「デュアンさま? どうかなさいまして?」

書斎のテーブルでパソコンに向かっていたミランダが、ふとデスクでぼんやりしているデュアンの様子を気にとめて言った。このところ彼女は伯爵さま修行に励んでいるデュアンのために、モルガーナ家と関わりのある人物ファイルのデータ入力と更新を手伝ってくれているのだ。今日の作業があらかた終わったのでデュアンに声をかけたのだが、答えがないので不思議に思ったらしい。言われてやっとデュアンは話しかけられていたことに気づいたようで、そちらを向いてミランダを見た。

「え?」

「いえ、何か気がかりなことでもおありになるのかと」

「あ、ううん。そんなことないよ。ごめん、ちょっとぼんやりしてたね。何だっけ?」

「あ、はい。今週のぶんはこれで終わりですけれど、他に何かインプットしておかれたいようなものはないかと思いまして」

「いや、今のところはないね。いつも有難う、本当に助かるよ」

「デュアンさまのお力になれるのでしたら、このくらいなんでもありませんわ。いつでもおっしゃって下さいね」

実際、モルガーナ家に入ってからデュアンが新しい立場と環境に馴染もうと一生懸命努力していることにミランダはとても感心している。彼の場合、学校の勉強の他にイラストの仕事まであるのに、ヒマを見ては彼女が入力してくれた資料を元に、社交界とそれに連なる各界の人物や情勢と、その最近の動向などを学ぶことに熱心に取り組んでいる様子が伺われるからだ。データをインプットしていると、デュアン自身が加えた新しい書きこみも随所に見受けられる。

「頼りにしてます」

「任せて下さい。私はもう、デュアンさまの秘書のつもりなんですから」

彼女の冗談にデュアンは笑って、それは強力だあ、と言っている。

「なにしろミランダときたら、何だって出来て何でも知ってるんだもの。うちのスーパーメイドだよね」

「とんでもありませんわ。私なんてマーサさんに比べればまだまだ」

「でもさあ、実際、不思議だよ。ほんと、ミランダってメイド以外でもなんだって出来そうじゃない。それこそどこかの重役秘書とかさ」

「さあ、どうでしょう。ですけど、他のどんな仕事についても、ここほど勉強になるところはありませんわよ? 私がいろんなことを出来て、いろんなことを知っているとすれば、それは全てここに来てから身につけたことですもの」

モルガーナ家からは、料理長のジェームズの下で働いていて、その後、ホテル・ソレイユに総料理長として出たサミュエルのように、それまでに学んだ知識を元に外で活躍している者も少なくない数いる。例えばソレイユの現在のジェネラル・マネージャーもモルガーナ家出身だ。また、傘下にあるホテル・グループはそのホスピタリティの上質さで上流階級のお歴々にも定評があるが、それも元を糺せば貴族的伝統を忠実に守りぬいているアーネストの采配下で、真のサーヴィスのなんたるかをしっかり身につけた者が多く世界中に散っているためだろう。それに、メイドたちの中には訪れる客に見初められて良家に嫁ぐ者もあり、マーサなども夫が亡くなって出戻ったとはいえその一人だった。そんな事情もあって、ここで働く者は全体に自らのスキルアップに熱心な傾向が強い。

「それで、デュアンさまの方は? イラストのお仕事、アイデアはまとまりまして?」

「う〜ん、それがねえ、今度のもなかなか難しくて」

「シャルロット・ロゼのノベルティでしたわよね。来年のカレンダーのイラスト」

「そうなの。それがまた12カ月分だから12枚もいるんだよ〜ぉ。ましてやそれが、もらった人の部屋に一年間飾られると思ったらさ、プレッシャーかかっちゃって。その上に商品のお菓子のイメージも盛り上げなきゃでしょ?」

「責任重大ですわね。なにしろシャルロットのは毎年千部限定で、応募して当たらないともらえないんですもの。でも、デュアンさまのイラストともなれば、私も今から応募するつもりでいますのよ」

「え〜。いや、そんなのもう、本当にもらってくれるんだったら作者権限でぼくのファンクラブ会員には別口で確保しちゃう」

「あら、素敵!」

「ただ、そのアイデアが問題で。やっぱりさあ、毎月めくるたびに"いいなあ"って思われたいじゃない?」

「それはそうですわね」

「今のとこ、レトロ路線でいこうかなと思ってるんだけど。ハヤリだしさ。シャルロットの昔のパッケージとか、懐かしい意匠を取り入れてね」

「まあ、それはイメージにぴったりですわ。老舗で高級感があって、それにオシャレで」

「いいと思う?」

「ええ」

「じゃ、やっぱりそのセンかな。シャルロット・ロゼというとやっぱり女性に人気絶大のスイーツブランドだから」

「うちのみんなの意見も聞いておきましょうか?」

「あ、お願い。それ助かる」

「分かりました。明日にでも、ご報告します」

「うん。よろしくお願いします」

「はい。じゃ、そろそろこんな時間ですし、お茶の用意をしてまいりましょう。少し、お休みになった方が」

「そうだね。煮詰まってても仕方ないし...。まだ時間はあるから」

「お茶菓子のリクエストはありまして?」

「マーサのチョコレートケーキ、あったら食べたい」

「焼きたてがあります。では、それをお持ちしますわね」

デュアンが頷くとミランダはパソコンのスイッチを切り、椅子を立って書斎から出て行った。しかし、それを見送ったデュアンの方は、大きなタメイキをついて机につっぷしてしまっている。とてものことに、これから一息ついてお茶の時間という様子ではなかった。ミランダは彼がぼんやりしていた原因を仕事のアイデアがまとまらないせいだと思ってくれたようだが、実は今のデュアンにはそれどころではない災難が降りかかっていたのである。

