「ねえ、エヴァ」
「なに?
デュアン」
「寒くない?
暖房があんまり効いてないみたい。ぼくのコートも、着る?」
「大丈夫よ。実はセーターの下にも、もう一枚着てるの」
エヴァは、いたずらそうに笑って答えた。亜麻色の巻き毛を頭の両側でアップして括り、ブルーのリボンを結んでいる。フランス人形のようにとても可愛らしい女の子だ。
「そう?
それならいいんだけど、さっき一番強くしてみたのに、あんまり変わらないね」
一方、連れ去られたデュアンとエヴァは、アレクが予測した通り建物の3階に閉じ込められていた。縛られてはいなかったが、窓は子供二人ではとても動かせない重いカップボードで遮られていて、外を見ることも出来ない。もちろん扉には鍵がかかっているし、外には見張りも何人かいるようだ。しかし、部屋はそれほど広くはないものの、ちゃんと調度が揃えられていてソファもあった。
二人はそのソファにかけて小声で話していたのだが、デュアンの言った通り部屋の中は少し寒くて、二人とも持っていたコートを着ている。しばらく前に夕食だと言ってサンドウィッチとホットミルクが差し入れられたものの、二人とも食欲なんかあるわけがなかった。それでもエヴァのことを気遣ったデュアンは、いつ帰れるか分からないんだからと言って彼女に食べさせ、自分も皿の上のものは全部たいらげておいた。デュアンにしても怖くないわけはないのだろうが、こう見えてなかなかサバイバル少年なので根性も据わっているのと、女の子のエヴァを守らなくちゃという責任感で気を張っているらしい。
「それよりデュアンこそ、腕、痛くない?
」
「ああ、これ?
うん、大丈夫だよ。一応は手当てしてくれたし、痛み止めもくれたから」
「ごめんなさい、私のせいで」
「そんなことないよ、ぼくがドジだったんだから。でも、きみにケガがなくて良かった」
運転手のロイが狙撃されて、反射的にかかった急ブレーキのせいで車がスピンし、沿道の擁壁に激突した時、デュアンはとっさにエヴァをかばったせいで腕をひどく打ちつけてしまったのだ。しかし、さすがにメルセデスだけのことはあって、それだけの衝撃にも車は大破したものの、後部座席でシートベルトを締めていた二人は大ケガをしないですんだ。
ふいに誰かが階段を上がって来る足音が聞こえ、それから扉の向こうから話し声が聞こえてきた。
「ガキどもに暖かいものでも持ってってやれってさ」
「しばらく代わるから、おまえたちも下でちょっと休んで来いよ。食事だってまだだろう」
「有難いな。じゃあ、ちょっとそうさせてもらおう」
どうやらデュアンたちを見張っていた連中が交代するらしい。上がって来たのと反対に降りてゆく足音が遠ざかってしまうと、ドアの鍵を開ける音がした。入って来た男たちのうち一人がトレイに何か飲み物を乗せて持っている。
「ほら。ココア持ってきてやったぞ。取りに来いよ」
言われて二人は顔を見合わせたが、敵にあまりエヴァを近づけたくなかったデュアンは、自分がさっと立って受け取りに行った。
「...有難う」
そのデュアンの横をすり抜けるようにしてもう一人がエヴァに近づいて行ったのだが、デュアンがはっとして振り返ったのと彼女の悲鳴が聞こえるのとが同時だった。
「きゃあ」
「ちょっと、やめて下さい!」
エヴァに近づいて行った男が彼女に手をかけているのを見てデュアンは受け取りかけていたトレイを放り出し、あわててそちらに飛んで行った。カップがトレイごと床に落ちて砕け散る音が響く。
「何するんですか」
相手を突き飛ばすようにしてエヴァとの間に割って入ったデュアンは、彼女を後ろにかばった。しかし、敵はデュアンのことを子供と甘く見ているのだろう。怒る代わりにからかうように笑っている。
「チビのくせにナイトを気取ってるってわけだな」
チビと言われてデュアンはかっつんと来たが、この年頃としては背はかなり高い方とはいえ、立派な大人相手ではそう言われても仕方ない。それにデュアンは背丈はあるが、見るからに華奢で、そんなに力があるようには見えなかった。
デュアンが何か言い返してやろうかどうしようかと考えているうちに、もう一人も扉を閉めて近くに歩いて来て、二人でヒソヒソ囁き交わしている。さすがにあのモルガーナ伯のタネだけのことはあるな、とか、男の子でもこれだけキレイなら、とか、微かに聞こえてくる断片を聞いているだけでも二人が何をしに来たのかはデュアンたちにも明らかだった。これはちょっとヤバいかなとデュアンが思い始めた時だ。
「じゃ、その子の代わりにおまえがおれたちと遊んでくれるって言うんなら、その子には何もしないでおいてやるよ。どうだい?」
からかい半分なのだろうが、いかにもバカにした調子で言われてはデュアンだってむっとくる。チビと言われたことにも腹を立てていたし、もともとこういう種類の理不尽には相手かまわず黙っていられない性格だ。デュアンは反射的に言い返していた。
「言っておくけど、ぼくやエヴァに手を出そうなんてしたら、ぼくは今ここで舌を噛み切ってやるからね。そうなったら困るのは貴方たちの方じゃないの?」
幼いながらもさすがにディの血筋である。こういう時のこの子には大人でもちょっとひるむような迫力があったし、彼らにしても少なくとも取引きが成立するまでの間に万一にもそんなことになりでもしたら、組織から重大な責任を問われるのは免れない。相手がどうしたものかと考える様子になった時、また何人かが階段を上がってくる音がして、それから扉を開けると同時に、おい、何してる、と声がかかった。さっきカップが割れた時の音が、階下にまで響いていたようだ。
「いや、ちょっと...」
「子供たちにはあまり近づくなと言われてるだろう。鍵を開けたままで話しているなんて、逃げられる元だぞ。早く出ろ」
言われて仕方なく彼らが出てゆくと、再び扉が閉じられ、鍵もかけられて室内はしんとなった。ちょっとした局面でもあったので相当気を張っていたらしいデュアンは、ほっとした様子でエヴァから離れてソファに腰を下ろした。
「有難う、デュアン」
「お礼なんて言わないでよ。きみがこんなめにあってるのは、なにもかもぼくのせいなんだから。どんなに謝っても足りない気分だよ」
「でも...」
「ごめんね、エヴァ。こんなことに巻き込んで怖い思いさせて」
まだ立っていたエヴァを見上げて言ったデュアンに彼女は微笑して答えた。
「ううん。デュアンが一緒だから大丈夫、怖くない」
「何があっても絶対、きみは無事に帰らせてあげるから。ぼくに出来ることなら何でもするから。でも、もう少しの我慢だよ。必ず、お父さんたちが助けに来てくれる」
エヴァは頷くと、デュアンの横に腰を降ろした。これまでどちらも暖かい両親に大切に守られて育ってきた子供たちだ。こんな閑散とした肌寒い室内に二人きりで閉じ込められているのは相当辛く、心細い状況だったのに違いない。けれども二人は勇敢にも泣き出しもせずに我慢して、この二晩をこんなふうに力づけ合い、寄り添って過ごしていたのだ。しかし今の場合は大事なく済んだものの、いつまたあんな不心得者が入り込んで来ないとも限らない。それを思うとデュアンは自分の無力が情けなくてたまらない気分だった。エヴァのためにも一刻も早く助けに来て欲しい気持ちになりながら、デュアンは心の中で最愛の父の名を呼んでいた。
original text : 2008.3.4.〜3.5.
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