その晩のディナーをどうやってやりすごしたのか、デュアンは殆ど覚えていない。皆がテーブルに集まる頃になっても彼が現れないのでメイドが呼びに来て、ドアの向こうから聞こえて来た声で我に返ったデュアンは、もうすっかり日が暮れているのに気づいたのである。

いつも元気で一番に食卓について席を盛り上げるデュアンだけに、夕食に出て行かなければロベールあたりが具合でも悪いのかと心配するのに決まっている。そうすると、祖父自ら様子を見に来るだろうし、その結果、引かなくてもいい兄たちの関心まで引いてしまうだろう。

そうなってはよけい困るので、呼びに来たメイドにはすぐ行くからと言っておいて、デュアンは急いでベッドを降り、バスルームに駆けこんだ。どうやら自分はずっと泣いていたらしいので、ひどい顔になっているだろうと思ったからだ。案の定、自分にこんな顔ができたのかと思うほど、どっぷり暗い表情で泣きはらした目はすっかり赤くなっていた。それを見て、ぼくはこんなにお父さんのことが好きだったんだなぁと改めて実感し、深いため息をついている。それに、それをとうとうお父さんに知られてしまった ― 実際には、当の脳天気親父は気づいてさえいなかったのだが、少なくともデュアン自身はその時、そう信じていたのだ。

それでもとにかく、今はなんとか夕食のテーブルについて、ふつうに振舞わなければならない。父とは、また後でちゃんと話さなければならないが、彼だって、そんな話を祖父の前でするわけにはゆかないだろうから、とりあえずは黙っていてくれるはずだ。

食欲なんかまるっきりなかったが、さっさと行かなきゃと思ってデュアンは顔と手を洗い、鏡に向かってにっこりしてみようとした。しかし、自分でも大丈夫か?! と言いたくなるくらい不自然だった。いつも前向きな爆弾っ子のサバイバル少年をして、今回のことはかなりなダメージになっているらしい。それでも、ことさら元気よく振舞おうとして、返って部屋を出る時につんのめってコケかけてしまい、ああもうぼく、どうしたらいいんだか、とパニクりながらもなんとかダイニングに辿りついた。

既にみんな揃っていて、そろそろ食前酒を楽しみ始めていたようだったが、デュアンの姿を見た祖父はにっこり笑い、では、始めようか、と側にいたクロードに食事の開始を告げた。クロードは頷いて、ダイニングを出て行った。

「なんだ、どうした? 食事に遅れるなんてデュアンらしくないな」

「あ、ええ。今朝、早起きしたら今頃ねむくなって来ちゃって、ついうとうと」

ロベールに尋ねられて、席につきながらデュアンは調子よく答えた、つもりだったのだが、そうなっていたかどうかは自分でも分からない。それでも、祖父は特に気に留めた様子がなかったから、たぶん、うまく取り繕えていたのだろう。

「ああ、そうか。今日はファーンと朝駆けに出かけてたんだったな」

「はい」

横から、これもデュアンに何も変わったところを感じているようでもなく、ファーンが言った。

「爽快だったよね。デュアンもすっかり上手くなってるから、思いっきり飛ばせたし。どう? ここにいる間に、もう1回くらいやらない?」

「うん、いいね」

「さてさて、食事が来たぞ」

そうするうちにも、クロードがアルベールやメイドたちに手伝わせて最初の皿を運んできている。料理がサーヴされるどさくさにデュアンはちらっと父の方を見てみたが、ディは横の席にかけているメリルにちょっかい出して遊んでいるようで、これもいつも通りで特に変わったところはない。メリルは未だに父と話すことに違和感があるらしく、ちょっと困ったような顔をして受け答えしていた。ディはディでその反応が楽しいのか、こうして何かとメリルにかまっているのを、よく見かける。

「デュアン?」

祖父に呼ばれてデュアンは、はっとしてそちらを向いた。どうやらぼーっと、ディの方を見たままだったようだ。

「え?」

「皿が来てるぞ。なんだ? まだ寝ぼけてるのかい?」

「あ、はい。わあ、美味しそう!」

言ったはものの、食欲なんかまるでない。いつもなら、どんな時でも美味しそうなものが目の前に出てくればそれだけで元気が出るのに〜、と思いながら、デュアンはナイフとフォークを取って、一応、食事にかかった。いつでも、皿の上のものを残したことがないという自分の食いしんぼぶりが、今日ばかりは恨めしい。なにしろ、全部食べなければ、たちまち祖父が身体の調子でも悪いのかと気にするに違いないからだ。そんなデュアンの考えにはまるで気づかず、ロベールが言っている。

「今、ちょっと話していたんだが、前に、みんなで一度一緒に旅行しようと言っていただろう?」

「ええ」

「地中海はどうかという話になってたんだ。ファーンが行きたいと言ってね」

「地中海ですか? ギリシアとか?」

「そうだ。今から予定を立てるとして、秋冬はいろいろとみんな忙しいから、春ならどうかと思ってな。時間的に余裕もあるし、スケジュールも合わせやすいだろう。春のギリシアも、なかなか美しいぞ」

