― そうなのよお、もうダントツ大人気!
読者アンケートでも堂々のトップ獲得で、起用は大成功ね。デュアンはこれで華々しく本格的にイラストレーター・デヴューしたと言っていいと思うよ。やっぱり、私の目に狂いはなかった!
電話口から聞えてくるニコラ・ソーントンの熱狂したような声に、カトリーヌは笑っている。ニコラはクランドル版ヴォーグ誌の現編集長で、ちょっとボーイッシュな話し方をする威勢のいいソバカス美人だ。年はカトリーヌよりふたつみっつ上だか同じ芸術学院を卒業していて、今は親しい友人でもある。
「人気が高いのはけっこうなんだけど、でも、お願いだから、あの子の前でそんなに褒めちぎらないでよね。それほど自惚れ屋ってわけじゃないけど、あれでけっこう、お調子ノリだから」
― いいじゃないの。前から言ってるけどデュアン、やっぱりそれだけの才能あるのよ。しかもあのルックスだし。そりゃ、今は例の騒ぎで先に一躍有名になっちゃったってのもあると思うけど、あの才能ならそんなの単なるオマケだと思う。とにかく、これで強力な人気イラストレーター誕生なんだから、これからもビシバシ描いてもらわなきゃね
「う〜ん、そう言ってもらえるのは嬉しいんだけどねえ、なにしろまだあんな年だから」
― 何言ってるの。これからは今度のみたいなそれなり大きい仕事が押し寄せて来るんだから、母親としてもイラストレーターとしても、あなた覚悟しとく必要があるよ
「母親ってのは分かるけど、イラストレーターとしてってそれは何の覚悟よ」
― うかうかしてると息子に人気奪われちゃうぞ、ってこと
「冗談言わないで。私はいつだって常在戦場よ。私がハンパな仕事なんてしたことある?」
―
それはそうだけど
「そりゃ、母親としては息子に才能があるって言われて嬉しくないわけはないわ。でも、母親だからこそ、あの子の今の技量だってよく知ってるつもりよ。はっきり言って、まだまだね」
― ギビシイなあ
「可愛い息子ですもの、これは愛の鞭ってものよ。まあでも、経験にも実績にもなることだから、ぼちぼち描いてゆかせようとは思ってますけど」
言っているところへドアがあいて、エントランスからママ〜、ただいま〜というデュアンの声が聞えてきた。このアパートメントでは建物への出入りやドアの開閉に生体認証システムを採用しているが、モルガーナ家に移ったとはいえデュアンのデータは削除されていないから、今でも当然フリーパスだ。
「あら、デュアン帰って来たみたい」
― 聞こえたわよ。あの子、未だにそこに"ただいま"って"帰って"くるわけ?
「それはそうよ。ここがあの子の家だもの。ディには、頼みこまれて貸してあげてるだけよ」
ニコラはそれに笑っていたが、じゃ、とにかくデュアンによろしく伝えといて、と言って電話を切った。
今回のヴォーグ誌の特集はかなり大がかりなもので、まだマスコミにはそれほど出ていないものの、十代から二十代の若者を中心に密かに流行の兆候を見せつつあるサブカルチャー的ムーヴメントにスポットをあててみようという試みだった。当初は本誌内での特集ということになっていたのだが、取材してゆくうちにそれでは収まりきらなくなったらしく、結局、別冊本として出版されることになったのである。それで、デュアンに依頼されたファッションや演劇に関するページのイラスト数も当初予定より大幅に増やされたわけだが、この企画には彼のパワフルかつ華やかで若々しい画風はぴったりマッチするものだったから、ニコラの言う通り高い支持を得ることになったようだ。
「おかえりなさい。今日はもう、学校終わったのね」
「うん」
デュアンは母が座っているソファの向かいにかけて鞄を放り出すと、持っていた包みをテーブルに置いて言った。
「はい、おみやげ。ポルカのストロベリー・ミルフィーユと叶屋の錬切十個セット"春の宴"だよ。ママの好物、和菓子は三日前から予約しておいたんだから」
「きゃ〜」
「スポンサーは、お父さんだからね」
「そうなの?
