「じゃ、今日はお父さまが迎えに来てくれるの?」

「うん! 用があってこっちに出てくるから、お茶でも飲んで一緒に帰ろうって♪」

いつもの仲良し三人組で学校の門を出て来ながら、デュアンはエヴァの質問に嬉しそうに答えた。それへエヴァが首を傾げながら言っている。

「ふうん。でもなんか、モルガーナ伯爵ってイメージ違ってきたかな」

「そう?」

デュアンが言うと、エヴァの言うのへ頷きながら横からデイヴが口を挟んだ。

「なんだかなあ...。彼って、間違っても"息子とお茶"ってイメージじゃないよな。絶対に"美女とお茶"のイメージだろ? そもそも、家庭的雰囲気とは無縁の人だったもんね」

「そうそう。かつては、そうだったのよ」

「それはそうかも。でも、今日はアイスクリームも食べに行くんだ。ぼくがバッファローズに連れてったげるって約束してて...」

デュアンは何気なく言ったのだが、これに対する二人の反応は激烈なびっくり仰天だった。

「えーっっっっ、うっそだあ」

「おまえ、さすがにそれは冗談キツいだろ? なんで彼が、ファミリーと子供の殿堂バッファローズなんだよ? 信じられねー」

「だって、お父さん食べたことないっていうんだもの。それはクランドル国民としてちょっとどうかと思うし」

「だからって、連れてくなよ。何考えてんだ、おまえ。そんなことしたら、間違いなく明日の三面トップだぞ! 絶対!フォーカスされて、ネット中を驚愕の情報が駆け回るぞ! 今年最大のスキャンダルだぞ!」

「ファンが泣くわね」

「いいじゃない、人妻じゃなくて実の息子と一緒なんだから。さすがにフォーカスはされないでしょ」

「人妻の方がまし!」

「もお、そんなのイメージ崩れまくりよっ」

「あれ? エヴァもファンだったの?」

「このクランドルで、彼に憧れてない女の子なんていないわよ」

「でも、お父さん、アイスクリーム食べるの、楽しみにしてるよ? 」

「やめて〜」

「どーにかしてくれ、この親子!」

二人がパニクっているのに笑いながら、デュアンは、でも、連れていく! と高らかに宣言した。

「だからさあ、前にも言ったけど、お父さんってそういうヒトなんだよ。まあ、あの見た目だから、黙ってればそりゃ、超美形のクールなプレイボーイだけど、その実、何でも面白がる人なんだな。そうそう、バッファローズと言えば、今度おじいさまもこっちに来たら連れてったげる約束してるんだ」

これにはとことん呆れた様子でエヴァが言った。

「もしかして、モルガーナ伯爵家ってそういうところなの?」

「実は、そう!」

「ってゆーか、おまえが"そういうところ"にしてなくない?」

ディヴに言われてデュアンはちょっと考え、う〜ん、ある意味そうかも、と答えた。

そんな話をしながら三人が角を曲がって歩いてゆくと、ちょうど通り向こうで深いブルー・メタリックの流麗なマセラーティが車の流れを離れて道路脇に寄り、停まろうとしているところだった。デュアンはすぐに、それが父のものであることに気づいたようだ。待ち合わせの見当をつけていた場所でもある。

「あ、お父さんだ!」

そう言って二人を振り返ると、じゃ、また明日ね、と手を振って見せ、タイミングよく青になった横断歩道を駆けて、向こう側へ渡って行った。二人もそれに手を振って見送っていたが、ディが車のドアを開いてデュアンを乗せるのを見ながらエヴァが言った。

「ま、何はともあれ、良かったわよね、デュアン。あんなに素敵なお父さまがいて」

「だな」

そのままマセラーティが走り去るのを眺めながら、しかし、エヴァには何がなし淋しそうな様子がないでもなかった。もちろん、エヴァもデイヴと同じようにデュアンに立派な父があったことについては、デュアンのために良かったと思っているし喜んでもいる。しかし、彼に密かに恋する少女としては、このところ"デュアンが次のモルガーナ伯爵になる"という事実が少しばかり重いのだ。なにしろ、モルガーナ伯爵家と言えばクランドルでも名門中の名門。そんなところの後継者ともなれば、いずれお嫁さんになるヒトだって、それなりの家から選ばなきゃならないよね、と思うからである。これはディとモルガーナ家の実態をまるで知らないエヴァには当然の考えだったが、今どきのことでもあるし、もしデュアンがいずれ自分で選んだ女性なら、ディもロベールもその結婚を無闇と反対するなどということはしないだろう。少なくとも、相手の家柄などという本人に責のないことで反対することはまず在り得ない。

