「どうだ、ファーン。ここ、気に入ったか?」

シンプソン家の別荘は海のすぐ近くに建っていて、テラスからも目の前に広がる海と水平線を壮大に臨むことができる。さすがにテクノロジー方面で大きな財を為した家の別荘らしく、贅の限りをつくしたかのごとき白亜のモダンなヴィラで、新興財閥のものとはいえ趣味も決して悪くない。もともと、ランドルフの父が母のために建てたものだから、彼女の貴族的センスが随所に生きているのだろう。ファーンはそのテラスのデッキチェアで夕方の気持ちいい風に当たっていたのだが、ランドルフに声をかけられてそちらを向いた。

「あ、ええ」

「ん? 電話?」

「いえ、デュアンからメールだったんです。予定よりちょっと延びちゃったけど、明日には飛行機に乗るそうですから、戻ったらこっちに来るって」

「そうか、そりゃ、ちょうど良かったじゃないか。おまえもバイト終わってやっとこっちに来れたとこだったし」

「そうですね。京都、良かったみたいですよ。お祭りがすっかり気に入ったらしくって、今度は一緒に行こうって。デュアンは今回、お父さんとも親しい方に案内してもらえたとかで、その方が次はぼくも一緒にって言って下さってるんですって」

「へえ、日本の祭りか。面白そうだな」

「ぼくも前々から興味あって、ただ、東洋にもいろんなお祭りがありますけど、日本の祇園祭は夏でしょう? それを目当てに行くんだったら、来年になっちゃうけど」

「いいじゃん。行くんなら、おれも誘えよ」

「いいですよ。でも、来年と言ったら、あなたはいよいよ大学進学で忙しくなってる頃じゃないですか?」

「プレッシャーかけんなよ。そういう時期だからこそ、息抜きしなきゃやってらんないってもんさ。しかし、おれたちが行くと言えば、またウィルも来たがるよな」

「それは、たぶん...。むしろ、東洋文化なんてウィルの最も好きそうな分野ですから」

「う〜ん、やっぱりおまえと二人っきりってのはありえないか」

「また、そういうことを言う。第一、行くんならデュアンだって一緒ですよ」

「あのコならいいさ。それこそ両手に花ってもんだ」

「そう言いつつ、実のところウィルにも一緒に来て欲しいんじゃないんですか? 」

「バカ言え」

「なんだかんだ言っても、あなたって本当はウィルに懐いてますもんね。大学が同じになるとは限らないし、卒業旅行くらいは...」

言われてランドルフはしばし首を傾げていたが、やがて"ご想像にお任せするよ"と言いながら、側の椅子に腰を降ろした。

「それはそうとさ、おやっさん、すっげえ助かったって言ってたぜ。おまえのおかげで倉庫に山積みになってた未整理本のリストがかなりできて、ネット店とか、オークションにもアップできるようになったって喜んでた。また、時間があったらぜひ来てくれってさ」

夏休みに入ってからしばらくの間、ファーンはランドルフの紹介で市内にある古本屋の在庫本整理と、店番のアルバイトをやっていたのだ。ほんの1週間ほどのことだったが、ファーンにとっては面白い経験になったようだ。ただ、世間の話題はかなり落ち着いて来ているものの、ファーンの目立つ容姿はここしばらく様々な雑誌やテレビでも流されていたのだから、そうと気づく人も多いかもしれないと、店の迷惑にならないようにバイト中は眼鏡をかけていた。眼鏡をかけると普段と違って非常に秀才っぽく見えるのが、本人、わりと気に入っているらしい。

「お役に立てたんだったら、また行きたいですけど、難を言えば面白そうな本がたくさんありすぎましたね。リスト作るために目を通してるうちに、ついつい読みたくなっちゃって」

「ああ、それ分かる。おれも前に何回か手伝ったことあるからさ。あの倉庫、天井まで山積みで、頻々ととんでもない掘り出しモノが出てきたりするんで仕事にならなくて困った。だから今回はおまえに譲ったんだけど、結局、おんなじだったか」

「みたいですね。禁欲的に頑張ったものの、仕事じゃなかったら座りこんじゃってたかも。うち、大じいさまが本好きだから書庫はけっこう凄いことになってるんですけど、やっぱり代々続いた古本屋さんっていうのもハンパじゃないなあって。ああ、それにお客さんも、面白い人が多くて。いろんなお話も聞けて、楽しかったです。ローデンから戻って、時間があったらまた行かせてもらいますよ」

一方、ウィルはダイナーにもぐりこんでウエイター兼皿洗いのバイトをやっていたが、それがけっこう楽しかったようだ。彼のあの性格と人当たりの良さだから、オーナーや客からの評判も良く、ウィル自身も"やっぱりアルバイトっていい経験になる"と言っていた。

そんなこんなでクロフォード家では今"バイト"がキーワードになりつつあって、ウィルの弟たちや例のかしまし双子たちも何か出来る仕事はないかと探索中らしい。みんな、お小遣いはそこそこもらっているとはいえ、親たちが"子供にあまり必要以上のお金を持たせるべきではない"という点で合意しているので、お坊ちゃま、お嬢さまながらなかなか手放しで甘やかしてはもらえないのだ。逆にウィリアムの考えもあって、"労働によって、お金を得る体験"については"社会勉強"ということで奨励の方向に意見が一致したと見えた。将来的に巨額の資産を引き継ぐことになる者には、その社会的重要性と使い方について、早くからきっちりと教えておくことが親の責任と考えているからだろう。

