「お帰り、ファーン。大じいさまのところに行ってたの?」
「そう。ちょっと、ご報告にね」
アレクと初のディナーを一緒にした翌日、少し遅いランチを済ませてからファーンは家に帰って来ていた。母に帰宅の挨拶をしてから、みやげ話を楽しみにしているだろうウィリアムのところに顔を出して、今、ひとしきりその話で曽祖父と盛り上がってきたところだ。
自分の部屋に戻る途中でウィルと行き合わせたのだが、こちらも従弟が帰って来るのを心待ちにしていたようだし、ファーンの方にも沢山話してやりたいことがある。それで、彼は従兄に、ちょっとぼくの部屋に来ない?
と誘ってみた。もちろん、ウィルは願ってもない様子で頷いている。
「きみが帰って来るの、待ち遠しくってさ」
「山ほど話があるんだよ。ウィルが絶対、喜ぶようなことも」
「へえ、なになに?」
いつも落ち着いているウィルに似合わず急かすところを見ると、彼もよほど話が聞きたいらしい。それに笑ってファーンは答えた。
「とにかく部屋で話そうよ」
部屋に入るとファーンは従兄にソファにかけるようにすすめ、それから勉強部屋も兼ねた寝室に置いてあるメーカーで二人分のコーヒーを煎れてきた。家に戻っても夜遅くまで勉強していることがよくあるので、そんな時に執事やメイドの手を煩わせずに済むように置いてあるのだ。
「有難う」
ウィルは言ってカップを取り上げると、挽きたての豆の香りを楽しんでいる。ファーンもはす向かいのアームチェアにかけながら、さしものんびり屋の従兄も絶叫するだろうネタは最後にとっておくことにして、何から話すかなと考えている。
「で?
ロウエル卿って、どんな方だったの?」
ウィルに尋ねられるとファーンはにっこりし、ウワサ以上に素敵な方だったよ、と答えて続けた。
「アレクさん...、ああ、そうだ、ロウエル卿がね、一番最初にアレクさんって呼んでいいって言って下さったんだ」
「そうなの?」
「うん。ぼくも、失礼になってはいけないと思ってためらったんだけど、お父さんの家に来てまで"ロウエル卿"なんてやりたくないって仰って、それで、その方が本当に嬉しいみたいだったから」
「なるほど。じゃ、そのへんウワサ通りってわけなんだ」
「やっぱり、表向きは立場もあるし、公的な場所でそうそうそれに相応しくない態度は取れないみたいだよ。もともと彼も生粋の貴族の出だから、習慣とか慣例的なものをよく知ってらっしゃるだけに、かえって外せないんだろうけど」
「それはあるだろうね」
「でも、プライヴェートでは本当に気さくな方で、ぼくも最初は固まってたものの、話しているうちにすっかり"お父さんの友だち"って感じになって来てさ。デュアンも一緒だったから気が楽にもなったし」
「へえ」
「お父さんも若いけど、彼も若いよね。考えてみればまだ四十代半ばなんだもの。IGDクラスの企業のトップとしては...、っていうか、IGDそのものが前代未聞のスケールなんだから比較できるものなんてないけど、一般的に見ても経済界のお歴々に比べて遥かに若いわけだから」
「そうだねえ。うちのおじいさまやシャンタン伯爵だってまだ立派に現役なんだし、父さんがいつも、おじいさまの代理とかでパーティなんかに出席するたび、若造扱いされるから困るって言ってるくらいで。特にクランドルの政財界は、じーさん連中がやたら元気だからなあ...」
「大じいさまが本格的に引退なさったのも80代に入ってからだったそうだものね」
「うん」
「で、さ。そんなだったから、ウィルのことも簡単に切り出せたし、ちゃんとアレクさんに話しておいたからね」
「えっ、本当?!」
「ホントだよ。ウィルがルーク博士とアリシア博士のファンなんだって言ったら、彼からお二人に伝えておくって約束して下さったし」
「えええええっ」
このくらいで絶叫してちゃ、例のアークご招待の話をしたら卒倒しそうだなとファーンは内心笑いながら続けた。
「お二人はやっぱり、ぼくたちが思っていた以上に凄いみたいだよ。不世出の天才だってことはよくよく知ってるつもりだったけど、アレクさんの話では、あまりにも急激に成長したIGDの全貌を把握してるのは、今ではお二人くらいのものだろうって。アレクさんですら、もう末端に行ったら何がどう連なってるのか把握できてない部分もあるそうだから。それに、彼らの頭脳なくして今のIGDはないとも断言してらしたし」
それにつくづく感心した様子で、ウィルは頷きながら、なるほどねえ、と言っている。
「ぼくが一番驚いたのは、これはお父さんが話してくれたことなんだけど、ルーク博士は十歳の頃にもう、どんな分野でも興味を持ったことには自分でデータを集めて分析して、すぐにエキスパートになってしまうほどだったんだって。だから、先生につく必要もなかったらしいよ。それだけ把握力が優れてるってことなんだろうけど、なにしろマリオ・バークレイ博士がついておられたから環境的なものっていうか、人脈も凄かったみたいでさ」
「う〜ん...」
「お父さんが言うには、ぼくらでもそういう学習の方法はある程度真似られるだろうけど、オリジナルのアイデアで独自展開して発展させることにかけてはちょっと真似られないほど高い展開力をお持ちなんだって」
「真似るったって...。そりゃ、うちの教授たちのウワサではきみのお父さんも相当な頭脳の持ち主らしいから言えることなんであって...」
「それはぼくも思ったけど」
「なんだかなあ...。まあ、それくらいでなきゃ、IGDみたいな未曾有の試みはそもそも考えつくことすらできないだろうけど、殆ど人類超えてるよね、それって」
感心しつつも、あまりのスケールに多少呆れたような様子で言うウィルに笑ってファーンが言っている。
「そういえばアレクさんがね、彼らと比べれば全人類みんな凡人みたいなものだから、ぼくらが悲観することはないって」
それを聞いてウィルはとうとう突っ伏してしまった。
「あああああ」
「まあ、上には上がいるってことで、ぼくらはぼくらに出来る限りのことをするしかないってことなんじゃないかと」
「そうだねえ...」
「アレクさんですらそうなら、ぼくらなんて」
それに頷きながら起き上がって、ウィルが言っている。
「うん。精進努力だよね、大じいさまがいつも仰っているとおり」
「そういうこと。それでさ、思いっきり落ち込ませちゃったけど、いい知らせもあるんだよ」
「えー、なに?」
「アレクさんが、そんなにルーク博士たちのことに興味があるなら自分たちで聞いてごらんって、ぼくとデュアンのお披露目が済んだらアークに招待して下さるって...」
「まさかっ!!!」
今度はまるっきり信じていない様子でウィルは叫んだ。ファーン自身、最初に聞いた時はそう思ったので彼の気持ちはよく分かる。
「ホントだよ」
「在り得ないよ!