マセラーティが通りを曲がって見えなくなると、二人はまた肩を並べて話しながら歩いて行った。一方、車に乗ったデュアンの方は、助手席でディに言っている。

「ねえねえ、お父さん。どうするの、バッファローズは?」

「その前に寄って行きたい所があるんだ。近くに車も停められるところがあるし」

「どこ寄るの?」

「靴屋とジュエラー」

「って、なんで? 買い物?」

「靴はきみのね。ちょうどいい機会だから、この前作ったスーツに合いそうなのをいくつかオーダーしておこうよ。欲しいって言ってたろ?」

「ほんと?!」

「うん。ぼくがよく作ってもらう店があってね。きみも覚えておくといいよ」

「はい! で、ジュエラーって?」

「カトリーヌの誕生日が来月だよね?」

「あ、うん、そう!」

「まだ間があるうちに、見当つけておこうかなと思って」

「ママにプレゼント?」

「そういうこと。ぼくもだいたい分かるけど、きみなら彼女の好み、よく知ってるからさ。見立ててくれないかな」

「おお、それなら任せなさ〜い♪ママが狂喜乱舞するようなの、選んであげる」

「頼りにしてるよ」

言いながらディは車のスピードを落とし、左折して通り沿いの地下駐車場へのスロープを降りて行った。この辺りは所謂"目抜き通り"で、通りの両側にハイクラスなショップがこれでもかというほどそれぞれに華やかな店構えを競っている。二人は車を降りると地上に上がり、そこから2、3軒離れたところにあるローランという紳士靴の専門店に入って行った。ここは既製品も扱ってはいるが、革から選んでオーダーできることでも有名な老舗で、この場所に店を構えて百数十年の歴史を誇るクランドル紳士諸君の御用達的存在でもある。

繁華な通りからシックな内装の店内に一歩入ると外の喧騒は遠いものになり、快い香と微かな革の香りに包まれる。それほど広い店ではないが品揃えは一級で、奥には工房が見えた。二人が入ってゆくと、すぐにそれがモルガーナ伯爵であると認めて、古なじみのオーナーが出迎えてくれた。

「ようこそ、伯爵」

「やあ」

「今日は、坊ちゃまとご一緒で?」

「そう。デュアン、彼はレオナルド・ローランといって、この店のオーナーで腕のいい靴職人でもあるんだ。きみのひいおじいさまの頃から靴と言えばここなんだよ」

デュアンが、こんにちわ、と挨拶すると、レオナルドはにっこりして、ようこそ、小さな伯爵さま、と言った。

「今日はね、デュアンの靴をオーダーしたいんだ。良さそうなのをいくつか見せてくれないかな」

「それはもちろん。ですが、お電話ひとつ頂ければ、いろいろと取り揃えてお持ちしましたのに」

「今日は、ついでがあったからね。ここの方がサイズも合わせやすいし」

「左様でございましたか。では、どうぞこちらにおかけになって」

レオナルドが、ソファ・セットとテーブルが置かれてくつろげるようになっているスペースに二人を案内すると、ディはデュアンを促してソファにかけた。それからレオナルドは革やデザインの見本を揃えに奥へ入って行ったが、それと入れ代わりにまだ若い長身の青年がコーヒーを持ってきてくれた。レオナルドの息子のルパートだ。父の跡を継ぐべく修行中の身だが、ディとは以前からもうすっかり顔見知りである。

「ようこそ、モルガーナ伯爵。コーヒーをお持ちしましたが、坊ちゃまには何かもっと甘いものの方が宜しかったでしょうか?」

言われてディはデュアンを見たが、デュアンはコーヒーで大丈夫です、と答えた。ルパートは頷き、カップをそれぞれの前に置くと言っている。

「先日は、シャンタン伯爵もお寄り下さいまして」

「ああ、言ってたよ。彼もすっかりここのファンだから」

「光栄です。相変わらず、お元気でいらっしゃいますね」

「元気、元気。念願の孫が出来たもので、すっかり若返ってはしゃいでるよ」

話しているところへレオナルドがあれこれと携えて戻ってきた。

「デュアンさまは、どのような色目がお好みでしょうね」

言って差し出された革の見本を受け取りながら、デュアンはけっこうわくわくした気分でいる。靴を革からオーダーするなどというのは、さすがに生まれて初めてだったからだ。しかもこの店のまさに"老舗"という、落ち着いた中にも高級感漂う雰囲気。わりとミーハーなところのあるデュアンには、このムードがたまらなくぐっときているらしく、その上"お父さんとお買いもの"というのも、これまたふと気づいてみれば生まれて初めての体験だったのだ。

