世界の終幕、新世界の創造 *** 予言における詩句の統計学的分析 ***
さて、アノミー&ボノミーの中には「The World You Understand (Is Over & Over & Over) 」という曲と「Here Come July」という曲がありますね。「君の認識の中にある世界は今や終わろうとしている」という曲と「7月がやって来た」という曲が並んでいるわけです。 世界の終わりという言葉でまずで思い出すのは「ノストラダムスの大予言」、そしてアノミー&ボノミーが発表されたのは正にこの「1999年7月」でした。何の関係もないと言い切ってしまうことは簡単ですが、さてさてグリーンの頭の中ではどうなっていたんでしょうね。 そもそも私は「ノストラダムスの大予言」に何の思い入れもないですし、それを額面どおり受け取って信じ込むほどナイーヴでもありません。世の中の言う「1999年7月、世界の終わり」なんて解釈は一度たりとも鵜呑みにしたことはないんです。けれども予言と言えばマユツバものと疑ってかかりたくもなりますが、「統計学的分析による推定」、つまり未来に何が起こりうるかを現在までのさまざまなデータを分析することによってある程度予測することは可能だと思っています。 一番身近な例は天気予報。大昔なら明日の天気がわかるなんて不思議以外の何者でもありませんでしたよね。「明日のことはわからない」のが当然なんですから。ところが現代では我々は当然のこととして天気予報を当てにして毎日を過ごしています。それが不思議でも何でもないのは、天気予報が過去の記録や衛星から送られてくる画像データなどから分析した科学的根拠を持つ予測であることを知っているからです。また、経済界においては投資を行う場合、当然のことながら世の中の動き、投資しようとする会社や資本投下する国の過去における業績や歴史、文化形態、また現在の方針、方向性、環境、政策、果ては経営陣や中枢にいる政治家の実績、人柄までも分析データとして扱い、いわゆるハイリターンを得るために最も可能性の高い展開を予測するわけです。政治においてもしかりで、政策を決定する時や重要な条約が結ばれる時などやはり手持ちのデータを分析して、ある程度未来における方向性を予測しておくことが有利な展開を生むために絶対不可欠な事柄です。 このように我々は「明日のことはわからない」と知りながら、現在手元にある材料から未来の方向性を予測することを日常的に行っていると言えるでしょう。これらはせいぜい数日、もしくは数年から数十年のスパンで見た予測に過ぎませんが、歴史や文化、人間性を分析することによって、歴史的な見地から数百年後に現出しうる社会の状況を予測することも決して不可能ではないのです。SF的、事実アイザック・アシモフ博士の著書にはファウンデーション・シリーズとしてこの「公式による未来分析」が登場しているくらいですが、これはもともと博士が大変有能な科学者であることからもわかるように、数学的な分析に基づいた確率の高い方法論であることも事実なのです。 さて翻ってノストラダムスですが、ユダヤの旧約聖書にも見られるように「予言者(預言者)」という人たちは、よく詩句を用いて言わんとするところを寓話的にぼかしてしまうことが多いようです。それはその時代にストレートに言うと身の危険や社会的地位の失墜・損失に通じるなどという原因もあったかもしれませんが、結構これは伝統的な方法とも言えるものだと思います。 前章でも述べましたが、詩句というものには物事の本質が宿っているものです。特に日本で一般に知られている「詩」などというものは、叙事詩であれ抒情詩であれ多分に少女趣味で即物的、見たままそのままの世界でしかありませんが、本来の「詩句」が持っている意味の深さはとてつもなく本質的かつ哲学的であるために、かえってその真意を掴めない者からは意味不明と受け取られるか、とんでもなく即物的な範囲で解釈されるかのどちらかに陥り易いもののようです。 ノストラダムスの場合、世界の終幕と言えばいきなり人類が滅びる、若しくは地球が滅びるなどという見事に即物的な解釈をなされて現在に至っています。私も良く知っているわけではありませんが、この予言には確か世界が滅びる時、次代の世界を担う新たなる種族が現れるという一説もあると聞いています。まあ、これがどう解釈されたかは想像に難くありません。宇宙人でも責めてきて、人間はみんな死んでしまうんだ、と、その程度でしょう。 しかし、詩句として見る時、そこにはその詩句の作者が本質的に何を伝えたかったのかを考える必要性が生じます。 「人類」と一言で言う時、我々は数十億の人間をまるでひとかたまりの、そう言って分かりにくければ恐竜のように大きな一体の生き物のように考えてしまう傾向にあるのではないでしょうか。また「世界」と言えば、目に見えているこの地球、若しくは地上、人間の住むテリトリーと考えがちです。