★BMW★
フェリーさん、80年代はBMWなんか乗り回してたらしいですね。今はどうなのかな。アストンとかマセラーティなんかもガレージに入ってそうだけど...。
うー、それにしてもBMWってなーんかものすごく先生らしいなあ。てきとーにスマートだけど、フェラリとかほどひけらかしてないし、彼の日常の足としては、めちゃハマってるクルマですよね。フェリーさんみたいなヒトに乗ってもらえると、BMWも引き立つんだけどなあ...。70年代も確かBMW持ってたって話聞いたことがあるから、好きなんだな。でも当時は小型のルノーも持ってたらしくて、それってほんと先生だなあって思ったんですけど、ヨーロピアンだなあって。ああいう小型車をイキに乗りこなすってのがカッコいいんですよね、ヨーロッパでは。ま、でもどんなクルマも乗る人間の中身が伴わなきゃイミないわけで、逆に先生だったら何乗っても決まっちゃうだろうケドね。
ところでフィルさんの新しいアルバムが5月にリリースされるとゆーお話もあります。これにはポール・トンプソンとそれにイーノも参加してるとかで、どんなのになってるのかすっごい楽しみですね。先生の方は2月のオーストラリアのあと、7月頃までまだコンサート・スケジュールはないみたいで、そうするとしばらくスタジオでお仕事かなー?
次はどんなのになるんだろうなあ、楽しみ、楽しみ。
★2月の目標★
もう2月になっちゃいますねえ...。1月はミーハーな話ばっかりしてたから、2月はそろそろ"Mamouna"のタネあかしでもしようかなあ、とか考えてます。これ"Both
Ends Burning"とか、"Still Falls The
Rain"系のテーマと繋がってる作品だって言ってましたけど、アート・ワークもそれを表現してあるんですよね。先生、"Boys
and Girls"のあと"Bete Noire"を作ったわけだけど、"Boys
and Girls"が、トータルアルバムとして"Avalon"を凌ぐ仕上がりだったのに反して、"Bete
Noire"は、わりと一曲一曲に横の有機的なつながりってものが希薄で、各曲シングルとしてリリースするには良かったかもしれないけど、そういうアルバムの作り方がフェリーさんとしてはわりと不本意だったんじゃないか、とゆー気が私はするの。なんか彼自身も「失敗した」とか口走ってたらしいし、その反動が"Horoscope"での煮詰まり方に大きく出ちゃったってことなんじゃないかな。で、その最終決定版が"Mamouna"ってゆーのはもう、あやぼー的にはすっごく納得のゆくことで、あの分かるよーで分からない、音楽的であるくせにどこかひっかかるモノを感じさせつつ、よくよく見てゆくと10曲すべてに有機的なヨコの繋がりがあるとゆー、めちゃトリッキーで考え抜かれた作品全体の構造は、まさしくフェリーさん会心のデキだったと思うのよね。この頃、"Mamouna"のツアー・パンフに載ったインタヴューでも言ってるんだけど、シングルとして独立してリリースされて、ラジオで流れたりした時パっとウケるような曲、そういう単発モノみたいのは、やっぱり彼って苦手らしい。逆に40分とか45分とか、1枚のアルバム全体をひとつの作品としてまとめる上げる、こっちは得意だって言ってた。特に"Avalon"、
"Boys and Girls"、そして"Mamouna"あたりは、その究極とも言えるような構造を持ってるよね。
で、まあそのへんは当然、彼の過去の作品からずっと繋がってる哲学的背景だのオブセッションってものを理解した上で歌詞読まなきゃ絶対見えないものなんだな。音楽だけをアンビエント的に流すのももちろんいいんですけど、やっぱり私としてはその裏表両方把握しないと、あのアルバムの真価は理解できないと思うわけ。そのへん分かると、ホントよく出来てるなあって感心するよ。つまりフェリーさんの作品というのは、ともかくどれもこれもそれほど奥が深いわけで、これにあのアートワークが乗ってくるんですもんね。芸が細かいとゆうか、ここまで徹底的に考え抜いて作品創ってるアーティストが他に何人いるか...。彼の場合、単に「音楽家」に期待される要素以上の、多方面に渡る才能が作品全体に生かされてると言うべきでしょうね。で、まあそこまでのモノ作るには本人、相当どうしよう、どうしよう、ってアタマん中は右往左往してるから、時として優柔不断にも陥るんだろね。
実際、例えばRoxy
のファーストでさえ、レヴューとか解説を書こうと思ったら、歌詞とかの内容は置くとしても、その背景だけで1ページまるごと必要なくらい書かなきゃならないことがヤマほどあるものなあ...。ディスコグラフィーというか、そういうページを作ろうと思って、1枚ごとの解説をどうしようかと考えながらいろいろ調べてたら、どうやらそんな数行の作品紹介なんてものでは全然足りないということが最近よくよく分かって来てしまって...。で、まあぼちぼちですけど、そういうページも作りたいと思ってるんです。特に初期作品が当時どれほどセンセーショナルだったかとか、そういうのって当時からのファンとかならともかく、私みたいにかなり後になってからRoxyの存在を知ったようなファンには、わりと知られてない感じするし...。出来るだけ正確な記録にしたいので、まだまだ時間かかると思いますけど。
うーん、でもなあ、先生の作品はともかくズバ抜けてるとしても、他にもやっぱり欧米の文化的背景を知らなきゃまるっきり理解できないってコトがよくあるよねえ...。で、前もちょっと書いてましたけど、例えばなんでこういう歌詞の対訳がはちゃめちゃなデタラメになりがちなのか、それってやってる人間責めても仕方ないって部分も確かにあるんだ。なんでかってゆえば、日本文化そのものの中に未だヨーロッパ文化に対する根本的な理解が欠落してるわけで、ふつー、教えてももらわんとこーゆーの理解しろってのが無理な話なのよね。逆に言えば、そういうレベルの社会だからこそ、その程度でプロやってられるとも言える。結果として「日本人は芸術を理解しない」なんてコトも言われて当然、そういう一般の無理解という現象も、それなりのメカニズムが働いて表に現れてるってことね。で、突き詰めれば、結局この問題の発端ってのは明治維新の時代にまで遡っちゃうわけで、当時の文人にヨーロッパのこういう文学作品を理解できるだけの教養とか、問題意識、そういったものが殆どなかった、いや、それも300年も太平楽に鎖国してやってきた国だったんだから仕方ないっちゃ仕方ないコトなんだけども、ヨソさまの国の文化について自分たちの理解を遥かに超えた世界が展開されている、なんて考えも及ばなかったんだろうな、当時こういうものに一番に触れたヒトたちそのものが。で、明治維新以来の日本史の上で、この状況に待ったをかけた人物なんてものは絶無なわけで、当然、認識がそこから発展すりゃ不思議だわ。もしいたら、もーちょっとマトモになってるよ、日本の純文学だって。
可笑しいのはさ、アルチュール・ランボーの詩集を翻訳した堀口大学ってのがいて、このヒトはそういうのの翻訳を他にも確か手がけてたと思うけど、ランボーの失恋の詩を指して「どんな女性に失恋したのだろうか」とかマジ、後書きで書いてやんの。笑っちゃうぜ。あのなあ、なんでランボーが天才って言われてると思ってんだよ。こーゆー、それこそ「賢いつもりのバカ」が分かりもせんのに自分では理解してるつもりで、デタラメな日本語に翻訳するから、「詩」ってものはワケのわからんコトバの羅列でいいんだって意識が後の日本社会に蔓延しちゃって、結果としてああいう対訳のワケの分からなさに対して、社会自体が疑問も持てなくなっちゃってんじゃないかー。実際、この頃から今に至るまで一般的にこういった事柄に対する認識が全く変わってないってことじゃない、これって。例えばフェリーさんの歌詞にそんな深いイミがあるなんてまるで考えもせず、アホな対訳書いてる連中の意識とコレってまるきっり同質じゃん。でね、そんな実在の女に失恋したとかさあ、三文文学少女だか文学少年だかが喜んでネタにするような少女シュミな内容の詩書いて、それでなんで「天才」なんだよ。誰だって書けるでしょーに、んなもん。そこらの中学生にいくらでもいそう、そんなのって。ちょっとはアタマ使ってモノ考えてくれよ、って思わない?
