さて、こちらはクロフォード家の別邸である。広大な敷地の中に建つ屋敷は、涼やかな山中にあるので夏は特に過ごしやすく、ウィリアムは毎年、暑くなり始めるとここへ移って来ることにしているのだ。シンプソン家の別荘で夏の海を満喫したウィルとランドルフも、予定通りウィリアムと過ごすためにこちらに回ってきていた。彼らが来てからのここ数日は、夕食の後はテラスで涼みながら三人であれこれ話すのが日課になっていて、今夜も話がはずんでいるようだ。
「ねえ、ウィリアム。でも、どうしてオイルだったんですか?
あなただって、もともとクロフォード家の跡取りだったんだし、
だったら、なにも苦労して自分でビジネス興さなくても良かったんじゃない?
どうせその世界に入るのなら」
「おや、ランディ。それは"問題児"の発言とも思えんね。ロマンだよ、ロマン。きみなら、分かってくれると思っていたが」
「う〜ん。ぼくの場合、そもそもグレたキッカケがキッカケだったんで、あなたほどスケール大きくはないのかも。それにぼくは自分の立場から逃げ回る方が先で、ウィルにも言われた通り、先の展望なんてなかったからなあ...。それ考えると今更ながら、ほんと自分でもアホだなと思いますけど」
それへウィリアムは笑って言った。
「いや、自分の境遇に疑問を感じるというのはいいことだよ。そうだな、私が若かった頃はね、オイルは"地上最大の丁半博打"と言われたものだったのさ。当たればでっかいが、当たらなければ全ては無だ。親の七光りなどではなく、自分の才覚ひとつでどれだけのことが出来るかを試すには、少なくとも私にとって、これ以外ないと思えるようなものだった。若気の至りと言われれば確かにそれはそうなんだろうが、ま、私も当時はそれだけ若かったということだな。ああ、博打と言えば、オイルで成功してからは私もさんざ打つに飲むはやったものだったが...、おっと、ただし買うはナシだぞ」
ウィリアムの冗談に二人は笑っている。ランディが茶々を入れた。
「買う必要、なかったんでしょう?」
「まあ、そのへんは想像に任せるが、ともかくベガスに入り浸って、連夜ばくち三昧などは日常の当然だったものだ。それがまた、うちの父の逆鱗に触れてなあ」
「で、"廃嫡"ですか?」
ウィルの質問にウィリアムは頷いて答えた。
「その他にもいろいろ原因はあったが、それは大きかったと思うぞ。ただ、私は退屈してたんだよ。私の人生において一番エキサイティングだったのは、やはり中東に乗りこんで行った当初の数年間だったと思う。その後は相応の資金力と、ちょっとした商才があれば成功して当然のようなことばかりだったからだ。そして、きみたちも知っているように金というものはある程度固まると後から後から、もういらんと思っていても利が利を生んでふくれあがるものなんだ。そして、結局はその管理に追われることになる。それで当時の私は、本当に退屈していたと思うよ。だから、ギャンブルにもけっこう入れ上げたりしていたが、最初にオイルをやっていたから、どこをどうやったってポーカーやルーレットではね。スケールが違いすぎて、大した退屈しのぎにはならなかった。やはりオイルは、単なる博打ではないんだな。特に当時は世界経済に大きな影響を与えるものだったから、それを握るというのは直接、その一端に加わるということでもあったのさ」
二人はウィリアムの言うのを静かに聞いている。
「そういうわけで、あのままだったら今の私は無かったろう。ランディが今、自分のことを愚かだったと思うと言っていたが、どうして、私も人のことなど言えんのさ。当時の私も、それに輪をかけた阿呆だったんだから。金にあかせて遊び回るだけの」
「でも、自分でそうおっしゃるということは、何か変わるキッカケがあったということでしょう?」
ランドルフの質問に、ウィリアムは、まあな、と答えて続けた。
「金のある所には、それだけを目当てに寄って来る者が後を絶たないことくらい想像がつくだろう?