しかし「世界」というのは「概念世界」つまりひとつの共通した認識で囲われている概念上の領域を指すと考えることもできるのです。例えば「封建的な古い世界」、「自由主義の新しい世界」と言う時、それは「古い考え方を基盤にした世界」と「新しい考え方を基盤にした世界」をそれぞれ指します。このように考えれば、「ひとつの時代が終わりを迎える時、次の新しい時代に移行する」という何の変哲もない当たり前のことをノストラダムスは言っていたのだと解釈することも出来ます。人類と一言で言ってもそこに数十億の千差万別の個が存在する限り、単一のものとして処理することは出来ませんし、またするべきでもないのです。 歴史的に見れば例えばそれは封建制の崩壊から生じた民主的な社会への移行にも見られるように、旧時代の権力者に取って封建制の崩壊は正に彼らがそれまで信じていた「世界」の「終わり」であったはずです。そして新たな世界においては人民が中枢となり新しい考え方の元に「新しい世界」が創造されて来たわけです。 しかしその「新しい世界」は過去の世界に対してのもので、決して絶対的かつ普遍的に「新しい」わけではありません。それはいずれ「古く」なり、次の「新世界」に取って変わられるべき運命にあるのです。それでは今我々のいるこの地球の状況について考えてみましょう。 つい何十年か前までは未だ植民地政策もさかんで大国と大国が戦争をし、勝った者が全てを得るという考え方が当たり前でした。しかし近年「戦争」に対する人類の拒否反応は並みではなく、「戦争はするべきではない」という考え方が当然のものとなっています。それゆえに現在世界で起こる戦争のほぼ全てが大国間の略奪・侵略戦争ではなく、「民族紛争」なのです。略奪・侵略戦争に今や是はあり得ませんが、民族紛争はその根が過去における歴史展開の進程にあるため深く、根絶することは現時点において不可能と言わざるを得ないでしょう。何故ならこれを根絶するために必要な基盤である哲学が未だ広く一般に流布していないからです。 それはともかく、かつて敵同士として戦っていた国々が今やひとつの経済圏を形成し、例えばユーロに見られるように融合しつつある情勢はまさしく新しい世界の基盤作りとも言えるものではないでしょうか。日本にしても、あれほどご迷惑をおかけしたアジアの国々と未だ本質的でないながら歩み寄ろうという傾向にあります。もちろんこれらは封建制から民主主義に移行しても続いた長い争いの歴史に人間自体が疲弊して、始めて生まれて来た方向性であることは確かです。しかし、この方向性には絶対不可欠な要素として、経済界の生存欲求が含まれています。 かつてアフリカのある国では「ウォール街の株を動かすために毎日何百人もが死ぬ」と言われたほど、経済と戦争は切っても切れない間柄にあります。なぜなら近代から現代にかけての資本主義経済は第二次産業つまり工業をその中心としていたために、生産と消費のバランスを取る必要があったのです。 経済学の基本ですが、資本主義経済には必ず好況と不況が交互に訪れると言われています。これは生産と消費のバランスによって生まれるもので、物販を中心とした資本主義社会では不可避の現象と言えるでしょう。例えばベトナム戦争は一説アメリカに取って絶対勝ってはいけない戦争だったと言われていますが、これはアメリカの屋台骨を担っているとも言える存在でありながら、当時死に体に等しかった軍産複合体に属するあまたの企業に、この戦争がもたらした利益を考えれば表裏一体であることは一目瞭然です。戦争と経済、経済界と政治、これらはいつの時代でも密接に関連し合って存在して来ました。人間がどれだけ戦争を否定しようとイヤがろうと、経済が動かないところに現代社会の安定も発展もあり得ません。つまり民心だけでは歴史は動かないということです。 けれども今その経済界に歴史上、類を見ない変化が起こりつつあります。それは従来の経済学の常識さえ覆してしまうほどの変化なのです。それはこれまでの工業を中心とする第二次産業が資源の枯渇や環境問題などともあいまって下降線を辿り、経済の中枢が既に第三次産業、つまりサービス業関連と第四次産業と言われる情報産業に取って変わられつつあるからです。事実、90年代のアメリカでは、その歳入をもたらす最も大きな割合をしめる企業はマイクロソフトなどのメガ・ベンチャーであるとすら言われたくらいでした。だからこそアメリカは一時期「不況なき資本主義」を豪語することが出来たと言えるでしょう。何故なら、第三及び第四次産業は物販を伴う産業形態ではなく、そのため生産と消費のバランスが崩れる可能性は従来よりずっと低くなります。これらは「無形の価値」の売買を基盤に成り立っている産業だからです。しかしこれはあくまで単純に直線的な結論で、もちろん旧来の産業が消失したわけではありませんから実際の様相はもっとずっと複雑になって当然でしょう。また第三、及び第四次産業といえども、絶対に不況を招かないというものではありません。そうした観点から見れば、これからも一進一退の経済動向は長く続くと見るのが打倒です。