翌日、ファーンは従兄たちと一緒に寄宿学校に戻って来ていたが、その日の授業も終わり、中庭を寄宿舎の方へ歩いてゆく途中で頭上から足元に小さな石コロが降って来たので驚いて足を止めた。見上げると大木の枝に上級生が一人、太い幹にもたれ、足を投げ出して座っている。どうやら石を投げたのは彼らしい。
「よお、ファーン。どこ行くんだ?」
「危ないじゃないですか」
「当てやしねえよ。おまえが歩いて来るのが見えたからさ」
言って、ランドルフは軽い身のこなしで枝から飛び降り、スタっと地面にカッコよく着地した。
「寄宿舎に戻るのか?」
「ええ。あなたはまた、サボってたんですね」
「自主休講と言ってくれ。こんな天気のいい日に、授業なんて受けてられっか」
「で、昼寝してたんですか」
「まあな」
ファーンのように凛とした美形というわけではないが、背は高く、いくらか繊細な感じのする少年だ。ちょっとハスキーで魅力的な声を持っている。制服のタイこそゆるめて不良っぽくラフに着ていても、もともと育ちは良いからそれほど荒んでは見えないし、さらっとしたブロンドはすっきりと切り整えられていて、櫛もちゃんと通してあるようだ。ほんの一年ほど前ならもう少しコワモテに見えたかもしれないが、今の彼は元の、なかなか愛嬌があって憎めない雰囲気を取り戻しつつあった。
「ところでおまえ、このまえ可愛いコと街歩いてたって?」
「どこの情報ですよ、それ」
「どこだっていいだろ。あの界隈ではおれがけっこうカオって知ってるじゃないか。いろいろ教えてくれるダチはいくらだっているんだよ。第一、おまえは目立つしな」
「ハタ迷惑な友だちですね」
「ハタ迷惑ってことは、それは事実なんだな」
「事実ですよ、すっごく可愛いコと歩いてました」
ファーンがあっさり認めるので、気分を害した様子でランドルフが言っている。
「おまえなあ、ファーン。おれがおまえに惚れてるって知ってて、女作るか?」
それへ、また、からかうんだから、と思いながらファーンは答えた。
「男の子ですよ、あれ」
「おい」
「え?」
「おまえ、まさか」
「ヘンな想像しないで下さい、あなたじゃあるまいし」
「じゃ、なんなんだよ」
「あれは、弟です」
「弟?
おまえ、イトコは山ほどいるけど、兄弟なんていないじゃないか」
「出来たんです、最近」
「バカ言うな。最近出来た弟が、おまえと一緒に肩並べて歩けるわけないだろ」
「ほんとですってば。ま、そのうち分かりますよ」
それを聞いて、ランドルフは少し何か考えているようだったが、彼にとってはそれがファーンの弟だったとしても、ガールフレンドでないなら今はそれ以上追求するネタでもないらしい。彼には、もっと大事なことがあるからだ。
「ま、弟なんならそれでもいいけどさ。前々から言ってるのに、もしかして本気にしてないな?」
「本気って、何をです?」
「だから、おれがおまえに惚れてるって話」
「お母さんが出てっちゃったからって、女嫌いですか?
よくあるパターンですよね」
「おまえ、言うにこと欠いてヒトの家庭問題を」
ファーンが母の私生児で、父親を知らずに育っていることをランドルフは知っている。実は、自分の母が父と別れて昔の恋人のもとに去ったことにすねてグレていた彼は、ファーンが自身の境遇をものともせずに強く生きていることを知って、自分の駄々っ子のような行動をちょっと恥ずかしいかもと思ったという経緯があった。それやこれやでこのところ少しマトモになって来つつあるようなのだが、そんなわけでファーンにだけはずけずけ言われても、彼は本気で怒る気になれないようだ。
「いや、そんなことはどうでもいい。とにかく、おれはね、おまえのことが気に入ってるんだよ」
「有難うございます」
今さらこんなふうに上級生に対して礼儀をわきまえたような口調で返すのは、ファーンの冗談だとランドルフにも分かっている。例のケンカ騒ぎ以来、何かとちょっかいを出してくる彼に対して、ファーンは既にすっかりあしらい方のノウハウを確立しているらしいからだ。
もちろんファーンにしても、なにしろ目立つ容姿のせいで、入学当初からそのテの伝統に忠実に従おうとする上級生から目をつけられることなんてしょっちゅうだったから、例えランドルフが本気で言っているとしても驚くほどのことではない。しかし、はっきり言ってしまうと、ファーンは可愛い女の子の方が断然好きなのだ。なにしろ、曽祖父と父と、どちらも名うてのプレイボーイという血筋では、それも無理からない話かもしれなかった。
「まったく、食えねえガキだな」
「でも、不思議ですね。ぼくは、あなたは基本的にストレートだと思うし、今までだってそんな話はなかったみたいじゃないですか。だから、ぼくにはからかわれているとしか思えないんですけど、何がどうなってそういう話になるんです?」
「さあ?