それとも使う脳がなかったのか?
ランボーにおける「失恋」ってのも、本質的には先生のと同じよ。これってもー、キリスト教と直結した意識世界で生きてる芸術家の宿命的なテーマと言ってもいーよ。で、この失恋ってのは真理への糸口でもあるわけで、たいていコレに気がつくのって早くて20代入ってからなんだ。グリーンも丁度そのくらいに方向転換してるし、先生の場合もRoxyを企画し始めた頃には既に気付いてたはず。いや、先生の場合は、おそらくもっと早かったんじゃないかと私は思ってるけど、そういう思想的転換期を十代で経たという点に、アルチュール・ランボーの「天才」があるのよ。そりゃ十九やそこらでここまで考えちゃったら、人生終わるわ。少女シュミな失恋の歌と、思想的テーマからくる「失恋」と、並べて考えりゃスケールの差がちょっとは分かるってもんじゃない?
つまりこの「失恋」に至るプロセスに、如何に膨大な思考展開過程が存在しているかというコトを考えると、やはり十代でその結論に辿りつくヤツがいたら「天才」だよね。基本的に自分を包含する社会に対する問題意識の持ち方が凡人と掛け離れてるから、そんなトシになる前にそういう展開プロセスを経ちゃうんだから。で、その問題ってのは当然キリスト教社会だけに内在してるもんじゃなく、人類全体に内在してる問題、ってコトはホントは日本だってカヤの外じゃないんですけどね。つまりはそーゆースケールのお話なんだけどなあ...。ああ...。
先生の作品とつきあってると、いろいろ他の分野への発展性というのもすごくて、やはり知的レベルの高いヒトを師に持たなければ向上がないよなあ、と改めて思っちゃうなー。お願いだからっ、もうちょっとマジメにヨソさまの国の文化に取り組む姿勢というのを、せめてせめて、今後の日本に期待したいと思うのは、...ムダ?
やっぱダメ?
結局、これって種族的断層、ってヤツなのかな。「市民」と「芸術家」の間で理解を期待することは、やはり不可能なのか...。永遠のテーマかもね、これって。
2004.1.21.-1.24.
★肥大化してゆく写真集★
↓で、写真集を作ってるって話をしてましたけど、なんかスキャンしてくごとに際限なく増えつづけてる感じで、既に目標の50枚近くはアップ出来る状態になってしまいました。きゃはははは、このぶんでゆくと、リリースする頃には確実に100枚を超えているな。やっぱり偉大、Roxy
Music
って。集めようと思ったら、それだけ集まっちゃうんだものなあ...。
で、コレクションの中の雑誌の一冊、これはRoxy
の記事が目当てで落札したものなんですけど、それにたまたまRoxy
脱退後のイーノの特集記事も一緒に載ってて、わっ、ラッキー(るんるん)。ちょおっとだけ見せちゃおうかな〜♪
←イーノですよ、これ。後は写真集が出来上がるのをお楽しみに。何はともあれ、ほんっと70年代の頃のイーノってビューティフルねーっ!!!
いやー、もお私、当時のRoxy
を知ってたら、イーノの方に走っていた可能性は大きいぞ。(そうするとフェリーさんは...???)
だってだって、私カルチャー・クラブの大ファンだったんだもーん。当時のイーノの写真とか見てたら、要するにボーイ・ジョージってそういうコンセプトだったのね、って容易に分かるしさ、ああいうスタイルのご本家はイーノの方だってことじゃないですか。しかもイーノのが格段洗練されている〜♪
カルチャー・クラブのファンだった頃までって、私も全然なんも考えんと音楽聴いてたしな。以前にも書いたけど、お子サマだった頃って特にこういうキャラクター好きだったし(今でも好きだが...)。もうちょっと早く生まれていたら...、うーん、例え先生でも私に取っての今のような不動の地位は危なかったかも...。
それにしても、特に初期のRoxy
Music
見てると、それそのものがまたフェリーさんの美意識の産物っだって思えてくるのよね。ああいうグラマラスなイメージを最大限生かしうるメンバーが揃ってたっていうのも、なんかそのへんコミでメンバー選んでるなって。で、その美意識っていうのは外見だけじゃダメで、才能もそれに見合わなきゃいけないわけね、彼の場合。そこがフェリーさんの美意識の凄いとこじゃないかって...。人間は外見じゃないってよく言うけど、私は外見見てるとアタマの程度ってそこそこ分かるもんだと思うの。バカとか中身のない人間って、どんなに外を飾っても見る目のある人間には一発でバカって分かるもん。私がフェリーさんやグリーンの写真見て、おお、これは、と思ったのだって、やっぱりおバカさんなヒトたちと一線画すものが外見から感じ取れたからですよ。でね、Roxy
の場合は、やっぱりあれだけお派手なイメージ作ってデヴューしたけど、そもそもは全員がピカ一の才能の持ち主だったわけで、だからこそイメージだけの問題じゃなく一番肝心の作品がしっかり出来上がってたってのが強かったと思うわけ。彼らの外見のイメージとか、アルバムのジャケット・デザインってのは、まあ言えばオマケの部分だったよね。ま、そのへんがやっぱりカッコいいなあ、と改めて思わされるところです。Roxy
以降、彼らのやったコトをマネた人たちっていっぱいいるらしいけど、Roxy
Music の前にも後にも Roxy Music
は存在してないのよね、そーゆーイミで。で、そのへん分かってくれば分かってくるほど、そりゃ、もちろんRoxy
はイーノとか他のメンバーのバンドへの貢献なくしては実現しなかったプロジェクトではあると思うけど、それを根本的に企画した先生の才能ってゆーか、頭脳ってゆーか...、ああ、また言っちゃう、フェリーさんは言って欲しくないだろうって分かっているのにぃ〜、言っちゃう、「天才」って...。(結局そこに落ち着くか...)
