「で、また、それがフランソワーズにバレてなあ。その時はさすがに、今度こそもう実家に帰ります!
と言って怒りまくるもんだから、宥めるのが大変だったんだ。私はもう平謝りで...」
「それ、どう考えたって大じいさまが悪いですよ。もうしませんって、約束した口の下からだったんでしょう?
大ばあさまが怒って当然じゃないですか」
「いや、しかしだな。出会いというものは、タイミングなんだ。私も、フランソワーズとの約束を守ろうとこれでけっこう真面目に努めようとしてはいたんだよ。その気持ちに、ウソはなかったんだ」
「そう思ってて同じこと繰り返すんじゃ、もうビョーキですよね」
ウィルのキビシイ一言にさすがのウィリアムもへこんでいる。とは言え、大昔のアルバムを眺めながら曾祖父が語ってくれる昔の武勇談(?)は、恋も夢もこれからの二人の少年たちに大ウケにウケてはいたのだ。話題の中にはウィルやランディにとって、前時代とも言える近代史の中に名を留める有名な女優や作家、画家の名前なども出て来たから、彼らにはそのロマンティックで華やかなストーリーは、まるで映画か何かの中のことのようにすら思われていた。それでもそれは、まぎれもなくウィリアムが生きて来た半生の中で、現実に起こった出来事の数々だったのである。
アルバムを探すためにリタがアンナに尋ねたため、何やら楽しそうと思ったらしく、彼女も話に加わってきていたが、話の流れに横から口を挟んだ。
「そうそう、それはね、昔、おばあさまもよく"ウィリアムのあれは病気と思って諦めるしかないと思って来たのよ"っておっしゃっていたものだったの。さすがにその頃は、おじいさまも随分、落ち着かれていたけれど」
「でも、出て行くって言われて平謝りするほど大事な奥さんがいて、それでよくそんなに遊べましたね」
ランディが呆れて言うのへ、ウィリアムが弁解がましく言っている。
「だから、きみだって若いんだから分からないか?
それはもう、フランソワーズは本当に大事だった。だが、目の前にだな。容姿端麗、頭脳明晰、おまけに性質まで良さそうな美女など現れてごらん。これはもう、男として素通りするわけにはゆかんじゃないか。な、アンナ、少しはフォローしておくれ」
助けを求められてアンナは笑っていたが、さすがに祖父が可哀想になったらしく助け舟を出した。
「まあ、それっておじいさまのせいというばかりでもなかったとは思いますわよ。なにしろ、ほら、お若い頃ってこれですもの」
言って、彼女はアルバムの中の写真を指さして続けた。
「おばあさまも生前、結婚なさった当時を思い出して"社交界はおろか芸能界にもこんな素敵な方は他にいらっしゃらなかった"なんておっしゃっていたくらい。それだけ、おばあさまもおじいさまのことを想ってらしたから、ずっと我慢してらしたんでしょうけど、それでまた、結婚なさるまでがなさるまでだったでしょう?
結婚したくらいで回りの女性が諦めてくれたら良かったんだけれど、そうはならずに結局、結婚後も尾を引いたということなんでしょうね」
「まあ、確かに見た目がコレでオマケに大富豪じゃ、それも仕方なかったかもしれないけど...。な、ウィル。おまえって、こうして見るとやっぱり彼の若い頃にすっごく似てるんだな。めがね、取るとさ」
「ああ、それはよく言われる」
「でも、ちょっと、ウィリアムみたいにはなりそうにないかな」
「そりゃ、無理だよ。見た目は似てても...。どっちかっていうとうちの父は性格、大ばあさま系らしくってさ。ぼくもどうやら、そっちタイプみたい。父よりダドリー叔父さんの方が、大じいさまに近いかもってみんな言うね」
「いや、しかし、ダドリーなどは私の若い頃に比べればおとなしい方だそ。うちの家系はどうも、フランソワーズの影響かアルバートがああで、だから、その子供たちもおおむね真面目でな。いまひとつ、びっくりするようなことをやらかしてくれる子というのがおらんのだ」
「今、ふと、思ったんですけどね、ウィリアム」
「なんだね?」
「さっき言ってらしたように、あなたのお父さんも"カタブツ"だったんでしょう?
