その夜はアンナも加わって、ウィリアムの居間の近くにあるこじんまりとした部屋で円卓を囲んでのディナーとなった。以前、デュアンが遊びに来た時、ランチを一緒にした部屋だ。ランドルフのことはファーンから聞いてアンナも興味を持っていたらしく、話は彼が春にやっていたアルバイトのことや家族のことなどにも及んで途切れることなく楽しげに進んでいる。美人で人当たりの良いアンナのことを、ランドルフの方でも随分と気に入ったようだ。
「じゃ、あなたが学校にいる間は、お父さまはおひとりなの?
お寂しくないかしら」
「全然ですよ。あの人こそ、母がいた頃から研究室に寝泊まりすることの方が多かったくらいで、今ではますます不精になって、ひと月に2、3回家で見かければいい方なんですから。そのぶん叔父が四六時中寄ってくるんで、それはそれで賑やかというか、うるさいというか」
アンナはそれに、笑って言った。
「でも、話を聞いていると楽しそうな叔父さまね」
「いや、もうハタ迷惑なだけです」
そういう家庭環境も、ランドルフにはもう全く苦になるようなものではないらしく、その答えには何の淀みや拘りも無かった。横から、ウィリアムが言っている。
「きみの叔父さんというと実業家としてはなかなかの手腕で、以前から聞く名前なんだがね。さすがに身内のこととなると話は別、ということだろうな」
「自分に子供がいないもんだから、ぼくに理不尽な夢を抱いてくれちゃって」
「いやいや、いい叔父さんじゃないか。きみの言うのを聞いていると、お父さんは技術畑の人のようだから、事業の方は主に叔父さんがやって来られたんだろう?」
「ええ」
「そうすると、甥にそのくらいの夢を抱くぐらいは許してあげなさい。あれだけのものを一代で築き上げれば、身内に継がせたいと思うのは人情というものだよ」
「まあ、それはそうなんですけど」
「それに、さっきも言ったが、きみもこの際、経済の方に進むというのも真面目に選択肢として考えてみてはどうだね?
他に望みがあるのなら仕方がないが、私は面白いと思うぞ」
「そうですねえ...」
それへウィルが口をはさんだ。
「だいたいね、きみって、そもそも今まで自分の将来について、真面目に考えたことなんてあるのかい?
何になりたいとか、何がやりたいとか」
「う〜ん...」
「ほら。なんだかんだ言って、ホントはまだなんにも考えてないんじゃない。ぼくもきみがシンプソン・グループを継いで経済界に入ってくれるんだったら、きっと面白いことになると思うんだけどな」
「はいはい。じゃ、それもこれから真面目に考えますよ」
「本当に行き当たりばったりだよねえ、きみって」
「それがいいとこだと自分では思ってるんだけど?」
ディナーはそろそろ中盤に入りつつあり、魚料理の後、一休みのソルベが運ばれて来ていた。
「そうそう、それでな。さっきから思っていたんだが、ランディ、きみはちょっとアレクと似た所があるように思うな」
「え?」
言われて、咄嗟には誰を思い浮かべられているのか分からない様子のランドルフに、ウィルが言った。
「ロウエル卿のことだよ。ついこの前、うちに来て下さって、それ以来、大じいさまは前にもましてロウエル卿びいきになっちゃっててね。そう言えば、確かにきみって雰囲気似てるかも」
「そうかな」
「マーティアが言ってたじゃないか。アレクはけっこう大雑把でアバウトだが、それで回るものは回るところが彼らしいと」
「そうでしたね。あ、でもそれって、もしかして大じいさまもそうなんじゃありませんか?」
ウィルの言うのへ、アンナが笑って同意を示した。
「そうそう、おじいさまもそうなのよ。私はこの前、彼って昔のおじいさまに似ているかもと密かに思っていたの」
「ほお、それは嬉しいね。私はあんなにハンサムだったかね」
「また、おじいさまったら」
「あれ?
ウィリアム、あなたってお若い頃は空前のプレイボーイだったって聞いてますよ?