確かにおまえの言う通り、おれだって自分にはそういうシュミはないなって今でも思ってる。ただ、おまえって何か、他の連中とまるっきり違うからさ。ついつい、ちょっかい出してみたくなるんだよ。キレイな顔して、おれのことブチのめすくらい強いんだからな。ちょっといないぜ?
おまえみたいなやつ。だから、連れて歩いたら気分いいだろうなと。みんな、羨ましがるに違いないし」
「ぼくはアクセサリーじゃありませんよ」
「分かってるよ、そんなこた。第一、おとなしくアクセサリーに収まってるようなタマかよ」
ファーンはそれには、微笑を返しただけだった。
「実際、カッコいいよな、あれだけ強ければ。おれもケンカはけっこう場数踏んでるし、まさかのことにおまえみたいな可愛いお坊ちゃんにあんな芸が出来るとは思ってもみなかったから驚いた。あの時は、本当に折れるかと思ったぞ」
「折れば良かったですね。そうすれば、もっとおとなしくなってたでしょうから」
「おまえ、ケンカ売ってんのか?」
「売りましょうか? 買ってくれるなら、いつでも売りますけど?」
「買わない。おれはあれ以来、自分より強いヤツとはゴロまかないことにしてるんだ」
「それは賢明だと思いますよ」
「全く、ナマイキなやつだよな。上級生に向かって」
「上級生なら上級生らしく、下級生の模範になるように生きて下さい。お願いですから」
ああ言えばこう、こう言えばああ、まったく口の減らないヤツだとランドルフは思っている。しかし、ファーンの場合、いくらポンポン言ってもそれが嫌味にはならないようだ。それはストレートに、言うべきことを言っているという気概があるからだろう。結局、ランドルフ同様、ファーンもまだ若すぎるくらい若いということなのだろうが、こんなしたたかなところも、彼がファーンを気に入っている理由かもしれない。
「"模範的な優等生"なんてものには、おれは今ではもう全く魅力を感じないんでね」
言って、彼はふと何か思いついたように続けた。
「しかし、考えてみるとおれが負けるっていうのは、おまえが正式に武道を習ってたせいなんだし、それって一日の長ってヤツだよな。そうすると...、そうだ、な、おれにも教えろよ」
「教えるって、拳法ですか?
それとも空手?」
「そんなにやってたのかよ。強いわけだ」
納得がいったように頷いて、ランドルフはどっちでもいいから、と言った。しかし、ファーンの答えはそっけない。
「ダメです」
「どうして?」
「だって、あなたに教えるなんて、それこそナントカに刃物じゃないですか。犠牲者を増やす手助けなんてしたくありません」
「まったく、可愛げないな、おまえは」
渋い顔で言うランドルフに笑って、ファーンは話題を変えた。
「そう言えば、あなたの成績が元に戻って来てるってウィルが喜んでましたよ」
「あいつに喜ばれる筋合いなんてないね」
「何言ってんですか。ウィルはずっとあなたのこと気にしてるんです。避けられてるってことには、けっこうキズついてるみたいだし。この際、せめて成績くらい、ウィルと張り合ってた頃に戻しちゃどうです?」
「それこそ、冗談言うな、だよ。おれはもう、かつての秀才じゃねーもん。それに、過去の栄光に拘るつもりもないしな」
「って、自信がないだけじゃないんですか?
何年もサボってたわけだから、今さらウィルに追いつくのはムリでしょうしね」
「言ったな。だいたいな、ウィルだけじゃなくおまえもだけど、なんでそんなに毎日毎日、嬉々として"勉学に励む"なんてことができるのか、おれには理解できないね。世の中にはもっと面白おかしいことがいっぱいあるんだぜ。勉強だけが人生じゃないだろ?」
「ぼくはいずれビジネスの世界に入りたいと思ってますし、家の事情とかいろいろあってやっぱりそういうことになりそうだから、頑張るだけですよ。あ、これはウィルもですから」
言いながら、ファーンにはちょっと名案が浮かんだようだ。今のランドルフなら、もしかするとこれがウィルと仲直りするきっかけになるかもしれない。
「ああ、そうだ。もし本当に武道を習いたいなら、ウィルに頼んでみるといいですよ」
「なんで、あいつに?」
「うちは大じいさまの方針で、男の子はみんな強いんです。女の子もまた別の意味で強いですけど。だから、ウィルだって使いますよ、拳法くらい」
それを聞いて相当驚いたらしく、ランドルフは鳩豆な表情で言った。
「えっ? まさか、あいつが?
