「それでね、おじいさま。ランディがぼくたちを誘ってくれたんですけど、今度、彼のお父さんの研究室にあるテストコースに遊びに行かないかって話が出ているんです」
「テストコース?」
「ええ。ぼくが前にバイクに乗ってみたいって言ったら、テストコースでなら乗せてやれるからって。母や大じいさまには危ないことをしないって約束するならという条件で許可してもらったんですけど、おじいさまにも聞いておかなくちゃと思っていたので」
ファーンとデュアンが着いた初日ということもあって、三兄弟とロベールは揃ってディナーのテーブルを囲んでいた。昨日まではメリルと二人だったので祖父と孫の静かな語らいという風情だったが、子供たち三人が揃うとさすがに賑やかだ。食事はバジル風味の爽やかなトマトスープに始まり、仔ウサギのテリーヌにフレッシュのフォアグラを添えた豪華なオードブルを経て、海老をクール・ブイヨンで煮たものにコリアンダー風味を付けた一皿へと移ったところである。もちろん、どの料理にもそれぞれ相応しいロベールとっておきのワインが選ばれていた。
「バイクか。そう言えば、きみは以前からいずれ乗ってみたいと言ってたな」
「はい。ライセンスを取れる年になったらのつもりだったのに、思いのほか早くチャンスが来て」
「なるほどな。デュアンも一緒に行くのかい?」
「行くつもりです♪
ママもお父さんもいいって言ってくれてるし、あとはおじいさまのOKさえあれば」
「そうか。まあ、せっかくのチャンスだし私も反対しようとは思わないが、ただ、ちゃんと教えてもらって、その通りに乗るんだよ?
無理なことはしないように」
「約束します。じゃ、いいんですね?」
「ん。ただし、十分に気をつけてな」
それへ二人は揃ってはい!
と答えた。
「しかし、研究の邪魔になるようなことはないんだろうね」
「大丈夫みたいですよ。ランディのお父さんも許可して下さってるそうですし、彼も、ぼくくらいの年にはそこでもう乗ってたそうですから」
「それならいいが。ああ、確か春には二人とも、アシュバをマニュアルで運転してみたと言ってたな」
「しました。あれも楽しかったです、ね、デュアン」
「ええ。なにしろアシュバがついててくれるんで、安心して練習できたし」
「バイクと車ではまるで違うが、それならある程度のスピードで道を走ることには多少慣れてると思っていいな。ま、頑張りなさい。報告を楽しみにしているよ」
二人が頷いている横で、ロベールはメリルに向かって言った。
「アシュバというのはね、マーティアの愛車なんだが、かなり特別なヤツでね」
「そうなんですか?」
「この話はIGDでもトップシークレットになっているから、ごくごく僅かの人間しか知らないことなので、きみも聞いたら守秘義務が発生するが、聞くかい?」
「面白そうですね。分かりました、他言しないと約束します」
「よし。一言で言うとアシュバというのはコンピュータ制御の自動走行車両ということになるだろうが、何より特別なのは喋るし、考えるんだよ」
「え...」
「言葉を話す機械は昨今ではそれほど珍しくはないがね。そんな単純なものではなくて、人間を相手にするのと同様に複雑な会話も成立する、と言ったら、その特殊性が理解できるかな?」
「ほんとですか?!」
「ああ。実際、あれは驚異的だね。今、一般に普及しているテクノロジーでは考えられんことだ。自動走行機能はもちろんのこと、会話機能は特に筆舌に尽くしがたい。まるっきり人間と話しているのと変わりがない...、と言うより、どうかすると人間以上かもしれん。なにしろ、人間にはどうやっても知識の限界というものがあるが、アシュバには限界なんてないんだからな。人知の及ぶ限り、ありとあらゆることを"知って"いるわけだから。何より驚きなのは、会話の内容に応じてその知識に的確にアクセスし、利用できること。つまり"考える"んだよ、彼は。信じられるかい?」
「あの、おじいさま。ぼくをからかってらっしゃるわけではないですよね?」
「もちろんさ。それは、この二人が証人だ」
言って、ロベールはファーンとデュアンを指し示した。それに応じて、ファーンが言っている。
「ぼくも、この目で見ていなかったら信じられなかったと思いますよ。でも、おじいさまのおっしゃる通りです。アシュバはルーク博士がヒューマノイド用に研究してらした特殊な言語認識システムを搭載していて、それが従来のものとは全く違うんですって」
メリルは相当感心したようで、へ〜え、と言って続けた。
「でも、そう言われてもなんかそもそも、想像すらつかない感じだな。しかも、自動走行車両っていうことは、ドライヴァーなしで動くってことでしょう?」
「そうだよ。最高速は、確か時速400キロを超えるそうだな」
「ええ、そう聞いてます。もちろん、マニュアルではそんなスピードとても出せませんけどね」
「400キロ!
