「おじいさまっ」
「おお、デュアン!
よく来たな」
アトリエに入ってくるなりデュアンは祖父の姿を見つけて声を上げた。こんな可愛い孫に、こうも手放しで嬉しそうな顔をされて喜ばない祖父などあるまい。ロベールが満面笑みになり、両手を広げて歓迎する様子を見せるとデュアンは嬉しそうにたたた、と走ってきて、その腕に飛び込んだ。まったくこの子はくったくがなくて感情表現がオープンだ。実際、このノリはロベールとも共通のラテン気質からくるものだろう。デュアンの場合、母のカトリーヌもそうなので、他の二人よりよけいその傾向が強くなっているらしい。
「こんにちわ、会いたかったで〜す」
「私もだよ、まあ、かけなさい」
言ってロベールは孫を促し、一緒にソファに並んでかけた。
父に言われて、ディがおじいさまが来ていて会いたがってるんだけどと電話をかけると、デュアンはぼくも会いた〜いと言って週末にかけて遊びに来ると約束してくれたのだ。本当はその日にでも来たい様子だったのだが、翌日はまだ学校があった。それで一日置いて、今日になったのである。
「元気だったか?」
「もちろんです。おじいさまもお元気そうで良かった♪」
「それはもう、こんなに可愛いマゴが出来たんだから、ぐっと若返った気分で毎日楽しくてな」
ロベールの冗談にデュアンは笑っている。顔を合わせるなり和気あいあいなムードの二人の側で、アームチェアにかけていたディはすっかり忘れ去られていたが、横から口を出した。
「ね、デュアン。ちょっと気になってたんだけど、今日、カトリーヌはすんなり出してくれた?」
「ええ。...っていうか、こういう話の最中なんでぼくも気になって、お父さんから電話があった時にママに行っていい?
って尋ねたら、あっさりいいわよって言ってましたから今日も全然。行ってらっしゃいって、いつも通り機嫌よく送り出してくれましたけど」
「そう」
「ママってああいうヒトですから、それとこれとは別の話って思ってるんじゃないかな。それに、だいぶ気持ちの整理はついてきたみたいですよ?」
「それならいいんだけどね」
「すまんなあ、デュアン。きみにも、きみのお母さんにも無理を言って」
祖父が言うのへ、デュアンはにっこりして答えた。
「ちょっとやっぱり、ママには辛い話みたいなんで。でも、お父さんもおじいさまも本当に困ってらっしゃるようだし、ぼくとしてはお受けできたらと思うんですけど」
ロベールはそれへ、頷きながら言っている。
「少なくともきみがそう言ってくれて助かったよ。全く、本当なら跡取り問題なんてとっくにカタがついていていい頃なのに、なにしろコイツが...」
言って彼は息子の方へ顎をしゃくって見せてから続けた。
「こんなだもんだから、おじいさまも苦労していてな。これまでも気が気じゃなかったんだ」
デュアンはそれにマジメな顔で、お察しします、と冗談を言った。ディもロベールもこのナマイキな答えには笑っている。
「ま、きみのお母さんにもきみを取り上げるんじゃなく、家族が増えると思ってもらえるといいんだがね。ディからいろいろ話も聞いているし、今はまだ、お母さんの気持ちを逆撫でしてもいかんと思うから何だが、跡取り問題が落ち着いたら私も一度会ってみたいとは思っているんだ」
「そうママに伝えておきます。ぼくも、ママとおじいさまってけっこう気が合うんじゃないかという気がするし」
「そうか」
「それにママも事情は分かっているはずですから、跡取りのことはたぶん大丈夫だと思いますよ。ぼくも、こっちに来るとはいえ、ママのことは心配なので気を配るつもりだって言ってあるし。ママが駄々こねる気持ちは分かりますけど、実際、それほど遠くもなくて、会えなくなるとかでもないんですもん。もし遠いとか長く会えなくなるとかなら、ぼくだって淋しいからかなり考えちゃうと思いますけどね」
それを聞いてロベールは頷くと、ま、それじゃそれはママのお気持ち次第ということだな、と言った。
「ええ」
「ではその話は今しばらく待つしかないということで、だ」
言うと、ロベールはテーブルの上においてあった小さな包みを取り上げた。
「早速なんだが、これを渡しておかないと」
「え?」
「おじいさまからのプレゼントだ」
言われて包みを渡されたデュアンは一瞬鳩豆な顔をしたが、それから"おじいさまからのプレゼント"というフレーズにじ〜んと感動が押し寄せて来たらしい。それとともに目に涙すら浮かべて絶句状態に陥っている。
「おいおい、泣かんでもいいだろう」
「だって...」
「あけてごらん」
「だって、ぼく、おじいちゃんからプレゼントもらえるなんて...。そんなの、初めてで...」