そうすると、あなたの破天荒ぶりはいったいどこから来たのかと」
「ああ、それは不思議でもなんでもない。私の母方の血だよ。なにしろ母は結婚前は社交界の華と謳われて、ずいぶん奔放な女性だったらしいから。私がオイルをやってみたいと言った時、密かに味方してくれたのは母だったくらいだからな」
「えっ、そうなんですか?」
「それも初耳ですよ、大じいさま。
ね、アンナおばさま、ご存じでした?」
「私は大昔に聞いたことがあったと思うわね。それに確か、ひいおばあさまのお兄さまは冒険家でらしたとか」
「そうだ。中東どころではなく、アマゾンやアフリカのあちこちにも足を延ばしていたよ。私も小さい頃、叔父がどこかから帰ってくるたびに、その冒険譚をわくわくしながら聞いたものだ」
「そう言えば、お写真がどこかに...」
言って、アンナはテーブルの上に何冊か乗っているアルバムの中から最も古そうなものを取り上げて繰ってみていたが、やがて目的の写真を見つけたようだった。ウィリアムの母が、まだ十代の頃のものだろう。どうかすると百年がところ昔のものだけに色あせてはいるが、凝ったドレスを身に纏って嫣然と微笑んでいる少女の美しさは目を瞠るほどのものだった。
「ほら、これこれ。これが、私のひいおばあさまよ」
言われてウィルとランディは横からそれを覗きこんだ。見るなり、ランディが声を上げている。
「ひっえ〜、美人っ!!」
「へえ、こんな写真、あったんですね。ずいぶん、お若い時のでしょう?
」
「これはまだ、どうかすると結婚なさる前のものかもね」
「珍しいな。うちにあるのは、大体もう少し年を取られてからのものだから」
「本気で美形の家系なんだな、おまえんち」
「母には、求婚者が殺到していたらしいぞ。それをまた、うちの父はカタブツの上に思いこんだら一徹の性格でな。なみいるライバルを押しのけて、やっと結婚してもらったのは父の方だったと聞いている。それで父は結婚後、母にだけは頭が上がらなかったようだ」
「へ〜え」
ウィリアムはどうやら、今夜はこれまであまり曾孫たちにも話していなかったようなことを語り伝えておく良い機会と思っているらしい。ランディどころかウィルでさえ、これまで聞いたことのなかった秘話を次々と披露してくれていた。
思えば、子供だとばかり思っていたウィルも既に17歳。そろそろそんな話をしてもいい頃だし、自分もいつまで元気でいられるか分からない。それもあって話しておく気になったのは確かだが、実はもうひとつ、他の理由もあったのだ。ここに移って来る少し前、ランドルフの叔父から電話がかかってきたのである。甥が先日、お招き頂いたお礼ということだったが、取次がれて出てみると相手がガチゴチに緊張しているのは手に取るように分かる有様だった。
― 本来でしたら然るべきご紹介を頂いての上でなければならないところを、突然、お電話を差し上げまして申し訳ございません。お取次ぎ頂けないのは覚悟しておりましたが、お邪魔では無かったでしょうか
「いやいや、そんなことはお気になさるな。うちの曾孫と甥ごさんとはもう長年の親友なのだし、今更でしょう」
― そう言って頂けると...。何ぶんにも先日はうちの甥がお邪魔いたしまして、その上になにやら夏にはご招待まで頂いたとか、これはもう直接お礼申し上げなければと。本当なら、あれの親からご挨拶申し上げるべきところながら、なにぶんにもそれが不調法者でございまして...
その様子から、バーナードが電話の向こうで冷や汗をかきつつ、おたおたしている情景がウィリアムには手に取るように分かった。それに笑いながら言っている。
「まあ、そう堅くならずに。甥ごさんとはすっかり意気投合しましてね。夏にまた話せるのは私にとっても非常な楽しみです」
― 有難うございます。不肖の甥でございまして、もう口の利き方も知りませんものですから、何か失礼が無かったかともう...、私は...
「口の利き方を知らないなどとは、とんでもない。なかなかに礼儀も行儀もわきまえた少年という印象を受けましたよ。それに、教養も深いようだ」
それを聞いてバーナードは一瞬、嫌味を言われているんだろうかと心底疑ったほどだった。それほど、そのウィリアムの評価は普段の甥の様子とかけ離れていたからである。しかし、その上機嫌の話しぶりを聞けば、彼の言葉に何かの含みがあるとも思えない。
― はあ...。普段は私が何を言っても聞きませんで、もう手に負えませんのですが
「あの年頃は、たいていそんなものですよ。かく言う私も、あれくらいには親の止めるのも聞かず、家出同然で飛び出して行ったものでした」
ウィリアムは世間話のつもりで軽く言ったのだが、思いの外に相手からは意外な反応が返ってきた。
― 存知上げております。いや、失礼いたしました。うちの甥などはフラフラ遊び歩くばかりですが、あなたが若くして中東で成功されたことは、クランドル経済人の間では知らぬ者などないのでして。私なども力及ばないながら幼い頃から憧れまして、いまこのようにしている次第...、あ、こんな私事でお耳をわずらわせてしまい、申し訳もございません
クランドルには昔から、ウィリアムの伝記を読んで企業家を志したという経済人が少なからずいる。それを考えるとバーナードにとっても、彼は若き日からのヒーローだったのだろう。話を聞いていてウィリアムにもそれが分かったようで笑って言った。
「まあ、私がバカをやっていた時代の話は有名ですからなあ。ともあれ、面白い甥ごさんをお持ちだ。先日、話していて思ったが、将来はぜひ、ビジネスの世界に入ってもらいたいものですよ」
― は?!
そのように思われましたか?