それで、自走するの?!」
「するらしいんですよ、これが。さすがに、ぼくたちもそれを実体験したいとは思いませんでしたけど」
「ああ、それはそうだろうね。ぼくだって、そんな勇気ないよ。だけど...、ねえ、おじいさま。ぼくはそういう方面って全然疎いんですけど、自動走行車両の研究って、もうそこまで進んでるんですか?」
「いや。一般にはまだまだ研究中で、実用に供せる段階ではない。ああいうことができるのは、マーティアならではだな。あの子とアリシアとは長いつきあいだが、私の目から見ても、あの二人に匹敵する天才なんて他にただの一人も存在していないと思う。あれはもう、科学者と言うより魔法使いだよ」
祖父の冗談に三人とも笑っている。
「まあ、大昔には、それは同義語だったわけだがね。ともあれ、アシュバは外見は優雅なフェラリながら中身はそういう車なのさ。機会があれば、いつかきみにも引き合わせてあげよう」
「ええ、ぜひ」
「ただし、秘密にするんだぞ」
言ってロベールが口のところで指を一本立てて見せたので、メリルは生真面目に頷いている。
そんな話をしているうちに皆、海老の皿は平らげてしまい、一休みにソルベが運ばれてきていた。キレイに盛り合わせられたレモンとグレープフルーツのシャーベットだ。爽やかに香るミントの葉も添えられている。
「それにしても、そのランドルフくんは、ずいぶんきみたちと仲がいいようだね。いろいろと誘ってくれるようだし、つい今しがたも別荘に招待されていたばかりだというのに」
言われてみるとここのところぼくたち、よくランディと一緒にいるよねとふと気づいて、ふいにファーンは自分が彼に特別の興味を持たれているということを思い出した。とは言え、毎度ランドルフはからかい半分で口にするばかりなので、ファーンにとってそれはふだん忘れていられる程度のことでしかない。そもそも、彼が本気でそんなことを言っているとは、どうしても信じられないのである。しかし、それを考えるとあれこれ誘ってくれるのも、それと関係あるのかなという気がしないでもなかった。ともあれ、そんな話を祖父にするわけにもゆかないので、ファーンはあたりさわりなく答えておくことにしたようだ。
「そうですね。実は、ウィルとはうんと子供の頃から親友どうしだったそうなんですけど、いろいろあって一時期、疎遠になってたんですよ。それで...」
言ってファーンはランドルフが家庭の事情でしばらくグレていたこと、元々、ウィルと張り合うくらいの秀才だったのに、おかげで問題児の劣等生というレッテルを貼られて長いこと、そして、自分と彼が知りあうきっかけになったことや、その後の経緯などをかいつまんで説明した。それらを聞いて、ロベールは笑っている。
「なるほど、それはウィリアムが好きそうな人材だ」
「おじいさまも、そう思われますか?」
「うん。彼も若い頃は、あれでやりたい放題の破天荒三昧だった人だからな。それもあって、昔から元気のいい若い者がとても好きなのさ」
「大じいさまもこの前、自分のことを"放蕩者"とか言ってらしたんで、ぼくもウィルもちょっとびっくりしてたんですけど、やっぱり本当にそうだったんですね」
「ああ。きみはウィリアムがうんと若い頃、オイルマンだったことを知ってるだろう?」
「はい、聞いたことがあります」
「クロフォード家は先々代の頃にはもう、ビジネスの世界でかなりな成功をおさめてはいたが、規模は今よりずっと小さかったんだよ。そして、あの人はおとなしく親の後を継いでそれなりの経営者に収まるには天才すぎた。そういうのは退屈で仕方なかったんだろう。で、当時は、まあ、若い者が一発当ててのし上がろうとするなら、オイル以上の博打はなかったわけさ。だが、彼の場合、名門クロフォード公爵家の跡取りという立場だったろう?
