2003.10.31.
★ごめんなさい、許して...★
すいません、ここ数日サーバー移動でページが表示されなかったりしてご迷惑をおかけしておりました。今これを見て頂いているということは、なんとか復旧したってコトなんですけど、もお、参りました。なにしろ最低でも57MBはアップしなきゃいけないところに持って来て、1回アップしたのがエラーで削除とかなって大変だったんです。私、来年から絶対、光ファイバー常時接続に変えます。57MBでも、100MBでも、5時間も10時間もかけずにアップできますから。ああ、もうつかれた。死ぬ〜。
ともあれ、ご心配をおかけしました皆さま、本当に申し訳ありませんでした。私はこのサイトをヤメるつもりは全くありませんので、もし見れないことがあっても、それはサーバーのせいです。必ず復旧いたしますので、どうかお見捨てにならないで下さいませ。ヤメる時は、ちゃんとごあいさつしてからヤメるひとです、私。でもヤメないからね〜っ!!!
2003.10.23.
★やっぱりぃ...★
1994年、"MAMOUNA"リリースの頃のARENA誌が手に入ったので、そのインタヴュー読んでたんですけど、やっぱり過去において主要なインタヴューとかでフェリーさんに歌詞のことを尋ねたヒトってな、絶無に近い状態らしいですよ。ARENAっていうのは、わりとハイクオリティなカルチャー・マガジンって感じの雑誌なんですけど、そのインタヴュアーがですね、こう書いてるんですよ。
"Reading
through a decade's worth of features on Ferry it's striking
that not a single lyric is quoted or mentioned, when in
fact, quietly and largely unrecognized, Ferry has turned
into one of the finest rock lyricists around.(ここ十年ほどの間にフェリーについて取り上げた読むに値する記事にざっと目を通してみても、歌詞について、ひとつの引用も言及もないことには驚かされる。殆ど認識されていないとはいえ、実際にはフェリーは今やロックにおける最も優れた作詞者のひとりになっているというのにである。)"
ね?
そらごらん、ちゃんとそういうのが分かるヒトには分かるんだよ。でさ、このインタヴュアーのマーク・エドワーズ氏がフェリーさんに"Manifesto"について話題をふってみたら、彼は
"Manifesto.
Yes. I love that one. That's one of my favorite lyrics.
Nobody ever commented on it, though... which hurt my
feelings.(マニフェストね。うん、あれは好きだな。自分でも気に入ってるよ。誰もそれについて言ってくれないんだけど...、それってキズつくよね。)"
うんうん、そりゃキズつくよね。あんなに一生懸命悩みまくって書いてる歌詞なのにね。エドワーズ氏が言うには、やっぱりフェリーさんのインタヴューとかでは何よりイメージが先に来ちゃって、それから声、音楽が取り上げられて、その結果、結局一番無視されてんのが歌詞なんだって。でも先生のアルバムがなかなか完成しない最大の理由は、音楽じゃなくて歌詞。音楽にもいーかげんテマヒマかけまくってる更にその上に、もひとつ時間かかってんのが歌詞なのよね。
で、前に私、"誰も聞いてくれないからフェリーさんも答えようがない、その結果として、彼の歌詞についてつっこんだ話題なんてものは、過去において全世界のプレスにも一切出てないだろう"って書いてたでしょ。どうやら本マジその通りだったみたいね。だから"Boys
and Girls"の全貌を暴いたのも、もーしかしたら私が全世界初なのかもしれなーい。わーい!!
暴こうと思ったら、他のももっといくらでも暴けるけど、先生言って欲しくないこととかもあると思うしな。でも、こんなとこでバラされてると知ったら、どんな顔をするか見てみたいぞ。
確かに彼の歌詞っていうのはエドワーズ氏も書いてらっしゃるけど、すっごいプライヴェートな心の奥の奥の方から出て来てるものだから、不用意に晒されたくはないだろうけど、誰も言及してくれないとキズつくって言ってんだから、やっぱり分かって欲しくないわけではないのよね。うーん、そうすると、あれもこれもそれもどれも、たぶんどんなに教養のあるヒトでも殆ど読みまちがってるだろう一番とんでもないのまで全部私にはバレてると知った時の彼のリアクション、ますますいつか見てみたいものだわ。
2003.10.22.
★Bryan
Ferry におけるレディ・メイド★
えーっと、ふと気がついたら既に10月も半ばを過ぎていて、思い出したのは以前フェリーさんのカヴァー曲選びの極意というか、そういう話を10月にするつもりだって言ってたことなんですよね。あれだけカヴァーしたおすわりには、オリジナルと並べて何故、違和感が出ないのかって話です。
まずですね、"I
have to be moved by the songs I sing, whether they're my own
or someone else's. The main thing that puts me off recording
other people's material are the lyrics. In some songs there
are lines I couldn't possibly imagine myself singing.