★だれ、これ???★
イーノの古い写真が出ましたが、もひとつついでに大昔のお写真などを、お見せしてしまいましょう。だーれだ、これ。くくくくくくく、そおです、フェリーさんの大学時代の写真だと思うよ。きゃー、きゃー、きゃー、かっわゆーい!!
70年代からRoxyのファンだったって方だったら見たことあるかもしれないけど、なかなか出てこないよね、こんなの。1975年のSirenのツアー・プログラムに掲載されてて、一人で密かに見て喜んでようかなと思ったんですけど、ココだけの話ってことで...。
うー、そおそお、こーゆー写真見てるとねえ、外見どうバケてようと本質はコレか...、と私は改めて納得する。彼の歌詞読んでると少年の頃はどんなだったか容易に想像つくもん。そのイメージと若い頃の写真ってすっごい一致するのよね。これって20才前後の写真だと思うけど、これでー、あと5年ほど遡ったイメージを想像してごらんなさいませ。
私、以前、「光の中にいた時、皆はきみを愛しただろうな」っていう「バジル氏の優雅な生活」の中のセリフを持ち出してましたけど、「よいこ」の見本みたいなヤツだったんじゃないかと、かねがね思ってるんです、彼って。まあ当然アタマは良かったのに決まってるし、そういえばフェリーさん、十代の頃から自分の考えを書き留めておくのが好きで、年上の友達も多かったって言ってたな。それ読んで私、...なるほど、清四郎くんタイプだったか、と。その場合、優秀すぎて底のところで根性曲がってるのもよく似てる(清四郎くんというのは、一条ゆかりさんの有閑倶楽部に出て来る優等生の生徒会長)。で、特に十代の半ば頃って自転車にこってて、ツール・ド・フランスで走るのが夢だったんだってさ。アルバイトとかもよくしてたから、そのお金を自転車につぎこんでたって話もある。他に山歩きも好きだったらしくて、確か小学生の頃だったかな、そういうクラブを主催したりもしてたらしい。スポーツマンでもあるってのは、結構よく知られてると思うけど、そうなると文武両道に秀でてらっしゃるわけですわね。「武」というのとはちょっと違うかもしれないけど、少なくとも机の前に座って本ばっか読んでるタイプじゃなかったのも確かね。それに「文」の部分は作品見てりゃ一目でしょうよ。読書家で相応の蓄積がなかったら、あんな「詩」は書けません。
そのへんから思うに、よく働き、よく学ぶ、人望厚くて将来有望な「よいこ」像が浮かんできませんかー?
ご両親も自慢の息子だったって感じだし、ただ彼は当時からアーティストになるんだっ、とか堅く決意していたらしく、まっとうで地道な職業につくことなんてまるっきり考えないもんだから、ご両親はちょっと心配してた、とも言ってたな、フェリーさん。
...そういう自他ともに認める「よいこ」が、たまたまふつーよりアタマ良すぎたために、凡人の考えもしないところまで哲学的思考を展開しきってしまうと、やはり人格分裂とゆー悲劇にみまわれるのよね。で、Re-make
Re-mode
ってコトになっちゃう。だけどネが「よいこ」体質なもんだから、「わるいこ」に完全にのっとられるのを否定し続けて30年来てしまった...。うーん。この先どうなるのかな?
