「母さん、ただいま...」

言いながらドアを開けて入って来たメリルの声は、いつになく元気がない。キチンにいたマイラが、あら? と思いながらエントランスに出てゆくと、どういうわけかメリルはすっかり落ち込んだ様子でドアの前にずるずる座り込んでいた。

「おかえりなさい。どうしたのよ、気分でも悪いの?」

尋ねる母に、しかしメリルは力なく首を横に振って見せるだけだ。

「ちょっと、メリル」

本気で心配になってきてマイラは近づいて行くと膝を折り、息子の顔を覗き込んだ。すると、メリルがそちらを見てぼそぼそ言っている。

「...ぼくには、才能なんかないんだ」

「は?」

「つくづく、思い知らされました」

実は本日、メリルは五日ほど前から開催されているディの個展を見に出かけていたのだ。朝に出た時はまるでいつもと変わらなかったのに、帰って来たとたんにこれである。しかし、マイラの方はさすがに母親だけのことはあって、息子がなんで帰ってくるなり座り込んでいるのか分かったらしい。

「それって、ディの絵を見て落ち込んで帰って来たってこと?」

「そう」

「あなたねぇ...」

呆れた顔をして、マイラは続けた。

「まさか自分に、ディほどの才能があると思ってたわけじゃないでしょうね?」

「いや、さすがにそこまでは...」

「でも、それなり描けるとは思ってたのね?」

「まあ、そう」

「それはね、"身の程知らず"と言うのよ。そもそも自分とディを比べるなんて、それが根本的に間違ってるんじゃないの」

「そこまでゆー? 可愛い一人息子が悲嘆にくれてるのに」

「だって、あなたがそんな分かりきったことで落ち込んでるからよ。うっとおしいから、とにかく立って着替えて来なさい。もうすぐ食事できるわよ」

母のきびしいお言葉にメリルは不満げに、はぁい...と言いながら不承不承立ち上がった。それでマイラはキチンに戻ろうとしたが、ふと、部屋へ行こうとしていた息子に振り返って声をかけた。

「メリル」

「え?」

「ディだって、産まれた時から今の彼だったわけじゃないのよ?」

メリルにはそれが彼女の最大限の励ましだと分かったので不本意ながらも頷くと、それでも元気なく、ぽてぽて階段を登って行った。それを笑って見送ってから、マイラは食事の支度を続けるためにキチンに戻った。

ディの個展は彼自身が以前メリルに言っていた通り、もう2年半ぶりのことになる。もちろん、彼の作品を特集した展覧会はその間に何度も行われているのだが、新作を集めたものはせいぜい2〜3年に一度のものだ。それだけに、それが開催ともなると一大イベントとして取り上げられるのは無理のないことだろう。今回も夏のうちからその噂があちこちのメディアに流れ、美術愛好家のみならずディのミーハーなファンまで巻き込んで、初日から会場となった美術館は大変な人出だった。

新作の個展ともなるとこの騒ぎになるのはいつものことで分かりきっているから、初日の前日にはプレスや招待客を集めて事前に公開されるのが通例だ。メリルに来たいと言われていたし、ディはその席にマイラと一緒に招待してやっても良かったのだが、当面、メリルと彼の関係は極秘ということもあって、一般の招待券を数枚送っておくに留めたのだった。マイラの方はこれまでもずっとプレス関係者としてこの事前公開に参加できる立場にあるから、今回もメリルより先にディの新作を見ていることになる。ちなみに、毎回のことだがディのこういった個展や展覧会の収益は全額が財団基金に組み入れられ、世界で志の高い子供や学生たちを支援するために使われることになっている。

ともあれ、メリルは五日目ともなれば初日からの人出が一段落しているだろうと思って見に行ったのだが、予想に反してその日も美術館は盛況を極めている様子だった。画廊ではなくクランドル屈指の国立美術館で催されるという事実、それも会期1ヵ月という長さが破格の扱いであることは、改めて興味を持ってみると美術の世界をよく知るメリルにとってまず驚かされる点だ。このような扱いが受けられる画家は、画壇でも大家中の大家に限られることだろう。しかも、マイラの話では会期のほぼ全体に渡って美術館はお祭り騒ぎ的な人出で賑わうのだという。

それが決して誇大な言い方ではないことを、メリルは会場の前まで行った時点で悟らされたわけだが、それにも増して、自分が入って行こうとするのと入れ替わりに出て来る人たちの多くが、今見て来たばかりの作品の素晴らしさを語るのに夢中になっている様子が印象的だった。その客層も幅広い。ディの熱狂的ファンらしくきゃあきゃあ騒いでいる少女がいる一方で、連れに重々しく評を垂れている紳士もいて、画学生と思しき一団が熱心な芸術論を戦わせながら通り過ぎて行ったりもした。中には外国からわざわざ見に来たらしい人たちも少なくないようで、それはもう現代の、しかもまだ若い作家の個展と言うよりは、歴史的な画家の美術展と言った方が正しいような有様なのである。