「でも、なんか意外だな。あなたが本を好きなんて」

「意外で悪かったな。どーせ、おれはウィルのような読書好きの秀才には見えませんよ」

「拗ねないで下さいよ。悪い意味じゃないんですから。なんていうか、この前、あなたがうちに来た時にも思ったんですけど...」

「ん?」

「ぼくはどうやら、あなたのことを全然分かっていなかったのかなって。ウィルと違って、ぼくは昔のあなたを知らないですしね。正直、大じいさまと話してる時のランディって、完全に普段と別人だったから」

「まあな」

「もしかして、あれが本当のあなただってこと?」

「いや...。そうだな、ああいう芸もやれば出来るってことさ。アレもおれだけど、コレもおれってことかな」

言われてファーンは腕を組み、う〜んと唸っている。

「...深いですね」

「おまえって、ほんっとそのトシで信じられないキャラだよな。マジで考えこむようなことかよ」

「それは考えこみますよ。問題は、ぼくの洞察力なんですから。ウィルには分かってたんでしょうけど、ぼくはあなたがそう見せている表面だけしか見えてなかったのかなって、それ、けっこうショックだったし」

「人間の中身なんて、そう簡単に見えてたまるか。おまえのトシなら、それだけ分かってれば十分だよ。まあでも、ちょっとはおれのこと見直したってのなら嬉しいけど?」

「それはもう。一番ショックだったのは、大じいさまが、ぼくたちの方にこそ、あなたから学ぶものがあるって言われたことだったんです」

「問題児の劣等生からだろ?」

「まあ、言えばそうなんですけど、そもそもその"問題児の劣等生"という印象は、あなたこそが回りに与えたがっていたイメージだったのかなって。実際、ここのとこウィルがめちゃくちゃ楽しそうなんですよねえ...。あなたと首席争いのデッドヒートで」

それにランドルフは声を上げて笑い、あいつってほんと、ビョーキだよな、と言った。

「昔っからそうなんだよ、下から煽られれば煽られるほど楽しいって性格。確かに、おれもそれ一緒に楽しんでたのは認めるけど」

「だけど、ぼくはそのウィルがどれほど努力家で勉強家かってことを、よく知ってるんです。学校だけじゃなくて家でも見てるわけですからね。だから、そのウィルに追いつくのはただでさえ難しいことだと思うのに、あなたは復活してからこっち、あっと言うまに追いついちゃって」

「おまえなあ、軽くあっと言う間なんて言ってくれるな。確かにそろそろ本気出さなきゃ危ねえって時期にも来てたが、こっちもやるからには意地ってもんがあるんだよ。おまえだから言うけど、ここんとこ、おれ睡眠時間平均3時間だぜ? それでもウィルに追いつけるのは元々得意な何教科がやっとなんだ。ブランクは大きいってひしひし感じてるのは、おれの方さ」

「え〜っ、それでまだバイトまでやってるんですかっ?!」

「つきあいってもんがあるからな。頼まれればイヤとは言えないこともあるのよ」

これを聞いて、ファーンはますますランドルフのことを分かってなかったとつくづく思わせられたのだった。

「ちょっ...とぼく、あなたのこと尊敬してしまいそうかも」

「ありがとよ」

ランドルフは大して本気に受け取っていないようだが、ファーンの方はけっこう真面目に言っていた。

「ま、とりあえずのとこせっかくの夏休みだし、今はちょい息抜きだな。幸い、大学をどうするか決めるまでにはまだ時間もあるから、ここは思いっきり、楽しもうぜ」

「ええ...」

「あ、そうそう。それと聞こうと思ってたんだけど、前におまえバイク乗ってみたいって言ってただろ?」

「ああ、はい」

「夏休みのスケジュールはもう決まっちまってるから無理だろうけど、秋になったらうちのテストコースに遊びに行かないか? ウィルに話したら、あいつも行くって言ってるし」

「え、いいんですか?」

「いいよ。親父も好きにしていいってさ。おまえのおふくろさんは、どう言ってた?」

「母なら、危ないことしないって約束するならいいって言ってました。ウィルが一緒なら、なおOKだと思いますけど」

「じゃ、決まりだな。後で、いつにするか相談しとこう」

「わあ、なんか楽しみだなあ。あ、デュアンも来たがるだろうな」

「誘えば? っつーか、あのコが来たら、おれも声かけるよ」

言われてファーンは嬉しそうに頷いている。

そうこうしているうちに夏の長い日もそろそろ暮れかかる頃となってきた。水平線の彼方には見事に丸く輝くオレンジの太陽が没しようとしている。そこへ別荘番のパディントン夫人が姿を見せた。彼女は夫と共に日ごろからこの別荘を管理しているので、ランドルフたちが滞在中、食事の面倒なども見てくれているのだ。おっとりした性質の年配の婦人で、なかなかの料理上手でもある。

「坊ちゃまがた、お食事ができましたよ」

「ウィルたちは?」

「先ほど、お声をかけましたから、そろそろ集まって来られると思います」

「そう。じゃ、おれたちも行くか?」

「ええ」

二人はデッキチェアから立ち、一緒にダイニングの方へ歩いて行った。数日のうちにデュアンも着くだろうし、バイト明けの彼らにとって夏の楽しみはいよいよこれからである。

original text : 2012.3.29.-4.7.