だから私は、子供たちに若いうちからあまり必要以上に金を持たせるなと言うんだ。そのせいでモノが見えなくなるという、自分の教訓があるからだ。ただ、私自身はこれでけっこうひねくれ者だったので、回りにそういう連中がいくら群がってきても、それを承知であしらうくらいの知恵は回ったがな。しかし、来る日も来る日も、そういうのばかりしか目の前に現れないという日常を送ってみなさい。自己弁護かもしれんが、それに慣れきって世の中バカにしきるようになっても、ある程度は仕方ないと思わないか」
「かもしれませんけど...」
ウィルが言う横で、ランドルフも頷いている。
「ま、そんなわけでな、一旦、大きくなった事業などというものは放っておいても利を生むし、だからと言って何か目新しいことがあるわけでなし、退屈だから飲むわ、打つわ、遊ぶわで無聊をまぎらわしていたある日のことだ」
「何があったんです?」
「フランソワーズと出会ったんだよ」
「えっ、大ばあさまに?」
「そうだ。私はそろそろ二十代も終わりにさしかかる頃だったか。その頃、フランソワーズはまだ十代半ばでね。社交界にデヴューしたての少女だった。あまりに初々しい美少女だったので、それに、はっきり言って私は当時、正真正銘のバカだったから」
「ご自分でそこまでおっしゃらなくても」
「いや、本当にそうだったんだから仕方がない。"愛など幻想、世の中金"と、そこまでは思いこまないまでも、そんな"純愛"なんてシロモノが、この世に存在するとしても極めて稀で自分にまでは回って来ないと信じるくらいにはスレていたわけだな。でまあ、ひとつ、退屈しのぎにこの娘、モノにしてやろうと」
ウィリアムの話しぶりに二人とも笑っている。
「しかし、あれはほんっと〜に想像を絶する変わり者だった」
「そうだったんですか?」
「ああ、おかげで私は救われたようなものだが、まず、モノに目をくれんのだよ。あの性質は生涯変わらなかったな。とにかく宝石にも毛皮にも、およそふつうの女性が欲しがるものにまるっきり興味を示さないんだね。これで私は最初から調子を狂わされた。なにしろ女などというものは、およそモノで釣れるものとタカをくくっていたからな。今となっては女性に対して著しく失礼な考えだったと反省しているが、当時はまだ、そんなに素晴らしい人には出会えていなかったのも本当だ。まあ、あの頃の私では、値打ちのある女性にほど敬遠されても仕方がなかったかもしれんがね」
「じゃ、どうやって大ばあさまと結婚することにまでなったんですか?」
「それまでには、いろいろとあってな。最初はね、そういうわけで私も遊び半分だったから、フランソワーズが現れそうな集まりなどにそれとなく顔を出して、まずは顔見知りになったわけだ。しかし、その頃もう私が相当の不良だというのは知れ渡っていたから、あちらもかなり警戒していたようで、親しく口を聞けるところまでゆくのに随分かかった。何より、両親が囲い込んでいたからなあ...。トシもけっこう離れていたし、虫がついてはいかんというわけで」
「それって、すごい難関ですよね」
「それはもう。逆にだからこそ返って私も意地になってな。顔を見るたびに、コンサートや観劇に誘ったり、ちょっとした贈り物を届けさせたり。だがそれも、花やスイーツなどはともかくとして、高価なものは特に両親から丁寧に送り返されてくるばかり」
「そうなったら、もうどうしようもないじゃないですか」
「全くだ。また、あれの両親というのが、私の父といい勝負のカタブツで...、考えてみるとアルバートのあの真面目一徹の性格は明らかに母方の血だな。ともかく、さすがの私も手も足も出ないもので、どうしたものかなあと考えあぐねていたその矢先。思わぬところで接点が出来たのさ」
「何があったんです?
そのシチュエーションじゃ、よっぽどのことがなきゃ」
「だよな」
「よっぽどのことと言っていいのかどうか分からんが、なんだったかの慈善パーティで偶然、行き合わせたんだよ。そんなところに私が来るとは思わなかったんだろう、とても驚いたようだったが、一応、私も素行はともかく、当時既にそれなりの経済人だったからね。相応の社会貢献は当然と考えていたから、あれこれの慈善団体にけっこう寄付などしていたんだ」
「ああ、じゃ、そういうところはやっぱり大じいさまだったんですね、昔から」
「いや、当時の私はそれも社会的な慣習のひとつと捉えていて、特に積極的に慈善に興味を示していたというわけではなかった。むしろ、そのきっかけになってくれたのがフランソワーズだったんだが、ともかくも、あれの両親も熱心な慈善家だったからね。私がそういう貢献もしているということを知って、多少、認識を改めてくれたらしい。おかげで、ちょっとしたおつきあくらいならということになって」
言って、ウィリアムはくすくす笑っている。
「どうしたんですか、大じいさま」
「ん?
