はもう殆ど存在すらしてないんじゃないかな。どっかの王家とか、アラブの富豪とかならあるかもしれないけど...。

★デュアンくんの好きなもの★

       

 

     

          

2010.7.14.

かれこれ3週間、雨続き。

もうそろそろ、晴れてもいい頃なんじゃないかな〜???

★最近買った雑貨・その15★

置時計が好きなわりに腕時計には興味がないあやぼーなんですが、出かける時にはやっぱり何か時計がいるわけで、これまでずっと、もうかなり長いこと使ってるG-Shockを持ち歩いてました。

G-Shockって今ではブランド化してますが、私が最初に買ったのはもう二十年以上前の話で、その頃はそんなに名前が定着してなかったから、三宮Seiden前のワゴンセールで確か半額以下で売ってたりした。それを、当時持ってた時計が壊れたかなんかで、安かったし、間に合わせに買ったんだったと思う。それを長いこと使ってて、でも本体は今でも問題なく動いているのに、バンドの部分がダメになっちゃって新しく買ったやつが今ので、それももう十年は使ってるかな。腕時計欲しいなあと思いながらも、気に入るものが殆どないのでそのままになってるあたりは私らしい話です。

それにしてもG-Shockって凄いなと思うのは、最初に買ったやつね。これまでに確か2回くらいしか電池を代えてない。普通、時計の電池って2年前後で代えなきゃならないこと考えたら異常なもちだと思う。だからバンドさえ取替えれば、即、現役復帰できる状態にあるんですけど、それの取扱説明書には電池が5年はもつって書いてあったような気がするから、時計以外のいろいろな機能を使わなかったらどーかすると十年近く電池代えなくても動くみたい。今使ってる方も、そういえばもう長いこと電池代えてないもんなあ...。

そんなわけで、持ち歩く時計はたいていG-Shockだったんですが、ひとつだけペンダント時計というのを持ってまして、これがすっごく気に入ってたんです。でも、これまでペンダント・タイプってどんなに探しても見つからなくて、雑貨屋さんで時計置いてるとこ見かけると、ないかなあと探すともなく探してたのにずーっと行き当たらなかった。ところが、やっと先日。三宮で、この前イチゴ柄のティセットを買ったお店に写真のようなアンティックな雰囲気のが!!! 

ネックレス部分はともかく、とにかく時計部分が気に入ったので、これを逃してはとお色違いで2点を即購入。ちなみにお値段はひとつ2100円(税込)です。違うタイプのもあったし、他のお店でもペンダント時計がいろいろ出てるの見かけたから、今年あたりからハヤりそうなのかもしれませんね。

で、写真の時計。これは革紐のネックレス部分を鎖に代えたら更にいいと思いませんか? 夏の間は今年流行のマキシ・ドレス、それもカントリーな雰囲気の色味のものに合わせると革紐のままでもぐー。ちなみに、裏側も表と同じにガラス張りになってて、中のムーブメントが見えるようになっている。なかなかキレイだし、全体の感じともマッチしてて良いのだ♪

しかし、私としては更に理想を追求するなら懐中時計が一番欲しい。置時計と腕時計の中間で、デザイン性も出そうだし、あるといいなと思うんですけどね。昔、マリ・クワントのノベルティでそれくらいの大きさの時計をもらったことがあってすごく気に入ってるんですけど、他はあまりないですねえ、さすがに懐中時計って。メタモルさんで一度見かけたことあったけど、デザイン的に今ひとつだったかな。でもロリなお洋服には合いそうだよね。アンティークで高級感のある懐中時計がもっと出てくるといいんだけどなー。

そんなこんな考えていると、どうやら私は腕時計のデザインにはあまり私好みの工夫や遊びがないのが興味持てない理由らしいんだな。スイス製高級ウォッチの特集とかAmexの会誌でよくやってるんだけど、これまで欲しいぞと思ったのはEpisode2でロベールさんが孫たちにプレゼントしてたボヴェのくらいだった。あれは本当に美しかった。しかし、数千万円ではとても手が出な〜〜〜い♪ あれくらいの繊細なデザイン性のあるもの、もっと安くどこか作ってくんないかなっ?!

     

2010.7.13. 

