>> その2 〜Dialogueと音楽〜 >> その3 〜ロケーションモデル〜 >> 〜あとがきのオマケ〜 1.着想の背景 このお話の着想は80年代、日本が"JAPAN AS NO.1"ともてはやされ、その肥大化した貿易黒字にアタマにきたアメリカがヒステリックにジャパン・バッシングを繰り広げるやら、世界がこぞって日本経済に学ぼうとするやら、まさにそんな今は亡き(笑)この国の黄金時代にまで遡ります。 今となっては見る影もない日本ですが、当時の巷がどんな感じだったか振り返ってみますと、とにかく華やかでございました。日本ばかりではなく世界中が文化的にも繚乱を極めていた時代で、特に英国の音楽は第2期ブリティッシュ・インベージョンなどとも称されて我々の日常に溢れかえり、事実、その事態も不思議ではないほどクオリティの高い作品が次々と生み出されていたのでした。当時、気の利いたワカモノはまず絶対に洋楽が好きでなければならず(つまり歌謡曲などとゆー俗悪なシロモノを相手にしてはならない)、更に、女の子はカルチャー・クラブかデュラン・デュランのファンでなければならないという、今どきのJapanese歌謡曲などというものは割り込むスキさえないほど英国音楽に席捲されていた時代でもあったのです。そして当時の良好な経済事情を背景として、もちろん高価なブランドものもハヤリまくっておりました。それも今とは全く比べものにならないような日常的なレベルでです。 そんな環境でしたから日本人の知的興味もまさに"世界を把握する"ということに向かっており、これまたちょっと気の利いた者ならば国際情勢について書かれたむずかしそーな本のひとつも読んで、それなりの薀蓄を垂れるなどとゆーことも日常の当然だったんですね。"Dialogue"と加納綾は、まさにそんな時代に生まれてきたと言え、だからこれは80年代のお話なのです。パソコンもケータイもありませんでしたが、それでいて現代よりもはるかに優雅な時代だったように思います。キャッシュ・オン・ディリバリーでコンバーティブルを買い、お金余ったから頭金にして、ついでに家でも買っちゃうおうかなんてことを二十代で出来ちゃうなんて(←実話)今では考えられないことかもしれませんが、80年代とは正にそんなことを誰でもやれる可能性のある時代でした。 それこれ思い出すにつけ、もうこれは既に私のばーちゃん世代が昔よく"明治は遠くなりにけり"とか言っていた、あの心境もかくやと思わせる感慨をもたらすような、まさに隔世。大正浪漫とか、昭和元禄とか、今となってはそんな昔を懐かしむコトバとともに思い出の中にだけある時代と成り果てました。未だに"日本は豊かな国だ"などという迷信を信じ込んでいる愚か者も多いようですが、私に言わせれば、はっきり言って今や日本はアジアの最貧国への道をまっしぐらにひた走っているような状態です。今後、反転して成長に転じるような要素が何一つないのですから。 ともあれ、私は人格形成上最も重要な時期をこのような環境の中で過ごしましたので、もともとの性質ともあいまって華やかなもの、豪華なもの、スケールの大きいことが大好きです。そして、常に"世界"の動きを感覚の一部として意識することも日常になっています。
2.着想の原点とその後 "Dialogue"については、お話の生年月日が1986年9月30日とはっきり残っています。これはこの話の発端がその日の明け方ごろ見ていた夢にあるからで、それがなんだかとても面白いものだったので忘れないようにその場で起き上がり、綾やマキ、哲などの登場人物や話の概要を整えて再び寝た、と10月5日付けで書き残してありました。今となっては自分でも、夢が発端だったということくらいしか覚えてないんですけど。 最初は加納家は現在のような財閥的な存在ではなく、もっとダークサイド側の犯罪組織的なものと設定していたようです。しかし、先にも書きましたが当時の背景事情から、私もご多分にもれず国際情勢や企業活動に大変興味を引かれていたので、自然とこの設定に落ち着いたらしいですね。 現在では連載中の"Ultimate Kingdom"のように、お話を最初から順番に書いてゆくことが出来るようになってますが、"Dialogue"を書き始めた当初はやっと小説らしきものを書けるようになってきた程度のウデだったので、とても順番に書いてゆくなどということは出来ず、見えてくるシーンを断片的に書き留めておくというのがせいぜいでした。