言って今度は大々的に涙が止まらなくなったようだ。さすがにロベールは困っているが、ディは笑ってそれを見ている。デュアンらしいな、と思ったからだ。
「ごめんなさい。でも、ぼくにもやっと本当におじいちゃんが出来たんだなあって実感しちゃって。よく、友だちが田舎のおじいちゃんやおばあちゃんに会いに行ったとか、プレゼントもらったとか、こともなげに話してるの聞くんですけど、ママの両親はママが小さい頃に亡くなってて、ぼくにはどちらもいなかったから。だから、おじいちゃんやおばあちゃんがいるってどんなだろうなって思ってたんです。でも、そんなことママには言えないじゃないですか。仕方がないことなんだし。だから、諦めてたんですけど、でも...」
デュアンがしゃくりあげながら言うものだから、ロベールも既にもらい泣きの態勢に入りつつある。彼には、この子が最初会った時に言っていた"おじいさまと兄さんが二人も一気に出来るなんて夢みたい"というのが、社交辞令でもなんでもなく、どれほど本心からの言葉だったかが改めて理解出来たからだ。しかも、いつもはきはきしていて気丈なデュアンの涙だけに、これはロベールでなくともぐっと来たかもしれない。
祖父のみならず曽祖父までいる大家族の中で育ったファーンや、最近まで母方の祖母が存命だったというメリルと違って、これまで文字通りの母一人子一人だったデュアンには"祖父母"という存在そのものが憧れの対象だったのだろう。どんなにしっかりしていてナマイキでも、デュアンもまだまだほんのコドモなのだ。
ロベールはハンカチを出して、貸してやりながら言っている。
「そうかそうか。なあ、本当にもっと早く知ってさえいたら、うちにも呼んでやれたし、プレゼントなんてデュアンが飽きるくらいしてやれたのにな。よしよし、もう泣くな。これからは、きみにもちゃんとおじいちゃんがいるんだから」
「はい...」
二人の感動に水を差すのもどうかと思ったが、放っておいたら二人して抱き合って大洪水になりそうだったので、ディは仕方なく口を挟んだ。
「とにかくさ、デュアン。あけてみたら?」
「あ、はい」
まだ泣きやめられないながらもリボンをとき、デュアンは中から出て来た革のケースを開けてみた。すると今度は涙も止るほど驚いた顔をしてまじまじと入っている時計を見つめたまま、思考停止状態に陥ったらしく動かなくなってしまった。
「ん?
どうした? 気に入らんか?」
「おじいさま...」
驚きで一旦止まっていた涙がまた溢れ出し、とうとう感慨のあまり祖父に抱きつくと、デュアンは再びわんわん泣き出した。
「おいおい、そんなに泣かんでも...」
「だって、こんなの。ぼく、本当にもらっていいんですかぁ?」
世事にうといメリルに比べてデュアンはこれでけっこう世の中のことをよく知っている。そもそもパソコン少年でもあるので、なかなかの情報通なのだ。しかも彼の母もブランド大好きママだから、二人の間ではよくその方面のことが話題に登る。そんな事情もあって、デュアンにはひと目見ただけでそれがどういう由来のものか分かったのだろう。
「もちろん、いいに決まってるじゃないか。デュアンのために作ってもらったんだからな。兄さんたちや、私やディともお揃いなんだぞ」
「それって、凄い。ぼく、宝ものにして大事にします!」
二人は抱き合って、既に言葉もなく涙にくれている。もう、こうなってはディも割り込みようがないので、しばらくそのままにしておくしかなかった。
しかし、それから少ししてノックの音がするとアーネストのお茶をお持ちしましたという声が聞こえてきた。ディは、二人の気持ちも分からないではないが、とりあえず目の前のこの状況をどうしようかと考えていたので、ちょっとほっとした様子で、ああ、入っていいよ、と言った。
彼の答えに応じでお茶やお菓子の乗った大きなワゴンを押してアトリエに入って来た執事は、なにやら祖父とマゴの感動のワンシーンが繰り広げられているらしいのを見て、邪魔してはいけないかなと思ったらしくドアのところで立ち止まった。しかし、ディがいいよ、と言うように頷いて見せるので、彼はワゴンを押して3人の方に歩いてくると、いつものようにテーブルにお茶のセットを並べ始めた。それに気付いたロベールは、いつまでも抱き合っているわけにもゆかんなと思ったらしい。デュアンの肩をたたきながら言っている。
「お茶とお菓子が来たぞ。ほらほら、いつまでも泣いてないで」
ロベールが言うとデュアンは、はい...、と言って、まだしゃくりあげながらテーブルの方を向いた。
「お菓子もいっぱいだ。どれがいい?」