(歌おうとする曲に動かされるものがなければダメなんだよ。自分の作ったものだろうと他の人の曲だろうとね。他の誰かの作った曲で、ぼくがレコーディングをためらう理由は主に歌詞なんだ。中にはとても自分が歌っているところすら想像もつかないような部分があったりするからね。)"
Roxy's
First Ten Years p106
と、まあ1981年のインタヴューでも言ってたらしいし、そのずっと後にも歌詞と曲、どちらを基準にカヴァーする曲を選ぶのかと尋ねられて歌詞だって答えてもいるんです、フェリーさんは。
で、思うに音重視タイプのミュージシャンなら、まず選ぶ基準はメロディとか曲そのものの方になるのが普通ですよね。でも彼はやっぱりヴォーカリストだから選ぶ基準が歌詞になるのは自然だとも思う。例えば俳優なら演技する人物になりきれるっていうのがいい演技をするための絶対必要条件だと思うけど、歌手の場合も同様に曲に感情移入できなければ、いい歌にはならないってことなんでしょう。
ただ、こういうのは私にとってはご本人に言われるまでもなく、作品を見ただけで「この歌詞が歌いたかったから選んだな」というのは一目瞭然なの。時にはそれで笑っちゃうこともしばしばですが、と言うのはですね、私、オリジナル作品のテーマをそこそこ把握してますから、オリジナルで歌ってるテーマと同じ内容の歌詞がカヴァーでも選ばれてるというのに容易に気付けたからです。つまりフェリーさんの作品においては、例えカヴァーと言えども、オリジナルと同じ感情移入が可能な曲が選ばれている。逆に言えば、彼個人の感情と重なる部分があるから、その歌詞に気持ちを動かされるということなんじゃないかな、と。そして例えモトの作者が単なるポップスとして書いた曲でも、フェリーさんにかかると、その同じポップスの字面が、いきなりオリジナルと同じ象徴詩になってたりする、つまり彼独自のイミが付加されて歌われてたりする場合もあるということです。その場合、もうモトの曲のイミなんてものは、どうでも良くなってますね。
つきつめて言えば、歌手としてどれもオリジナルと同じ気持ちをこめて歌えるから、彼のカヴァーは一枚の作品の中で決して浮き上がらないってことなんじゃないかと私は思ってます。そこでふと思い出すのが、マルセル・デュシャンのレディ・メイド。フェリーさん自身が意識してるかどうかは別として、あれと彼のカヴァーってコンセプトが近いように思えるんです。デュシャンのレディ・メイドっていうのは、ご存知の方もあると思いますが、単なる工業製品、例えばシャベルとかビン掛けとか自転車の車輪とか、そういうモノに銘を入れたりタイトルを付けることによって作品に仕立て上げてしまうというものです。もともとは何のイミもないモノが、その銘によってデュシャン独自のイミを付加されて芸術作品になってしまうってヤツですね。言ってみれば、このそれぞれの工業製品はデュシャンにおいては、詩人にとっての「詩句」と同じ機能を持っているものなんだと思います。
フェリーさんのカヴァーの場合も、もともと作者が象徴詩として書いてるものもあるけど、単なるポップスやスタンダード・ナンバーって場合もままあるわけで、ふつー、皆さんまさかそこに知られざる「銘」が入れてあるなんて気付きませんよね。しかし!!
...入れてあるんです、彼のサインが。元歌と同じ字面を歌いつつ、彼の「銘」が入ることによって、オリジナルになってる。このへん、やっぱり屈折したユーモアのセンスの持ち主というか、悪魔的頭脳の持ち主だというか。しかもそれが独自のアレンジや曲の構築法で再構築されれば、歌詞も曲も彼のオリジナルと何ら変わらないクオリティにまでなって当然ですよね。
以前"TAXI"のテーマは一目瞭然で悩む必要もなかったと書いてましたけど、けっこうこのテーマっていうのが怖いテーマで、それについては少なくとも今はパスしたい気分なので、さしさわりなくて私の言ってることが分かってもらえそうな曲として、"These
Foolish Things"の中の"It's my party"を取り上げてみたいと思います。
It's my
party
Nobody
knows where my Johnny has gone
But
Judy left the same time
Why
was he holding her hand
When
he's supposed to be mine?
It's
my party, and I'll cry it I want to
Cry
it I want to, Cry it I want to.
You
would cry, too, if it happened to you.
Play
all my records, keep dancing all night.
But
leave me alone for a while.
'Til
Johnny's dancing with me.
I've
got no reason to smile.
It's
my party, and I'll cry it I want to
Cry
it I want to, Cry it I want to.
You
would cry, too, if it happened to you.
Judy
and Jonny just walked thru the door.
Like
a queen with her king.
Oh,
what a birthday surprise.
Judy's
wearing his ring
It's
my party, and I'll cry it I want to
Cry
it I want to, Cry it I want to.
You
would cry, too, if it happened to you.
ね?
以前ここで解体して見せた"Boys and
Girls"や"Dream Home"に比べて、中学生でも読めるような起承転結のハッキリした歌詞ですよね。何てことはない、自分のバースディに好きだった男のコが他の女のコと一緒にどこかに消えちゃって大ショック、現れてみたら彼女の指には彼のリングが、今日は私のパーティなんだから、好きなだけ泣かせてちょーだい、という歌でしょ、どこからどう見ても。この作者そのものは単にそういう歌として書いたものだろうと思いますけど、で?
フェリーさんは、この曲の何に動かされてわざわざカヴァーしたんでしょうか。感情移入ったって、これは女のコの視点から捉えた失恋の歌で、彼がそのまま歌うには、すっごい不適当な内容のように思いません?