それが山師の真似ごとなんかというわけで、お父さん、つまり先々代に猛反対されたらしくてな。それで、殆ど家出同然で単身、中東に乗り込んで行ったのが、確か十代の半ば頃のことだったはずだ」
ファーンの曾祖父のことはこれまでに何度も話に出てきているからメリルもよく知っている。デュアンは"ファン"と言うほどだし、それで三人とも祖父の言うのに興味津々の様子だ。
「それで、どうなったんですか?」
デュアンに促されて、ロベールは続けた。
「彼がクランドルに戻って来たのは、その四年後だったと聞いている。私が聞いた話では、先々代は八方手をつくして探された挙句、その頃にはもう息子のことは諦めたと公言なさるほどだったそうだよ。それが帰って来たのはいいんだが...」
「大鉱床を見つけられたんですよね」
ファーンの言うのへ、ロベールは大きく頷いた。
「そうだ。つまり、大成功して帰ってきたわけだな。彼が無事戻ったことそのものはご両親も喜ばれたには違いないだろうが、なにしろウィリアムも当時、まだ二十歳そこそこだ。それが自分の家を凌ぐほどの億万長者になって帰国したんだから、若いだけに大天狗だよ。おまけにオイルだけではなく、あの天才的なビジネスセンスを生かして多方面の事業にも進出、次々と成功に継ぐ成功ときてはな。天狗になるなと言う方が無理だったかもしれん。でまあ、金にあかせてやりたい放題」
「あ、じゃあその頃のことかな。大じいさま、この前、"父から廃嫡の憂き目を賜りかかる場面もあった"とか言ってらしたんです」
ロベールは笑って頷いている。
「さもあろうな。いや、私も話に聞くばかりで本当のところは知らないんだが、後のウワサだけでも伝説的だったんだから、相当なものだったのは確かだろう。で、また先々代というのが名誉を重んじる方だったようで、そうなるとそれくらい腹を立てられたということは十分にありうる。なにしろ、結婚するまで、その調子だったらしいから。それを考えるとファーンの大おばあさまは、かなり素晴らしい方だったということだろうね」
「でも、大じいさまは、それでも大ばあさまのことを散々泣かせたって、未だにうちのおじいさま怒ってますよ」
「ああ、それはなあ。どういうものかな。私は自分がこうだから、そのへんの心理はよく分からんのだが、彼にしても、それからディにしても、これと思う女性が目の前に現れると見過ごせんもののようだな」
「前にね、ぼくも不思議に思って大じいさまに聞いたことがあるんです」
「ほお?」
「そしたら大じいさま、あ、この話、前に兄さんにはしましたよね」
「ああ、うん。聞いた聞いた。確か、"キレイな花にもいろいろあるように、女性にもいろいろ別な魅力を持ってる人がいて"っていう?」
「そうです。だから、それを"結婚しているからと言って無視して通り過ぎるのはなかなか難しかったんだ"って」
「う〜ん。しかし、そういうものなのかなあ」
首を傾げているロベールに、デュアンが言った。
「おじいさまは、おばあさまだけを愛してらしたんですもんね?」
「まあ、そういうことだ。私にとって、ビーチェは唯一無二の花だったからな。人それぞれとは言え、私には妻を泣かせるなど考えられんよ」
この話の流れには子供たち三人にも三様の思いが引き起こされたようだ。メリルは、おじいさまのように唯ひとりと思えるような女性が、いつかぼくにも現れるといいなと思っているし、ファーンはファーンで、それも素敵だけれど、大じいさまやお父さんのように素晴らしい女性と次々出会うというのもロマンだなぁなどと考えている。そして、デュアンはと言えば、彼の場合、只今現在において片思い進行中。しかも口に出しては決して言えない道ならない恋に悩む真っ最中なのである。それを改めて思い出し、ぼくってもしかしてかなり悲惨?
などと思ったりしていた。
「えらく話がそれてしまったが、ウィリアムにとってはそのランドルフという子は、自分の若い頃を思い起こさせるところがあるんじゃないかな」
「かもしれませんね。それにランディって、ぼくはこれまでその"問題児"っていうイメージを鵜呑みにしちゃって、本当のところがちゃんと見えてなかったみたいなんですけど、この前、大じいさまと話してるのを横で聞いてて、思ってたよりずっといろいろ考えてるっていうか、ホントに"ウィルと張り合うような秀才"だったんだなあって。何故、ウィルがあれほど交流を取り戻したがってたのかも理解できました。おまけに最近、ウィルと首席争いするくらいまで成績も戻してきちゃったし。まだ、一部の教科だけですけど、そのうち全面的に復活しそうな勢いなんですよ」
「ほ〜お。それはますます面白そうな子だな。私も会ってみたくなってきたよ。そうだ、今度こっちに来る時には、その子と、それにウィルくんも誘ってみないか」
「え、いいんですか?」
「ああ。きみたちが世話になっていることでもあるし、来年と言わず、私はいつでも構わんぞ」
「分かりました。なら、絶対連れてきます」
話しているうちにも食事は進んで、メインには小鳩のトルテにバターとトリュフのソースを合わせたものが出て来た。くるみのドレッシングをかけた色彩豊かな野菜サラダも添えられている。さすがにラファイエット屈指の美食家でも知られるロベールの誇る料理人の腕は今夜も冴え渡っていて、子供たちはみんなどの皿にも大満足しているようだ。そして肉が終わると今度はチーズだった。運ばれてきた大きなワゴンには、ほどよく熟成した様々なチーズが二十種類ばかり並べられている。皆が好きなものを選んでアルベールに切り分けてもらっているのを眺めながら、ロベールが言った。
「で、彼の別荘ではどうだったんだ?