叔父もそう言ってたし」
「大昔のことだ、大昔の。話半分に聞いておいてくれ」
そこで、それまで聞き役に回っていたファーンが口をはさんだ。
「でも、ねえ、大じいさま。実業家ってそういう人の方が向いてるのかしら。ロベールおじいさまも、わりとアバウトだってお父さんが言ってましたよ」
「ああ、ロベールはああだからな。いや、しかし、そうと限ったものではないさ。こんなものは十人十色と言ってな。アルバート...、あ、私の息子でウィルたちの祖父だ。あれも、リチャードもどちらかと言えば几帳面な方だぞ。私を反面教師にして育った反動かもしれんがな」
それに笑いながらウィルが言った。
「前にルーク博士が言ってらしたんですよ。どんな人間にも出来ることとできないことがあるものだから、自分に欠けていると思う部分を補ってくれる人を見つければいいんだって。ぼくも、昔から自分が事業に向いてるとはとても思えなくて、それでうちの跡取りっていう立場が重いなあと思ってたんだけど、それですっかり気が楽になりましたね」
「ほお、さすがマーティアだな。いいことを言う」
「ルーク博士ご自身でさえそうなら、もう、ぼくなんて回りに頼りまくっちゃいます」
「大いに結構。確かにな、大きな事業というものは一人でやれるようなものではないんだ。人間には皆、向き不向きということがあるし、やろうとすることが大きければ大きいほど、何より大切なのは陣を整えることなのさ。それを考えれば、確かにIGDはそれが見事に整っているな。アレクとマーティアの布陣なのだろうが、私が知っている部分だけ見ても、各方面の人選が見事だ」
皆、ウィリアムの言うのへ納得顔で頷いていたが、ふと気づいてランドルフがファーンに言った。
「そう言えばこの先、経済の方に進むのはウィルだけじゃなくって、ファーンもなんだよな。シャンタン伯爵の後を継ぐんだろ?」
「そういうことになってるんですけど、ぼくはまだまだ底が浅いようですから」
「は?」
「おいおい、どうしたんだね?
ファーンらしくないぞ」
「だって、大じいさま。やっぱりぼくも、この先もっと世間を見なくちゃいけませんよね?」
「それはな。だが、まあ、まだおまえの年なんだから」
「だけど、ぼくも夏休みに少しアルバイトしてみようかなって」
「ああ、それはぼくも前から考えてた。ランディの話聞いてると面白そうだし。どう思います?
大じいさま」
「それは、やってみたいのなら構わんよ。な、アンナ、どう思う?」
「ええ、そうですわね。私もいいと思いますけれど、ただ、ウィルはもう十七ですからいいとして、ファーンが人さまのお役に立つかどうか」
アンナは何気に言ったのだが、母にそう言われて内心ファーンは再びガ〜ンときていた。そうか、ぼくってまだまだ"役立たず"だったのか、と初めて気づいたからだ。以前、ローデンでロベールの部下、フレデリクにいきなりつっかかって来られた時のことまで思い出して、確かにこれではああいう反応が出ても当然だったかもと改めて悟っている。フレデリクから見れば、ぼくなんて役立たずのハコ入りお坊ちゃまにしか見えてなかったんだろうなとも思った。しかし、一方でウィリアムはさすがにフォローに回ってくれた。
「そんな心配をすることはないさ。ファーンはこれで年齢以上によく物事を知っているし、きっと何かできる仕事があると思うよ。何より、やってみようというのが見どころのある証拠だ。とは言え、夏は二人とも忙しいんじゃないのか。ファーンはまた、ローデンに行くことになっているし」
「ええ、そうなんですけど」
「あ、そうだ。夏と言えば、ランディがぼくたちを別荘に招待してくれてたんですよ、大じいさま」
「おや、そうなのかね」
言ってウィリアムはランドルフの方を見た。
「ああ、ええ。春にウィルがモーターボートの操縦を習って、これから免許を取るって言うし、ファーンもダイビングをやるって言ってましたからね。うちの別荘は海の側で、どちらも楽しめますから」
「それは有難う。なら、二人とも楽しませてもらって来なさい」
二人が嬉しそうに頷く横で、ウィリアムが言っている。
「代わりと言ってはなんだが、ランディ、実は、私は身体のこともあって夏は3カ月ばかり別荘に避暑に出るんだよ。その間、子供たちもヒマを見て私のところに来ることになっていてな。良かったらウィルたちが来る時にでも、一緒に遊びに来ないか?」
ランドルフは、もうすっかりウィリアムのことが気に入っていたので、喜んでその招待を受けた。
「有難うございます。ぜひ」
それへウィリアムも嬉しそうに頷いている。
そんなこんなでディナーの後も話題が尽きないような様子だったので、皆はまたウィリアムの居間に戻ってディジェスティフを楽しみながら話を続けた。それで、ランドルフが帰途についたのは、もう十時を回ってのことだ。ウィリアムとは居間で夏の再開を約束して別れたが、ウィルとファーンはエントランスまで見送りに出てくれた。もちろん、外では曇りひとつないロールスが、当家の長老が招いた大切な客を送るために待機している。
「それにしても、驚いちゃったよ。きみが、未だにあんな話し方が出来たなんてね。優等生な口ききのランディって今となってはけっこうヘンかも。乱暴なモノ言いに馴れちゃったせいかな」
ウィルの言うのへファーンも、ぼくも驚きましたよと言って頷いている。
「ヘンで悪かったな」
「でも、覚えてたんだねえ、あんなマトモな喋り方」
「おまえんちのじーさんがあんまり迫力なんで、思わず出ちまっただけだ。全く、ビビったぜ。あれで本当に九十代かよ」
「へえ。大じいさま、いつも通り、にこやかだったと思うけど、やっぱりきみってそういうことが分かるんだ」
「当り前だろ?