このへんが彼のユーモアのセンスだと思うんですけど、これさっきも書いたように「失恋の歌」なんですよね。だから、これはフェリーさんが歌うとそれだけで"Dream
Home"とか"A Song For Europe"と同じ失恋の「象徴詩」になってしまってるんです。つまりデュシャンが工業製品を詩句と見立てて独自のイミを付加したように、フェリーさんは既にある曲をデュシャンにおける「工業製品」の代りに用いて、彼独自のイミを付加することによって、その字面のままオリジナルの歌詞にしてしまっているという言い方も出来ますね。
"It's
my party"の場合、「私のパーティなんだから思い切り泣かせてちょうだい」って、そのままのコトを彼は作品を通してやってるわけで、どういうことかと言えば、彼の作品、彼の音楽っていのうは言ってみれば彼の主催するパーティみたいなもの、そして生きているのは彼自身の人生で、それもまた「私のパーティ」ですよね?
だからその中では思い切り過去の失恋を嘆きまくっている、と。何のことはない、自分がやってることそのままの感情移入が出来る歌詞、しかも一見そんなのは殆ど誰にも分からないだろう脳天気な内容だってとこが気に入って選んだんだと私は思ってますけどね。女のコの視点から捉えた他愛のない失恋の歌、この単純さが、彼の心理の複雑さから来る真意と重なるってとこがナイスで、それが屈折したユーモアのセンスを物語ってると私なんかは思っちゃうわけです。フェリーさんにおいてはコトバだけじゃなくて他の様々な側面で、この「二重にダブってくる」ってコトが分かってないと、彼のやってることを理解出来なくなっちゃうんじゃないかな。殆どのヒトはそれで表面しか見えなくて、彼の表のイメージをそのまま受け取っちゃうんだろうね。
で、オリジナルで恋人が他の誰かと去ってってしまった、ってこれと同じコンセプトの曲、もちろんあります。顕著なのは1979年の"Manifesto"の中の"Dance Away"、これ冒頭なんて特に"It's
my party"のオリジナル版みたいな歌ですよ。
Dance Away
Yesterday
- well it seemed so cool
when
I walked you home, kissed goodnight
I
said "it's love" you said it's "all
right"
It's
funny how I could never cry
until
tonight and you pass by
hand
in hand with another guy
you're
dressed to kill and guess who's dying?
Dance
away the heartache
Dance
away the tears - Dance away
Loneliness
is a crowded room
full
of open hearts turn to stone
altogether
all alone
all
at once my whole world had changed
now
I'm in the dark, off the wall
let
the strobe light up them all
I
close my eyes and dance till dawn
Dance
away the heartache
Dance
away the tears - Dance away
Now
I know I must walk the line
until
find an open door
off
the street onto the floor
there
was I - many times a fool
I
hope and pray, but not too much
out
of reach is out of touch
all
the way is far enough
Dance
away the heartache
Dance
away the tears - Dance away
この歌詞については、またそのうちに細かく見ていく機会もあるかもしれませんが、わりとこれはフェリーさんにしては単純な歌詞ですよね。でもこれも単に人間の女性に失恋したって歌詞では当然ないんです。でもそれはおいといて、ココで"Dance
away" だから 後に"Don't stop the dance"
なんですよ。この"dance"というコトバも"home"とか"night"と同じように、彼の歌詞においては彼独自のイミを持った符号として使われてるコトバなのでよく出てきます。
さてちなみに"It's
my party"の入ってる"These
Foolish Things"は1973年のリリースですけど、6年たった"Manifesto"でも同じ「失恋」をしつこく嘆いてるんだと、私は解釈してます。いや、6年なんてカワイイもんじゃないですね、その後も同じよーな失恋の歌を歌いつづけてますから。...恋が成就して嬉しいなんて歌は、彼の作品の中に果たしてどのくらいあったでしょうか?
あれだけ遊び回ってれば、しかも結婚までしてですよ、そういうプライヴェートを曲にするようなヒトなら、もっとオリジナルにそんなのがあったって不思議はないはずなんですけど...。好きですからねえ、彼って失恋とか"Lover
Come Back To Me"系の暗い曲が。そればかりか"You
are my sunshine"なんて明るい曲まで暗くしちゃいますからね、このヒトは。
で、まあこのようにですね、彼のカヴァー曲、"It's
my party"のように一見、脳天気に選ばれたポップスのようでいて、実はオリジナルと変わらないイミが付加されている。そのへんがレディ・メイド的だと私は思ったわけです。それはもちろんこの曲だけじゃなくて、殆どのカヴァー場合、何かしらオリジナルでやってるのと同じテーマに沿った歌詞だったりタイトルだったりするんですよ。少なくとも私にはそう見えたもんで、だから彼のカヴァー曲は歌詞を中心にして選ばれてるなと、ずっと思ってたわけです。と、いうことで、フェリーさんにおいては、やはり自分の感情を歌える歌詞を選ぶってのが、カヴァー選びの極意なんではないかと。まあ、そもそも心にもないことなんて歌えないですよね、やっぱり一流の歌手なら。ましてやフェリーさんは自身がソングライターでもあるんだしね。
2003.10.21.