記録では1988年頃には現在のような設定で断片的なシーンを書いてたようですが、それがBook1の形にまとまったのはなんと1996年のこと。約10年かけてやっとですから、当時は自分的にけっこうな長編を書き上げたつもりでいたのも仕方ないところでしょう。しかし2008年、UKのEpisode1(誘拐)を約40日で書き上げたあと、その文字数を計算してみてびっくり。DialogueのBook1と大差なかったんです。まあ、約12年の間にそれだけウデが上がってたことについては、喜ばしいというかめでたいというか。長いことやってりゃ、それなり成長するもんだなとは思いましたが。 しかし、小説のウデを上げるという点ではDialogue自体も大変貢献してくれているのは確かです。これと、実はもうひとつ同時に進行させていた作品があるんですが、それとのふたつをとっかえひっかえ書いている間に、それまでより文章の表現力が一段上がったという感じはあります。ちなみに、UKの着想は1980年のことなのでDialogueより6年も古いんですけど、こちらはあまりにもスケールが大きすぎたので当時の私の手に負えず、ある程度書いたところでストップしてしまっていました。文章的には、その頃のものは今読むのがちょっと辛い(ヘタなんで)んですけど、1988年あたりからのDialogueの草稿は今でもけっこう楽しく読めるぞというところまで上手くなってます。 ついでに言うと、今のように登場人物が私にとって"実体化して勝手に動き回る"ような状態、つまりストーリーを考えなくてもキャラ主導で勝手に走ってってくれるので、作者はただそれを追いかけて文字にしていればよい、みたいな書き方が出来るようになったのは1978年頃からで、DialogueよりもUKよりも前のことです。きっかけは今でも全ての中で一番好きなキャラが現れたこと。それ以来、私にとって小説の中の登場人物は現実世界以上に鮮明な存在になってしまい、こっちの世界で遊んでる方がずっと楽しくなってしまったのでした。
3.タイトルの由来 さて、このタイトルですが、"dialogue"と言えばプラトンの"対話編"と呼ばれる作品を思い浮かべる方もあるかもしれません。文章ではなく会話によって何らかの哲学的思考を明確化しようとする方法はひとつの形式としてあるようで、私の好きなオスカー・ワイルドにもそういう作品があります。ただ、↓で書いているような理由もあって私は哲学書というものを全く読みませんので、このタイトルを付けた時にはまるでそのような意識はありませんでした。単に、当時このお話を書きつけていたノートの表紙に"dialogue"という単語がデザインの一部として書き込まれており、それがなんとなく気に入って使っただけのことです。私にしてはイージーなタイトルの付け方だったんですけど、結果的にはこの作品ばかりではなく、私の書く小説そのものがその形式の波及型になっているという点において正しいタイトルだったと今では思っています。 それに以前Ayapooでも書いたことがありますが、小説を書き始めた頃はマトモに文章なんて書けなかったし、当時はマンガも描いていたので会話を書くことが多く、それらの事情から私の小説原点は「会話を並べたもの」だったわけです。だから今でも作品の中には会話が多く出てきますし、書くのも好きですね。もちろん、方法論の一部としても機能しているはずです。
4.思想的背景 綾はこの話の最初の最初で"人を殺すことを躊躇わない"という性質をはっきりと見せています。実はこれは"綾"というキャラが成立した当初から彼女についての絶対的な条件付けとしてあるものでした。と言うか、そもそもが"綾"は"あらゆる規制や規定に一切囚われない者"、"野生"の象徴でもあり、従って一般社会(=下界)から見れば完全なアウトロー的存在です。最初は大藪春彦氏描くところの伊達邦彦のような存在にしたかったので、もっと"想像しうる限りの悪徳"を綾に課するつもりでいたんですが、まあ、作者が基本的に脳天気の楽天家なのでそういう方向へは徹底できませんでした。性格的にムリだったんでしょう。