★夏のセール・その2★

行ってはいけないと思っていながら...。それでも行ってしまうからビョーキなのよね。

とは言え、お天気悪かったおかげで本格的なセール開始時期からこっち出かけるのがおっくうだったので、それから2週間も経ってればあんまり欲しいようなものは残ってないだろうと願いつつ、ちょっと覗くくらいはいいかなと心斎橋に出かけて行ってしまいました(← 残ってなければ買わずに済む。しかし、それでも見るだけは見たいから"病人"なのだ)。すると、困ったことに残ってるんだ、欲しいと思ってたお洋服が。

実は、その前日Prettyさんの通販セールが開始されたんですけど、今回はそれほど欲しいと思うものは出てなくて、とりあえずお洋服2着とニット2着の計4点注文して、セール価格だし、それほど大きな散財にはならないで済んでたの。でも、そうなると"買い足りない!!!"という不満が残るのもこの病気の症状のひとつで、結局、翌日に出かけてってしまったというわけです。行ってみると前の日に黒を買って、他の色もいいなとは思ったが、注文しようと思う頃には売り切れてしまってたワンピが2色残っている。それも、私が買えなかったミントとピンクで、しかも!! しかもですよ。お値段がなんと! 均一セール1着8400円!!(←スーパーのようなネーミングと価格だが...)

定価26000円ほどのお洋服が税込み8400円って言われたらね。もー、この際だ、2着買っても16800円だって思っちゃうのが人情というものじゃないですか。それで両方買っちゃって、更にこれまた私の買ってなかった色が残ってたカゴバッグ(ウサちゃん編みぐるみつき)と、あると便利なニット(イチゴちゃん編みぐるみつき)を追加して、一応なんとかそれでPrettyさんでの買い物は思い留まることができました。しかし、それでもまだ買い足りなかったらしく、ヤメとけばいいのに今度はそこからBabyさんに回ってしまって、こちらでは欲しいと思ってた赤のお洋服は無かったけど、これまた安くなるなら欲しかった黒のドレス、定価 52500円! ロリータ業界ではこれってワンピでは殆ど見かけないほどお高いお値段で、それがな〜んと半額!!! 半額ですよ!! 26250円ですよ!! コレ、買わずにいられたらビョーキ完治してるよねえ。だから、当然ですけど買いました。ううう...。

とはいえ、通販からこっちのセール購入、全部足しても昨年この時期のPrettyさんでのお買い物総額の半分にしかならないから、やっぱり初日から出かけてゆかなくて助かったってことなんでしょう。行ってたら多分、こんなもんで済んでませんからね。でも、PrettyさんもBabyさんも引き続きセールやってるし、まだ欲しいと思うものが残ってないでもないので、これで終わりと楽観は出来ない状態だ。このまましばらくお天気悪ければ、とても助かるかもしれない...。

      

★与党大敗★

"政治なんて国が壊れない程度にやっててくれりゃいー"と思ってるし、政治家になんて何の期待もしてないので選挙には絶対!! 行かないことにしているあやぼーなんですが、ってゆーか、今の状況で選挙行ってもなあ...。とにかく小市民的でアホとしか思えないよーな主張しかしてない政治家に、とりあえずどれか選んで票を入れるということは、それそのものが国を滅ぼす行為に加担してるんじゃないかとゆー気すら最近してるんだな、私は。

で、まあ民主党ですが...。はっきり言って、私はコレが与党になったこと自体が単に自民党にウンザリしていた国民が、違うとこだったらちょっとは何かしてくれるんじゃないかという淡い期待を一時的に寄せてみただけとゆー、浮き草的な成り上がりだと思ってたからこうなるのも予測はついてましたね。

そもそもこの春、本来はこの時期12000円近くまで上がってもおかしくない株価が、せいぜい11000円超えるくらいしか上がらなかった。で、その時期だったか、ちょっと前だったかに"日本が政治的に何らかの経済対策を示さない限り、国債の格付けを落とすぞ!" とゆー、海外の格付け会社のコメントが出たことがあったのをご存知の方もあるかと思います。実際、民主党が与党になってからというもの、何のつもりか円高に対して何の対策も取らず、それが株価にも大きく影響したことがあったわけで、昨今、投資なんて一般のご家庭にまで広がってるんだから、こういうところからも"民主党はあかん"という印象が広まったことは想像に難くないんじゃないかな。そういう種類の"恨み"は当然、尾を引きますよ。なにしろ、例えご家庭の主婦の一口投資であっても、このご時世にみんな大事なお金かかってるんですからね。