「ええ。うちの曾孫も言っていましたが、学校でも人気があってリーダーの資質もあるようだし。それは人の上に立つには不可欠な要素ですからね。...立ち入ったことで失礼かもしれんが、その辺、叔父上としてはどのようにお考えかな?」
― それはもう、あれにその気さえあるなら、私はぜひとも後を継がせたいと。お聞きおよびかもしれませんが、私には子供がありませんし、身内は皆、あれに期待を寄せておりまして。ただ、なにぶんにも本人にその気が全くないようで、その点、頭を痛めております
「おや?
だが、私が話してみたところでは、まるでその気がないというわけでもないようでしたよ」
― えっ、本当ですか?!
バーナードがびっくり半分ながらも嬉しそうに言うのを聞いて、この辺りからウィリアムには何かしら思惑が生まれたようだった。
「とは言え、シンプソン・グループほどの企業を背負って立つのは誰に取っても大仕事ですからな。目の当たりにしているだけに、甥ごさんにとっては自分の希望が漠然としたまま将来を決めるのは難しいのではないかと思いましたよ。尤もなことかもしれませんが」
― はあ...
「逆に、それだけ現実的な考えがあるということでしょうな、彼には。実際、"後継者への期待"というのは私も昔、幼い頃から背負わされたので分かるが、これが意外と重いものでしてね。回りに期待されればされるほど、反発もしたくなるというもので」
― ...そういうものでしょうか。私などはそれなりの育ちですので、いささか分かりかねるのですが
「そういうものですよ。あまり回りが押しつけすぎるというのは良くない。やはり、こういうことは本人の意志あってのことだから」
― はい...
「まあ、時が来れば自然と、ということもありますし。そうですか、あなたもランディに後を継がせたいと思っていらっしゃる?」
― それはもう。できることならば
ウィリアムは、少し考えているフリをして黙っていたが、しばらくして口を開いた。彼には、この少し前からもう既にある計画がまとまっていたからだ。
「ならば、どうです?
夏にまた会えることだし、私からもそれとなく話してみましょうか」
― それは願ってもない。しかし、そんなことをお願いしてよいものかどうか...
「その心配には及びませんよ。クランドル経済界に優秀な人材が増えるのは、私にとっても喜ばしいことです」
― そうおっしゃって頂けるなら...
「ただ、それならひとつ、あなたにも協力してもらいたいのだが」
― もちろん、なんなりと
「それでは言わせてもらうが、ランディにあまりうるさく言うのは控えて下さらないかな」
言われて、バーナードは考えこむ様子になった。
― それほどうるさくしているつもりはないのですが...。なにしろ最近では、あれも全く聞きもしませんし
「私が見たところ、彼はちゃんと自分の考えを持った少年で、決めるべきことは然るべき時になれば自分で決めるタイプです。そういう人間は、なかなかこちらの思う通りには転がらんものなので、逆に泰然自若と構えて好きにさせる方が得策でしょう。今、他に何かなりたいものがあるというわけではないらしいし、自分の立場もあなたが考えておられる以上に分かっているようだ。それなら、本人が決断するのを待つよりないと思うが」
― はい...
「悪いことは言わないから、ここはひとつ"おまえの好きなようにしろ"と突き放してみなさい。そうすると案外に、本人の方からこちらに転がって来んものでもない」
― はあ...、確かに、おっしゃる通りかもしれませんが
「あなただってあれだけの企業の頂点に立つ方だ。これが他人なら、そのくらいのことは言われるまでもないでしょうが、身内のこととなるとなかなかそうはゆかんものですからな」
それで相手はどうやら、自分にも問題があったかと考えるようになり始めたらしかった。ウィリアムの炯眼に敬服しつつ、改まって言っている。
― 確かにそうかもしれません。あれは、私が言うのもなんですが、幼い頃は非常に真面目な少年で成績も人当たりも良く、それで我々みな、あれがいるからうちの将来も安泰と安心しておったのです。それが、いろいろとありまして、一時期からすっかりグレましてねえ...。もう何をどうしていいものやら、すっかり慌ててしまって
「分かりますよ。しかし、大の大人がそれではいけませんぞ」
― いや、全くもって耳が痛い。そうですな、おっしゃる通りです。ここはひとつ、泰然自若を心がけてみましょうか
「それなら、私も及ばずながら協力させてもらいますよ」
そんなわけで、ウィリアムとバーナードの"ランディにシンプソン・グループを継がせるぞ"作戦が始まったのであった。ウィリアムは既にすっかりランディが気に入っていたし、ウィルにとっても頼りになる親友が同じ世界にいてくれるに越したことはない。自分の若い頃の冒険を話して聞かせるのも、ランディを乗せる作戦の一環になっているのだろう。ただ、ウィリアムにとって若い彼らに思い出話をするのは思っていた以上に楽しいことだったのも確かだ。アンナは祖父の夜更かしを少し心配しているようだったが、どうやらお喋りはまだまだ止まりそうにない。
original
text : 2012.6.24.-6.28.
|