フレッド・メイハーは1984年から1988年までスクリッティ・ポリッティでドラムスを担当している。彼はニューヨーク在住の作家の家庭に生まれ、マンハッタンで育ったが、ドラムスばかりではなく音楽に関したエンジニアリングにも興味を持っていた。15歳の頃すでにゴングに参加、その後はマテリアル(始めはズゥーと呼ばれていた)でプレイしていたが、デイヴ・ギャムソンはよくそれを聞きに行っていたそうだ。
マテリアルはエレクトロ・ダンス・サウンドで知られるが、レッド・レコードやセルロイド・レコードから作品をリリースしている。彼らはアメリカのダンス・フロア・チャートでそこそこのヒットを飛ばしていたが、それがノナ・ヘンドリックスをフューチャーした“ブッツィン・アウト”で、この曲はズィー・レコードからリリースされいてた。
フレッドは“メモリー・サーヴズ”というアルバムをセルロイドを通じて、エレクトラ・レコードから発表したあとマテリアルを去り、1984年にグリーンと出会って、スクリッティ・ポリッティの一員となった。“キューピッド&サイケ85”の製作中も、彼はロバート・クワインと二人でドラム・マシンやギター、ベースを演奏した、“ベイシック”というアルバムを発表している。この作品はポルタ・ステュディオで録音され、エディションズEGからリリースされた。
フレッドはエディションズEGのスタッフとルー・リードのコンサートで知り合ったが、彼とロバート・クワインはそのアルバムにも、いくつか参加している。また、フレッドはルー・リードの映画“パーフェクト”で、劇中のセッション・シーンにも出演していた。
スクリッティ以来、彼はプロデューサーとしても活躍するようになる。1988年にはインフォメーション・ソサエティによる同名タイトルのデヴュー・アルバムをプロデュースし、そのシングル・カットである“ユア・マインド(ピュア・エナジー)”はUSチャートで3位にまで登る大ヒットとなった。
また、ロバート・クワイン、ロイド・コール、マチュー・スイートなどとも、お互いの作品で共演し合っている。例えばロイド・コールの4枚目のアルバムで(これは1989年から1995年にかけてレコーディングされたものだが)、殆どのドラムを担当し、プロデュースにも参加していた。その他にも一緒に曲を書いたりしている。フレッドは現在、エレクトラ・レコードのスタッフ・プロデューサーでもある。スクリッティ以外に彼が関係した音楽プロジェクトについては、こちらをご参照下さい。
(この文章は
Scritti Politti UKの原文テキストに一部加筆したものです。)
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