民主党に限らず、昨今の政治家の言ってることって、例えばあの"子育て支援金"ってなに? ああいうのが"近視眼的"でなくていったい何なのよ? 日本全体が景気良くなれば、そんな小銭アテにしなきゃなんない人だっていなくなるのよ。それをさ、大局的見地に立って世界経済における日本のスタンスを維持するとか、促進するとか、そーゆーことは全く考えず、それこそアホな国民相手に"小銭やるから票入れてくれ"的なレベルの低いこと言ってて、日本経済が積極的に立ち直るわけないじゃないですか。それに、少子化が主に将来の年金制度に支障をきたすとかって、だからコドモ増やせばいいってか? あまりにもバカバカしいリクツなんで呆れ返るしかないですね、コレに至っては。

ちょっと考えてみれば分かることですが、今や、アパートも借りられずネット難民と化してる若いヒトも少なくないとゆーのに、これから生まれてくる子供が将来的に年金の掛け金ちゃんと払えるほどの収入を得られる保障なんてどこにもない。今の"バカ製造システム"に成り下がった教育をこれから生まれてくる子供たちにも適用すれば、結局、ネット難民になるしかないような人間を増やすだけで、結果として将来、国費で養ってやらなきゃならない老人が増えるだけでしょーが。そういうのを悪循環とゆーのよ、悪循環と。だから、大局的見地に立てば、まず国内での対策としては何より教育改革が絶対急務であり、そこに必要ならそれなりの金をかける方が先なのよ。しかし、偏差値バカが成り上がっただけの肩書きバカがしがみついて巣くってるだけの政府に、そんな上等なコトが出来るアタマがまずないのも分かってるけどね。

ついでだから言いますけど、今の政治家って"弱者に優しい"よーなこと言ってはいるけど、本当に社会的弱者に配慮しようなんて啓蒙レベルの高いヒトがどれほどいるのかってことで、"社会的弱者"というなら、いまの日本、最もそういう立場にあるのはホームレスの人たちや、親に虐待されてるとか、親がいないとかで普通より辛い立場に立たされてる子供たちだろうと思うけど、ホームレスの社会復帰だとか、親のいない子供の救済だとか、そういうことを大きく叫ぶ政治家なんて殆どいないじゃないの。そのくせ、"子育て支援金"? それも育てる金も自分で稼げないくせに3人目の子供が欲しいわ〜なんて言ってるアホにそんな金渡しても! 遺伝子的見地から見て役立たずが増えるだけの可能性は極めて高いぞ。しかし、そういうのが一般家庭にはアピールするから票に繋がると考えてるんでしょうよ、アホな(自称)政治家どもは。

では、なんで本当の究極的弱者であるホームレスや孤児の救済を誰も叫ばないかと言えば、それはホームレスは全体から見て数が少ない(大して票にならない)し、子供には選挙権がないから! だから連中のは単なる"エセ弱者崇拝"だと言うのよね。票になるから拝んでるだけ。でも、国の将来なんて、なっんにも! 考えてはいないし、そもそも考えるだけのアタマもない。期待するだけムダ! だから、自分のことは自分でやるしかないのだ♪

このままいくと...。あんまりしたくない予言ですけどね。昨年、株価がどん底落ちた時に"日本経済置き去り説"ってのがまことしやかに囁かれてて、それって海外の景気は回復しても、日本はそれからツマはじきされるんじゃないかっていう懸念だったんですが、その時点ではまあ、私も含めて大半は笑い飛ばしてました。少なくとも今の段階で、そこまで世界経済における日本の位置が崩れ去ってしまうほど酷いとこまではゆくまいと。しかし、十年後はどうだか分からない。思うに、今のままいくと今後、徐々に日本の株価は最高値をどんどん切り下げてきて、十年も経つと最高値で12000〜13000円とか、10000円とかくらいになっちゃうんじゃないか。まあ、産業と教育と政治がトリプルで空洞化してりゃ、当然の結果ですよね、それって。今の政治家(あいつらはアタマが空洞化してるんだ、アタマが!)に、それ全部なんとかできるだけの能力があると思います? ま、これに対する結論は各自で出して頂ければ宜しいんじゃないかとゆーことで、ヨロシク♪

    

★ケンちゃん・その3★

・この話について初めて読まれる方、登場人物等についておさらいしたい方は主要登場人物、用語等解説をご覧下さい。

・また、この話については2005年8月からAyapooで断片的にプロットをご紹介しています。メインストーリーの小説本文はまだ公開していませんが、興味がおありの方は専用のSTORY INDEXをご参照下さい。Ayapooの過去ログ内の記事を順を追って読むことが出来ます。