彼にとって、それはある程度予測されて当然の事態だったかもしれない。しかし、本人ですら、まさかそんなことになろうとは、その時になるまで迂闊にも考えてみることすらしなかったのだ。そうするうちに、それはじわじわと、まさかまさかの予感をはらみつつもデュアンの中では常に希望的観測により無意識に否定されていたのだろう。

始めのうちは父が家を空けることがあっても、不満に感じるのは顔が見られないのが淋しいせいだろうと思っていた。そして彼が時折り帰ってこない原因が、おそらくコレにあるんだろうなと思わせる新聞や雑誌のゴシップ記事が目に留まっても、一瞬むかっとした気分になるのは"大好きなお父さん"を取られているせいだなと自分で自分を納得させてもいた。それなのにそういうことが度重なってきて、どうもこれはおかしいぞという気がし始めていた矢先、隠し子騒動があってなおディとアリシアの仲は相変わらずという記事を見てしまったのがいけなかったらしい。それによれば、世間の騒ぎのほとぼりが冷めてきたこともあって、ディはまた食事だ観劇だパーティだと最愛の恋人を自慢げにあちこち連れ回しているというのだ。ここに至って、デュアンはとうとう決定的な自覚に追い込まれてしまったのだった。

春の旅行の時にアリシアと会った時には、彼の方がそれなり友好的だったことも手伝って、やっぱりキレイだなあ、素敵だなあと憧れる気持ちすら強かったはずだ。性質的にもどちらかと言えば好きなタイプで、親しくなれたことが嬉しかったのも事実である。その記憶も新しいというのに、そして彼との間には何一つわだかまりがないこともはっきりしているのに、その記事を見たとたん、デュアンは我知らず、殆ど本能的に心の底からアリシアに明らかな敵愾心を燃やしている自分に気がついた。それはもう自分でも驚くほどに突発的かつ爆発的な感情だったので、今度こそそれが否定のしようのないほど明らかな"嫉妬"であることを認めざるをえなかったのだ。

〜 もしかして、ぼくはお父さんを単にお父さんとして好きなんじゃなく、うんと小さい頃からの憧れが今既に恋に発展しちゃってるんじゃ ??? 〜

一旦そんなふうに考え始めると、思い当るフシは山のようにあった。そもそも、ディが父だと知る前からの、彼に対する自分の執着ぶりは画家に対するものとして普通ではなかったのではないか? 作品もさることながら、文句なしにその美貌に心を奪われていたことも確かで、その頃から彼の写真をベッドサイドに置いて、見るたび、こんなにキレイな人が本当にいるんだなあと溜め息をついていたものだ。実の父親の写真なのだから、今ではそれが部屋に飾られていても誰も不審に思わないし、母も"アコガレの人"ということで気に止めていた様子はないが、ど〜考えても"憧れ"の度を越していたかもと自分でも思う。そう考えるとアリシアと彼の関係に息子としてあって当然のメリルのような憤懣を持つどころか寛大な理解を示していたのも、出来ることなら自分がアリシアの立場で彼に愛されたいという願望の裏返しだったのじゃないかという気すらしてきてしまう。

実際に会うことができるまでは、あまりに遠い人だからその程度の反応で済んでいたのだろうが、なまじ実の父であるばっかりにこんなに近くに来てしまい、あまつさえ一緒に暮らすようにまでなった今、もともと憧れとしては度を超えていた執着が、更なる発展段階に入ってしまっても何の不思議もなかったかもしれない。

これで近くで暮らしてみたら案外に普通のヒトだったとでもいうのなら、まだしも自覚に至る前に救われていたかもしれないのだが、それどころか反対に側にいればいるほど、近しく知れば知るほど、ディときてはイヤが上にも"ああ、素敵"だの"カッコいい"だの、"やっぱり違うなあ"だの、心酔の度を深めてしまうような人物だから始末が悪かった。そうするうちに、ハタと気づいたら...。

要するにぼくはお父さんに一目惚れしていて、ここのところ近くにいすぎたためにとうとうそれが表面化してきてしまったらしいと自覚して以来、実の父なんだから微塵も可能性のないこんな恋なんて即刻あきらめるべきだと主張する常識的な自分がいる一方で、いや、アリシア博士がお父さんの恋人になったのは確かぼくくらいの年の頃だったはずだから全く可能性がないわけじゃないと唆す悪魔のような自分もいて、このところデュアンの頭の中は昼夜分かたず、てんやわんやのわやくちゃ状態なのだ。この問題に比べたら、いくら毎年、有名イラストレーターが競合する人気企画とはいえ、お菓子屋のノベルティのアイデアなどは若々しいイマジネーション溢れる彼にとって何ほどのこともない。

そんなわけで、ミランダが出て行ってからしばらくの間、デュアンは完全に沈没していたが、どうやら彼女が戻って来たらしいノックの音が聞こえると、ここでまた何事かと思われるような様子を見せてはと起き上がり、平静を装って、どうぞと答えた。とは言えこの努力、いつまでもつか彼自身にも定かではない。なにしろ、当の問題の相手は一つ屋根の下に四六時中いるのだ。ましてや、本人に悪気はないとはいえ、ただいてもそのオーラに触れる者をときめかさずにはいないあらゆる魅力を目の前で見せつけ続けてくれている。赤の他人ならまだしもだったと思いつつ、今となっては彼が実の父であることを心の底から呪いたい気分のデュアンなのであった。

original text : 2012.1.16.-2012.1.25.

       

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