「ぼく、いま胸がいっぱいで...」
「よしよし。じゃ、とにかくおじいさまが選んでやろう。デュアンはチョコレートのが好きだったか」
「ええ...」
いつもデュアンが来る時にはお菓子を焼いてくれるマーサもそれを心得ているのだろう。ワゴンの上には生チョコのタルトやチョコレートクリームを巻き込んだロールケーキ、ザッハトルテなど、これまでデュアンに美味しいと好評だったものが沢山並んでいた。もちろん、その他にイチゴと生クリームを使ったものやチーズケーキなどもある。
ロベールの指図に応じてアーネストはケーキを切り分け、皿に盛るとテーブルに置いた。
「あ、ぼく、できたらそっちのプリンも...」
美味しそうな焼きたてケーキの香りを嗅いで、どうやら調子が戻って来たらしい。デュアンが真っ赤な目をこすりながら涙声で言うと、アーネストは微笑んでそれも別の皿に乗せ、さっきのぶんの横に置いた。ジャスミンティの風味がするこのプリンはマーサのご自慢のひとつで、既にデュアンの大好物になっている。
お茶とお菓子がゆきわたると一段落ついた雰囲気が広がり、ロベールにもプレゼントがまだまだあったことを思い出す余裕が戻ってきたようだ。デュアンが来る前にアトリエに運び込んであったものをアーネストに持って来させて言っている。
「時計くらいで驚いてちゃいかん。プレゼントはまだまだあるんだぞ」
「え...」
アーネストが部屋の隅から運んでくるものが目の前にどんどん積み上げられてゆくので、さすがにデュアンも、まさかコレ全部?
と思ったらしく、目が点になっている。
「もっ、もしかして、これ全部ですか?」
「そうだ。デュアンの好きなものばかりだと思うよ。どんどんあけてみなさい」
ロベールに言われてかたっばしから包みをあけてゆくと、出て来たのはクラシック・カーのダイキャストモデルや今、この年の子供たちの間で流行りの鞄やリュック、木製の積木と可愛いオブジェ、ぬいぐるみにミニ・ゲームに高性能カメラなどなどなど、どれもデュアンが欲しがっていたようなものばかりだった。しかし、中でも見るなり彼が歓声を上げたのは最新のパームトップPCだ。ひとつひとつ開けるたびにどんどん楽しくなってきたらしく、やっと涙も止まってきている。
「わっ、これ」
「そのシリーズがいいんだってこの前言ってただろう?
お店の人に聞いたら、それが最新のやつだって言ってたぞ」
「そうなんです!
前のタイプは持ってるんですけど、これ新しい機能とかもいろいろ使えるようになってて性能も上がってるし、雑誌で見て欲しくてママにねだったら、今持ってるのもそんなに古くなってないのにもったいないでしょって。それでどうしても欲しかったらお小遣いためなさいって言われちゃって。だから今、すごく頑張って禁欲生活してるとこだったんです」
それを聞いたディは、困った様子でロベールに言った。
「ほらあ、だから言ったじゃないですか。カトリーヌに怒られますよ。ちゃんと彼女が躾ようとしてるのに」
「いいじゃないか、いつもいつもというわけじゃないんだから。なあ、デュアン?」
「そうですよねっ。ぼく、絶対大事に使います。それに前のだって、そのまま使うんだし」
「だから、本当にいつもいつもになったりしないようにして下さいってことですよ。デュアンのことだから大丈夫だとは思いますけど、でも、ぼくはカトリーヌが正しいと思いますから」
「分かった、分かった」
ロベールの生返事にほんっとーに分かったんでしょうね、とディは念を押したい気持ちになったが、デュアンは喜びまくっているし、これ以上何か言っても父にはうるさいやつと思われるだけになりそうだ。仕方がないので彼はクギを刺すのはそのくらいにして、お茶が冷めますよ、と二人を促した。
それに頷いて、ティ・カップに手を伸ばしながらロベールがデュアンに言っている。
「カトリーヌさんは、なかなか厳しいママのようだな」
「う〜ん。友達のママと比べるとわりと甘い方かなって思いますけど、でも、ダメなことはダメってビシっと言われますね、うんと小さい頃から」
「なるほど。彼女のご両親は小さい頃に亡くなったと言ってたね」
「ええ。まだママが学校に入る前に事故でだったそうですけど」
「そうか」
それへディが横から説明を加えた。
「カトリーヌは、あれでけっこう苦労人ですよ。ご両親を失ってからしばらくは施設で育っていて、後には親族の方に引き取られたそうですけど、事情は複雑だったみたいですね。だから、アートスクールから上も奨学金を取って行ってるんです」
息子の言うのにロベールはちょっと驚いた様子で、そうなのか?