じゃ、有り難く、ごちになります。ディによろしく言っといて♪」
「はいはい」
「お茶しよ、お茶。和菓子?
ケーキ?」
尋ねられてデュアンは元気よく手を挙げて、和菓子!
と答えた。
「なら、緑茶よね。ちょっと待ってて、淹れて来るから」
「は〜い。あ、ママ、和菓子食べるんならケーキは冷蔵庫に入れとかなきゃ」
言われてカトリーヌは頷き、ケーキのパッケージを持ってキチンの方へ歩いて行った。それへデュアンが言っている。
「お菓子の包み、あけといていい?」
「いいわよ」
聞いて、それではとデュアンは包みに手を伸ばした。クランドルでも昨今の東洋ブームで和食、和菓子、和食器は大人気だ。中でも、数年前に近所に出来た和菓子屋は、開店以来、カトリーヌとデュアンのご贔屓でもある。しばらくして母がお茶のセットを持って戻ってくると、デュアンが尋ねた。
「ねえ、ママ、どれにする?
みんなすっごくキレイだよ」
「どれどれ」
言って彼女はソファにかけると、箱の中身を覗きこんだ。デュアンは横で、代わりにティポットからそれぞれのカップにお茶を注いでやっている。もちろんポットは本格的に急須型だし、カップも持ち手なしのティ・ボウルだ。
「う〜ん、これは既に芸術。細工が細かいわよねえ。見て見て、このサクラ」
「"職人芸"ってやつでしょ?
以前、お店で実演見たことあったじゃない。簡単そうにやってたけど、あれってシロウトには絶対、無理だよね」
「当然よ」
「これってさあ、やっぱり凄い人気で、予約入れて三日待ちはいい方みたい」
「春の意匠は、春しか作らないしね。一年で今だけ食べられるっていう季節感がいいのよ。そうかあ、もう、これが食べられる季節になってたんだ。じゃ、私はサクラ」
「なら、ぼくはウグイスにしちゃお。この抹茶あんが美味しいんだよね〜」
それぞれ好みのものを和風の皿に取り分け、それから二人はしばし、お茶とお菓子でシアワセ気分に浸っていたが、一息つくとカトリーヌが言った。
「そうそう、今度ね。一度、京都に行こうと思ってるのよ。ショップのコレクションに和食器のテイストを取り入れてみようと思って。一緒に行かない?」
「行きたい!
あ、でもぼく、春休みは...」
「ああ、そうか。例のご招待だもんね」
「うん」
「じゃ、夏にでも。私はいつでもいいんだし、そう言えば京都の夏はお祭りがあるのよ」
「そうなの?」
「そう。7月の半ばくらいだったはずなんだけど調べておくわ。その頃に1週間ほど、どう?」
「行こう行こう」
「それなら、スケジュール開けるつもりにしときなさいよ」
「うん、そうする。ぼくまだ日本って行ったことないし、イラストレーターとしても異文化には興味あるからね」
「また、ナマイキ言っちゃって」
「へへへ」
「そうだ、それで思い出したけど、さっきニコラから電話があったのよ」
「ニコラ?」
「あなたのイラストが人気なんだって。アンケートでも今のとこ、トップ走ってるって言ってたわ」
「ほんと?!」
「ええ。良かったわね」
「おお、デュアンくん、やりました♪
そんなに反響あるとは、さすがに予想外」
「だけど、だからと言って人気に奢るようなみっともないマネするんじゃないわよ。特に、あなたの場合、話題先行っていう部分も大きいんだから」
「分かってますよ。当たり前じゃない。ぼくだってママの側に長いんだから、このギョーカイ、いい加減な仕事してるとどうなるかもいっぱい見て来てるし。従って、これからも誠心誠意、描かせて頂きます」
「よし、よく言った、それでこそ私の息子」
カトリーヌはテーブルをばしっと叩いて勢いよく言い、それからにっこりして続けた。
「ディにも今度の見せたんでしょ?
