翌日、メリルは迎えに来てくれたスチュアートのベントレーに乗って再びモルガーナ家を訪れた。着いてみると祖父の言っていた通り弟たちもいて、ディも加え、皆で少し早いランチを共にするためにメリルの到着を待っていたようだ。今回は庭に大きく張り出したサンルームに席が設けられていて、秋の陽射しを楽しみながらいつもに違わず美味なジェームズの料理をいただき、それから隣接するサロンに移って食後のお茶とお菓子という段取りになっていた。
月曜日とはいえクランドルの現在の学校制度は従来のものとは違って、資格制のステップアップ方式で進んでゆくから毎日授業に出る必要はない。この制度は、ずるずるべったり授業にさえ出ていれば学年が上がるというような、生徒の将来に対して著しく無責任な方式を憂慮し、個人それぞれの学習の進み具合いと学習に対するモチベーションを重視する観点から見直しが図られたものだ。この実現に当たっては、大改革が行われた当時、発達しつつあったデジタル通信技術が大きく寄与している。
オンラインでは高度で均質な講義内容を提供し、更に大容量の記録装置によってそれらは何度でも繰り返し見ることが可能になった。従来の授業では教壇に立つ教師の技量によって生徒の理解にも差が生じざるを得なかったわけだが、これで全ての子供により良い内容の講義を提供することが出来るようになったわけだ。もちろん、そのコストダウン効果も著しい。それに加えて従来の"学校"をデジタル授業ではどうしても不足する内容を補うとともに、生徒の情操面での成長を目的とする空間として残し、通信授業による過度の"セル化"がコミュニケーション能力の阻害を招くことのないように配慮されている。
また、生徒は理解出来ない点があれば基本的に子供の第一の教師であるべき親に聞く他に、オンラインでのサポートシステムを利用したり、学校で"授業"という時間的制約から解放された教師に直接質問したりできるから、個別に詳細な指導を受けられるようにもなったのである。ちなみに、オンラインサポートにはボランティアの学生や、その資格を持つ一般の社会人も参加出来るようになっているので、世代間の断絶という社会問題の緩和にも図らず寄与することになったようだ。
ともあれ、これらの制度により"学校"と"成績"は理想的に分離され、"学習とは自己の向上を目指すためのものである"という、クランドルにおける教育理念がよりいっそうはっきりと打ち出されることとなった。しかし、だからこそ逆に本人の姿勢が甘ければ、いつまで経っても先に進めないという事態が起って来かねないのだが、ディの三人の子供たちに限ってはその心配はないも同じだ。常にトップクラスを余裕で貫いているファーンは言うに及ばず、"ママの名誉のために頑張っている"というデュアンも成績はズバ抜けていい。
それは先行きアートスクール→美大と決めてかかっているメリルにしても同じで、彼があまり好きでもない美術以外の教科でも好成績を上げているのは、やはり"母の名誉のため"でもあるだろう。そんな三人だったから、それぞれある程度時間の融通はきくのだ。
サロンに移るといつものようにたっぷりのお菓子がワゴンで運ばれ、これまたもうすっかり"いつものこと"になった和気あいあいのお茶タイムが始まった。
ディは個展の開催という大仕事を乗り越えたばかりだからいつにも増して上機嫌で、夏に会った時と変わらず冗談を言って弟たちを笑わせたり、ロベールの説教でやりこめられて参ったりしていたが、メリルにはそれはどう見てもあれらの凄まじいばかりの気迫を放っていた絵の作者と同一人物とは信じがたい様子だった。それで彼は無意識のうちに観察モードに入ってしまったようで、じーっと視線を父に向けたままでいる。祖父がよく揶揄する通り、どー見てもやっぱり"ちゃらんぽらん"にしか見えないコイツのどこに、あんな絵を描ける気概が隠れているのかと不思議でたまらなかったのだろう。
そうするうちにディはやがてメリルがずっと見ていることに気づいて、そちらを向くと、どうしたの、と不思議そうに尋ねた。
「え?」
「いや、さっきからぼくのこと見てるから。何か言いたいことがあるのかと思って」
「いえ...」
「そう?