★イーノも言ってるのに...★
また一冊ROXY関係の本が手に入ったので読んでます。この本は、けっこう著者の主観が強い感じで、特に歌詞の解釈とかには私、納得いかない部分も多々あるけど、まあ資料としては面白いです。特にイーノの脱退に関しては、これが真相なんだろうなということが書かれてて、更に背景がよく分かったような気がしますね。
そもそもはこれについてイーノが何て言ってたかというと、"the
problems stemmed from the fact that we're too similar -
we're both from almost identical backgrounds with a very
similar approach to music in the sense that we're both
non-musicians, working from an ideas angle rather than
musical material(問題は、ぼくたちがあまりに似すぎているという所にあったと思う。どちらも音楽に対するアプローチがノン・ミュージシャン的であるという点で殆ど同じ背景を持っていたし、音楽的な素材から作品に取り組むよりは、むしろアイデアの方向から入るわけだからね。)"
The Bryan
Ferry Story p46
だから、やっぱりフェリーさんが言ってたのと同じにどちらもノン・ミュージシャンで、音楽に対するアプローチの仕方がコンセプトやアイデアから入るという点で同じなために、逆にそれが対立の原因になっちゃった、と。これは前に読んだ1976年頃に出版された本で書かれてたことなんだけど、今読んでる本では更にそのへんつっこんであるのよね。そこから見るとフェリーさんだけじゃなくて、イーノも何ていうか「スターになりたい」タイプのヒトじゃなくて、彼がROXYで展開したいコンセプトとフェリーさんのそれがぶつかったってのが、やっぱり最大の原因だったってことなんでしょう。前も書いてたけど、フェリーさんて初期の頃はインタヴューとか避けてたし、それは私の考えてたように彼の性質からくるものの他に、作品とプライヴェートは分けて考えられるべきという彼の信念も絡んでみたいね。でもイーノの方はその点考えがちがってて、彼のコンセプトや音楽的実験に関してプレス相手に話すのをためらわなかったようで、それがROXYのリーダーがイーノであるかのような報道のされ方をしてしまう結果を招いたらしいわけ。公的にはそういう問題もあったし、作品を作ってゆく上では、どちらも我の強い芸術家サマなもんだからぶつかっちゃったりとかしたんだろうな。まあ、どちらも若かったわけだし。逆に言えば、そういう理由での決別だったからこそ、後にそれぞれ自分のやりたいように作品作ってって、十何年経ってまた一緒にやろうかってことにもなるんじゃないですか?
で、イーノもそう言ってるのに、どちらとも当時既に親しかったはずのフリップが、もしホントにああいう失礼なことを口走ったんだとしたら、それはやっぱり本気じゃなかったんだろうなと私には思えてならないの...。
★面白いのは...★
なんだかな...。もともと私フェリーさんが好きなのは、ここでもよく書いてるみたいに歌詞を通した個人的な思い入れがあるからなんですけど、彼の作品にひっかかるまでは、曲の作者がこんなに自分の気持ちを作品に注ぎ込んでるもんだとは思ってもみてなかったんですよね、多くの普通に音楽ファンの方たちと同じに。
だから、まだよく英語も分からずにスタカンの"Long
Hot Summer"なんか聴いてた頃は、あれがポール・ウエラーの当時の気分を歌ったもんだったとはユメにも思ってませんでした。ただ単にキレイな曲だなー、くらいにしか思ってなかったもんですけど、後から振り返るとその後のスタカンの作品も同じように彼の気持ちが歌いこまれていたわけで、グリーンだってその点、大差ないんですよね。私の専攻はせいぜいそのへんまでなので、他はよく知りませんけど、まあたぶん多くのすぐれたミュージシャンが、こんな感じで曲作ってるんだろうな。なんか、やっぱり人間だなあ、と思えてね。スターとかそういうんじゃなしに、そういう観点から見るのが面白いというか。彼らの音楽は単なるかよー曲じゃないって私が言うのは、やっぱり本質的に盛り込まれてるものがまるっきりちがうからなんですよ。同じ音楽のように見えて、似て非なるものというか。やっぱり文化的バックグラウンドっていうのは、こうも影響するもんなのかと改めて驚きます。
しかしそれにしてもフェリーさんはなあ...。優れた歌手でもあるってことは、歌う曲に感情移入出来るってコトでもあるから、逆に言えばこういう歌詞でなきゃ歌えないのかもしれないけど、しかしそれにしてもココまでしなくっても〜、くらい思うよ、私は。
ところで話とびますけど、彼の日本びいきの発端っていうのは70年代に初めて日本にコンサート・ツアーで来た時の印象がすっごい良かったかららしいですよ。もともと日本に興味は持ってたのかもしれないけど、列車の設備がイギリスとは比べものにならないとか当時言ってたらしいし、人がみんな親切で礼儀正しいってのもポイント高かったみたい。彼自身がけっこう無礼な態度とかキライで、自分もそういう態度は取らないように日常でも気を配るようなヒトだから、余計気に入ったんだろうな。後に自宅に日本画を飾ったりしてたのも、そんな背景があったからだろうね。そう言えば、日本で受け答えしてるインタヴューって、私の知る限り気難しいとことか全然出てなくて、機嫌よく答えてるって感じするし。なるほど、やっぱり気に入られてたからなのか。それは良かったですことね。
2003.10.17.-10.19.
★どうも最近...★
どうもここ2週間というもの、トラブることが多い。しゃーるくんがケガさせられるってのも酷い話だけど、その他にもいろいろあって、もお、めんどくさいことがいっぱーい!!