絶対、そんなの在り得ない!
きみはぼくをかついでるんだ」
「かついでなんかいないよ。ぼくだって聞いたときは"在り得ない"と思ったけど、アレクさんは本気みたいだったし...。彼はその場限りで調子のいいことなんて絶対言う人じゃないからね」
「それはそうだろうけど...。ね、それって、きみやきみの弟だけじゃなく、ぼくもって思っていいわけ?」
「もちろんだよ」
それでもウィルはしばらく信じられないという顔をしていたが、ファーンがこれまで彼をからかうような言動をしたことなどないことでもあり、そのうちどうやらそれが本当のことだと思えて来たようだ。
「もし、それが本当だったら...」
「本当だってば」
「いや、しかし、いくらなんでも」
「でも、考えてみてごらんよ。ぼくがアレクさんに実際に会って来たんだよ。ウィルがルーク博士たちに会える日が来ても、それほど不思議じゃないと思わない?」
「それはぼくがこの先、大学を卒業して経済界に入ってからなら在り得るかもしれない。でも、ぼくなんてまだただのコドモじゃないか。そんなの...、なんか返って、ぼくなんかにルーク博士たちのお時間を割かせるなんてご迷惑じゃないかと...」
「これはぼくの感じだけど、ルーク博士もアリシア博士もアレクさんよりさえずっとお若いわけだから。それ考えると、わりとそういうの気軽に受け付けて下さるんじゃないかなあと。それはもちろん、誰でもってわけにはゆかないだろうけど、今回の場合、アレクさんの紹介ってことになるんだし」
聞いてウィルは殆ど悲鳴のような声を上げた。
「ロウエル卿の紹介!」
「どうしたの?
いきなり叫んじゃって」
「だって、だって、だって、それこそ在り得ないよ!」
既にすっかり舞い上がってアタマの中がわやくちゃになっているらしいウィルに、改めて気持ちは分かると思いながらファーンは言った。
「在り得ないって、実際そうなんだから。ま、とにかく、ぼくたちのお披露目が済んでからの話だし、今は楽しみに待っていようよ」
ウィルはそれには答えず、すっくとソファを立ってくるとファーンの前まで来て膝を折り、従弟の手を取って、本当なんだね、と深刻な面持ちで再び尋ねた。いつものウィルからは考えられないその様子に、また内心笑いながらファーンは答えている。
「うん、本当」
「有難う」
「何が?」
「ぼくのことをロウエル卿に話してくれて」
「ああ、そのこと」
「一生、感謝する」
「そんな、いくらなんでも大袈裟な」
「いや、ぼくにとっては一生に一度くらいの幸運だよ。これで人生の運を使い果たしてなきゃいいがと思うくらいだ」
あまりに真面目に言うものだから、ウィルはこれほどまでにルーク博士たちのことを尊敬してたのかとファーンはちょっと感動している。
「楽しみだなあ。あ、でも、つまらないヤツと思われないようにぼくとしてはどうすべきか...」
「え?」
「よし、もっともっと勉強しよう。悪いアタマでも、努力すればそこそこなんとかはなるはずだ!」
悪いどころか今でも学校では常時首席で、これ以上ないくらいよく勉強しているのに、とファーンは思っている。しかし、確かに見どころのあるヤツと思われるためには、自分たちにはまだまだ学ばなければならないことが山ほどあるのも確かだ。
後に、お披露目のあと、本当にアレクの口利きで彼ら二人とデュアンは、アークに招待されてマーティアに会うわけだが、ウィルはそれを機会にそれまで逃げ腰だったクロフォード家の跡取りという立場に本気で取り組む決意をするほど、この会見に感銘を受けることになる。どちらかと言えばビジネスマンより学者になりたい彼にとって、学者でありながら世界のビシネスをリードする立場にあるマーティアと実際に会って話すことが、大きな刺激になったことは言うまでもない。
それからウィルはソファに戻って、また二人はファーンの貴重な経験について長い間話し合っていた。
original
text : 2009.9.20.+9.22.+9.28.
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