と言った。
「ええ」
「それなのにまだ三十代であれだけの成功とは恐れ入るね。画家としてだけじゃなく、商才も相当あるようだ」
「美大の時は、うちの財団の奨学金をもらったって言ってました。まあ、あれだけの才能ですから、一旦道がついてしまうとトントン拍子だったようですけど、そこへ行くまでがね」
「だろうな。しかし、それはなかなか素晴らしい」
ロベールはこういう話がけっこう好きだ。それを知っていてディも話したのだが、今ロベールが事業を任せているブレインの中にも、彼らが関与する財団から援助を受けて上の学校に進んだ者が何人かいる。
「これはますますカトリーヌさんにも会うのが楽しみになってきた。ああ、それでな、デュアン。そのお母さんが了解してくれればの話なんだが、話が決まったらきみとファーンをお披露目する必要があってね」
「お披露目?」
「そうだ。普通ならそんな必要もないんだが、これまできみたちがディの息子だとは誰も知らないまま来ただろう?
それで、うちには跡取りがいないということにもなっているし、このへんではっきりさせておかなくてはならないんだよ。オトナの世界はいろいろと面倒でな」
聞いて、デュアンは頷いている。
「そんなわけで、まあ、ファーンは何も問題はないようなんだが、メリルは画家を目指していることもあって、親の七光りはご免ということなんだね。つまり、ディの息子と分かると良くも悪くも純粋に作品だけを、素直に評価してもらえないんじゃないかということで、しばらくは今のままということになりそうなんだ。そうすると、きみとファーンをということになるが、きみもイラストレーター志望だと言っていたからにはメリルと立場は同じだ。だから、そのへんのところ、きみはどう思うかなと思ってね」
デュアンはどう答えたものかとしばらく首を傾げていたが、兄が何をどう気にしているのであれ、自分に関してはディの息子だと知れ渡ったところで大して問題はなさそうに思えた。そもそも、"人気イラストレーター、カトリーヌ・ドラジェの息子"であることに、デュアンは生まれた時から慣れっこになっている。それに、どうかすると"お芸術"を担いでヘンな権威主義に陥りかねない、厄介なところがないでもない画壇に比べれば、マスコミを活動の中心としている彼の母の周囲は比較的オープンだし、油彩に比べてイラストは評論家の格式ばった評価より人気が全ての世界でもある。つまり、誰の子供だろうが結局はパブリックの支持を強く受けられるかどうか、その方がストレートに評価に繋がるのだ。
それでデュアンはお披露目のことについても自分には問題なしと結論したようで、さらっと答えた。
「ぼくなんて、とっくから親の七光りですもん。今さらそれが倍になったところで、そんなものいちいち気にしてたらやってけませんよ。その点、メリル兄さんってヤワですよね。いいじゃないですか、要は実力なんですから」
メリルが父に反感を抱いていることを知っており、逆にそのことそのものに反感を持っているデュアンは長兄に対してなかなかキツいもの言いをする。ロベールはそれを聞いていて、この子もこんな可愛い顔をしているくせに言うことは言うタイプだなと楽しく考えていた。しかし実際、このくらいでないとモルガーナ家の当主はつとまるまい。それを思うと、この子が継ぐことになりそうなのは適材適所、神の配剤というやつかもしれない。
デュアンの言うのへ、横からディが意地悪く言っている。
「要は実力、とはまた大きく出たね」
「へへへへへ」
「そう言うきみの絵が、ぼくは見てみたいなあ」
「ぼくはまだ実力養成中ですから。いましばらくお待ち下さい、ですね」
デュアンやメリルの絵なら、カトリーヌやマイラに頼めば実物でなくとも雑誌や美術誌などに載った時のものを見せてくれるだろう。しかし、ディは子供たちがまだ自分に見せようと思わないうちから密かに見てしまうのはフェアではないような気がするのだ。そのうち、堂々と見てくれと言って来た時にこそ、見てやればいいと思っている。
それから話はまた目の前の山のようなプレゼントのことになり、それからカトリーヌの話になり、ロベールの城の話になりして、つきないままに、それはディナーのテーブルに持ち越されていった。
original
text : 2009.4.23.+5.1.〜.5.3.
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