デュアンのボディガード兼家庭教師をすることになったケンちゃんの話ですが、覚えてらっしゃるでしょうか。お忘れの方は★その1★★その2★をご参照下さればと思います。

彼はもともといいうちの出なのに、父親と折り合いが悪くて家を出て傭兵なんて仕事をしてたわけですが、その主な原因が家つき娘のケンちゃんのお母さんが早くに亡くなってしまったこと。彼女が優しくてわりと気弱なのをいいことに婿養子の親父が妾かこったりして心労をかけたとか、彼女の死後、妾とその間に出来た子供を家に入れたとか、挙句の果てに、今度は自分の婚約を勝手に決めようとしたとか、息子としては様々なたまりかねる事情が重なって最後にはブチ切れちゃったんてすね。

で、今回は、その二号さんとの間に出来たケンちゃんの腹違いの弟と彼の関係についてです。実は、どーゆーわけか、この弟というのが、両親に似ずデキがいいらしい。

と言うのは、母と一緒に父のところに来て、腹違いの兄であるケンと一緒に住むようになった頃はまだ小さかったし(ケンより八つ下くらい)、そういう事情だから兄からも無条件に嫌われてるという状況で、とても気軽に"兄さん"なんて呼ばせてさえもらえなかった。しかも、殆ど寄宿学校から帰って来なくなった兄とは顔を合わせることそのものがあまりなく、ずっと疎遠なままに育ってたんだな。一方で父は忙しくてあまりかまってくれないし、母は兄を差し置いて自分に家を継がせようと画策してたりして好感が持てないし、背景事情もよく知ってるから、性格のいい子ならこれはけっこう心労のつのる状況ではないかと。

で、そんなだったから、ケンの心境はよく理解できるし、気持ち的には両親より兄の方へ寄って行ってて、できれば兄さんともっと仲良くなりたいなあとは思ってたんだね。でも、そうとは知らないケンの方は、たまに家に帰って来てもロクに口もきいてくれないような状態でずーーーーっと来てた。そう考えると可哀想だよね、この子も。

ところがある日。ケンが大学を卒業して軍に入るということになり、それを反対していた父親とは今度こそ完全に縁切り状態になるから、これまでにも増して兄の顔を見ることができなくなるだろう。そう思った弟(実はイメージだけで、まだ名前が分からない)は、ケンが荷物の整理に帰って来ていて、さてこれでココともおさらばだ、縁切りだ、二度と帰ってくるもんか、と誓って出てゆこうとしたその時に、意を決して"ちょっとお話があります"と話かける。いつもならテキトーに生返事でやりすごすんだけど、この時ばかりは弟があまりに決死の覚悟という様子なので、ケンは仕方なく時間を取ってやることにする。で、話を聞いてみると...。

ずっとお話する機会もないままだったので言えなかったんですけど、兄さんがぼくを嫌うのは当り前だと思うし、母のことは本当に申し訳ないと思っています。この先、あまり会えないと思うので、せめて、それだけでも言っておきたかったんです、と、意外なことを言われて今度はケンの方が呆然。それまでは、とにかく最初から無条件に"弟だなんて認めない"という頑なな態度を貫いてたし、彼がクランドルでは一般にあまりしないスキップをしてまで十六歳で大学に入り、専攻を二つ取ってたから四年かかったとはいえ、普通より早い二十歳で大学を出たのも一刻も早く自立したかったからで、その間には弟の気持ちを思いやるような余裕なんて全然なかった。しかし、こう言われてみると、どうやらずっとそのことを気に病んでいたようだし、そうするとコイツも状況の犠牲者だよなとか、何もこの子が悪いことしたわけじゃないのに、今まで冷たい態度をして可哀想だったかなとか、思うのがケンの性格なのよね。

まあ、だからと言ってそうそういっぺんに長年のわだかまりを捨てるというわけにはゆかないですけど、これをきっかけにして弟が手紙をくれたり、最初のうちは返事なんて書けないでいるんですけど、そのうちやり取りもするようになって、ケンがIGDで働くようになる頃にはもうかなり仲良くなってたりする。だから、初対面の時にケンがデュアンになんとなく親しみを感じたとしたら、自分が家を出る時に決死の覚悟で"お話があります"と言って来た時の弟と、それほど違わない年頃だったからかもしれません。