しかしそれは決して"敵わなかった"ということではなく、ある意味で綾は"よりスケールの大きいレベルで「枠外」の存在になった"と言えるかなとは思います。実は綾の後にも一度、同じようなことをやろうとして、そちらも同様の方向に流れてるんですけど、それがBook1の最後のIntermissionにちょっと顔を出してる峰岸裕也です。彼が主人公になってる話"Colours Of The Wind"も、いずれお目にかけようと思ってますから、どういうことかはその時にもっとよく分かるかもしれません。 ではなぜ"アウトロー"でなければならないのでしょうか。それはやっぱり、作者自身もアウトローだからというのが大きいでしょうね。上でも書いたように私は哲学書というものを一切読みませんが、いくつかある理由のひとつは、私にとって思想とか哲学というものは自分で創出するものであって、他人から教えてもらったり、押し付けられたりするものではないことが挙げられます。だから結局、既にある枠の外にスタンスを取るしかない。ましてや私は、現存する多くの思想、哲学が、ここ数千年の歴史や、現代のような世界をしか現出させられなかったとするならば、それは"既存の哲学者の無能"によるところが大きいと思っています。中でもアル中だの、精神病院行ったり来たりだの、自殺だの、そんな自分の人生すらマトモに送れなかったバカから教わることなど何もないではありませんか。しかし、当然のことですが本も読めば音楽も聴きますから、歴史的に哲学者と認識されていなくとも、その作品を通じて私に多くを教えて下さった方は何人もあります。 現代は決して満足のゆく世界ではありませんが、その基盤となっている思想がせいぜい民主主義だの博愛主義だのではあまりにも考えが足りなさすぎるのだから当然の結果でしょう。社会主義だの共産主義だのは数のうちにも入りません。世界は複雑であるが、論理的に正しく解析すれば単純明快に理解できるところでもあり、哲学とはまさにその"単純化(=符号化=概念化)"のためにこそある。しかし、既存の哲学者の多くは、単純化どころかムダに複雑化しているために大事なことは何ひとつマトモに解決できていない。また逆に実用性のある思想はことごとく歪曲され曲解され、本来の効果を発揮することができないようにされてしまっている。このような現実の前に、現在の世界が"非常に良い状態"とはお世辞にも言えない以上、それを変革するためにはその外に一旦出ざるをえなくなるわけです。だから結局、真の哲学者は常に枠外な存在でなければならないのかもしれません。そのへんに"アウトローであることの意義"があることになります。しかし、だからってアル中とか、病院通いなんて言語道断のカン違いだと思いますが...。自分が幸福でない者に他人も世界も幸福に出来るわけがなく、不幸が伝染した結果として歴史を迷走させた罪は極刑に値する。 ま、そーゆーことで、私の書くのはどれも人界から見れば「枠外」の話で、人間も含めたこの全世界と歴史を今後どのように展開させてゆくかが課題となっているわけです。そしてそれは"神々の課題"とも言うべきものなので、結果として私の小説は象徴的な意味で「神々の世界」ということになるでしょう。ちょっと詩的な言い方をさせて頂くならば、「二千年がとこ前にローマとカトリックの台頭によって神々はヨーロッパ全土から駆逐されたが、その後も長く水面下で失地回復戦争は続いており、それを芸術史と呼ぶのである」というところでしょうか。抽象的な言い方かもしれませんが、現代において"光(=善)"と信じられているものが、実はこの世界の混沌の大きな原因のひとつになっているとすれば、それを知る者は、誰もが"正しい"と信じていることにこそ敵対せざるを得なくなる。例えば戦争中に戦争に反対する者が如何に疎外されたかを考えれば、それが困難を極める事柄であることが少しは分かってもらえるでしょう。 従って"Dialogue"の冒頭での綾の行動は、私にとって単に"人を殺す"という表面的なものではなく、もっとずっと象徴的な意味を持っていると言えると思います。
Text : 2010.11.29.-12.1.+12.9.+12.28.+12.29.
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