ああ、それで最初のデートは、どこに行ったと思う?」
「え〜、じらさないで教えて下さいよ」
「じらすわけじゃないが、それは施設の慰問、というか、つまりはボランティアだったのさ」
「えっ、最初のデートがですか?」
「なんでまた?」
「だからさ、そのパーティの時に、私は自分がどれほど慈善に強い関心を抱いているかを、これ幸いとアピールしたわけだ。うまいキッカケだと思って」
「大じいさま、狡いですよ、それ」
「いやいや、そうでもしなければ、そもそもとても初デートになど漕ぎつけられる状態じゃなかったんだから、仕方なかろう?
その結果がデートと言うより、ボランティア活動への参加になってしまったのは誤算だったが、しかも、それ1回じゃなくだ。結局、それから私はフランソワーズと合うたび、あちらの施設、こちらの孤児院と連れ回されることになってしまったのさ」
「殆ど、自業自得ですね」
「確かにな。しかし、どういうわけか、私はそれが楽しかった。あれは子供が好きだったもんだから、連れて行かれるのも何かと問題を抱えている子供のいる所が多かったんだが、それも幸いしたんだろう。私が十代の半ばから棲んで来た世界は、それこそもう食うか食われるかの殺伐とした世界だったからね。そして、若気の至りで財産を積み上げてはみたものの、それが齎したものは茫漠たる"退屈"だった。思えば、その程度で退屈してしまえるほど、何も見えていなかったということなんだがな。広い世界というものも、経済や政治の可能性というものも。私はすっかり、自分の行くべき方向を見失っていたんだ。で、それまでの遊び仲間はみんな、ウィリアムは年端も行かない少女に毒気を抜かれてしまったと、言いたい放題ウワサしてくれたものだったが、私は何かとても重要なこと、つまり、自分がこれから何をするべきかというようなことを掴みかけたような気がし始めていたから気にしなかった。退屈しなくて済む、何かをな」
「それ聞いてると、大ばあさまって凄く偉大だったのかなって気がしてきますね」
「女性は、偉大だよ。だから時として、信じられないような影響力を発揮することがある」
「なんかそれって、究極のプレイボーイの至言って気がするんですけど?」
ランドルフに言われてウィリアムは笑っている。
「そう受け取ってもらっても構わんよ。とにかく、女性無くしてこの世は回らんのさ」
「う〜ん」
「フランソワーズはね、まあ言えば、育ちも気立ても極めて良い"お嬢さん"だったわけだが、その"気立ての良さ"、"純粋さ"というものがハンパではなかった。それこそ、私の毒気をすっかり抜いてしまうほどにな。そのおかげで、より広い世界を見ることができるようになったんだろう。だからと言って、私はこれでけっこう懐疑的だから、慈善事業に盲目的救いを見出すというような単純な方向には走らなかったがね。もちろん、それも意識的に視野には入れるようになったし、後にいくつかの団体を設立することもした。だが、それは私にとってひとつの大きな"ゲーム"の一部だったんだ。分かるかな?」
「なんとなく。ぼくは生まれてこのかた、ずっと大じいさまの側にいますからね。"善いことをしている"という質の悪い自己満足的なことじゃなく、ご自分の楽しみとしてやって来られたということでしょう?」
「そういうことだな。そして、フランソワーズもそうだったんだよ。あれもあれの両親も本当に楽しんでいたね、人の力になれるということを。だから、慈善と言っても、それを"自己犠牲"などとは露ほども思っていなかった。私はそれを、フランソワーズから学んだのさ」
「ルーク博士も、よく同じことをおっしゃってますよね」
「うん、そのようだな。で、それからの私は金というものは、そういうことにも使えるということを考えるようになった。金や、それを生む経済というシステムは、それそのものが純粋な"力"なんだね。そして、"力"は構築にも破壊にも作用するものなんだよ。どちらに作用するかを決めるのは使う者の意志だな」
ウィルはもちろん、もうとっくにそんなことは理解しているが、ランドルフの方もなるほどという顔で頷いている。
「それからは"退屈"などとは言っておれなくなったな。自分には既にその力があって、その使い方次第でいろいろなことができると悟ってからはね。金だけが目的の金儲けは結局、退屈にしか行きつかん。なぜなら、人間はどんな贅沢にもいずれ必ず飽きるからだ。しかし、目的を誤らなければそれも別の意義を持ってくる」