どう言ってた?」
「頑張ったねって。これまでのより一段よくなった感じだと、お言葉を賜りました」
「それは重畳。今のその気持ち、これからも忘れないのよ?」
「はい」
「確かに私もよく描けてるとは思ったし、ニコラが言ってたわ。まだティーンにもなってないトシで、あれだけ的確に今のハヤリのツボを押さえられるなんて末恐ろしいって」
それへデュアンは、嬉しそうに答えている。
「へっへっへ。そりゃ、もう、根性入ってますから。特に、今回は取材ばっちりだったしね」
「あら、そうだったの?」
「うん。まあ、さすがにさ。ぼくもまだティーン以前でございますから」
息子の冗談にカトリーヌは笑っている。
「やっばりよく知らないことはいくらもあったんだよ。特に演劇なんて、ホントいうと最初どーしようかと思っちゃったし。あんなテーマふってくるなんて、あれは絶対ニコラのいじめだと思ったもん」
「で、どうしたのよ」
「仕方がないからファーン兄さんに相談したの。そしたら兄さんが"それは見るのが一番だ"って言って、そういうのに詳しい人を紹介してくれたんだ」
「ああ、なるほど」
「その人がさあ。ランディさんっていうんだけど、兄さんの学校の先輩でめっちゃ面白いヒトなの。ママもきっと好きなタイプだと思う。で、その人がいわゆる"裏世界"に詳しくってさ」
「ふうん。あんなお坊ちゃん学校にも、そんなコいるんだ」
「"問題児"なんだって」
「それはそうでしょうね」
「でも、すっごくいいヒトなんだよ。演劇だけじゃなくてライヴハウスや今どきの画廊とか、いろんなショップとか、スケジュール組んであれこれ見せてくれて、楽屋にも入れるようにしてくれたの」
「そう。それはちゃんとお礼しなきゃいけないわね」
「うん」
「でも、それってライヴハウスなんかは夜に行ったんでしょ?
危ないこととかはなかったの?」
「全然。ランディが、そのへんのカオで行くとこ行くとこ知り合いだらけだったし、兄さんも一緒だったから。それに、夜遅い時はスチュアートかロイがつきあってくれたし」
「それなら良かったけど...」
「兄さんって、空手は有段者なんだよ。それに拳法もやるんだって。ランディも強いらしいけど、兄さんには今のとこ敵わないんだってさ」
「へえ。ファーンくんって、なんか意外ね」
「ママもそう思う?
ぼくも知り合った頃は意外性あるなあって思ったけど」
「今まであなたに話聞いてると、"模範的優等生"ってイメージだったもの」
「うん、兄さんは"模範的優等生"だよ。空手とかは大じいさまのオススメでやってるんだって。でも、それっていわゆるマーシャル・アーツでしょう?
そうすると武道家なんだし、結局、それも"模範的優等生"の一部ってことなんじゃない?」
カトリーヌはそれに納得したように頷いている。それでデュアンは、何か思い出したようで母に尋ねた。
「ね、ママ。前から聞こうと思ってたんだけど、一度、ここに兄さん連れて来てもいい?」
「え?」
その質問はカトリーヌにはフェイントだったらしく、彼女には珍しく即答が出来なかった。しかし、以前ならともかく、デュアンからファーンのことや、アンナやウィリアムとも仲よしになったという話は聞いているので、彼女にも特に否定したいようなわだかまりがあるというわけでもない。
「...そうねえ。あなたがあちらにお世話になってることでもあるし、ちょっと会ってみたい気はしてたけど」
「だったら」
「でも、私はアンナさんほど人間できてませんから。いじめちゃうかもよ?」
「それなら大丈夫。兄さんは、ママに黙っていじめられてるようなヒトじゃないから。第一ぼくと、お父さんの血筋で繋がってるんだよ?