選ぶとなると両親ゆずりで色にもデザインにも拘りありまくりのデュアンだから、レオナルドも驚くほど熱心にあれこれ質問して、小一時間もかかったろうか。結局、ディの言っていた通り最近作ったスーツに合いそうなものを5点オーダーすることになった。決まってからもレオナルドやルパートとあれこれの近況を話し、それから二人は今度は少し離れた所にある宝石店へ河岸を変えることにした。アルフォンス・ドゥースというこちらの店も、なにしろ創業が18世紀に遡るという古参中の古参と言える老舗ジュエラーである。しかし、コケ脅しのように飾り立てた新参の宝石商とはプライドで一線を画するかのごとく、こちらも古くからの建物を大切に使いこみ、歴史の重み溢れる重厚な構えと内装を誇っていた。一方で、取り揃えられたドゥース・オリジナルデザインの数々は、華やかな中にもむしろ現代的でシャープな印象のある作品が多く、もちろん全て1点ものだ。言うまでもなく、プライスタグなどという不粋なものはひとつも付いていない。どうせのことに、いずれ客はそんなものを気にするような連中ではないからである。

現在のチーフデザイナーであるエレノア・ドゥースはオーナーのオルガ・ドゥースの一人娘だが、幼い頃から母の元で宝飾デザインを学び、十代の頃には既に天才と評価されたほどの才能を二十代も後半の今になっても遺憾なく発揮している。実は、彼女ともディは一時期つきあっていたことがあって、今でも親しい友人どうしだ。

「いらっしゃいませ、モルガーナ伯爵」

オーナーから数十年来この店を任されているライオネル・ブラウンが出迎えると、ディはにっこりしてデュアンを紹介した。もちろんディはライオネルとも長年の顔馴染みだ。

「今日は、どのようなものを?」

「カトリーヌの誕生日が近くてね。デュアンに手伝ってもらって選ぼうかと思ってるんだ」

「それはそれは。では、どうぞ、ごゆっくりご覧になって下さいませ。お気に召されたものがありましたら、お呼び下されば。後ほど、制作中のデザイン見本もお目にかけましょう」

「有難う」

それからディとデュアンは店内に飾られているいずれ劣らぬ逸品の数々を詳細に見て回った。デュアンにとっては、これもいい勉強だ。目に留まるものがいくつかあったが、新作のデザインも見てみようということになり、二人は今度は奥の応接室に落ち着いて分厚いデザインブックを一緒に検討している。

「ああ、やっぱり素晴らしいね。エレノアもだけれど、オルガの今度のシリーズは東洋がテーマ?」

「はい。オーナーは昨年、1カ月ほど中国から日本へも回られまして、特に日本画の色使いにインスピレーションを刺激されたとかおっしゃいましてね。これまでとは違った配色をいろいろと研究なさっています」

「なるほど」

「あ! お父さん、これ! これ絶対ママ好み」

言ってデュアンが指さしたのはピンク・ダイヤをメインに連ねることになっているらしい見事なネックレスのデザイン画だった。リングとピアスもセットとして描かれている。

「ああ、そうだね。これはいいな。実物が見たいね。でも、間に合うかな。いつ頃仕上がるの?」

「それでしたら、来月早々に予定されているコレクションの中の1点ですね」

「タイムリー!」

デュアンが手を叩いて言うので、ディも笑いながら頷いた。

「じゃ、そうだな、とりあえずこれが仕上がったら見せてもらえないかな」

「承知いたしました」

「あと、それにね、ぼくがさっき見てたやつ...」

言ってデュアンは別のデザイン・ブックを繰っていたが、これこれ、と言って中の1ページを開いてディに見せた。ブルー・ダイヤとサファイアをメインにしたネックレスで、こちらはブレスレットとのセットだ。その他にもいくつかデュアンのオメガネにかなうものがあったので、それらが仕上がったら改めて選ぶということで話がまとまった。それに、ライオネルは、今、店内にあるものの中でも、二人が目に留めたものは新作が仕上がるまで取り置くことを約束してくれた。

こうして、ここでもなんだかんだと一時間ほど過ごして二人は店を出たが、それを見送ってからライオネルは、まだ若いアシスタントのオードリーに笑って言っている。

「それにしてもモルガーナ伯爵が、お子さん連れで見えるとはねえ。長生きすると、とんでもない光景に出くわすことになるものだ」

「あら、でもやっぱり相変わらず素敵ですわ。むしろ、以前より...。それに、デュアンさまのあの可愛らしいことったら」

「おやおや。そう言えば、オーナーもその話をしてらしたなあ。確かに可愛らしい方だが...。ウワサではお父さまのお小さいころにそっくりだとか」

「ライオネルさんは、伯爵のあの年頃には、お会いになったことありませんでしたの?」

「かれこれ三十年前と言えば、私がここに勤め始めてしばらく経った頃の話かな。ベアトリスさまとシャンタン伯爵はよく一緒にお見えになって下さっていたのを覚えているが、こういうところに小さなお子さんを連れて来られる方々ではなかったからね」