「でしょうね。ぼくはまだ、そっち行ったことないから行ってみたいです」

「そうか? メリルも、あの辺りの絵を描いてみたいと言うし、それなら決まりだな。あちらにも、うちの別荘があるから都合もいい。それに、お披露目の時に呼びきれなかった友人たちが沢山いてね。きみたちを紹介する良い機会にもなる」

「え〜、おじいさま、地中海にも別荘持ってるんですか? ね、一度聞いてみようと思ってたんですけど、いったい、全部でいくつくらいあるの?」

「別荘か? う〜ん、いくつだっけな。ディ、覚えてるか?」

「分かりませんよ。自慢じゃないですけど、うちの所有になってるのがいくつあるかも覚えてないのに、お父さんのまで分かるわけないでしょう? 元々、お父さんが先代から継いだものがいくらもある上に、昔、一時期、これと思う物件があれば見境なく買ってたことだってあるんだから」

「最近はそんなに増やしてないぞ。しかし、私にもいくつあるかよく分からんな。よく使う所だけは覚えているんだが、この際、どこに何があるかはファーンにも教えておかなければならないんだから、リストでも作るか。いや、そういうリストが確かどこかにあったはずじゃなかったかな」

デュアンは自分の問題で上の空になりがちながらも、祖父と父のこの会話に心底呆れたのだけは後になっても覚えていた。なにしろ、二人ともそんなに特別なこととも思わずに話しているようなので、これには兄たちも同じ気持ちだったようで、絶句して口を挟む者すらなかったほどだ。ケタはずれの贅沢に馴染んでいるはずのファーンですらそうだったのだから、メリルに至っては、"お金持ちって、ほんっと〜に宇宙人!"とつくづく思ったのは当然だったかもしれない。そんな子供たちの呆れ顔をヨソに、こともなげに二人は会話を続けている。

「確かに、それははっきりさせておかなければならないかもしれませんね。お披露目のどさくさで忙しかったんでそこまで気が回りませんでしたけど、我々に何かあった時のことも、そろそろちゃんとしておかないと」

「だーかーらー。私は以前から、その同じことをお前に何度言ったと思ってる。おまえより私の方がいつどうなるか分からんのだから、さっさときっちりしておきたいのに跡取りは決まらないしで、私がどんなに焦っていたか....」

「いいじゃないですか、もう決まったんですから。いい加減、その愚痴は勘弁して下さいよ。お願いしますよ」

「ああ、分かった、分かった。とにかくな、デュアン、そんなわけだ。その質問については、そのうち調べて回答しよう」

「はい。でも、要するに、数えきれないくらいあるってことですよね」

「ま、そういうことだな」

デュアンのちょっと呆れ顔にロベールは内心笑っている。数え切れない別荘だの、それを支える莫大な財産だの、手に入るとなれば普通の人間なら目の色が変わるような話だが、いつものことながら、子供たちのうち誰ひとりとしてそういう種類の反応を示さないのが嬉しいからだ。

「じゃあ、とりあえず地中海ということで計画を進めるぞ。いいかな、みんな」

ロベールに尋ねられて三人ともそれぞれに頷いているが、デュアンには先のことより今のこと、だ。話を合わせて話題をやり過ごしながらも、誰も自分の様子がおかしいのに気づかないうちに、どう言えば早々に部屋に戻れるかしらと考えていた。それに、もうひとつ気になったのは父のことだ。自分が気にしまくっているわりに、ディの方はまるでいつもと変わりがない。彼らしいポーカーフェイスと言えば言えるし、だとしたらさすがだなあという気もする。本当は何も気づいていないのだから変わりようもないが、デュアンにしてみれば、でも、実際はどう思ってるんだろうと不安が募るのも無理はない。

それからも、なんとか普段通りに振舞って食事が終わるまでは持って行ったが、そこで彼の努力も限界だったらしい。いつもなら、さて、サロンに席を移して今夜はチェスかビリヤードかというところなのに、おなかがいっぱいになったら、また眠くなってきたと言い訳して、早々に部屋に下がってしまった。朝早かったことが都合のいい口実になって、誰も疑う者がいなかったのは幸いだった。

部屋に戻ると、扉を閉めるなりどっと気が抜けた様子で深いため息とともに床に座りこんでいる。相当に気疲れしたらしくそのまま動けないほどだったが、しばらくしてやっと立ち上がり、とぼとぼ寝室に入って行った。着替える根性すらすっかり死んでいて、そのままベッドに潜り込むと、今日のところはなんとか誰にも気づかれずに済んだけれど、明日からもずっとコレだとたまったもんじゃないよと思っていた。せっかくの夏休みも、すっかり台無しだ。道ならない、しかもデュアンにとって生まれて初めての恋煩いは、彼をかつて経験したことがないようなどっぷり暗い気分に沈ませていて、あ〜、恋って切ない、とつくづく思いながらも、確かに朝早かったせいもあるのか、気疲れのせいか、いつの間にか眠ってしまったようだった。浮上してくるまでには、さすがにかなり時間がかかりそうである。

original text : 2012.10.11.-10.27.