二人ともダイビングやヨットで遊べると言って張り切ってたじゃないか」
「ええ。今回ぼくたち、ダイビングはまだ二度めだったんですけど、ランディも詳しかったし、それにその別荘を管理してらっしゃるパディントンさんがベテランのダイバーなので、いろいろ教えてもらえて、またかなり上達しました。ね、デュアン」
「そうなんですよ。それで、今度はぜひ、オーストラリアで潜ってみようって言ってたんです。
兄さんは、春に行った時から次は絶対潜りに来るって誓ってたけど」
「そうそう。それも来年の課題なんだよね」
「うん。それでね、おじいさま。ランディんちでお好み焼きパーティもしたんですよ。もお、これが楽しくて」
「お好み焼き?」
「そうです。ぼく、ママと日本に行ってたじゃないですか。そこで仕入れてきたネタなんですけど、お好み焼きって日本の庶民的メニューっていうか、ごくふつーに食べられてるもので、すっごく美味しいんです。それでぼくがその話したらランディが作ってみようって言い出して、それでママにレシピ聞いて」
「あ、それぼく食べたことあるかも」
ふいに思い出して言ったのはメリルだった。
「前に母さんと日本に行ったことがあって、その時に食べさせてもらったアレじゃないかな。小麦粉を溶いたものに野菜とか肉とか入れて焼くんじゃない?
けっこう美味しかったんで、印象に残ってるんだけど」
「そう、それそれ、それです。おじいさま、食べたことあります?」
「いや。話には聞いているが、私はないように思うなあ。日本には何度か行ってるんだが」
「じゃ、一回作ってみましょうよ。レシピ分かるし。でね、最初はこう小じんまりとふつーサイズのを作ってたんですけど、広島焼を再現してみようということになって、それでまたランディが何でもかんでも具を入れちゃうもんだから、こ〜んな巨大なお好み焼きが出来ちゃって」
「あれは、すごかったよね」
「すごかったし、焼くのも大変だった。ひっくり返らなくて」
「でも、美味しかったよ」
「ほお、じゃ、明日にでも作ってみるか。どうだ、メリル」
「いいですね。食べたいです」
「あっ、そうそう。ぼく、日本土産のお菓子もいっぱい持ってきてたんだ。あれも出さなくちゃ」
デュアンのはしゃぎように、ロベールは笑って言った。
「その様子だと、デュアンは日本もかなり気に行ったようだな」
「気に入りましたよぉ。もう、今から次いつ行くか計画してるくらいですから。そうだ。向こうでね、峰岸さんにお会いしたんです。おじいさま、知ってらっしゃるでしょう?」
「峰岸と言うと、峰岸達哉くんのことかな?」
「そうです」
「知ってるも何も、長年、親しい友人の一人だよ。そうか、彼と会ったのか」
「はい。ママとも知り合いで、その関係で京都をあちこち案内して下さったんです」
「それは良かったな。彼なら、いろんな所をよく知っているから」
「ええ。清水焼の窯元とかも見せてもらって、今度はぜひ、焼き物を作る体験会にも参加してみたいと思ってるんです」
「そうか。それは有意義な旅になったようで何よりだ。そうだな。そういう話を聞いていると、一度、みんなで旅行してみるのもいいかなという気がしてくるね。どうだ?」
ロベールの提案に三人とも口々に賛意を表している。
「よしよし。じゃ、どこに行きたいか、おいおい相談しようじゃないか。みんな、よく考えておきなさい」
チーズの後にはクレープ・シュゼットがテーブルのすぐ側で調理されて供された。その後は、仕上げのアイスクリームだ。カシス、チョコ、バニラ、メロンの4種類が、フルーツのコンポートと一緒にキレイに皿に盛り付けられている。
食事が終わるといよいよ、かねてからお約束のチェス合戦が始まることになっていた。さて、今年は三兄弟のうち誰かが祖父に打ち勝つことができるものかどうか。ロベールは今年は勝った者には、何か賞品を出してやろうと密かに考えているが、勝者が出るかどうかはまだまだ分からないところだ。
original
text : 2012.5.27.-5.30.
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