ならいいけど...」
しまったと思って答えようなく進退窮まっている様子のメリルに、しかしディの方も聞きたいことがあったらしい。
「あ、ね、メリル。きみはぼくの絵、もう見てくれた?」
尋ねられて、彼の注意を引いてしまったことをメリルは盛大に後悔しながら答えた。
「はい。昨日...」
「そう」
にっこりして言ったディの表情には明らかにメリルがどういう感想を持ったか興味津々という様子が見て取れた。メリルとしても決して口にしたくないことではあったのだが、いい加減な答えでお茶を濁すということが真正直な性格のためにできない。それで、仕方なく彼は本音を言った。
「か...、感動しました」
その答えに、デュアンはザマミロと思って内心ほくそえんでいる。彼のヒーローである父の偉大さが、やっと分かったかと思うと胸のすく気分だったのだ。一方で、言われたディは嬉しそうに尋ねた。
「へえ、ほんと?」
「はい。正直、ぼくなんかでは、まだまだとても足元にも寄れないんだなあって実感しちゃって...」
そこで一旦区切り、もうこの際だと思ったのかメリルはウソ偽りなく、思い切り落ち込みましたと告白した。それには、横で聞いていたロベールもファーンも笑っているが、ディの方は
― そしておそらくデュアンも ―
メリルの意外なまでの率直さに少々驚いたようだ。
「きみにそうまで言われると、これはちょっといい気分だな」
ディが本当に嬉しそうに言ったので、今度はメリルの方が戸惑っている。十代前半の頃にはもう一部の専門家の間で天才児と注目され、画壇に本格的デヴューを飾ったのは弱冠十七歳の時、それから三十年近くに渡ってコンスタントに素晴らしい作品を発表し続け、今では"クランドルを代表する"とまで称される大芸術家であってみれば、これまでそんな賞賛は数限りなく受けているに違いない。それなのに、たかだか自分のような子供の言ったことにこうも嬉しそうな顔をしてくれるとは、メリルにはディという人がますます不思議な存在に思えたのも無理はなかったかもしれない。
しかし、ローデンでメリルの絵を見ているディの方にしてみると、それはこの年齢で既に彼ですら認めざるを得ない才能を発揮している将来有望な少年、しかも、これまで父である自分に否定的な感情を持っていたはずの息子から来た言葉だ。ましてや、その年頃と言えば、ディ自身が今のメリルと同じように、例えば巨匠バーンスタインの作品を前にして、太刀打ちできない器量の差というものを実感させられていた、まさにその時期だった。だからこそ、メリルの気持ちはよく分かるし、そして複雑な立場にありながらも率直に"感動した"と言えるこの子の、素直な気質や器の大きさに感心してもいたのだ。
そんな二人それぞれの想いを側で見ていてロベールだけは察していたろうが、父の言葉にどう答えたらいいのか分からず固まっているメリルに助け舟を出すように、しばらくして横から言った。
「まあ、な。今でこそディはこうだが、きみくらいのトシの頃と言えばもう、目も当てられない有様だったんだぞ」
言われてディが、またもお、とアタマを抱える横で、メリルは意外そうに、そうだったんですか?
と尋ねている。
「うん。今のきみなら分かると思うがね、絵というものは技術とリクツだけで描くもんじゃないということが当時のこいつには全然分かっとらんかったんだ。東洋の諺に言う"仏作って魂入れず"というやつか」
「いくらなんでもぼくだって、そこまで酷くはなかったはずですよ。ぼくはぼくなりに魂を入れてるつもりではいたんですから」
「それなりにはな。しかし、こいつの名誉のために付け加えておいてやれば、確かにその頃までディはどちらかと言えば囲い込まれて育ったのは否めんよ。私は甘やかしているつもりはなかったし、ビーチェも決して手放しで子供を甘やかすような母親ではなかったが、見ての通りの環境だったからね。苦労知らずの身の上で世の混沌を描き出そうなどということ自体が、まず無理な話ではあったな」
ディもそれには納得して頷いている。
「しかし、不思議なんだがね、メリル。きみは私にくれた絵を"自分の原点のようなもの"と言っていただろう?