あの、ぼんよりしたヤツが?」
「何がまさかなんです?
彼はあなたと違ってああいう人ですから、むやみやたらと無益な暴力はふるわないだけです」
「キツいよなあ、おまえは。いつものことだけど」
「キツいついでに言いますけど、ウィルはあなたのこと、ずっと心配してるんですよ。親友だったんでしょう?」
「昔のことさ」
「ウィルにとっては過去になってません。でも、彼が何か言うとあなたはよけい反発するだけだから、静観するしかないって嘆いてました。ちょっとは彼の気持ちも考えてあげて下さい」
ランドルフは、毎度のことだが、こいつはいつでも痛いとこついてくるよなあと思っている。しかし、ファーンにはアタマだけではなく、暴力で来られた時もきっちり対応する力があることを知っているから、年下とはいえ彼もバカにしてはかかれないのだ。ましてやファーンの言うことは、客観的かつ公正に見ていつでも正しい。
そろそろ16歳になろうとするランドルフには、父や母のことで一時期グレた気持ちになっていたことがガキだったよなとは思えてきているし、生真面目なウィルがそんな彼を心配していてくれたことも分かっている。しかし、一旦"問題児"のポーズを取ってしまった限りは、そう簡単に優等生に逆戻るのもつまらんという気がして、かつての親友であるウィルとも距離を置いたままなのだ。
「おまえんちのひいじいさんって、確か九十を越すとかゆー?」
「そうですよ」
「で?
いまどき、その化石化したじいさんの方針だって?」
「失礼なこと言わないで下さい。大じいさまは化石化なんてしてません。今でも、現役で立派に通用する筋金入りのビジネスマンです。だから、うちはみんな大じいさまのことを尊敬していて、目標にしてもいるんですよ」
「とんでもない一族だな」
「あなたも一度、会ってみれば分かります。うち、来てみます?」
「やだよ。こっちまで化石化しそうじゃないか。自慢じゃないが、うちは立派な成り上がりだからな。根本的におまえらお貴族サマとは格が違うんだよ。まったく、成金親父のくせにオレをこんな学校に放り込むから...」
「でも、あなただって、いずれはお父さんの後を継ぐんでしょう?」
「冗談じゃない。このトシで今から人生決めてどーすんだ?
おれ、ほんと不思議なのはさ、おまえにしてもウィルにしても、なんでそんなクソまじめに親の後継ぐとかってさっさと自己規定しちまえるのかってことなんだよな。世の中は広いし人生は長いんだぜ?
それじゃ、退屈しちまうよ」
「じゃ、あなたは何になるつもりなんです?」
「そりゃー、これからじゃん。自分に何が向いてるかは、これから考えて決めるよ」
「ふーん」
「何?」
「何も考えてないのかと思ってたけど、けっこうマトモなこと言うんですね」
「おおきに、お世話さまだよ」
本来はファーンやウィル同様、お坊ちゃん育ちのランドルフが、そんなふうに蓮っ葉なもの言いをするとどこか借りもののように響くことにファーンはこの時初めて気がついた。これまでは"問題児"のイメージが強すぎたので、乱暴なモノ言いも板について聞こえていたのだ。しかし、最近はファーンにもかなり彼のことが分かってきているせいもあるのだろう。なるほどね、とそれに内心笑いながら言っている。
「そうそう。この前は、弟と一緒にアーノルドの親父さんの店に行ったんです。そしたら、あなたにもよろしくって。前にお手伝いしたこと、喜んで下さってました」
「そっか。ま、あの親父には借りがあるからな。でも、おまえまで巻き込んで悪かったよ」
「いえ。ぼくも楽しかったですから。じゃ」
そう言いおくと、ファーンは寄宿舎の方へ歩き始めた。ランドルフはそれを止めようとはせず、声だけが後ろから、また、デートしようぜ、と追いかけて来た。ファーンは歩きながら笑って振り向き、手を振って見せただけで歩み去った。
original
text : 2009.9.28.+9.30.
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