"Will I ever find my way again? "("Don't
stop the dance")...、さてね、それが私も知りたいところ...。
★たまには、お勉強★
以前から一度紹介したいと思ってた参考図書があるんで、新年だしその中の一冊のお話をしよーかなー。いちおー、私がココで書いてるようなコトの超基本っていうのは、まずやはり正しい世界史の認識から。高校の世界史の教科書って他の教科に比べて厚みがあるんで、ちょっと見には内容あるようでいて実はなんにも書いてないんだな、これが。書物にはそれを編纂した人間の視点とか知的レベルが反映されるものなんですけど、学校の教科書っていうのは、まあ全体的に低いですわね、基本的な知的レベルが。いろいろな背景事情があるから仕方ないとは思うけど、あれをモトにして、しかも世界史っていう教科は一般的に暗記もんでしょ。それじゃ、まともな認識出来なくて当然よね。そのへんの根本的な誤りに気がつかないまま長いこと教科書作りつづけてるってことそのものが、私に言わせれば知的レベルの低さを物語ってるってコトになるんですけど、まあそれも仕方のないことなんでしょう。だから賢いつもりのバカって...、ああ、言っても詮無いか...。
で、私は十代の頃からこーゆー学校教育全般における、カリキュラムの基本設計思想のレベルの低さにはウンザリしてて、そういうものから解放されてオリジナルのカリキュラムで勉強し出した当初に読んだのが三省堂から出ていた「新講・世界史」という本でした。約600ページの本ですけど、これ何回も読んだなあ...。すっごい面白いの。高校の世界史の本いくら読んでも、そこから世界史の実像なんてものは決して見えてこないんだけど、この「新講・世界史」って本からは、すごく生きた人間が動かしてきた歴史の実像みたいなものが感じられるのね。これをベースの教科書として、人類学からマヤだのインカだの古代文明のあれこれをやって、そのへんのどこかでケルト民族も出て来たってわけです。この本、1回読んだら、如何に学校の教科書の視点や知的レベルが低いかよく分かると思いますよ。当時で、もう8版を繰り返してた本で、でも改訂され続けてると思うので、今でも現役なんじゃないかな。それだけの値打ちはある本だから探せば見つかると思います。やはりベースの教科書というものは、知的興味を触発するような面白さがないと発展性がないのよね。学問っていうのは、本来そういう点で楽しいモノなんですけどねえ...。それ考えると、学校ってとこはなんも教えてねーな、と改めて思うよ。学問そのものも、そしてその面白さもね。それどころか、勉強を苦痛なものにしてしまうような教え方しか出来ないということそのものが、人間の知的向上の妨げにすらなってるという気がする。苦労してやっと教職資格取ったような連中が教師するから、コドモにも苦労させるような教え方しか出来ないわけで、彼ら自身が学問の面白さなんてまるっきり知らないんだろうね。「勉強は辛いもの、苦しいもの」と思い込んでるようだし、知らないことは教えられないのが道理。もちろん教師を志すヒトがそんなのばかりではないと思うけど、予定調和っていうかね、教育の現状自体がその意識の上に成り立っているから、そこからハズれた教師が存在しにくいのも事実よね。おまけにシステム自体が機能的ではないという問題もあるにせよ、それじゃ教えられるコドモの方がウンザリして当然だよ。
私、まちがってると思うのは、苦労して勉強する代償に大学の卒業証書とお引換え、っていうその考え方そのものだと思うの。お引換えして、それ就職に役立てるってその考え方そのものが賤しい。大っキライよ、そういう考え方も。ぶっちゃけた話、そんなもんにおつきあいしなくっても、目端がきけば世の中なんていくらでも有利に渡れるもんな。まあ、そんな教育制度しかないとこに生まれた我々は状況の犠牲者かもしれないけど、そんなのにいつまでもつきあって人生ダメにすることもないわね。あんなものを全世界と思うような社会が、衰退するのは当たり前。モノは試しで、みつかったら是非この本読んでみて下さい。新しい視野が開けるかもしれませんよ。
2004.1.16.-1.17.
★かなり揃った...★
お正月に更新して、ちょっと間が空いてしまいました。書くことはいっぱいあるんですけど、新年早々重い話もなあ、と思ったりしてたもんですから、一休み状態になってたんです。そもそも私、哲学がどーの、芸術がどーの、なんてゆー話をおおっぴらにするのって好きくないんです。ココだけ見てたら信じられないかもしれないけど...。て言うのは、私よく「賢いつもりのバカって大キライ」って書いてますけど、そーゆーのに限って理解もしてないのに分かったようなこと言いたがるじゃないですか。その類と同じと思われるのはプライドが許さない〜♪ ってゆーかー、私ってば既に、ほんまもんのぷーたろーに成り下がって久しいので、今更そんな話するのもバカバカしいよなあ、って。でもそれで黙ってたら、事実、身のほども知らんバカがやりたい放題ってことなっちゃってるんだし。だからいちおー言うことは言わなきゃなんだけど、だからと言って音楽そのものの素晴らしさを損ねるような理屈もあんまし言いたくないし。うー。
まあ、そのへんのバランスも取らないと、ってことなんで、一休みしてる間、写真集とか作ってたんですけど、リリースはもーちょっと後になるかな?
どうせだったら、先生のとRoxyのと50枚くらい一気にお見せしたいなあ、とか思ってるので。
ところで、eBayでは特に私、雑誌とかツアー・プログラムとかを中心に集めてたんですけど、プログラムの方はかなり揃ってきました。最近、立て続けに1974年のカントリー・ライフの時のと、1975年のサイレンの時のが手に入ったので、あと1977年と1974年のソロの時のと1980年のROXYのツアーの時のが揃えば殆ど全部ってことになるかな。1973年以前っていうのは、これまで出品されてるのも見たことないし、まあ運が良ければいつか手に入るかな、って感じですね。雑誌の方はもう際限なく出て来るのがやっぱりROXYだよねえ...。
それにしても1974年なんて、30年前ってコトですよね。とんでもない大昔のような気がしますけど、その間ずーっと今の地位を維持してるんだものなあ、先生。改めて考えるとやっぱり凄いなって。うーん、本人も自分のことをポップスターだとは思ってないとか昔言ってたけど、あんなに分かりにくい作品創り続けてて、裏向きとことん芸術家サマで、表向きはあれだもの。あの地味で分かりにくい見本みたいな"MAMOUNA"でさえ、全英チャート10位まで上がったってのが、彼の英国での位置を物語ってるよね。そう言えば、"MAMOUNA"って私よくよく聴いてて「音楽でアバンギャルドやるものなあ...」と呆れてたんですけど、そもそもRoxyのファースト、セカンドがそうなんであって、後に70年代の半ばくらいかな、もうああいう作品を作らないんですか、って尋ねられて、「ぼくは今でもアバンギャルドな音楽を作ってるつもりだけど」とか言ってたんだ。...そうだよねえ、確かにそうなんだよ。私、"Mamouna"はイーノが一緒にやってることもあって余計そういう印象強いのかなと思ってたけど、改めて振り返ってみると"The
bride stripped bare"はタイトルからして言うに及ばず、"Boys
and Girls"なんかも高度にアバンギャルドですよ、あれ。もお、殆ど凡人の理解を全く期待してないし。と言うより、期待出来ないってコトがイヤというほど分かってるんだろうな、先生も。Roxyのファーストやセカンドの頃って、シロウトさんにもまだそれと分かるくらいのものだったんだけど、そこから先に行くに従ってやり方が洗練されてゆくというか、殆どもう普通の感覚では認識出来ないようなレベルでアバンギャルドやってる。あまりに洗練されているので、一般には彼が何やってるのか分かんなくなっちゃってて、結果として殆どみんな深いイミを求めない、っていうより、あるとすら思わなくなっちゃってるんだな。
まあ、どっちにしてもやっぱり先生が創ってるのは、単なる「かよー曲」的なものでないことだけは確かってことか。そーゆーのは、どう逆立ちしたって「アバンギャルド」なんてものに成り得るわけないもん。彼の表のイメージってあれだけど、実際はファイン・アート専攻で、B..A.まで持ってるっていうルーツが今だってちゃんと作品に現れているのよね。
うー、ほんの軽い気持ちだったんだけどなあ、始めは。ここまで裏表激しいと面白すぎて。ましてや最近いろいろ調べてると更に更にのめりこんで来ちゃってるんだよな。で、特に70年代の頃のことを知れば知るほど、どれほど
Roxy Music がその後の英国の音楽シーンに多大な影響を与えたかも分かって来ちゃったりして、本当に面白い世界だなあ、って。止まりそうにないし、こうなったらもう、とことん調べてやるわ。
2004.1.12.-1.17.
