Chapter 5

1989-1992 3 Cover Versions

“I don't know why I love you (but I love you)”

“She's a Woman”

 &“Take me in your arms (and love me)”

 

1989

この頃グリーンは毎日散歩に出かけたりパブでダーツに興じたり、という生活を送っていた。‘プロヴィジョン’とその中からのシングルが前作のような成功に恵まれないことで、いくらか自信を失っていたのかも知れない。それでもロンドンとブリストルへはラガ(レゲエ・ラップ)のレコードを買いに出かけていたらしい。

自由な時間が出来たおかげで、彼はまた新しいスタジオ・テクニックを学んだようだ。これにはおそらくホーム・コンピュータによってシーケンスされた音楽も含まれるだろう(当時ポビュラーになりつつあった)。



1990


その年の半ば−‘スモール・トーク’がマーキュリー・フォンカードのアニメーション広告でバックに流れる。

年末−旧友であるマーティン・ウエア(ヘヴン17及びBEF)が、カヴァー・ヴァージョンを集めたBEFの二枚目のアルバムである‘ミュージック・オプ・クオリティ・アンド・ディスティンクションVol.2’に協力してもらえないか、とグリーンに問い合わせて来た。マーティンは何曲か彼にカヴァーする曲の候補を提案したらしいが、結局スティーヴィー・ワンダーの‘アイ・ドント・ノウ・ワイ・アイ・ラヴ・ユー(バット・アイ・ラヴ・ユー)’をカヴァーすることに決まった。
グリーンはマーティンに頼んでスタジオで余分の時間を取り、候補に上がっていたもう一曲をレコーディングさせてもらったが、それがビートルズの‘シーズ・ア・ウーマン’である。その頃シャバ・ランクスがギグのために(不運にもそこで発砲があったのだが)ブリクストンに来ていた。グリーンはコネクションを通じてシャバのマネージメントであるザ・スペシャリストに頼み彼に連絡をつけてもらった。丁度その時、シャバはマキシ・プリーストと一緒だったが、スクリッティを聞いたことのなかったシャバにマキシが推薦してくれたおかげで、シャバはグリーンの曲を聞いてみる気になったらしい。
シャバもマネージャーも大変それが気に入り、レコーディングに参加してくれることが決まった。



1991


‘シーズ・ア・ウーマン’に続く形で、グリーン(34才)はアルバム制作に入る。

3月−‘シーズ・ア・ウーマン’がヴァージンよりシングル・リリースされ、UK40に入るUK20位を獲得する。古いビートルズのB面に入っていた曲で、レゲエ・ラッパーのシャバ・ランクスがフューチャーされていた。 


8月−‘テイク・ミー・イン・ユア・アームス・アンド・ラヴ・ミー’がヴァージンよりリリースされる。この作品は惜しくもトップ40を逃しUK47位で終わる。グラディス・ナイトの古い曲で、レゲエ・ラッパーにスイーティー・アイリーを起用していた。

9月−グリーンをフューチャーしたBEFの‘アイ・ドント・ノウ・ワイ・アイ・ラヴ・ユー(バット・アイ・ラヴ・ユー)がシングル・リリースされる。スクリッティ・ファンにはグリーンの歌唱力のすばらしい一例と思えたが(そして彼のヴォーカルをフューチャーした(1999までで)最後の曲になったわけだが)チャートには入らずUKトッブ75からもはずれていた。またBEFのアルバム ‘ミュージック・オプ・クオリティ・アンド・ディスティンクションVol.2’(アメリカでのタイトルは。‘ア・ヒストリー・オブ・モダン・ソウルVol.2’)もリリースされる。

1992


グリーンはまた足跡も残さずに姿を消した。おそらくサウス・ウエールズに帰ったものと思われる。

 

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