その様子にメリルは多くの人が彼の父を、"クランドルが世界に誇る天才画家"などともてはやすのも、決して冗談でも誇張でもないらしいと感じざるを得なかった。何よりもこの動員力は、画家としてはそれこそが破格と言わなければならないだろう。もし、今の自分が個展を開いて、こんなに沢山の人を動かせるだろうかとか、しかも来てくれた人をこんなに夢中になるほど感動させられるだろうかとか、考えなくてもいいことをクソまじめに考えてしまって、既にそこでメリルはきっちり落ち込んでいたと言っていい。しかしまあ、何よりもまずは作品だ、と思い直して中に入り、そこで今度はなお本格的に、どん底まで落ち込まされてしまったのだ。

父の作品、それも真筆を彼のアトリエで初めて見た時の衝撃は相当なものだったが、今度はそれが大挙して並んでいるわけで、"ガツン"どころか、それは往復ビンタ数十回ものの、殆ど物理的ですらあるショックをメリルに齎さずにはいなかった。詰まるところディは、"タダの絵描きではないのだ"ということが、既に美術のみならず芸術全般に、この年の子と思えないほど深い造詣を持っているメリルには一目瞭然だったからだ。

確かにそれらは実に美しい絵ばかりだった。デュアンが言っていた通りギリシア神話をテーマにした連作が主で、それが今回の新作二十八点のうち二十点近くを占めている。ディ独特の優雅で美的な人物像、繊細でありながらダイナミックな構図とリアルな描写、明暗自在の見事な色彩、それらが等身大の大きさの画面に余すところなく満たされている。パエトーンを乗せて業火に焼かれながら落下する太陽車、その色彩はまさに炎そのものだ。かと思えば、屍累々たる戦場を翔る美貌のアテーナイ、劫罰に服するプロメティウス、海の泡から生まれ出るアフロディテのこの世のものとも思えぬ透明で幻想的な光輝、並べられたどの作品を取っても油彩の王道をゆくクラシックな魅力に満ち、古典的正統を名乗って何一つ憚るところのない完璧な美を誇っていた。

しかし、それだけなら結局はタダの絵であり、それだけで終わるならタダの絵描きの域を出るまい。問題は描かれているのが神話の一場面であっても、それがデュアン・モルガーナ的解釈に基づいて表現されているという点だ。彼の作品にあっては、アテーナイは人界の混沌を憐れみながらも嘲弄し、プロメティウスは人間に"破滅の火"を齎した真の罪業によって誇り高き神々に裁かれ、アフロディテは単に視覚的なものではなく心理的、内面的要素に立脚する本質的な美の象徴として描かれているのだ。

そもそも神話とは詩的表現であり、現代美術もまた詩的表現である。そして、芸術世界における詩的表現とは、唯一つの起点と終点を持つ哲学的基盤に基づいて表現される思想そのものの抽象であらねばならない。それを備える者の系譜を真の古典的正統とするなら、現代美術は数百年、いや、数千年を経て古典に回帰したと言っても過言ではあるまい。優れた鑑賞者が見なければならないのは描かれた視覚的実像ではなく本質であり、多様に見えるどのような表現形態も手法も、つまりは一点に集約される神々のレジスタンスなのであって、その血を継ぐ者のみが真の芸術家としてその歴史に名を連ねることを許されるのだ。

メリルは父の個展に先んじて読んだ何冊かの研究本の中の一節を思い出しながら、それはこういうことなのかという直感的理解と深い感銘を感じていた。最初にアトリエで見た時に思った通り、まさにそれらの絵は彼の父の本性を余すところなく物語っていたからだ。この夏一緒に過ごしてみて、ふだんの彼が穏やかで優しく、しかもロベール譲りなのかどちらかと言えば基本的に陽性の性質を持っていることがメリルには分かって来ている。息子として身近で接する機会があってこそのことだといえるだろうが、それもまたディの本質の一部には違いない。しかし、一旦それが芸術家という方向にシフトすると、頑として曲がらない信念と哲学的確信に基づいた核の部分が現れるということなのだろう。