★あれこれ...★
フェリーさん、次のアルバムのレコーディングにそろそろ入ってるんだって。先生のことだから最終的にどうなるかは、まるっきり分かりませんが、現時点ではクリス・スペディングも参加してるそうです。クリスさんって私もすっごい好きなタイプのギタリストなんで、そのまま参加してくれてアルバムになったら嬉しーい。どうせリリースまでには最低2年はかかるんだろうけど...。うーん、まあ音楽面はねー、どんなのになるにしてもそれはそれで私何でもいい、ってゆーか、何やってても先生の作品なら文句ない仕上がりになってるのは間違いないから。でも、今回あやぼー的に問題はやはり歌詞...。なんか最近のコンサートのセットリストとか見てると"My
only love"じゃ飽きたらず、"My one and
only love"などとゆーインストゥルメンタルをラインナップしてるらしい...。うー、来たな、来た来た来た。前作でさえ、タイトルからしてあの始末だったものを、なにしろプライヴェートがあの状態だから次の歌詞はもう私おのずからどうなるか予測がつく。怖い...。
ライヴの方は2月のオーストラリアのスケジュールにニュージーランド、シンガポールも追加されてました。どーせ、そのへんまで来るならついでに日本にも寄ってくれればいいのにぃ...。あと、去年"Fashion
Rocks"と"Miss World 2003"に出演した時のヴィデオがオフィシャルで見れるようになってます。"Fashion
Rocks"では"Let's stick together"、
"Miss World 2003"では"Jealous
Guy"歌ったんですね。こちらでご覧になれるようですよ。それにしても年末は中国で年始からオーストラリアね。つい最近までRoxyであちこち行ってたし、世界中駆け回ってる感じだな、フェリーおじさん...。うーん、あと2年で60なんだものなあ、無理かかってないといいけど...。
ところで話は変わりますが、ちょっと前、フリート・ウッドマックのDVDを見つけたので買って来たの。2000年頃に再編してTVに出た時の映像らしいんですが、やはりっ、スティーヴィー・ニックスってキレイ〜♪
私、彼女に会うことが出来たら、何より聞きたいのは美容法よ〜っ!!!
なんで、あんなにいくつになってもキレイなのっ???
ああいう存在感のある美人って、なかなか他にいないよねーっ。女性のヴォーカリストとしては、やっぱりキャロル・デッカーと並んで一番好きなヒトだな。
それとカイリーの"Body
Language"ですけど、これマジではまって来ました。すっごい、いいですよ。80年代、特に"Cupid..."を好きだった方には、たぶんウケると思う。やっぱりそのへんのコンセプトとか歌詞の面でもなかなか意味深いし、そういう理由でグリーンに参加して欲しかったのかなと改めて思ったりしてます。"Someday"のグリーンのヴォーカルは、これちょっと"Mystic
Handyman"っぽい感じするけど、あのアルバムの曲の流れにグリーンの声が入って来ると、おお!!
とか私なんかは思っちゃう。やっぱり存在感ありますよ、彼の声は。そう思うと5枚目を早く聴きたいんですよね〜♪1999年から既に5年め突入してますが、今年もムリなのかなあ...???
でも、きっちり活動しててくれると待つのも楽しいわ。
2004.1.7.
★これは、もしかすると...???★
前にお話していたスクラップブックが今日届いたんですけど、もお、いー写真がいっぱい入ってるのお〜♪
特に初期の頃のイーノのいた時代の写真なんかは貴重なので、すっごい喜んでます。でもでもでも、すっごい「???」
なフォトが1枚...。それって最近の写真なんですけど、フェリーおじさんが、めちゃ若い女のこと一緒に写ってる写真なのねー。で、私ハタと思ったんですけど、このお嬢さんって、もしかして〜♪、うわさのケイティさん???
う-、最近のだしな、先生に娘さんいたらそうかもと思うけど確か男のこだけだし、トシって一番上のにーちゃんくらいみたいだし、やはりそうなのか???
いや、例えそうでも決して私はココに写真を掲載したりはいたしませんので期待してもムダですが(最愛の師を裏切りたくない...)、でもなんか私はそう思ったりしつつ見てました。確かルーシーさんの若い頃と似ているらしいというよーなウワサも聞いたことあるし...。
で、まあもしホントにそうだったとして、私すんなりなるほどね、って。
というのは以前私、彼の歌詞読んでると女の好みまで分かってしまう、とか豪語してたでしょ?
で、前から不思議だったのは、70年代彼がつきあった女性というのが、モデルさん多かったって話。いや、それも分かる部分はあるし、先生が「光るモノ必ずしも金ならず」なんてコト言ってた理由も見当つくんだけど、でもなんで?
どーして?
もっとアーティスト系の知的美人とゆーのが出て来ないんだ?
と、その点が不思議だったんです。で、ルーシーさんって、モデルもしてらしたけど、けっこうそういう知的な雰囲気の美人じゃないですか。もちろんそんな外見の問題だけじゃなく、いろいろその他にも内面的なものが絡んでるんですけど、ともかくそのへんひっくるめていろんなイミで彼女って先生の理想に望みうる限り近いなあ、と納得してたわけなんです。そのあたり考慮して、そうするとやっぱりこれは...、とか思ってたわけ。まあワタクシ的には、それで当たってたら例のあの私が大っキライ!!
と言ってたどーしよーもない女みたいなタイプじゃなくて一安心とゆーか、Kiss
and Tellされる心配はないんじゃないか、とゆーか。...例の一件で先生もあのタイプは懲りたのかもしれないけど、私としてはそもそもこっちのポイントに重点置く方がなんぼか納得できるしマシだと思うの...。どーせのことに、彼の理想ってのはもお、それこそいたら不思議、奇跡、人外、みたいな女だから。ともかく、お願いだからっ、もうこれ以上、犠牲者出さないで欲しい...。私、そのへんなんでそんなことなってるか、なんとなく分かるような気がしてるから、ついついそう思っちゃうのよー。あのオジさんは自分に憑いてるブラックホールみたいな凶星に、関わった回りの人間の運命まで巻き込んでしまうってコトが分かってるのか分かってないのか...。ああ...。見物してるぶんには面白いんだけどな〜、っと。
(1/11P.S.