きみくらいの年齢であれだけ深いものを感じさせる作品を描けるというのはなかなかだと思うんだが、それまでもきみは絵を描いていたわけだし、特にあれを描くにあたって何か心境の変化をもたらすきっかけのようなものはあったのかな?」
「ああ、ええ...」
メリルは頷いて、改めて祖父の慧眼に感心しながら、あれは祖母が亡くなった後で描いたものなんです、と答えた。
「ほぉ...」
「以前、ぼくが生まれてからしばらく祖母のところにいたお話はしましたよね」
「うん、そうだったな」
「母と一緒に住むようになってからも祖母とは仲良しでよく遊びに行ったりしていたし、ぼくの絵をすごく気に入ってくれていて、ぼくが絵を描きたい気持ちも母以上に認めてくれていたっていうか、だから大好きだったんです。でも、亡くなってしまって、それがすごく悲しくて、もう会えないんだなあ...って」
ロベールも他の皆も、何も言わずに聞いている。
「お葬式の後、母は祖母の住んでいた家の整理をする必要があって、ぼくたちは一週間ほどそこに滞在したんですけど、ぼくにもいろいろ思い出のある場所なので家の中にいるのもなんだか辛くて、母の手伝いと言ってもそれほどぼくが役に立つわけでもないでしょう?
それでその辺りを散歩したりして時間を潰してたんです。もうなんかぼんやりしちゃってて、ただ、家の中にはいたくないなって感じで。そうしてるうちに、田舎のことだし、あの絵のような廃屋が本当にあるんですよね。誰も住んでいなくて、祖母には昔から入ってはいけないと言われていたからそれまで特に興味も持たずにいたんですけど、たまたま通りかかったらなんとなく惹かれるものがあって、ぼくも普通じゃなかったのかな。誰か見ているわけでもないし、門も開いたままだったので入って行ってしまったんです」
メリルはそこで当時を思い出すように一度黙り、それから皆が話の先を待っている様子なのに気づいて続けた。
「そうすると、そこはあの絵の通りの状態で、なんか、その時のぼくの気持ちをそのまま絵にしたらあんなふうかなと思えて、見ているうちにどんどんどんどん悲しい上にも悲しくなって来たっていうか、今思えばそれってぼくの気持ちと、あんな廃屋になってしまった家の気持ちが同化しちゃったせいだったのかもしれませんね。それでぼくは、そのままそこに座り込んで、泣き出しちゃったんです。だいぶ長いこと泣いてたと思います。
でも、祖母が亡くなって初めてだったんですよ、泣くことが出来たのは。それまではもう、危篤だと連絡が入って母と駆けつけて、なんとか亡くなる前に最後のお話は出来たんですけど、ぼくが覚えている次の瞬間はお葬式だったくらいだから、何がなんだか実感のないまま記憶まで飛んじゃってて。泣いてたのかもしれないけど、それすら覚えていないんです。だから、ぼくにとって、ぼくは本当に悲しくて泣いてるんだなあって意識したのは、その時が初めてでした」
話が話なので、誰も口を差し挟む者はいない。特に、ロベールもディも、長年の間に大事な人を何度も亡くして来ているから、メリルのその時の気持ちは痛いほど分かるようだった。
「そのうちに陽が傾きかけたみたいだったんですけど、ぼくが散歩に出たのはお昼過ぎくらいでしたから、時間も忘れて泣いてたんでしょうね。でも、ふいに日暮れ前の陽ざしが差し込んで来ているのに気づいて、なんていうか、それはもうさあっと光が溢れて来たというか、そしたらそれまでどんよりしていた目の前の様子が劇的なほどに違って見えたんです。キレイっていうか、あまりに驚いたので涙も止まるほどで」
メリルはそこでまた黙り、その時の心境をどう説明したものかと思案しているようだったが、うまい言葉は見つからないらしく、仕方なく言った。
「何て言ったらいいか分からないんですけど、それがあまりに印象的だったのでずっと忘れられなくて、ただ、かなり経ってからもしかするとこれでいいんじゃないのかなって、つまり、だから、ああいう言葉にならない気持ちを絵にすればいいんじゃないかっていうか、ぼくにとっての言葉って、本当は絵なのかなって気がして来たんです。ぼくがその時、何をどう感じていたかは、あの絵を通してなら少しは分かってもらえるかもしれません」
メリルの話にロベールは大きく頷き、ディも納得した顔をしている。弟たちも、それぞれに感じるところはあったようだ。
「なるほどな。うん、そう聞けば、あの絵が何故ああも精彩を放っているのか分かるように思うよ。確かにその時、きみがどう感じていたか私にも分かる気がする」
祖父の言葉に、メリルは嬉しそうににっこりした。
「でも、くやしいけどやっぱりまだまだお父さんにはかないません。母には、お父さんと自分を比べること自体が身の程知らずだって言われちゃったけど」
メリルの言うのへロベールは笑って、マイラさんもキツいなあ、と言った。
「もう、キツいですよ、うちの母は。昔から、何事に関してもビシバシ言われますから。でも、鍛えられてると思って拝聴することにしてます」
「うん、いや、しかしね、"かなわない"と思うのはいいことだよ。それが若いということだし、人間はそこから成長するものだと思うしな。これからも、頑張りなさい」
「はい」
これまで誰にもしたことはないようなごくごくプライヴェートな話だったので、メリルには口にしてしまったことがちょっと気恥ずかしいようにも思えていたのだが、祖父や父、それに弟たちが感銘を受けてくれた様子なのにはほっとしている。
ロベールはメリルが真摯に答えるのへ頷き、それから話題を他の孫たちの方へ振った。
「で?