けれども確実に、これまでとは違う形態が生み出され、インターネットの普及も伴って、いずれこれまでとは全く違う世界が現出されてくる可能性は大いにあります。 しかし、これらのことは正しい歴史と人間性に対する認識、また経済、科学などの知識があれば、おそらく数百年前でも予測可能なことだったと思います。更にまた発達した交通網や通信によって結ばれた世界間は既に異世界同士の接触ではなく融合が始まり、底辺における日常の国際交流が可能になることで、相互理解は必然の結果として更に進んでゆくことでしょう。そしてそれは新しい概念世界の創造に繋がって行くはずです。今、まさに世界は変わりつつあり、旧世界が終わりを告げ、新世界が創造されつつあるのです。1999年7月という特定は詩的表現においてひとつの時期的ポイントを指すものであって、科学の発展、経済の変動、民心の変化など、それらがあいまって大きな変化が起こるのは20世紀末から21世紀初頭にかけてであろう、という予測は見事に的を射た解答となっているのではないでしょうか。そして世界が新しい概念基盤によって再構成された時、今まで隠蔽されて来た真実がやっと明るい所に出てくることになるでしょう。 というわけで、これで何とか歌詞の解説に入れます。ああ、疲れた。では「Here Come July」から行ってみましょう。 まず、私がこの7月とノストラダムスの7月を掛けてあると考えたのはこのくり返しの一節があるからです。 It doesn't mean nothing, it doesn't mean shit この「It doesn't mean nothing」は二重否定で、直訳すれば「何も意味しないことはない」、つまりnothingではない、と言っているのです。もしこれが「何の意味も無い」という単なる否定であったとすれば、英文は「It means nothing」であって、決して「doesn't」という否定語は入りません。それに続く「shit(くそ)」も「spit(唾)」も、罵倒する時に使われる言葉で、あえて言うなら「取るに足りないもの」を意味します。そしてこれも否定の「doesn't」が入っていることから「取るに足りないものではない」という意味になります。だからこそ、この歌詞の作者は「How can I be a part of it?(どうしたらそれに参加できるのか)」と、それに加わりたがっているのじゃないですか? 一般にノストラダムスの予言などというものは大体がマジで信じてるなんて言ったらバカにされるでしょう。実際、表面的には見事にハズレたわけですし、まあ「意味が無いこと」、「取るに足りないたわごと」と受け取られるのが普通だったと思います。つまりこの「It doesn't mean nothing」の「It」が指すものを歌詞の中から探すとすれば、それこそが「July」であり、「Here come July (and the July) doesn't mean nothing」という関連付けが可能であると思われます。そして、この詩の作者はあえて一般的に「たわごと」と受け取られていることを「たわごとじゃない」と言っていて、「How can I be a part of it?」、つまり「どうやったら参加できるの」とまで聞いています。 更にこの最後の一節、
Here come July now 「watch as the worlds collide」ですが、このworldsは複数形になっています。つまり衝突(collide)するわけですから、二つもしくはそれ以上の数の「世界」が今まさにぶつかろうとしている、という状態を表現しています。 旧世界から新世界へ、今まさにその変貌が始まろうとしていて、古い世界を「ぶちこわし、焼き尽くす」、だからこそ「その一部になりたい」と歌詞の流れが読めるわけです。 この世紀末に二つ(以上)の「概念世界」が衝突して壊れると来れば、やはり「ノストラダムスの7月」を連想しないわけには行かないんですよね。ましてや、ご丁寧にこのタイトル。「7月がやって来た」とまで言われれば。それ以外に7月である必然性って何かありますか? まあこの歌詞が無意味なタダの歌詞なら、別にそこまで気にすることはないと思いますが、作者が作者ですから、それこそありえないとしか思えません。 では改めて始めの部分から流れを説明して行きましょう。 「The world is there for me to share」は、「ぼくが分かち合うべき世界はそこにある」ということで、もうそこまで来ているということです。ですから、当然のことながら彼が属したい世界は今のこの世界ではなくて、この後に来る方なんですね。そして「It sort of feels so hyper-real」、これはそのまま受け取って「はっきり感じられるような気がする」です。 次に「To test you all before the fall」の「before the fall」は、意地が悪いですが、この作者、わざとですね。