話しているところへ新たな客が入って来たので、ライオネルは話を中断して出迎えた。こちらも馴染みの客であるらしい。

そして、ディとデュアンはいよいよ待望のバッファローズに入ってゆくところだ。さっきまでの老舗2店とは打って変わって、デイヴの言っていた通りファミリーとお子様御用達、クランドル一番人気のアイスクリーム・ショップは、ファーストフード系の明るい店内にイートインできるテーブルとイスが沢山並んでいる。二人はそのうちのひとつのテーブルを選んで椅子にかけ、デュアンは置いてあったメニューを取り上げて説明を始めた。

「ここはイメージわりとファミリー向けで売ってるけど、実は特別上質の生クリームやミルクを使ってて他ではなかなか食べられないくらい個性的に美味しいんだよ。卵とかも、契約農場で作ってる限定モノなんだって。メニューはこれ。あのウィンドウで注文するんだけど、決めてくれたら、ぼくが行って来るから」

デュアンに言われて、しかし、ディは不満そうに答えた。

「だめだよ。やっぱりこういうのはウィンドウで確かめて美味しそうなのを選ばないと」

何であれどうせ食べるならば。これは筋金入りの美食家にとって当然の発言だが、デュアンの方はさすがに呆気に取られている。しかし、おかまいなしにディが席を立って行ってしまったのにハタと気づいて、すぐに父の後を追った。アイスクリームがずらりとならんでいるウィンドウの前では、ディが既にガラスの向こうを覗きこんで、どれにしようかなあ、という様子である。しかし、こんな時、彼はどういうものか見事に気配を消してしまう術を心得ているらしい。ウィンドウの向こうに控えている店の女の子も、目の前にいるのが"モルガーナ伯爵"だとは、まだまるっきり気づいていないようである。特にディの見た目が変わっているわけでも何でもないのだが、その見間違いようのないオーラがすっかり潜められてしまっているからだろう。これには改めて、デュアンも感心している。

「ねえ、デュアンはどれが好きなの? オススメはどれ?」

「あ、えっとね。マンゴーのが意外と美味しいの。それとカシスとチョコレートをダブルにするのも案外...」

「カシスとチョコレートか、いいね、それ」

「じゃあ、それにする? だったらぼくは、あっさりめでマンゴーとバニラにしようかな。あとね、カシスとチョコにはコーヒーがけっこう合うんだよ」

デュアンのオススメに従って、二人はそれぞれ好みのものを注文し、席に戻った。後は、デザート仕立てにして、飲み物と一緒にテーブルまで持ってきてくれるシステムだ。

注文したものが来ると、ディはそれでは、とスプーンを取り上げた。一口食べて言っている。

「へえ...。これはなかなか」

「ね? ジェームズが作ってくれるのももちろん美味しいけど、ちょっと個性的でいいでしょ? ママも大好きなんだよ」

「うん、きみの言う通りだ。コーヒーにも合う」

ディはどうやら本当に味に満足している様子で頷いている。デュアンはまだ知らないが、こういう意外に子供っぽくてヘンに気どりのないところが、実はディの才媛ウケする最大のチャームポイントのひとつなのだ。つきあい始めると最初は相手が相手だけに相当気を張っている女性の方も、ディのこういうところを知るとほっとするのか、それともそれが母性とでもいうものなのか、すっかり気を許して有りのままの自分でいられるようになるらしい。ディ自身は特に意識しているわけではないのだが、例えば子供たち三人の母親たちのように、日常"才媛"で通っているタイプの女性にほど、彼のこういうところがアピールするようだ。もっとも、ディがこんなところを見せるのはよほど気に言っている人間といる時だけのことだから、世間がそれを知らないのも無理はない。

デュアンはアイスクリームを食べてディと話しながら、な〜んかこれってデートみたい? と楽しい気分になっている。しかしデュアン自身もまだ、このうきうきした気分がどういう意味なのか、自分でも気づいていないのだった。

ともあれ、"有名人に群がるなんて都会っ子のプライドが許さない"というのが定説の街の中のことだから、声をかけられるというようなことこそなかったが、やはり密かに気づいた客もあったのだろう。デイヴの予言通り、そののち、しばらくネット上をディとデュアンが楽しそうにアイスクリームを食べているところを2ショットした画像が駆け巡り、それが世界中でディのファンたちの驚愕、絶叫を誘ったことは言うまでもない。

original text : 2011.11.12

  

© 2011 Ayako Tachibana