ふふふふふ....。その後の情報でやっぱりそうだったと判明しちまったぜ。ごらん、私が如何にフェリーさんてヒトを把握しているか、これでキミたちにも少しは納得して頂けるのではないかね?
でもこの写真って、そんなロマンチックな雰囲気のやつじゃないから、たぶんバレる前にどこかで一緒のとこたまたま撮られてたのが、後にプレスに流れたんじゃないかと思う。彼女についてはダンサーだとかバッキングボーカルだとか、いろいろ言うヒトいて判断困るんだけど、フェリーさん自身はフランティックのヴィデオを撮る時に雇った女のコだとは言ってた。でも役割については、今のとこ何だったのかよく分かりません。何であれ、あやぼー的にも好きな雰囲気の可愛らしいお嬢さんですよ。...実は先生と私の好みって結構似ていたりする...。まあ私が先生好きなのは、もともとモノの考え方がそっくりだからなんだし根のとこで類友なんだろうけどね。)
2003.12.30.-2004.1.1.
★まずはこんな話題から★
前回の更新では、けっこう重いコトを言ってしまったよーな気がするんですが、新年早々堅い話もなんなんで、今日はもうちょっと軽い話にしておこって思います。
ここんとこRoxyについて書かれた本を何冊か続けて読んでたんですが、ひとつの事柄についても本によって食い違いがあったりするんですよね。例えば先生がクリムゾンのオーディション受けた時のパートがベースだったと言うヒトもいればヴォーカルだったって言うヒトもいるし、アンディさんがグループに加わった時、彼がオーボエやサックスのプレイヤーであることについてフェリーさんはそのアイデアが気に入ってたってヒトもいれば、全然気に入ってなかったってヒトもいるし、彼が音楽に本格的に転向しようと決めた時期についても、ロンドンに来る頃にはもう決めてたとか、ロンドンに来てからだ、とか、いろいろゆーヒトがいて判断こまっちゃったりするのよね。このへんはもお、先生に聞くしかないんだけど、こういう本が出る時に著者がチェック入れてくれって申し出ても却下しちゃうほど、彼って自分のコト話したがらないらしいから、書く側としてもある程度は仕方ないってことなんだろうなあ...。まあRoxy
Musicともなると、それだけいっぱい書かれてて情報入り乱れてるってことなんでしょうね。
それにフェリーさん、インタヴューってほんっとーおに、ヤダ、って言ってた。雑誌かなんかで「一般に人がインタヴューを受けるのは虚栄心からである」みたいな記事読んで、「冗談じゃない、ぼくはインタヴューなんか大っキライなんだ」って怒ってたしな。プロモーションのためにインタヴュー受けるくらいなら、ライヴやってる方がよっぽどマシなんだってさ。ヒトと話をするのは好きだけど、話題が自分のコトになると固まるってゆーか、それがすっごい苦手らしい。それもなんか分かる気はするけど...。
アンディさんのことについては、ロックバンドにサックスやオーボエっていうのは珍しいと私なんかは思ってたけど、60年代以前にサックスはけっこうよく使われてたらしいし、彼の古い音楽への敬意とか、それまで他のバンドが一切使ってなかったシンセを取り入れることに熱心だったことから考えても、そういうあまり使われてない楽器、サックスもだけどオーボエをロックに取り入れるなんてのは絶対気に入ってたアイデアだろうなと私なんかは思いますけどね。特にロック・ナンバーにオーボエが入ってるなんて初めて聴いたってヒトもいたし。確かに彼は過去にあるものを引用することはよくあるけど、それだってあくまで彼らしく消化した上でのことだし、先生自身の個性ってものが核にあるから単なるマネっこにならないのよね。だから良いものならいくらでも取り入れるけど、基本的には単にヒトの後ろを行くなんてプライドが許さないヒトだと思う。実際、初期からのRoxyをよく知ってるヒトなんかは、フェリーさんのやったコトを後からマネっこしたヤツがどんなにいっぱいいるかってことよく言うもんね。それだけ誰もやってないコトってのをやって来たヒトでもあるんだよ。で、そういうマネっこなんてされるの気分悪いと思うのに何も言いませんよね、って聞かれたりしてんの。そういうコトでさえ文句みたいなこと言うのヤなんだよな、先生って。
で、そういう独自のやり方っていうのは実は音楽そのものに限られてるわけじゃなくて、Roxyをプロモートするそのそもそものやり方から彼には他と違う考えがあったみたいなのよね。実際当時の話なんかをいろいろ読んでると、ますます彼ってとてつもないなあ、と思わされるもん。
当時わりと一般的な方法としては、ライヴの回数を重ねていくことで認められてレコーディングのチャンスを得るっていうのが多かったそうなんだけど、先生はそもそもそこから違ってて、バンドを作ったあと即デモテープの録音をやって、それをレコード会社に持ち込んだり、ラジオ局や音楽誌に送ったりってことから始めたらしいのね。で、レコード会社の方は前にも書いたように始め殆ど全滅状態だったんだけど、ラジオ局に送ったテープがジョン・ピールの耳に止まったりとか、メロディ・メイカーに送ったのがリチャード・ウィリアムスの耳に止まったりとかして注目されるようになってきた。それと並行してプライヴェート・パーティとかライヴなんかもやってて話題になって来たので、それでEGがRoxy
のオーディションをすることになったんだけど、この頃にはもう既にフェリーさん自身はEGでもよく知られてて、一節には彼個人のマネージメントに関しては既に乗り気だったともゆー。でもフェリーさんとしては既に企画しつつあったRoxyのアイデアがあるわけで、どうしてもバンドでやりたかったわけね。
このRoxyそのものの企画に関しても、デヴュー前に彼と話したことがあるヒトの言うには、当時既に細かい所まできっちり計画が立ててあって、ポスターのロゴまで考えられてるほどだったって。で、バンドの名前にしても、フェリーさんは何てことないって感じで話すんだけど、聞いてる方としては、それも考え抜かれた上で決められたんだろうなって印象を受けたとか。まあ、そのへん彼が「完全主義」と囁かれる所以だよね。何もかも常人の考え及ばないようなとこまで考え抜いて詰めてあるの。彼自身は「完全主義」って言われるのはけっこうイヤがってて、何事も完全でありえるわけがないんだから、ぼくがやってるのはただ、これでいける、これで十分だ、って納得のいくある一点に到達させることだけだよ、みたいなこと言ってるけど、私に言わせれば、それこそが「完全主義」だと思うのよね。つまり限りなく納得ゆくところまで妥協しないってイミでね。
思うにねえ...。うー、やっぱりこのへんがさ、特に日本の「スター」さんあたりとは本質が違うのよね。プロダクションだのレコード会社に何もかもやってもらって、自分は唯々諾々とそれに従ってスターに「してもらってるだけ」の連中とさ。もお、それって「種(しゅ)」が違うって私の言うイミ分かるでしょ?