そりゃ7月は夏だから「秋の前に」で一見わかったような気分になるよね。でもこの「fall」は「秋」じゃございません。7月が単なる「夏」を意味してるわけじゃないのに、「秋」じゃ、それこそ「It means nothing」ですからね。この「fall」はまず「落ちる」という意味がありますが、物理的に落ちることを意味すると共に、「(都市の)陥落」や「崩壊」といった、概念的に「崩れ去る」ことも意味するのです。今や7月、旧世界が「崩れ去ろう」としている時なんですから、旧世界の崩壊と共に消え去るか、新世界に参加するか、試される時だというわけです。「The end of school, the death of cool」、これはあえてそのまま日本語にしましたが比喩的な意味合いが含まれています。「school」つまり「学校」は、整然として規律正しい(旧)世界、言い換えれば西洋の倫理観に囚われた世界に通底し、「cool」は冷気や冷静という意味もありますが、俗語では最近日本でもよく「カッコいい」って意味で使われてますよね。それと似た使い方で「立派な、すばらしい」、単語としてはexcellentやgreatと同じ意味で使われます。また他にも「真心のこもらない、冷ややかな」という意味もあります。すばらしいとされることや心のこもらない形骸化した社会が終幕を迎える、それはつまり今まで良いとされていたことの「終わりの時」を意味しているのです。でもまあ、単純に読めば「7月で夏休みが始まるから学校はおしまい」で、夏なんだから当然「涼しさの死」つまり暑いっつー意味にとれちゃうんですよね。ここだけ読むんだったら別に構いませんが...。何度も言うように、歌詞には始めから終わりまで意味が通じて始めて歌詞と言えるんです。 では次。
これはあまり悩まなくていいです。見たままであんまり深い意味のない一節ですから、これから来る夏の予感にみんな盛り上がってるという感じが伝わればいいわけで、あえて言うなら最後の1行 「The world has never been so happy in its heart of hearts」、これは直訳すれば、「今までに世界がこんなに心底幸福だったことはない」という意味なので、「歴史的にこんな幸福な時代はない」という含みの意味があると思います。つまりいい時代になって来てるってことですね。まあ問題は山積しているものの、今までより何が一番マシかといえば、人間自体がその問題の存在を認識しつつあり、改善の努力が進められているという点でしょうか。 続く「To sort the men from boys again」、これなんですが、多分何かからの引用か成句みたいものじゃないかと思います。でも現在の私の知識では、どこからのものなのかまでは特定出来ていません。ただ意味としては、「大人と子供の違いがはっきりする」ってことで、分かってる奴と分かってない奴で新しい世界で生き残れるかどうか差が出るってことでしょうね。だから旧世界の意識が崩壊する前に試され(前出のTo test you all before the fall)、ふるいわけられるってことです。で、7月になったんだから、今更改めて言う必要性もない、と。 このTo不定詞的の使い方は、日本の悪しき学校英語教育の産物で、「何々のために、ための」と殆ど本能的にみんなやっちゃうんですよね。これをやると日本語おかしくなるから、「ために」なんてのは忘れた方がいいです。確かに7月を修飾してはいますが、「7月には何々する」くらいの方が自然な日本語になると思うんですが。 さてここで、この歌詞に出てくるyouについて考察しましょう。 第一章で解説したBAM SALUTEを覚えておられるでしょうか。そこで私は「この歌詞はDevil Green(悪魔的人格)からSaint Green(聖人的人格)への、道徳的堕落のお誘いの歌」である、と書きました。その後第二章でもご説明したように、ある種の人間の中には理想的な自分とそれに相反する自分との二面性が宿っており、それが詩のテーマになることがよくあります。このHere come Julyでも、このyouは当然その理想的な方の人格に対して、今もう既に道徳的堕落に陥っている方の人格が呼びかけている歌であり、だからこそ旧世界の崩壊を告げる7月が来たことをこの詩の中の「I」つまり「ぼく」は喜んでいるわけですよね。