ファーンも、もう見て来たんだったな。どうだ?
この際だから、忌憚ないところを聞かせなさい」
言われてファーンは祖父に微笑を返し、そうですね、と少し考えてから続けた。
「うちにもいつも事前公開の招待状を頂くので、前の時も母や従兄と一緒に見に行ってるんですけど、その時に母が"ディの絵は個展のたびに一段技量が上がる"と言ってましたね。なにか、回を重ねるごとに深みが増す、というか...。ぼくはそれ以前はまだ小さくて連れて行ってもらえなかったから、その時が初めてだったことになるんですけど、今回、母がそう言っていたのはこういうことかって実感しました。
なんていうか...、前の時も"パーフェクト!"っていう感じで、ただただ、凄いなあ、と思って圧倒された印象があって、でもその"パーフェクト"の質がパワーアップしたと言えばいいのかな。ぼくなんて、もう全然もの知らずだってことは分かってるので、こんなこと言ってお父さんに笑われないか心配なんですけど」
ロベールはそれに笑って、いやいや、そんなことはないさと言ってからディの方を見た。
「な?
ディ、嬉しいだろう?」
父に聞かれてディは頷いている。彼のそのまんざらでもない様子に力づけられたようで、ファーンは続けた。
「それで、ぼくは今回、あのパエトーンの太陽車が堕ちる"the
falling"に一番感動しました。"fall"に含まれる墜落、落下、堕落、崩壊、倒壊、陥落などのあらゆる意味を包含していて、深いなあと思ったし」
「ほお、さすがだな。きみは、そこまで見えたか」
「と、言うか、いいんですよね?
それで?」
祖父の賞賛に嬉しそうな顔をしながらも、ファーンが心配そうに父の方を見て尋ねると、ディは微笑を浮かべて頷いて見せた。ファーンはそれにほっとした様子で言っている。
「それにあれは構図と、特に炎の色彩が素晴らしかったです。今にも画布が燃え上がるような色で、見た時すごいインパクトを感じましたよ」
「ああ、それはぼくも」
思わず賛意を表したのはメリルだ。
「はっきり言って、あれを見て一番ぼくは落ち込んだんですから。いったい、どうやったらあんな色が出せるんだろうって」
それへロベールは、"年の功、年の功"と茶々を入れた。ディは苦笑しているが、子供たちは可笑しそうに笑っている。
「だけど、例えそう言われてもショックはショックですよ。使っているのは同じ油絵の具なのに、どこをどうやったって今のぼくにはあんな色出せませんから。もう、お手上げです」
「まあな、しかし、私から見ればきみの色彩感覚はちょっとディ譲りかなと思わせるものが既にあるよ。もちろん、きみが意識しているわけではないのは分かっているから、天性のものだろうがね」
言われてメリルは、少し嬉しそうな顔をしている。そこへ横から、これまで聞き役に回っていたデュアンが手を挙げて発言権を求めた。デュアンは絵が個展のために搬出される前にアトリエで全て見ているのだが、次の週末にはエヴァたちと一緒に美術館に行く約束もしていた。相変わらずの熱狂的ファンなのだ。
「はい!
はい! ぼくにも聞いて下さい、おじいさま!!」
「おお、構わんぞ、デュアン。何でも言ってみなさい」
「じゃ。えっとお、ぼくはパエトーンも好きですけど、アフロディテのと、アラクネのと、それからアテーナイのと...」
「ねえ、ねえ、デュアン」
勢いよく言いかけたデュアンの袖を、横に座っていたディが引いて止めた。
「え?