今はもうその弟も大学に進むくらいに大きくなってますけど、そういう複雑な家庭でけっこう気持ち的に苦労して育ってるからそれなり人間も出来ててアタマもいい。ケンはケンで祖父から譲られてる莫大な資産もあるし、IGDとの関りもあるしで、もともと父親の後を継ぐことそのものには興味を持ってないから、今では弟がやってくれればそれに越したことはないんじゃないかな、くらいに思っている。そうするとケンは今後、ずっとモルガーナ家に居ついてデュアンの右腕になるとか、そーいう展開もあるかな〜という気がするな。まだまだずーっと、先の話ですけどね。

★モルガーナ家の事情★

     

2010.7.2.

どんより続く曇り空。

今年の6月は珍しく本当に"ツユ"だった...

★チャーリーズ・エンジェル★

約半年がかりでやっと"Knight Rider"のDVD4巻を見終わったので、続いてずっと見たかった"Charlie's Angels"のDVDを買いました。

豪華版は廉価版の倍くらいしたから、以前チェックした時は迷ってしまってどっちか決められなかったんですけど、今は廉価版の方がAmazonで半額くらいになっているので、Season1〜3まで揃えても豪華版1BOXのお値段くらい。こうなるともう、廉価版でいいよねーってなるのは、特価大好きのあやぼーらしい結論です。あとは"バイオニック・ジェミー"欲しいんですけど、これはまだすっごく高い...。

とゆーことで、とりあえず"Charlie's Angels"なんですが、いやーもー、ファラ・フォーセットがキレイでねーっ。もちろんケイト・ジャクソンやジャクリーン・スミスもキレイだし好きなんですが、中でもファラはTV放映時からめちゃくちゃ好きで、今改めてこの作品見ても、後光さしてるぞと言いたいくらいキレイだ。こういうヒト見てると"スター"という言葉の本来の意味を、改めて納得してしまいますな。やはりそういう"後光がさしてる"くらいでないと、"スター"なんて言葉は使ってもらいたくないよね。

"Charlie's Angels"の基本設定については、知らない人なんていないだろうと思うので説明するまでもないと思いますが、とりあえず概要だけ書いておくと、チャーリー・タウンゼント探偵事務所に所属する三人の聡明な美人探偵たちが、その知性のみならず、美貌とお色気もフルに活用して難事件を解決してゆくというシリーズもの。70年代半ばの作品だけあって、エンジェルたちだけではなく水着の美女なんて出まくりで、華やかだし、ストーリーも毎回よく出来ていて実に面白いシリーズだと思います。制作されてから既に35年近く経ってて、ファラも昨年亡くなってしまいましたけど、しかし、今見ても古いって感じは全然しませんね。むしろファッションなんか返って妙に新しかったりして、コレ今着たいぞと思うような服もけっこうあったりします。

それにつけても...。70年代、80年代のアメリカ映画(特にTVシリーズ)って良かったなあ...とつくづく思うのは私だけなんでしょうか? 最近、例の"セ×××・アンド・ザ・シ××"という、一応人気だというフレコミの映画のポスターを見て、私はつくづく暗い気分にさせられてしまった。実際アレ見て、女の私はともかく、男性諸君は生きてゆくのが辛くならないのだろーか、と、心配になったとゆーか、同情の極みに達したとゆーか。

いや、内容見てないからストーリーはもーしかしたら面白いのかもしれないんだけど、とにかくいつからアメリカではこれで"(主演)女優"という職にありつけるよーになったんだ? と言いたいよーなオバさんしか写ってなかったじゃないか、あのポスター。あれ見ただけで、本編見る気なくなったぞ。

それとか、"オー×ャンズ11"だったっけか? ジュリア・ロ×××が出てたやつ。あれは私うっかりDVD買ってしまって内容も見たけど、見れたのはブラッド・ピットだけだった。ブラッド・ピットってけっこう頭良くて個性的なヒトみたいだから、あれを"俳優"と言うのは許すよ。それなりいい男だし。しかしね、はっきり言ってヒロインがいかん。"この程度の女のために、そこまで大騒ぎして取り戻そうとしたりするか?" とゆーか、とにかく納得できなぁ〜〜い!!なのは、ストーリー展開ではなくてむしろヒロインのキャラなんだな。あれがレベッカ・ホールデンとか、それこそジャクリーン・スミスだったら即、納得する。そりゃ、これほどの女だったら何としても取り戻したいだろーとだね、誰が見てもひと目で納得できるだろうと思う。それにつけても、現代のアメリカって、そんなに美女に不自由してるんだろーか?と心配にすらなってくるな。