ウィリアムはテーブルの上の冷たいハーブティのグラスを取り上げて一口飲んでから続けた。夕食の席で調子に乗って皆と一緒にワインを何本も開けたので、アンナに食後は飲酒を禁止されたのである。
「するとね、ランディ。ウィルももちろん同じ立場だが、きみもその"力"を受け継ぐべくして生まれついているわけだ。そういうことを、考えてみたことはあるかね?」
ランドルフは、少し考えてから答えた。
「いえ。正直言って、そんなふうに考えたことはありませんでしたね。そもそも、経営や経済をそういうふうに捉えたことが無かったし」
「きみの年ではそれで当然だろうな。なにしろ、私もいいトシになってからやっと気づいたんだから人のことなど言えん。だが、そう考えると、自分の立場も違って見えてくるんじゃないかな?」
「ええ...、確かに」
「もちろん、きみはそれを放棄して別の、もっときみに相応しいと思う道を選ぶこともできる。ウィルにしても、最近まではどちらかと言えば学者になりたいと思っていたようだしな。ただ、誰でもがそういう立場に生まれつけるのではないことも考えてみて欲しい。それにきみは、話を聞けば聞くほどビジネスに向いていると思えてならんのだ」
言われてランドルフは以前、ウィリアムからそう言われた時より遥かに真面目な顔で頷いている。
「ぼくが"何も考えてない"って前にウィルにも言われたんで、あれからいろいろ考えてはいるんです。確かにぼくは人と一緒にあれこれやるのが好きだし、あなたやロウエル卿のような人にも憧れがありますよ。そりゃやっぱり、でっかいことってやってみたいものじゃないですか」
それへウィリアムは笑って言った。
「それそれ、それだよ。"でっかいことをやってみたい"と思うなら、十分に素質ありだ。私もね、十代の頃に飛び出して行ったのは、結局それだったんだと思うよ。そして、若い時は二度ないんだ」
「それはそうなんですけど。あ〜、なんかあなたに乗せられそうだな!」
「大じいさまに言われると説得力あるからさ。もう、この際、自分の立場に甘んじることにしたら?
ぼくも春以来、覚悟決めることにしたし。どうせなら、大学も一緒のところに行こうよ」
「え〜っ、大学まで、またおまえと一緒かよ」
言いながら、ランドルフはまんざらでもない様子だ。
「いいじゃない。引き続き、首席争いやろうよ」
「おまえなあ、今から大学でも首席独走できるつもりとは恐れ入るね」
「当然。それくらいやらなきゃ、面白くないじゃないか。ね、大じいさま。若いんだから」
言われてウィリアムは笑って頷いている。
今も経済や政治に間接的にであれ関わり続けているウィリアムではあるが、既に96歳ともなると昔のように自ら動き回るのを楽しむというわけにはゆかない。それを考えれば本当に若い時は二度ないと思えて、今これからという曾孫たちやランドルフには、思う存分それを楽しんで欲しいと思うのだ。
「でもねえ、大じいさま。それはそれとして、そういうことがあったのなら、大ばあさまって大じいさまにとってはやっぱりすごく大事な人だったんでしょう?」
「それはそうだよ」
「そのわりには、大ばあさまを生涯泣かせたんですよね?」
痛いところを突かれて、ウィリアムは困った顔になった。
「いやまあ、だからだな。それは、フランソワーズがいたから安心して遊べたということでもあるんだ」
「それって、プレイボーイの言い訳に聞こえますよ」
「こらこら。もう大昔のことなんだから、いい加減忘れてくれないか。時効だ、時効」
ウィリアムの困った様子に二人とも笑っていたが、ランディが意地悪く言った。
「ダメですよ。よし、今度はその話、聞かせてもらおうかな。な?
ウィル、聞きたくない?」
「ああ、それぼくも聞きたい。だって、大じいさま。これまでそんな話、全然してくれたことなかったじゃないですか」
詰め寄られて、しばらくウィリアムはどうしたものかと考えている様子だったが、どうやら覚悟を決めたらしい。彼は一緒にこちらに来ている側づきのメイド、リタを呼ぶと、ここのライブラリーにも少しあるはずの昔のアルバムを持って来てくれるように頼んだ。
original
text : 2012.6.13.-6.17.
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