なに? お父さん」
「きみの場合、"全部"って言ってくれた方が早いんじゃないかと...」
ディは、この子に自分の絵の話など始めさせたら、延々、延々終わらないだろうと知っているから止めようとしたのだが、しかし、そのくらいでひるむデュアンではない。この席で言わずばどこで言う、という勢いで反論した。
「それはそうだけどっ、やっぱり順番にどこが良かったかじっくり聞いてもらわなくちゃ」
というなりゆきで、とうとうデュアンの独演会が始まってしまったようだ。しかし、この活発で明るい弟のことはファーンはもちろんメリルでさえ可愛いなと思っているらしく、二人とも楽しそうに聞いている。ロベールはいよいよ近づいたお披露目を前にして、三人の孫たちがどうやらお互い馴染んできているらしいのを嬉しそうに眺めながら、時々デュアンに合いの手を入れてやっていた。
こうしてモルガーナ家内部では、お披露目に向けて地盤が整いつつあるのだが、当然のことながらその余波をかぶっている地域も一部にはあったのだ。いつもは仲のいいマーティアとアリシアが大モメにモメるなどというのは、その最大のものだったに違いない。二人は夏休みからこっち、のんびり航海して今は彼らの本拠である南の島の邸に戻っている。しかし、招待状が届いたと数日前にIGDのヘッドクォーターを通して知らされるや、その件で毎日のように言い争っていた。
「だーかーらー、なんで、ぼくがそんなとこわざわざ出向いて行かなきゃなんないのよ」
「だって、きみはうちの顧問でしょうが。IGDとモルガーナ家の関係を考えたら、出席しないわけにはいかないだろ?
招待状だって来てるんだし」
「そんなの、無視無視」
「無視無視ってね、だから、そういうわけにはいかないって何回言ったら...」
「何回言ったって行かないからね」
「ねえ、アリシアってば」
「マーティとアレクさんが行けばいいじゃない。それでギリは果たせるんだから」
「だからさ、それが困るって言ってるんだろ?
おれとアレクが二人でって、それはやっぱり語弊があるじゃない」
「"語弊"って、言葉間違ってない?」
「いや、この場合はニュアンス的に間違ってないと思う。ともかくね、じゃあ、"差しさわり"があるんだよ。おれたちが二人だけで出てってごらん。それってもう、"IGDの代表"って具合にはみんなからは見えないだろ?」
「まあね。でも、だからってなんでぼくを巻き込むのさ。第一、ぼくが出てく方が"語弊"があるんじゃない?」
「いや、きみとディのことは公然の秘密なんだから」
「マーティとアレクさんのことだって"公然の秘密"じゃないか」
「だからさ、おれはこういう席で波風立てたくないんだよ。きみも含めて三人で顔出せば、一応体裁は整うわけだから」
「だから、ぼくは巻き込まれたくないって言ってるでしょ?」
強行に主張するアリシアに、さすがにマーティアは頭を抱えている。確かにアリシアが恋人であるディの子供をお披露目するなどという席にわざわざ出て行きたくないのは分かるのだが、だからと言って今のIGDにアリシアの代わりを務められる立場の人間などいないのも確かだ。翻って、自分とアレク二人で出席となると、これまでの経緯からこれはもうIGDの代表者と言うよりは、単に恋人どうしで内輪の集まりに出ているようなものである。特にマーティアが気にしているのは、アレクの父
―
アルフレッド・ロウエル侯爵が親友であるシャンタン伯の跡継ぎ公表という、こんな重要な集まりに自ら出て来ないわけはないだろうということだった。
ロウエル侯爵とマーティアの育ての親であるマリオ・バークレイ博士も昔からとても親しい。それで彼自身もほんの幼い頃から侯爵とは顔見知りであるばかりでなく、大変気に入られて可愛がってもらっていたのだ。アレクとどうこうということになってからも基本的にそれは変わらず、たまに何かの席で顔を合わせることがあっても昔と同じように、にこやかに応対してくれる。しかし、それだけに返ってこういう公の席で、侯爵の気をもませるような光景を見せたくないのでもあった。
マーティアは、もうこの際、アリシアに一服盛ってひっかついででも連れて行くしか...、と考え始めている。そもそもはディが元凶で成立してしまった関係なんだから、招待状なんて出して来なくても良さそうなものだ、と、―
モルガーナ家とIGDの関りから言えば、そういうわけにはいかないのは百も承知の上でだが
―
文句を言いたい気分で彼は大きな溜め息をついた。アリシアはマーティアが黙るとそんな話は無視!
状態で仕事を片付けるのに専念している。
original
text : 2010.4.21.〜4.29.
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