だからそんなヤワな人じゃないくらい、分かるでしょ?」
「まあね」
「よし、じゃ、兄さんに言って連れて来る」
「うん。でも、先に連絡ちょうだいよ」
「分かってるって。ママも会ったら、絶対好きになるから」
「楽しみにしてるわ」
そう答えながら、カトリーヌは息子に少しずつ自分の知らない世界が出来てきていることで、一抹淋しい気にならないでもなかった。離れて暮らすようになってからたった半年ほどなのだが、これまでなら今回のようにテーマに関して分からないことがあれば、デュアンは一番に自分に相談しに来ただろう。しかし反面、それは理想的に成長している証拠かなとも思え、母親としては複雑な気分で、和菓子とにらめっこしながら2個めをどれにするか悩んでいる息子に声をかけた。
「ねえ、デュアン」
「え、なに、ママ」
顔を上げて自分を見たデュアンに、カトリーヌはちょっとしんみりした気分で尋ねた。
「貴族のお屋敷って、やっぱりしきたりとか厳しいこと言われるんでしょ?
窮屈じゃない?」
「そんなことないよ。兄さんのところもだけど、モルガーナ家にもそれほど格式ばったところはないもの。第一、お父さんがああいう人だし」
「でも、執事さんとか家政婦さんとか、家族以外の人だっていっぱいいるじゃない。うるさいこと言われて、苛められたりしてない?」
言われてデュアンはくすくす笑い出した。
「まさか。アーネストはぼくのこと自分の孫みたいに思ってくれてて、マーサなんて今じゃ、ぼくのファンクラブ会長だよ。だから何聞いてもちゃんと教えてくれるし、それに他のみんなとも、ぼくもう仲良しだから大丈夫」
「ふうん...」
それを聞いて母としては喜ぶかと思えば、どうも期待はずれだったらしい様子にデュアンはピンと来た。この母とも、いいかげん長いつき合いなのだ。
「あ、分かった。ぼくが苛められて泣いて帰って来ればいいのにって思ってたな」
「ちぇっ。バレたか」
「もお。そんなに淋しがるんだったら、お父さんが一緒に来れば?
って言った時になんでそうしなかったのさ。そしたらぼくともずっと一緒にいられるのに」
「やーよ」
「なんで?
ああ言うからにはお父さんだってママと結婚してもいい、くらいにはママのこと好きなんだと思うよ。ママにとってもその方が...」
「甘いわよ、デュアン。ディがそんな殊勝な心がけのある男だったら、とっくに誰かと結婚してるわ」
「だって」
「彼が平気であっさりああいう発言を出来たのはね、何も、全く、考えてないからなのよ。結婚しようとしまいと、私がいようといまいと、素行を改めるつもりなんかないし、それどころかその必要すら感じないような人なんだから」
言われてデュアンは、なるほどという顔になった。
「だから言ったでしょ?
夫には全然向かないって」
「う〜ん、そういうことか。さすがママ」
「それに、あなたはいいわよ?
ディの実の息子なんだから、半分とはいえ正真正銘生まれつき貴族のお血筋よ。だけど私はこの通りだし、行儀だのしきたりだの言われたって今更馴染めるわけがないもの。私は私のこの自由な人生とライフスタイルを愛しているの。それにモルガーナ伯爵ともなれば、社交界でも狙ってる女なんてごまんといるわよ。そんな中に私なんかが伯爵夫人ですって出てってごらんなさい。裏で何言われるか知れたもんじゃないわ。女の戦いって怖いのよ」
「確かにそれはあるかも」
「それだけでも鬱陶しいのに、私がついて行ったりしたら私たちには全然そんなつもりなくても、あなたまで財産や地位が欲しくてって言われるかもしれないじゃないの。そんなのは絶対イヤなんだもの」
その言葉を聞いてふいにデュアンは表情を曇らせ、地位と財産ね、と言った。
「やっぱりそんなに、重要なのかな」
「なに?