だからすっごいあやぼーは今日もまだご機嫌が悪いのだ。いちおー、しゃーるさんはもう入院して治療してもらってるから、来週なかばには復帰すると思うけど、ひとつトラブルに見舞われると重なるものなんだよな。早く運勢に落ち着いてもらいたいものだ。あるよねえ、こういう時って...。
ところで、グリーンがらみのお話をひとつ。11月にリリースされるカイリー・ミノーグの"Body
Language" というCDにグリーンが2曲ほどソングライターとして参加してるそうです。曲目は"Loving
Days" と "Someday"、"Someday"の方では、ヴォーカルも披露してるという話で、ということは、まあちゃんと活動はしてるんだな。よしよし。これはカイリーのサイトからの情報なんで、まずまちがいないと思いますけど、リリースは11月17日の予定らしいです。カイリー・ミノーグって私けっこう好きだから、グリーンの曲も入ってるし、リリースされたら早速手に入れてみたいと思ってます。どんな曲かな〜。こういう話題が出ると、SPのアルバムもいくらか期待しやすくなるよね。
それとフェリーさんの方の話題は
"Another Time, Another Place"の中の"You
Are My
Sunshine"がプジョー307のCMで流れるとか、Roxyの"Sea
Breezes"が映画のBGMに使われることになったりとか、あと来年にはROXY関係の本が2冊出版される予定なんかもあるみたいですね。この本は、私特に楽しみにしてます。あとステージの予定は来年2月にメルボルンで、The
Melbourne International Music and Blues Festival に参加というのが入ってるようで、でもこれはROXYじゃなくて、フェリーさんだけみたい。彼は来年は、そろそろ次のアルバムに取り掛かる予定らしいとかも言われてるんで、そうするとROXYは一旦休止ってことになるのかな。うーん。...実は昨日、ちょっと前にオークションで手に入れてあった"TOTAL
RECALL"っていうROXYのヴィデオ見てたんですよ。1972〜1982の貴重映像を集めたヴィデオで、めっちゃ面白かった。だから90分のヴィデオ、つづけて2回も見てしまったのよ。
でね、私はフェリーさんがソロ活動を中心にした1985年以来のファンだから(実際には1987年頃から聞き始めた)、70年代のROXYって、こんなだったんだー、と思って見てて楽しかった。なんかやっぱりメンバー全員が、すっごい存在感あるのよね。まあやっぱり、私なんかは個人的に先生に思い入れがあるから、ついつい彼ばっかりに目がいっちゃうけどさ、どっちかってば、70年代にROXYを知ってたら、わりと一番ポール・トンプソンのファンになってたかもしれない...。今のポールさんってのも、けっこう好きですけどね。それにしても5人ともみんな、個性がハッキリしてるのには驚く。ROXYだけじゃなくてスターってのは元来そういうものなんだってゆーか、本当は、当然そうでなきゃいけないってゆーか、そもそもそれだけの個性とか自我の強さとかがあるから際立つものなんだと思うんだけど、90年代、特に日本の芸能人って区別つけられないんだよな、私。名前もちっとも印象的じゃないから覚えられないし(それって別に目立つ芸名だったら覚えられるかってことじゃなくて、もともと本人が印象的じゃないから名前も印象に残らないんだと思う)。私、一般に人間の顔って区別つかなくて(みんな似て見える)、ヒトの顔覚えられない方だし、芸能界の無能、無個性化っていうのは全世界的傾向かもしれないけど、それにしてもああまで「カラオケ化」しなくてもいいじゃないかって気もするよなあ...。
それはさておきフェリーさんのスタイルとしては、Manifestoの頃から1985年あたりにかけての雰囲気が私としては一番好きだな。彼ってインタヴューでも時々言われてるけど、けっこう捉えどころのないヒトで、どこから見てもきっちり大人のように見えて、どうかすると未だにコドモみたいなとこが垣間見えたりする、それってこの頃もやっぱりそうなのよね。そのへんが、カワイイってゆーか、愛しいってゆーか、それもこれも少年の頃から、ちっとも変わっとらん(と思われる)核の部分があるからなんだろうと私なんかは納得してるけど、考えてみると私がフェリーさん好きなの、そのせいなんだよな。自分のいる現実がどう移り変わってってもそれに侵食されないっていうか、そういう現世的なものに左右されないっていうか、それだからこそ通常の人間が囚われてしまう「目先の現実を超えた現実」を見つづけているというか。だからこそ、"Nobody
knows the trouble I see, Nobody cares, Nobody but me
(Cruel)"なんだけど、まあ、確かに類稀なロマンティストではあるよね。
でも、この一般によく言われる「Bryan
Ferry
ロマンティスト」説っていうのはさ、私、みんなどこまで「何故」が分かって言ってんだろ、と時々思う。そもそもは多分、例えば↓でお話してた本の著者であるREX
BALFOURとか、そういう彼の作品を初期の頃からよく分かってたヒトたちが誰言うともなく言い出したことなんだろうと思うけど、いやもー、そりゃ、彼の作品理解出来れば、先生がいかにものすごいロマンティストかは容易に分かるわけでね、でもそこから先はたぶん何故そう言われるのかって考えもしないで彼のイメージだけから納得して言ってる人のが多いんだろうな。それほど限られた人間にしか見えない問題と彼ってずっと対峙してるわけで、「本当のロマンティストというものは、同時にリアリストでもある」、これは彼も言ってたし、はからずも私もそう思ってたことだけど、だからハッキリ言って、空想的なユメばっかりおっかけてる単に現実ばなれした人間を私たちは「本当のロマンティスト」とは言わないのよね。そういうのは少なくとも私は単なる「少女趣味」と言う。
ところで、ここしばらくオークションあさってた甲斐があって、ROXY関係の主要な本がなんとかそろいつつあります。今知る限りでは、特にマスト・アイテムな本って4冊あって、そのうち2冊は既に手に入ったし、もう1冊もすぐ着くと思う。いやー、やっぱり有難いですよ、インターネットって。こういうものは絶対国内では、どう頑張っても入手出来ないもの。ましてや古い雑誌とかは更に無理よね。で、そういうの知れば知るほどフェリーさんだけじゃなくてROXY
MUSICそのものが好きになるなあ...。フィルさんの"Southern
Cross"
は好きなアルバムだけど、フェリーさん以外のメンバーの作品は聴いてないものの方が多いから、改めて聴きたいなあと思いますよ。楽しいわ...。
2003.10.11.