彼みたいなヒトには、なんでもかんでも、こうやるんだって意志が先にきっちりとあるのね。だいたいフェリーさんの場合なんかは、あんまりRoxyが出来すぎのバンドで、しかも普通はEGみたいな一流のマネージメント・オフィスから始めるなんて考えられないものなのに、何もかもが最初からトップに立つために出来上がってるような状態だったから、一時はレコード会社が作った企画バンドじゃないかとまで囁かれることもあったんだってさ。そーゆーのって、やっぱりブレインが何人も集まってあーでもない、こーでもないってやるわけでしょ?
そこをさ、先生なんかはぜーんぶ基本的には自分一人で企画しちゃって、バンドの人材集めて、それもアンディさんとかフィルさんとかポールさんとか、で、当然イーノね。彼らみたいに一人一人が一騎当千の実力あるヒトたちで、そのへん、ヒトの才能見抜く目だって確かってことよね。逆に言えばそういう実力持ってるヒトが、コイツと一緒にやるのって面白そうって思って寄ってきちゃう、そういう「ヒトを集めてしまう」のも根本的に彼の才能あればこそだよ。そしてその一方でさっさとEGみたいなマネージメント・オフィスをバックに付けちゃって、ファーストのプロデューサーはクリムゾンのピート・シンフィールドが申し出てやってくれるわ、先生の言うにはそれも偶然にも別にフリップ御大がやるとか申し出てたって話だし、ただそれはスケジュールが会わなくて実現しなかっただけらしいのよね。確かにそこに行くまで当然多大な努力や苦労してると思うけど、でも結局そういうのぜーんぶ、先生の才能が回りを納得させちゃったわけじゃない? それにそもそも彼がロンドンに来て成功のチャンスを探すにあたって、名前は明らかにされてないけど既に後援者みたいなスポンサーがいたって話もあんのよね。ウワサでは大学の関係の知り合いとか友達とか。フリップだって、要するにコトの始めからフェリーさんのこと気に入りまくってたってことじゃない、
これって。なんかもお、そのへんからして凄いのよ。それに実際、ジョン・ピールとかリチャード・ウィリアムスとか、そういうヒトたちの耳ってのはハンパじゃないわけで、そういう音楽通の耳に止まるってのがそもそも凄いことだと思うのよね。また逆に特に当時のイギリスの音楽業界ってのには、こーゆー音楽極道みたいなヒトたちがいっぱいて、常に何か新しいものが出て来ないか、びっくりさせてくれるようなものがないかって聞き耳立ててたわけじゃないの。グリーンがラフ・トレードと契約するキッカケ作ったのもジョン・ピールですよ。そう考えてくとやっぱり環境よね、環境。日本のプレスにもラジオ局にもそんな耳や影響力のあるライターもDJもいやしないじゃないの。ああ、情ない。愛がないのよ、愛が。音楽に対する愛がないのっ!!!
それはそれとして、もうひとつ驚いたのは、レコード作る契約にもいろいろとあると思うんだけど、Roxyの場合、様々な費用についてバンドが借金として背負っちゃうってやり方だったみたいなのよね。それって莫大な金額じゃないですか。
だからファースト、セカンドが成功しても相当な借金残ってたって話もある。先生ってそういうやり方でずっと来てるみたいで、"The
Bride Stripped Bare"の時もそんな話してたし、"Boys
and Girls"の時だったのかな、一時的にもせよニューヨークのアパート手放さなきゃならなかったとか、"Bete
Noire"の時もアルバムが出来上がった時、まあ半分冗談もあるんだろうけど、長いこと出てくばっかりで歳入なしで来てると、帳尻が合うのが一番嬉しい、とか言ってた。もう、そうなってくるとそのへん実業家と同じよね。計算も出来なきゃやってられないだろうなと思うよ。でもまあ、それを押して、とことんやるってのが彼の「芸術家」なとこなんだろうな。たまに聞くことだけど、ふつー人間ってのは楽したり遊んだりするために働く。でも芸術家ってのは「仕事するために働く」、つまり自分のイマジネーションを具現することが何より至上なので、そのために稼ぐってことね。本物の「アーティスト」さまとは、そーゆーもんなのよっ。
長々と書いてしまいましたが、そーゆーコトいろいろ読んでるとね、やっぱりドラマだなあって。表向きのヒストリーだけでも十分小説になりそうだけど、これがまた作品絡んで来ると裏向きのストーリーもめちゃよく出来てる、ってゆーか、もお私なんかは面白くって仕方ないんですよね。これが実話だからなあ...。まあ才能そのものからして、二つない種類のヒトなんだからこのドラマも当然かという気もするけど、うー、やっぱり本物の大スターってのは、こーゆーもんなんだよね。天才には伝説が用意されている、ってことかな?
★無責任な邦題・その2★
"The
Bride Stripped Bare"、これはお話した通りデュシャンの代表作から取られたタイトルです。そしてこのbare
はbare であってveilではない。デュシャンの元々の作品知ってたら"ペールをぬいだ花嫁"なんて原題無視したマの抜けたタイトルなんか付けられるわけがない。
ああ、なんて無責任、無責任....。またキツいこと言っていい?
タイトルと作品の関連性の理解以前に、マルセル・デュシャンなんて知識としてすら知らないんじゃないの、こーゆーことやるヒトたちって。名前知ってりゃ知ってるってことにはなんないのよ?
言いたかないけど自分たちがそーゆー商売できるアタマがあるかどうか、根本的にそんなとこから誰かが教えてやらなきゃならないなんて、なんって、情ない文化レベルなのーっっっっ!!!
