Chapter 6

1996-1999 "Anomie & Bonhomie"

 

1992-1996 

"Total Withdrawal in South Wales" as he said 

See Interviews in 1999

 

1996

スクリッティのコンピレーション・アルバムをリリースする話がヴァージンで持ち上がるが実現しなかった。グリーンはそういったアルバムに十分なほど曲を書いていないと自身思っていたとも言われているが、おそらく作品のリリースについて彼は自分のコントロール下に置ける立場にあったのでヴァージンはその許可なくベスト版を作れなかったものと思われる。

10月−ヘヴン17が新作の‘ビガー・ザン・アメリカ’をレコーディングし終えた頃、その近くでグリーンとグレン・グレゴリー(ヘヴン17及びBEF)が一緒に歩いているのが目撃された。あるインタヴューでヘヴン17はグリーンが唇にビアスをしている、と暴露した!

1997


4月−ヴァージンのコンタクトより完全なニュー・アルバムの噂が確証される。

ヴァージン側もまだ新作を聞いていなかったが確信を持っている様子で、その年の間にアルバムとその中からシングルをリリースしたいと考えているようだった。

9月−デヴィッド・ギャムソンのマネージメント(World‘s End Producer Management)がそのウエブ・サイトでデイヴはスクリッティのニューアルバム制作に入った、と発表した。

その年の終わりになる頃もレコーディングは順調に続いていた。新作のドラマーにはエイブ・ラボリエリ(以前にK.D.Langと仕事をしていたドラマー)が起用されている。



1998


6月−グリーンとデイヴ・ギャムソンはバッテリーズ・ステュディオK2にて新作のリミックスを終了する。この時のエンジニアはボブ・パワー、アシスタント・エンジニアはメラニー・ジョーンズであった。

 

1999

 

6月-ニユー・アルバム”アノミー&ボノミー”が日本で先行リリースされる。

この日本版のみボーナス・トラックとして”デッド・サーテンティ”が収録されている。

 

 

7月-ヴァージンより新作がUKを始めとするヨーロッパ各国、南アメリカ諸国、南アフリカで本格リリース。USおよびカナダでのリリースは2000年1月(もしくは2月)と予定されている。

 

9月-シングル”ティンゼル・タウン・トゥー・ザ・ブーギーダウン”がUSおよびカナダでリリースされる。

 

11月-15日頃からグリーンはUSにてプロモーション・ツアー。ニューヨークからロスへ向かう。

 

 

and the story goes on...

 

(以上のヒストリーはSCRITTI POLITTI UK のオリジナル・テキストに、一部加筆したものです。)

 

 

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