★今週は...★
しくしくしくしくしくしく....。私のかわいいしゃーるさんがっ...。うっうっうっうっうっ(泣)
昨年につづいてまたっ、駐車場でケガをさせられてしまったのよぉぉぉぉぉっ。うっうっ...、それで今週の後半、あやぼーはもう徹底的に悲しい気分なので、あまり沢山書くことができないんだ...。だから"Mamouna"
のツアーパンフに入っていたフェリーさんのトークでも読んでてもらいたいと...。写真も付けといたからね。あと、このツアーの時のミュージシャンの略歴なんかも、洋楽通の方には面白いかなって思ったので付け加えておきました(こっちも豪華写真入りよっっ)。
実は今週前半に、そのページ作って内容打ち込んで、ホントは今週後半で翻訳も書き上げるつもりだったんだい。それなのに、それなのに、もー、私しゃーるさんとか、大事な家族の誰かがそういうメに合うと、それだけでもっのすごい厭世観に見舞われて、落ち込みまくって、人間ヤメちゃうんだ。それでもって、ちゃんと元通りになるまで浮上できないのよ〜。(ってコトは、約10日はまず浮上しないだろう...)
こういう時...。あやぼーは、やっぱりフェリーさんの歌に浸りこみつつ、ファビとかハボと遊んでいるのが一番安らぐ。ああ、落ち込み...、私もしゃーるさんも何も悪いことしてないのにぃっっっ!!!
まあでもココに来て下さる方は、たぶん殆ど私よりずっと洋楽に詳しい方のが多いと思うから、私の翻訳なんかいらないんじゃないかとゆー気もしますな。そもそもグリーンのインタヴューとちがってフェリーさんはちゃんと人間のコトバで喋ってくれるから、そんなに分かりにくい表現とかないもんね。
ところで前にもちょっと書いてたそのMamounaの時のツアー・パンフなんですけど、なかなか面白いですよ。例えばフェリーさんがイーノとの再開について語ってるとことか読んでると、彼が如何にイーノのこと気に入ってるか、その才能認めてるか分かる感じするし。で、それってもちろん今に始まったことじゃなくて、たぶんイーノがRoxyにいた頃からそうなんだと思う。だけど、あまり私が先入観つけない方がいいと思うので、あとは読んでみて皆さまのご自由に解釈して下さいませ。
ちなみにこの内容はインタヴューCDにもなってて最近それを手に入れたんですけど、ほんとおだやか〜、な話し方するひとですよねえ...。ただ話してるだけでもいい声だケド...。あと1999年の"As
Time Goes By"の時のと、2001年のROXYのツアーの時のパンフも手に入ったので、その写真もまたスキャンするねー。聴きに行ったヒトは持ってるかもしれないけど、いい写真いっぱい入ってるよねっ。
ああ、それにしても調子が出ない...。私改めて知ったわ...。しゃーるさんが、いつもピカピカのカンペキ状態でいてくれることが私の誇りだったのね。あのコを守りきれなかった自分の無力さが、一番悲しいの...(泣、泣、泣...)でも、きっと来週は浮上して見せるわ!!
2003.10.4.
★うっ...、とうとう4ヶ月目に入ってしまったのね...★
ふと〜、気がつけば〜♪うそー、もうこのページ始めて4ヶ月目に突入ってか?
よくネタが続くよな私も。自分でもけっこうそれにはビックリしている。そうかあ、私ってほんっとおにフェリーさんのこと好きだったんだあ...。あんまり好きすぎて、自分では気がついてなかった。気がつかないうちにこんなにネタを集めてしまっていたのか...。でもまだまだ書ききれないくらいあるんだ。特に歌詞の話は。
なんかもー、彼の音楽とのつきあいも15年だしねー、殆ど古なじみのおともだちだよ、いるのが当たり前ってゆーか、空気みたいになってるぞ、私にとって先生の音楽って。これにしばしば助けられ、元気づけられつつ生きてきたんだものな。"AVALON"なんかは、ほんとに何があっても私を救ってくれたものだ...。ああ感慨。
このぶんでゆくと、すぐ1年くらいつづいてしまうかもしれない...。
★本のお話のつづき★
↓でしてた本のお話のつづきを、つらつらと書きたいと思います。写真とかも、ちょっとスキャンしてみたので、見てみてね〜。モノクロであまり画質は良くないけど、まあ貴重画像ってコトで。
けっこう80年代から洋楽聴いてるとかだと、ROXYの70年代の頃のフェリーさんの写真って見たことないかもしれない...。今もステキだけど、やっぱり20代の頃も、もお、めちゃカッコいー(くくくくく)。でも、とても30年近く前の写真とは信じられないな。印象として最近と30年の開きがあるとは思えないんだもん。10年でグリーンがコロっと印象変えたのと比べて、それって怖いかも〜♪
ところでフェリーさんってお姉さんと妹さんがいるそうです。これは私この本読ん初めて知った。お二人とも教師になったそうなんだけど、彼だけはアーティストになろうと子供の頃から決めてたらしい。そのへん、ご両親が教育熱心だったって感じだね。フェリーさん自身も言ってるけど、ご両親がそういうことに関して寛大だったのはラッキーだったって。当時、彼の育った環境では、普通そういうのはどこか別世界の話って感じにされちゃって、マトモに取り合ってもらえないみたいな?