(きゃはははは ←
もちろん嘲笑っている)
いや、私はね、なにも無能なヤツは何もかもヤメて去れ、とまで言ってるわけじゃないのよ。この程度のことは、知識として学習することが可能なんだし、実際、プロの方、一般の方問わず、よくよくそのへん分かってる方もあると思う。でも中心的な位置にいるヒトたちのレベルがこの程度でしかないから、商売考えてやってる以上、そのレベルから逸脱してあまりにも掛け離れすぎたことはやりにくいし、利害関係もいろいろ絡んでくるし、ましてや一般の方がこういうことに意見できるほど、あの業界自体が風通しが良いわけでもないし、結果としてみんな諦めて放っぽってあるもんだから、ずーっとそのへん野放しの低レベルなまま来てるってコトなのよね、問題は。突き詰めて言えば、低レベルが主流になってるもんだから、それが判断の基準になって低レベルでなきゃ通らない実情になってしまってるってことね。なんでこんなことになってしまったのか、その原因ってのは更に更に時代的に遡った所にあるわけで、その話もいずれしようとは思ってるけど、ともかくこの先この道でプロやってゆきたいなら、今からでもいいから基本からきっちり勉強し直してよ、ってコトです。難しくて分かりにくいところを、分かりやすく面白く伝える、それがプロの仕事ってもんじゃないですか?
80年代、国際政治関係の書籍ですらバカウケして売れまくったんだから、文章さえ上手きゃどんな難しい話したってウケないってことはないのよ。幼稚園児じゃあるまいし、日本国民の知的レベル、そこまで低くないと私は思うよ。
実際ね、なんで「日本人は芸術を理解しない」なんて不名誉なコト言われると思ってんのよ。それと自分たちの無能ぶりが無関係だと思ってもらっちゃ困る。一般のヒトたちに伝えるべき媒体としてのメディアがタダのファン代表でしかないから困るんじゃないの。いい加減、この不名誉なレッテル、剥がさなきゃ日本のグローバリゼーションなんてものはありえないのよ。ましてやこれって単に娯楽音楽が理解されるかされないかなんて、それこそ低レベルの問題じゃないの。歴史に影響するほどの大問題だから私は怒ってんのね。どうせ目の先三寸しか見えてないヒトたちはそんなこと考えたこともないだろうけどさ。私だって日本の歌謡曲が外国行って誤訳されたり誤って伝えられたりしてるなら何も怒りませんよ。どうせもともとがその程度のタダの娯楽なんだから、浮き草同然で大した影響力もあるわけじゃなし、第一そんなの私の管轄じゃないかんね。だけどね、私が何で「文化を甘く見るな」って言ってるか分かります?
経済も政治も人間によって動かされてるからですよ。そしてその人間の人格形成に最も影響するのが環境としての「文化」だからです。だから曲がりなりにも文筆や翻訳を生業として生活する者は、文化に対する責任を意識しろって言ってんでしょーに。誰も言ってくれなかったでしょーが、今までこんな有難いこと。
でもね、こっちは天下無敵の正真正銘タダのファンなのよ。言ってみればお客サマ、誰が一番偉いと思ってんの、お客サマ以上に偉い存在あるわけないでしょー。業界に遠慮しなきゃならないどのよーな恩もギリもこざいませんの。だからバカはバカとハッキリ言ってやるわよ。言われたくなきゃ、言われずに済む仕事しな!! (
おんなじコト言ってやりたいヒトっていっぱいいるはずだよ。でも皆さんおくゆかしいから、バカを可哀想と思って見逃して下さってるだけなんじゃない。でも見逃すにも限度ってもんがあるんだよ。)
★よおし★
ところで1月1日早々から私はeBayで必勝を狙ってたオークション・アイテムがあった。それは前回取り逃したようなRoxy
関係のスクラップブックだったの♪で、£29までしか上がってなかったんだけど、前回の失敗が£55だったから絶対負けないっ!!
って思って£75入れた。でも、うまいぐあいに終了1秒前で入札入ったから、当然反撃のヒマなくて£33とゆー私としては「お、ラッキー」な値段で落札出来たのでした。いやー、きわどい、きわどい。これでまた随分写真が手に入ると思うので、写真集作るの楽しみです。
eBayって自動延長がないから、ギリギリ入札でハマれば絶対取れる。でも相手がそれ以上の金額をあらかじめ入れてたり、ほんの数秒で反撃されたりすると、もうこっちも巻き返しのチャンスはない。地道にセリを繰り返すってのが正道なんだろうけど、どっちかってば私はこーゆーバクチなやり方のほーが好き。でも前回みたいにほんの数秒時間的にズレると勝てないから、そーゆー時って悲惨なの...。うー。
2003.12.29.
★おほほほほほ...♪★
月が変わるのでトップの写真も変えてみましたの〜、1ヵ月はこれよっっっ♪ふっふっふっ、コレってなんかちょっと昔風のフォトだと思いません?
19世紀あたりの作家とかの写真ってこんな感じよ〜(るんるんるん♪) また言ってしまうけどっ、す・て・き〜(きゃーきゃーきゃー)。こーゆー芸を見せてくれるからファンやめらんないのよねーっ。ちなみにコレは1987年のRecord
Mirror誌から取ったものなのでーす!!
フェリーさんの写真って、沢山見てくとホントにバケるの上手いなあってつくづく思うわよ。写真のコンセプトに合わせてぜーんぜん違うヒトみたいに見えちゃうもん。いいなあ、そういうのって。自分でも言うはずだよね、変装の名人だって。そういえば以前私、彼のことを繊細でデリケートなヒトだとか書いてたことがあると思うんですけど、自分でもホントのとこシャイで、社交向けじゃない、とか言ってるんだよな。うんうん、そうなんだよね。彼自身がそう言ってても信じてないヒト多いみたいですけどね。でもパフォーマーとして優れてるってコトは、一旦人前に出たら期待される通りのキャラクターを演じられるってコトで、ほら、よく言うじゃないですか、コメディアンとか俳優とか、優れた舞台人には舞台を下りると物静かだったり孤独だったりするヒトが多いって。先生もそのタイプなんだよな。ただ彼の場合はステージでだけじゃなく、Roxy
Musicのリーダーであり、大スターであるところのBryan
Ferryとして表に出てる限り、それは舞台の上と同じってことみたいね。だから作品よく見なきゃ彼の表に出てないとこはまるっきり見えないってことなんじゃないかな。
まっ、何はともあれココの写真は毎月変えよって思ってるんで、楽しみにしてて下さいねっ。先生の写真ばかりじゃなくてRoxyのフォトも結構いいのいっぱいあるんだー。そのうち写真集とかも作ってしまおっかなー。