Here come July now ですからこの、「The heat'll hurt your feelings」は、夏の暑さ(heat)を新しくやってくる世界からのもの、つまり「7月」から発生する熱気であるとして、旧世界、つまり道徳的かつ理想的な人間の生き方にこだわる人格にとって好ましくないものになるであろう、と言っているわけです。でも「ぼく」の方は「fine(いい気分)」なわけで、「piety and sin」これは神を敬う気持ち(piety)と罪とされること(sin)が、この「7月」の太陽の熱によって「scorch(無力にする、焼き払う)」つまりそのどちらもを意味のないものにしてゆくだろうと流れるんですね。だから「ぼく」は「今、気分がいい」。 そして例のくり返しの一節、「意味が無いことはない、価値がないことはない」、だから、「その一部になるにはどしたらいいのか」という展開になだれ込んでゆくわけです。意味もあるし価値もあるから参加したいんじゃないですか? さあ、やっと後半に差し掛かったぞ。
It doesn't mean nothing
ここはもう一度「意味が無いことはない」と来て、次は「Some things never do to me, I'll mean the world to you」と連なっているからは直訳でも「いくつかのことはぼくとって役に立たない、ぼくが意味するのは君にとっての世界だ」というわけで、理想的な人格が大切に思っている世界はぼくにとって役に立たないと告げ、二人ともが知っている「negatives」つまり今まで否定されて来た要素をこそ、これからぼくは倍の価値があるものに出来るかもしれない、と落ち着きます。
またまた不親切なのは次の一節。
Here come Julyはいいとして、「I love it makes it hard to take」これは「I love that it makes it hard to take」とthat節で補うと文の構造は分かりやすくなると思いますが、この二つのitについてはなんのことだか、まずこの詩を読むだけでは特定できませんね。「それがそれを受取りにくくするのが好き」、これが直訳です。もうここだけでは説明のつけようがないので次見て下さい。これは「So, why would you lie to me about the truth will out?」で一文になっていると考えて下さい。つまり「それで真実が露見しつつあることについて何故きみはぼくに嘘をつこうとするんだい」となります。もう7月が来て、今まで良いとされていたこと、信じられていた世界が崩壊して、その向こうに隠れていた真実の世界が顔を出し始めているのに、未だにきみはぼくにそれについて嘘をつこうとするのか、と責めてるんですね。だからこの「受け入れにくくなる」ものは今まで信じられてきたこと、そして始めのitはやって来た「7月」による世界の変革です。「7月がやって来て、今まで正しいとされて来たことを受け入れられなくしつつあるのに、何で君は今更ぼくにそれを隠蔽しようとするのか」というのがこの一節の総合的な意味でしょう。
そして最後。
Here come July now
「I can't hear your lipgross」、リップグロスというのは唇に塗ってツヤを出すものですね。比喩的な意味合いにおいて、これは「subterfuge (言い逃れ、口実)」と同じものですが、確か俗語ではこの意味で使えるはずです。要するにもう真実が露呈しつつあるというのに、未だに口先だけの言い逃れで「ぼく」をまるめこうもうなんて、もうやってもムダだ、と言っているわけです。つまり「きみの言い逃れはきこえないよ」ですね。そして「The sun will be on subterfuge, iniquity and you」、これは、「7月」の太陽が、「きみ」の全てを白日のもとに晒すよ、ということで、subterfuge=iniquity(ひどい不正、罪、邪悪、邪道、非道)=youと同格に受け取ってもらえれば分かりやすいと思いますが、「善良そうに見えたって、おまえ(you)こそが邪道だ、非道だ、諸悪の根源だ」と、結論してます。この最後でつけ加えられるyouはめちゃきついですね、表現の仕方が。それだけ強烈に「きみ」を否定しているわけです。
そして、最後にまたくり返しのフレーズが入って、「二つの概念世界が衝突し崩壊してゆく、その7月がやってきたよ」でおしまいです。何が今しも露呈しつつある、そして新しい世界の基盤となる真実なのか、このお話は核心的な部分ですので、まだ少し後になります。 それはそれとして、このように、ただガールフレンドに向かって「7月だね、夏休みだね、ハメをはずして遊ぼうね」と言ってるだけみたいに見える歌詞の中に、これだけの含みの意味を盛り込むわけですから、グリーンの歌詞にかける執念たるや相当なもので、本人も言ってましたが一つ書くのも並や大抵の時間の掛かり方じゃないでしょう。 以上のような解釈を元に訳を書くと以下のようになります。 Here Come July
めちゃくちゃ長くなってしまったんで、「The World You Understand」の解説は次章以降に見送りましょう。 みなさん、お疲れ様でした。 2003.7.12.改稿
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