地位と財産がどうかしたの?」
「...ぼくさあ」
言ってデュアンは、ため息をついた。
「あの家を継ぐってどういうことかよく分かってなかったみたいなんだよね。お父さんに言われた時は、それこそ軽い気持ちでっていうか、メリル兄さんに家継ぐのイヤって言われて、お父さんもおじいさまも困ってるみたいだったし。だからそのくらいまあいいかって思っただけだっだんだけど、なんていうか...」
「誰かに何か、言われたの?」
「そうじゃなくて。...例えばママも知ってると思うけど、あの屋敷って美術館みたいでしょ?
美術館だってあれ以上のものなんてめったにないよ。部屋にも廊下にも、こともなげにルーベンスやレンブラントが飾ってあったりするんだものなぁ。それどころか保管庫にもいっぱいだし、その上、お父さんの絵まであるんだから。それだけだって凄いのに家そのものが"美術品"って感じで、イレーネ湖には元々の本拠まであってさ。今度連れて行ってくれるってお父さん言ってたけど、写真で見てもすごくキレイなお城なの。あんなのがぜーんぶ、いずれぼくのものになるんだって思ったら...」
「いいじゃない、金持ちになれるわよ」
「やめてよ。ぼくはそれ考えるだけでかなり重いものをずーんと感じてるのに。お父さんは"ぼくで務まってるくらいだから大丈夫"とか言ってたんだけど、そんなの真に受けたぼくはもしかすると体よく担がれたんじゃないかと思うもん。..."器"っていうかね、お父さんってそれは"すごい画家"だけど、結局それって絵のことだけじゃなくて根本的に"すごい人"なんだなってことが側にいると改めて分かってきちゃってさ。で、回りのみんなにもそれが分かるから彼は"モルガーナ伯爵"なんだよね。それ考えると、ぼくで代わりが務まるのかなあ、とか」
カトリーヌは、息子がそんなことを考えるようになるくらい成長しつつあるのかと思って、ちょっと感慨を感じている。彼女の側にいるうちは、なんだかんだ言ってもまだコドモだったと思うのだが、環境の変化がデュアンに齎したものは大きいようだ。それも案外、今回の作品に影響しているかもしれない。
「ぼくの代で傾いたりしたらそれこそもうモノ笑いのタネだろうし、人間的な器ってこともあるけど、あの屋敷の維持費を聞いただけでもぼくはぶっ飛んだよ。いったいどーやってあんなもの維持してったらいいんだか、ぼくなんかには皆目見当もつかないね」
ディはそんなに重く考えることはないと言ってくれるが、引き受けた以上は責任というものがある。まだ幼くて無邪気なようにすら見えるデュアンだが、息子以上に無邪気で純粋な母親の側で育ったせいか、なかなかどうしてしっかり者で強い責任感も持っている子だ。ディはそのへんを既に見抜いているし、そういうところが伯爵さま向きかもしれないのだが、本人にしてみるとモルガーナ家の実態を知れば知るほど、その責任感ゆえに不安の方が先に立つのかもしれない。お金だってちょっとはないと困るけど、地位や財産なんてあんなになくてもいいよねぇ、と思うあたりが、やはりディの血筋ということなのだろう。
デュアンの言うのを受けて、しかし、カトリーヌはあまり心配していそうもない顔をしている。息子のことをよく知っている彼女には、ディが思っているのと同様にデュアンが少なくとも伯爵さま向きの性質をしていることくらいは、モルガーナ家に行かせる前にそれなり確信できていたからだ。
「まあね、器は精進努力だと思うけど、モルガーナ家はクランドルでも十本の指に数えられるくらいの資産家だもの。経済的な心配はないんじゃない?」
「だけど元は資産家の貴族の家が傾くってよくある話じゃない。当主が無能だったら傾くんだよ。お父さんくらいの評価がある画家だったら何かあってもどうにでもなるのかもしれないけど、ぼくはあんなにまでなれるとは思えないし」
「ディは絵で生活してるわけじゃないわよ。殆ど売らないんだから」
「それは知ってるけど...」
「全く不公平だと思うわよ、神さまなんて。彼の絵はね、商売じゃなくて道楽よ。あの人の場合は描けば描くほど財産が増えるだけ。今、彼の絵が売りに出たらどんな値がつくと思う?