細部に渡って完璧に仕上げられたディの作品からは、彼の思想性と同時にその気概と誇りが戦闘的なまでに感じられ、画面が放つ迫力は作者の実在する気迫そのものであると見て取れた。まぎれもなく画家の心がそこに在り、それが見る人々にまがいものではない何か本質的な美と魅力を伝えてくるようだ。そしてそれは、そのまま感動となり感銘となり、会場を出てくる頃には作品についてイヤが上にも語らずにはいられない気分に見る者をさせてしまうのであるらしかった。つまり、ディの絵は心理的にであれ、物理的にであれ、"人を動かす"のだ。事実、それは一般の観客ばかりではなく、ある音楽家などは、彼の個展を見たその日のうちに新曲をいくつも書き上げてしまったと話しているし、その絵に感銘を受けたことが新しい作品のきっかけになったと語る作家や監督も一人や二人ではない。これらの例は、ディの作品に対する共感が、彼らに自身の表現を通じたオマージュを喚起させたと解釈するべきだろう。このようにして芸術史は創造され、受け継がれてゆくのである。

メリルは部屋に戻ってまた大きな溜め息をつき、ソファにどさっと沈み込んで、ぼくは絶対に損してる、とつくづく思っていた。何故なら、ディの絵を息子という立場で見なければならないからだ。もし彼が自分の父でさえなかったら、他の観客と同じように手放しで感動し、凄い絵だった、素晴らしい絵だったと熱狂的に絶賛していられるだろう。しかし、息子であるばっかりに、自分のこの十三年間の苦悩はいったい何だったの? という拘りを背負わされていて、それが彼に簡単にそうはさせてくれないのである。しかも、弟たちに比べて自分は、なまじ父と同じ分野で画家を目指しているために、才能のギャップをつくづく思い知らされて落ち込みまくらなければならない。確かに母の言うことは正しいかもしれないが、ディは十七歳の時には既に"デュアン・モルガーナ"だったのだ。あと四年や五年で自分が当時の父の域に達せるとは、メリルには夢にも信じられることではなかった。

やっぱり、お父さんと自分を比べるのが間違ってるんだね、と母の言い分を哀しくも納得して肩を落としていると、ふいに机の上の電話が鳴ったので、彼はイヤイヤだったが立って行って、はい、と答えた。

― メリルかい?

「あ、おじいさま?」

電話の相手がロベールだったので、メリルは今の今まで暗く落ち込んでいたことも一瞬忘れて嬉しそうな声を上げた。

― そうだよ。夏以来だな。元気か?

「はい。あの時は有難うございました」

― いやいや。私の方こそ楽しかったよ

「おじいさまもお元気そうで...。そう言えば、今、こちらに来られてるんでしたっけ?」

― そうだ。お披露目の準備とかいろいろあってね

「大変ですね」

― うん。まあ、きみは回避して正解だったかもしれんよ

祖父の言うのにメリルは笑って、かもしれませんね、と答えた。

― それで、実は今こっちにファーンも来ているんだが、今夜は泊まってゆくんだよ。きみは、明日学校かな?

「いえ。明日の講義は取っていないので」

― だったら明日にでも遊びに来んか? ファーンもいられると言うし、デュアンももうこっちに来ていてな

「あ、はい...」

弟たちはともかく、今は父と顔を合わせたくない気持ちでいっぱいだったが、祖父とは会いたいし、行かないと言って彼を悲しませたくもなかった。それで、メリルは、じゃ、お邪魔します、と答えた。

― そうか。だったら迎えを行かせるよ。何時頃がいい?

「えっと...、十時頃なら」

― 確か、少し離れたところに広い通りがあったね。あの辺りで十時ということではどうかな?

「そうですね。その時間に、そこまで出てることにします」

― うん。会えるのが楽しみだよ

「ぼくもです」

― じゃ、明日な

「はい」

電話を通してでも、いつも陽気で暖かなロベールの性質は伝わるようで、ほんのちょっと彼と話していただけで、さっきまでの悲観的な気分が吹き飛んでいるのにメリルは気がついた。思い出すとやっぱり、ず〜んと落ち込みがぶり返してくるような気もするのだが、自分が祖父に、今以上の絵を描けるようになって見せると宣言したのは、ついこの夏のことだ。

それを考えると、こんなとこで落ち込んでもいられないなと思えて、父には自分などには及びもつかない才能があることは、もうむかしっから分かっていたことじゃないかと無理矢理開き直った。そうすると、ぼくはぼくだという気もしてくるし、期待してくれている祖父を失望させたくないと思えば元気も湧いてくる。それで、とにかくまあ頑張って描き続けようと態勢を立て直したところに、階下から母の、食事できたわよ、と呼ぶ声が聞こえた。それに、はーい、と答えると、メリルはさっきまでよりは余程ましな気分で部屋を出て、階段を降りて行った。何を言うにも、まだまだ彼も十三歳、若すぎるほど若いのである。

original text : 2010.4.13.〜4.18.

  

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