こっちは、おまえらみたいなハコ入りお坊ちゃんと違って、それなりケンカも場数踏んでんだ。相手がどのくらい強いかくらい、見分けられなくてやってられっか」
「あれ?
そのわりには、ぼくに絡んで来たときには...」
「それは、言うな。あの時は、おまえがあんまり見た目と違ったんで、調子狂っただけなんだよ。とにかく、あれはもうシーラカンスどころの騒ぎじゃねえ。どうかするとティラノだぜ。おじ貴の忠告、先に聞いといて助かった」
それにウィルは大笑いしている。
「あんなじいさんが家の中にいたんじゃ、ファーンやおまえの得体が知れなくなっても不思議はないよ」
言われてウィルは笑いやめ、意外そうに尋ねた。
「ぼくが得体が知れないって、なんで?」
「古い血筋は恐いってこと!
おまえのそのぽや〜っとして穏やかなとこだって、どこまでホントか疑わしいもんだな」
「それは、濡れ衣だよ。ぼくは、全く見た目通りだから」
「どうだか。まあ、ともかくさ、今日は楽しかった。ウィリアムにも、そう言っといてくれ。いろいろと有難うございました、ってな」
「うん、伝えておく」
「それから、二人とも今度はうちにも遊びに来いよ。そうそう、夏休みは絶対だぜ?」
「もちろん」
「あ、デュアンからも絶対行くって、あなたに伝えておいてって言われてたんだっけ」
「そうか。他にも二、三人声かけてるし、なら、後はスケジュール調整だけだな」
「ええ」
「大じいさま、きみのこと本当に気に入ったみたいで楽しみにしてるし、きみこそぜひこっちにも遊びに来てよ」
「ああ、行くよ。おれも、もっと彼とは話してみたいから」
言いながら歩いているうちに、三人はエントランスに着いていた。外に出てポーチの広い階段を降り、ショーファーが恭しくドアを開いてくれた車に乗り込みながら、ランドルフは、じゃ、また学校で、と言った。二人もそれに頷いている。ドアが閉じられ、それがゆっくりと門に向って遠ざかってゆくのを見送ってから、二人は屋敷の中に戻って行った。
一方、車に乗ったランドルフの方は、切っていた携帯を繋いで何かメッセージがないか確認しようとしたのだが、その途端に着信したので、おっと、と思いながら電話を繋いだ。聞こえて来たのは、家政婦のメリッサの声だ。メイドは他にも沢山いるが、メリッサはランドルフが生まれた頃からシンプソン家にいて彼にとっては乳母のような存在な上に、そろそろ六十代ということもあって、かなり遠慮なくビシバシ言いたいことを言ってくれる。
― 坊ちゃまですか?
「うん、おれ。何?」
― 何?
じゃありませんよ。先ほどから何回かけたと思ってるんですか。とにかく、叔父さまを、なんとかして下さい。もう、うるさくって
「おじ貴がうるさいのは毎度のこったろ?
今更、驚くようなことか?」
― 違いますってば。今日のことでもう、"パニクりまくって"らっしゃって、夕方から十分と空けず、こちらに電話をかけて来られるんです。ランディは帰ってきたか、って
「おれんとこへかけろって言えよ」
― 言いましたよ、何回も。でも、切ってらっしゃったんでしょう?