何年も前に描いた絵が天文学的な値段になるのよ。同じ絵描きなのに、イラストレーターなんてやってるの殆どバカバカしくなるくらいよ。私なんて、締め切りに追われて描いても描いても、描いても描いても、貧乏ヒマなしなのに」
デュアンは母の言い分に、ちょっと暗めの気分を吹き飛ばされたのか笑っていたが、そう言われて、ママが貧乏だとしたら、それは贅沢が好きだからじゃないと茶々を入れた。
「悪かったわね」
「じゃ、ぼくの食いぶちがいらなくなったぶん、生活楽になったでしょ?」
「冗談じゃないわよ。あなたのための貧乏だったら私は全然構わないのよ。帰って来てくれるんだったら何だってするわ」
デュアンの言うのを聞いて、カトリーヌはつい本音が出たようだ。
「ママってばもぉ。そりゃ、ママの気持ちは分かるけど、今更ヤメますとも言えないでしょう?
メリル兄さんが前言撤回してくれる可能性は絶無だし、お披露目も終わってモルガーナ家の跡取りはぼくって線で話が走ってるんだもの。重いなあとは思うけど、既に期待されてる以上は頑張るしかないのもホントだし」
「それは分かってます。でも、ま、これは今でも私の本音と思って聞いといてよね」
「はいはい」
「まあ、とにかく今あなたにやれることは、今できることをしっかりやることよ。あんな男だけどディがディなのはやっぱりやるべきことだけは、きっちりやってきたからなんだから」
「だーから、ママは今でもお父さんが好きなんだよね?」
「そうよ。悪い?」
「いいえ」
デュアンは言って、それから、よおし!
と気合いを入れた。
「ぼくの今、やるべきことは!」
「勉強」
言われて一瞬、盛り下がりながらデュアンが言っている。
「分かってますよ。ここんとこイラストの仕事が忙しかったけど、成績は下がってないでしょ?
特に今は、モルガーナ家の跡取りがバカだなんて評判立ったら困るんだから」
「それはそうね」
「ぼくが言いたかったのは、それじゃなくて何か面白そうな仕事来てない?ってこと」
「ああ。それなら、いくつか話はあるわよ。でも、もう少し待ってみなさいよ。どうやらニコラのところのがうまくいってるようだし、その評判が広がれば大きなのがいろいろ来ると思うから。ニコラもビシバシ描いてもらわなきゃとか言ってたしね」
「そう?
うん、じゃ待ってみる。実際、この前のはホント、面白かったんだよね。とにかく取材なんてしたの初めてだったし、それっていいなあと思って。それで今、前以上にすっごく描きたくなっててさ、あの後も、そのイメージでいろいろ描いてみてるの」
カトリーヌはそれに笑って頷いている。
改めて考えてみるとモルガーナ伯爵家の後継者にして新進イラストレーターという今のデュアンの状況は、他人は羨ましがるかもしれないが、見方を変えればこの年の子には相当な重荷と言っていい。しかしカトリーヌには、デュアンのこのパワーなら乗り越えてゆけるだろうとも思えている。何よりも本人がその責任をしっかり自覚してヤル気でいるのなら、母として出来ることは見守ってやることくらいしかない。子供って、こうやって親の手を離れてゆくのかなあ、と、カトリーヌはまた内心でちょっと複雑な気分に浸っているのだった。
original text :
2011.3.14.-3.20.
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