で、まあそのへん彼は好きなようにさせてもらえてて、高校出てアートスクールに行くことになったわけ。でもそのアートスクールが始まるまでの間に、誘われてThe
Banshees
っていうバンドでヴォーカルをやったのがバンドに入って音楽やるキッカケみたいになったらしい。それは、けっこう彼には楽しい経験だったらしくて、だからその後、大学に入ってから自分のバンドで活動するようになるのね。ちなみにこのThe
Gas Boardっていうバンドのライヴは、確かスティングがすっごい熱心に聴きに行ってたという話も聞いたことがある。このバンドはアメリカの音楽のカヴァーをやってて、ソウルフルな洗練されたサウンドが他と一線を画していた、と、このへんやっぱりフェリーさんよね。回りと同じことはやんないってのが。イギリスにこのテの音楽が入りだしたのが1969年頃だというし、The
Gas Boardの活動は1965〜1966年くらいのことだから、ここでも未来先取りなことやってたってわけか。さすが...。
このバンドもけっこう人気あって、2年ほど続けたあとメンバーはみんなプロになりたがったそうなんだけど、それでもまだフェリーさんは音楽で身を立てようとまで考えなかった。でも大学出る頃になって、美術におけるポップっていうのは、本当のイミでの「popular」とは程遠い、どちらかと言えばエキセントリックな分野と言わざるをえないことに気がついて、音楽の方がよりポップなんじゃないか、とゆー考えに到達するわけね。ココでちょっと注釈を加えるとすると、そりゃ、作詞、作曲、ヴォーカルという音楽的なものだけに留まらず、美術はもちろんのこと、演技力からパフォーマー、オーガナイザーの才能にまで恵まれてれば、とても美術1本になんてもったいなくて絞れないよ。だから、そういう自分の持ってる才能全部いっぺんにつぎこめる表現形態が、ロック・ミュージックだった、と。まあこれは私彼の作品聴き始めた当初からそうだったんだろうなと思ってたことだけど、...でも思うに多分それだけじゃなかったな。問題はその時、彼がその他に何を考えていたか、だ。
それはともかく、そんなわけで大学を出てロンドンに来る頃には既に音楽の世界に入るぞ、と決意していたらしい。一時ロンドンで陶芸の先生してたっていうのは、けっこう知られてると思うけど、あれ?
と思うのは、彼の経歴のどこを見ても陶芸の経験なんてものは、まるっきり影も形もない。それで何で?
って感じなんだけど、それがさあ。とにかく仕事見つけなきゃって状態だったから、その仕事につくに関してはハッタリかましたらしいんだよ、彼。でもその時作った作品が、後にギャラリーで売られるようになったってゆーから、やったことなかっただけで出来なかったわけではない、と言えば言えるか。ああ、やっぱり天才...。
さてROXYの原型はまずアンディさんとの出会いから始まる。これもまたフェリーさん独特の感覚だと思うけど、ロック・バンドにサックス・プレイヤーってすっごい変則的よね。だからこそ余計そのアイデアが彼気に入ったみたいだけど、しかもアンディさんてサックスどころかオーボイスト(オーボエ奏者)でもあるわけで、そういう特異な要素からバンドの構成が始まるっていうのが、そもそもぶっとんでる。既成概念を嫌うってのは、もう彼の思想性から来る第二の天性ってゆーか本能とゆーか、それまでもそれからも様々な側面での決定に影響してくるね。で、アンディさんは、当時シンセサイザーを入手したばかりだったそうなんだけど、フェリーさんもシンセには興味があって、ただ、どうやって使えばいいのかが二人ともまるっきり分からなかった(ははは...)。で、アンディさんのお友達でそれに詳しかったのが、ブライアン・イーノだったんだって。で、それは彼が手伝ってくれることになったので、そのあとドラマーのポール・トンプソンが加わって、一時ギターはフィルさんじゃなくてデヴィッド・オリストがやることになってたところを、バンドの方向性と合わなくて、結局フィルさんが正式加入するコトになってROXY
MUSICが成立した、と。このへんはたぶん既によく知られてることだと思うけど。
そんなこんなでバンドが出来て、デモ・テープが出来て、でもってフェリーさんはあちこちのレコード会社やら何やら持ち込んで回ったんだけど、なにしろあまりにぶっとび過ぎている内容だったので、聴いてはくれるけど「6ヶ月後に出直して来なさいね」、とか、「いいかもしれないけど商業的成功は見込めないね」、とか、挙句は聴くなり唖然として、気狂いじゃないかって言われたり、とか、アドバイスしてくれるのはいいけど、特にバンドの特徴となってるエレクトロニクスを取り払えとか、曲のテンポやムードがいきなり変わるのや特異なハーモニック・パターンが良くないとか、歌詞がむずかしすぎる、とか?