「そりゃ、礼儀だ。人さまんちに招待されてんだから」
― あらま。坊ちゃまの口から今更"礼儀"なんて言葉が聞ける時が来ようとは
「だーかーらー、なんで、おじ貴はこっちにかけて来ないんだ?」
― かけてらっしゃるんですよ。ただ、繋がらないので
「全く、仕方ねえな。分かった、分かった。今からかけるよ」
― お願いしますよ
ランドルフは、へいへい、と答えてから通話を切り、それから叔父のところへかけ直した。着信音が鳴る鳴らないのうちに受話器が上がったのには、さすがに呆れ返っている。
― メリッサか?!
ランディは帰って来たんだろうな
「違うよ、おれ」
― お、ランディか?!
それでおまえ、どうだったんだ?
何も失礼なことはしなかったろうな
「大丈夫だよ、心配すんな。今、送ってもらって帰るとこ」
― そうか?
本当に、本当なんだろうな?
「本当だってば。なかなか面白いじーさんだったぜ。なにしろ、ウィリアムは...」
― バカもの!
呼び捨てにするヤツがあるかっ
「だ〜って、本人がそう呼べって言うんだもん、いーじゃん」
― なにっ?!
「だからさ、ウィリアムは夏は別荘で避暑なんだってさ。それで、おれにも遊びに来いって」
― なにぃっっっ?!?!?!
「ご招待下さったってこと。な?
安心したろ?
だから、何も心配しなくていいんだよ」
言われて叔父は相当に半信半疑な気持ちになったらしく、絶句状態で言葉が出て来ないようだ。
「ウィリアムとは、すっかり意気投合しちゃってさあ。おれのバイトの話したら、感心感心、大いにやれって」
― バイト?
おまえ、まだそんなことやってたのか?
「だからさ、おじ貴もちっとは彼を見習えよってことだよな。おれたちみたいな環境に生まれると外のことが分かんなくなりがちなんだから、子供にはもっと世間ってもんを見せるべきだっておっしゃってたぜ、神さまは」
言われて叔父は言い返せなくなったようで、う〜むと唸って黙りこんでいる。
「とにかく、そういうことだから。安心したら、さっさと寝ろよ。もうトシなんだからさ」
― うるさいわい
「切るぞ」
― あ、おい、ランディ
それ以上は構わずに、ランドルフは通話を切った。それから、他のメッセージを確認していたが、それが終わると、静かになった車内でふと何かの考えに捉われたような顔をしている。
確かにウィルの言った通り、自分が将来何をしたいかについて、これまで特にこれといった考えのなかったランドルフである。しかし、そろそろ大学進学について、真面目に考えなければならない時期には来ていた。一応、大学には行くつもりだったが、それは漠然とであって何を学ぶかについて決めていたわけではない。何か特に好きな道があるというわけでもないし、また、逆に絶対に経済の方へだけは進みたくないというような格別の理由があるわけでもなかった。ただ、ものごころついた時から、あまりに回りから"シンプソン・グループの後継者"などという烙印を押されて育ったものだから、避けよう避けようとしていたのはそれがうっとおしかったというだけのせいだろう。それから逃げ回って何年も来ていたおかげで、返って今では客観的に自分が何をしたいかという観点から考えることができるようになっている気もする。そうすると、ウィリアムが言っていたように、そっち方面に進むのも面白いかもなあ、という気もして来て、そのせいで、特に夏は、彼にもっといろいろなことや、若いころの活躍について聞いてみたいと思い始めていたのだ。
粛々と進んでゆくロールスの窓から、煌々と月明かりが注いでいる。その中で珍しく物思いに沈んだ彼の顔は、いつものお茶らけた問題児のそれではなかった。それは、ウィルなら昔から知っている、彼の親友の本当の顔だと言って良かったかもしれない。他の子たちに比べてけっこう長い間、学業なんかおろそかにしまくっていたし、授業はサボるわ、バイトには明け暮れるわ、従って、大して勉強に時間を取っていたわけですらないのだが、本気で成績を戻し始めてからこっち、今既にいくつかの教科でウィルの主席独走を阻む唯一の存在に復活しつつある。それが、本当のランドルフ・シンプソンだとウィルなら言うだろう。もちろん、自分の主席が脅かされるなどという事態はウィルにとって楽しいだけで、ますます頑張らなくちゃと張り切るところがウィルのウィルたる所以である。そして、だからこそランドルフにとっても、彼は"親友"という称号を与えるに値する人物なのだ。
親父はああだし、おじ貴もアレだし、さて、この先どうしたもんかなあと思いながら、ランドルフは深い溜め息をついている。
original
text : 2012.2.23.-3.1.
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