まあ、多少分からんでもないところはないではないけど、なにしろクリントン以来、うるさいからねえ、セ××ラがどーのこーのと、特にアメリカは。それで水着の美女なんて楽しいものを画面に出したりしたらヤバくって仕方ないのかもしんないけど、そこまで卑屈にならんでもいーだーろーというか、"お願いだからキレイなおねーちゃん出してよ! サービス悪いぞ!" と女の私でも叫びたくなる昨今のこのご時世。その究極はミス・ユニバースだが...。いや、それはそれである一方の極として"美しい"のかもしれないし、ユニバースだからユニバーサル・デザインなのか? と納得せざるを得ない気もしないではないが、とにかく、ユニバーサル・デザインもユニクロもカン違いのミニマリズムも、もう沢山よっ!!! と日頃から思っている私にとって、古来からの本来の"女性美"がもっと見直されてもいいんじゃないかとは、提起したい問題ではありますな。

それはまあ、一方的な男尊女卑意識については当然否定しますが、だからと言って"女だって男なみ"と証明しようとしたり、主張しようとしたりするところで既に"女性の劣性"を認めてしまっているというか、それで無理してあんまり頑張りすぎてヒステリックになってる女って返ってみっともないよなと思いませんか? これも"極端から極端へ走る"という人間の浅薄さの表れであると言えるかもしれないが。

そんなこんなで、やっぱり女性は女性の特性、あくまで一般論として例えば可愛らしさとか柔らかさとか、そういうものを無理して捨てる必要はないだろうと思うわけね(逆に、個人としてそういう要素を持たない人が無理して持つ必要もないと思う)。実際、例えばうちのディみたいに、"女性からは学ぶことが多い"とか言えるようないい男ばっかりだったら、女はそんなに無理しなくって良かっただろーとは思うが、まあ、そういう男でないと上等の女は寄って来ないというのも因果の法則か。ともあれ、そういうご時世の現代において理想の女性像というものは、改めて見直される必要があるのかもしれませんね。

話を元に戻しますか、"Charlie's Angels"見てると、確かに本来の理想的な女性像が自然と描かれてると思うし、このテの健全なお色気なんてものが無理に消去されることの方が不自然かつ不健全という気もするんだな。ま、ある意味、"ユニクロ"的なものってハヤリが究極まで行けば飽きられて来る種類のものでしかないし、真の美こそ時代とは関係なく永遠なものです。35年経ってもこの作品に新鮮な印象があるのは、その中核である三人の女性たちの内面的なものも含んだ美に拠るところが大きいでしょう。女としてはやっぱりね、こーゆー女性を及ばずながらもせめて目標としては目指したいものだと思います。

    

★夏のセール★

なんか6月の後半、昨今では異常なまでに典型的な"梅雨"の気候になってて、毎日お天気の悪い日が続いてますよね。それで出かけるのがおっくうだったから、おかげさまでとゆーか、今年はまだ夏のセールで散財!! なんてことをせずに済んでいます。Prettyさんでも6/26から本格的なセールが始まってますが、それすらまだ見に行ってない状態で、このぶんだととりあえず夏はあまり買い物せずに済むかもしれない。

2004年以来、悪いビョーキがずーーーっと止まなかったんですが、さすがに6年目ともなるとセール開始とはいえ雨だったらもういーやと思うくらいには飽きてきたのかな。もっとも、夏はマトモに服を着る根性が無くなるので、どっちかってば夏よか秋冬の方が危ないんだけどね。このまま秋冬もビョーキが落ち着いててくれると助かるんだけどなあ...。

        

★ルーク★

・この話について初めて読まれる方、登場人物等についておさらいしたい方は主要登場人物、用語等解説をご覧下さい。

・また、この話については2005年8月からAyapooで断片的にプロットをご紹介しています。メインストーリーの小説本文はまだ公開していませんが、興味がおありの方は専用のSTORY INDEXをご参照下さい。Ayapooの過去ログ内の記事を順を追って読むことが出来ます。

最初の設定を考えたのが古い話なんで自分でも故意だったのか偶然だったのか覚えてないんですけど、まーの"ルーク"という姓はチェスの"ルーク"と意味がかぶってきてるみたいです。スペルはrookで発音は[ruk]なので、本来は"ルク/ルック"のようなんですが、現在の日本では一般にチェスのコマはルークと発音してますよね? 