他はともかく、そりゃ言われるよな、あの歌詞じゃ。でもまあ、このへんのアドバイスは当然だったかもね。個性的であればあるほど、保守的なヒトたちにかかると絶対言われて当然なのがこういう「回りに合わせろ、はみ出るな」ってことだから。だけど逆に言えば、だからこそ際立って優れているとも言える。結局そのセンを曲げなかったことで、後に耳のいい業界人から絶賛されることになるんだから。
で、まあなかなか取り合ってもらえないので、あちこちのパーティとか、テイト・ギャラリーのソワレとか、手当たり次第に演奏出来る所を探してやってるうちに、デモ・テープを聴いたメロディ・メーカーのアシスタント・エディターとか、ジョン・ピールとかに絶賛されるようになってきてチャンスを掴むことになる、と。まあそのへんが第1章って感じですかね。
確かにROXYって音楽でもバンドの外見的なものでも、スタイルはコロコロ変えるし、過去のものから引用することもしばしばだし、でも、それはあくまでバンドの確固たる個性ってものが基本にあってこそ成り立つ手法なのよね。根のない人間が何やったって、それはタダのマネっこにしかならないんだけど、ROXYの場合やっぱりフェリーさんの表現の核にあるさまざまな才能とか個性とか思想的なものとか、それにアートスクールで学び取って来たものとか、そういうものが類まれだから多様なスタイルが渾淆して全く新しいものになりえる、ということなんじゃないかな。確かにそのへん、改めて前に取り上げたウォルター・ケスラー氏のライナーがROXYの、と言うより、フェリーさんの音楽の方法論についてズバっと的を射てるってことよね。彼が美術をヤメにして音楽の世界に転向したのは、こういう深い深い表現者としてのお考えという背景があってのことで、つきつめて言えば、だからこその成功ってことですよね。
ちなみに、ロック・スターがタキシードなんかで決めちゃうとゆー、あれはやっぱりフェリーさんが最初にやった時は衝撃的だったみたいよね。そういうスタイルを後にデュラン・デュランがパクって、またそれをよせばいいのにどっかの国のカンちがい歌謡歌手どもがマネるもんなあ...、その起源とか必然性も知らずに...。恥ずかしくないのかなあ、例えばフェリーさんの当時の写真とか見たらさ、まるっきり自分たちのことサルって思って悲しくなっちゃわなきゃウソだよ。カッコよさってものが、どういうもんかも知らないんじゃないの?
あつかましい。なんでうちの先生が今も昔もあんなにビシって決まると思ってんのよ。アタマの中身がちがうからよ。実際、私最近すっごい意地悪だからあえて言うけど(言わなきゃバカがバカと自覚もできないように、この国はなってるから、もう言うことに決めたんだ。放っておいたら国がほろびるとこまで来てるよ。)、アタマの出来のちがいってこと考えたら、それこそ神サマとサルの差だもん。ことほど左様にJ-POPってのはその多くがスタイル乱立、中身なし。もののみごとにROXYと逆を行ってるもんなあ、救われんわ。何度も書くけどさあ、英語わからんって、ほんっとお〜、に悲劇よね。こんなのみんな、その蓄積の結果なんだよ。音だけ聞いてロック分かったつもりでいるんだから情ない。かよー曲じゃねーっての。言われてくやしかったら、ちょっとは勉強しな!!
(けけけけけ♪) 思うでしょ? 思うでしょ?
ホントの洋楽ファンだったら絶対そう思うよね?
きゃはははは、また暴言吐いてしまいましたけど、これは愛のむちなのよ〜。がんばってほしーからゆーのよ(ウ、ソ。
単に踏みつけにしたいだけ。特にかしこいつもりのバカって大っきらいだから!!)。
2003.10.3.
★どう考えても、このままにはしておきたくない★
"The Bride
Stripped Bare"
の話なんですけど、そおだったんだよ、私これ聴いてめちゃ泣いたんだった。
"Avalon"
とか "Boys and Girls"もそうだったし他にもいろいろと純粋だった少女の頃に初めて聴いたもんだから、あまりにピュアな作者のお気持ちに感動しまくって、泣きまくったんだよ、私は。中でも"The Bride
Stripped Bare"、これはもー、フェリーさん自分でもすっごい気に入ってるって言ってたけど、本当にい曲がいっぱい入っててさ、それまでの作品とさえ一線を画す出来ばえなんだよね。その後の表現の原点になってると言ってもいいけど、表現力が一段深まったというか、彼自身このレコーディングの時に得るものがすごくあったみたいだし。ああ、それなのに、それなのに。ホントだったら絶賛されてしかるべき作品なのにぃ〜。こんなに美しいのにぃ〜!!!
リリースされた時期が悪かったんだと思うけど、このすばらしい作品が、未だにあんな女と結びつけられて語られる。もー、私は許せない、このままには絶対しておきたくない!!
しないぞ!!
いつか必ず絶対絶対絶対、全世界的な誤解を解いてやる〜!!
と、このアルバムを聴けば聴くほど、怒りと決意に燃えるあやぼーなのであった。
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