ともあれ、現代では一般にどう考えられてるかは知らないんですけど、個人的には私はあのチェスの塔のコマ、つまりルークは元を糺せば"賢者さま"の象徴だと思ってるんです。ビショップは"僧侶"とされてるのは知ってるので、塔はやっぱり"象牙の塔"だろうなと。象牙の塔=ivory towerというのは"俗事や実際的な事柄から遠く離れたところ、浮世離れ"という訳が辞書にも載ってて、研究室に閉じこもって俗世に興味のない学者のことを"象牙の塔にこもる"などとも表現したりしますね。で、時代を遡ってゆくと、ローマ時代以前、特にケルト民族の間では賢者制度みたいなものがあったようで、この時代の賢者さまって科学者と哲学者と呪術師を一緒にしたような存在だったらしいんです。つまり、一般の人間には"不思議"にしか思えないこと(飛んだり、消えたり、病気を治したりなどなど)を出来る知識を持ってて、それゆえ、魔術師とか、更にはペテン師とかも呼ばれていた。従って、rookにもイカサマ師、ペテン師という意味があります。

しかし、本質的なことを言えば、一般に比べて広い知識を習得し、利用できるだけの天才的な頭脳を持っている人たち、中でも哲学的に優れていて全人的な性質を兼ね備えていたのが一流の賢者さまだったんだろうなと私は思ってます。知識を誤用するようでは、それは賢者ではなく、まんまペテン師になっちゃってたでしょうけどね。加えて、賢者さまとか魔法使い、仙人なんて人たちは、ふつー隠棲を好むもので、人間の間にあんまり出てこないからivory towerの意味にもそれが反映されているのではないかと推察しているのですが...。

そーゆーわけで、象徴的にはまーやアリはIGDという概念上の大国の賢者さまだということで、もちろん王さまはアレクですけど、翻って、現代の国家には残念ながらこの"賢者"の役割を果たす人材が無きに等しい状態。だから世の中うまくいかないんだなあと、ミョーに納得したりしちゃうんです、私は。

さっきも言ったように、賢者さまとは科学者と哲学者と呪術師を一緒にしたようなものですが、科学や呪術は"知識"であって、それを使いこなす核としての"哲学的資質"がないとどーしよーもないというか、例えば科学の場合、それのない科学者ってタダの専門バカじゃないですか。呪術もそれだけ分離しちゃうとロクなことにならないとかあるし、要はそれらを大局的な見地に立って総合的に利用するためには"哲学的資質"が不可欠だってことなのよね。まあこれは、例えばプラトンなんかが"哲人政治論"とか言ってるアレとも関係すると思いますが、本モノの哲学者というのは近視眼的なものの見方をしないというか、世俗的な価値観にも左右されないし、大局的見地に立って論理的に先を見通す力のあるものだと思う。どこに根拠があるのか分からないインチキな"予言"じゃなく、この「論理的に」というのが大切なところなんですけどね。現代においては"哲学者"と名乗るヒトやその肩書きで商売してるヒトはいても、全世界を牽引できるほどの本モノの賢者さまってのはなぁ...。しかし、それがいないことで、あっちこっちで勝手な低レベルのリクツが乱立してしまっていて、それこそどーしよーもなくなってるじゃないですか。

つくづく思うのは、とにかく共産主義とか民主主義とか自己犠牲の精神とか、そういう行き当たりばったりのリクツとか情緒的バカの勝手な思い込みじゃなく、あらゆる観点から全世界とその歴史を論理的に解析し、問題の明確化と解決策の模索が必要であるということで、しかし、これはもう本モノの賢者さまでないとムリなことだと思う。逆に今やそれほどの天才だったら、こんなロクでもない"人間ども"なんて救おうと思わないよなぁという気もするな。処置なし、救済不可のレッテルを貼ってゴミ箱に放り込み、自分は快適に南の島で昼寝でもしてる方がよっぽどっ、ラクだもん。

まあしかし、若気の至りというか、まーたちはそれに手を出してしまったもんで、結果として苦労することになっているんだな。それはそれで面白い人生かもしれませんけど、私はやっぱり、"南の島で昼寝"の方が賢明だったと思うなあ♪

★ケンちゃん・その3★

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