「有難う、アシュバ。楽しかったよ」
― どういたしまして。また、一緒に散歩しましょう、ウィル。
「うん、明日にでもね。それと、チェスの約束も忘れないで」
― もちろんです。最近ではマーティアやアリシアが忙しくてちっとも相手してくれないので、つまらなくて。時間が出来たら、いつでも来て下さい。
「OK。でも、お手柔らかに頼むよ」
どうやらウィルは、早朝からアシュバと一緒に散歩に出かけていたようだが、彼らが帰って来たところに行き合わせたのは、庭を散策していたらしいデュアンだった。
「あ、ウィル、アシュバと出かけてたんですか?」
声をかけられてウィルは振り返り、やあ、おはよう、と言ってから続けた。
「そうだよ。昨日、ルーク博士...、いや、マーティアに許可はもらっていたから、朝一番で散歩につきあってもらったのさ。この島を、ひとめぐりしてきたところ」
「いいな〜」
― では、後でデュアンも案内してあげましょうか?
「ほんと?!
じゃ、午後にでも。兄さんも一緒でいいよね?」
― いいですよ
デュアンが嬉しそうに飛び上がる横で、ウィルが言っている。
「やっぱり凄いよ、アシュバは。これほどのテクノロジーが一般に普及させられないというのは残念でたまらないね。個人的にも、手に入るならどんなことをしても欲しいのに」
「ぼくもです」
「さすがはフェラリと言うか、マニュアルで走らせるとスポーツカーとしても優れているのがよく分かる。動力系統はオリジナルと全く違うみたいだけど、スポーツカーとしてのスピリッツのようなものはオリジナル譲りなんだろうね」
― ええ。ただ、私の動力系はオリジナルの512TRよりも遥かにスピードを出すことが出来ます。ですが、マニュアルで最高速を出すのは自殺行為ですから
「だろうね」
「マニュアル・モードもあるんだ。じゃ、ウィルは運転が出来るの?」
「クランドルでは16歳から仮免許が取れるだろ?
公道を走るならライセンスを持ってる人が一緒に乗ってなきゃいけないけど、ここは全面的に私道だし」
― ライセンス所持者がいなくても、私がついていれば安全です
「ご尤も」
― でも、ウィルは安全運転で、既に一人で公道を走っても何の問題もないように見受けられましたが
「そう?」
― ええ
「ねえねえ、アシュバ。じゃ、きみだったらぼくが運転しても大丈夫かな」
― お望みなら。ただ、デュアンはまだライセンスを取れる年ではありませんから、マーティアに尋ねてみてからにして下さい。その判断は、私の一存ではちょっと...
「うん。じゃ、聞いてみる」
言っているところへ、エントランスの扉が開いてチャールズが顔を出した。どうやら、二人を探していたらしい。
「ああ、ここにいらしたんですね。マーティアが、食事にしたいけど、皆さんどうかと言ってるんですが...」
「いいですよ。ぼくも、そろそろ食事時かなと思って帰ってきたところですから」
ウィルが言うのへ、デュアンも頷いている。
「待望の飲茶ブランチですもんね。あ、ねえ、アシュバ。じゃあ、食事の後で乗せてくれる?」
― ええ。待ってますよ
それから二人は屋敷に入り、その後ろでアシュバは少しバックして方向を変えると、ガレージのある方へゆっくりと移動して行った。ダイニングではファーンやロイ、それにリデルとマーティアも揃っていて、あとは食事を始めるばかりになっている。
「おはようございま〜す」
「おはようございます」
「おはよう。二人ともよく眠れた?」
入って来た二人にマーティアが尋ねるのへ、椅子にかけながらデュアンが答えた。
「ついさっきまで、爆睡してました。昨日、けっこう飲んじゃいましたからね♪」
「ああ。実際、きみには驚かされたよ。ディもあれで飲ませたら底ナシだけど、もしかしてお母さんも酒豪だったりする?」
「へへへへへ。実は、そうなんです。もうこれは、血筋と思って諦めるしか...。でも、飲んでたのは、ぼくだけじゃないで〜す!」
それへウィルが笑って横から口を出した。
「ぼくも昨日はちょっとはしゃいでたみたいで、いつもより調子に乗っちゃって。でも、ライス・ワインがあんなに美味しいものだとは、今まで知りませんでした」
「うん、けっこういけるだろ?
和食には、やっぱりサケだよ」
「ですよねっ。ぼくも日本酒って初めてだったからついつい」
そうこうするうちにチャールズがメイドたちに手伝わせて食事を運んで来てくれた。テーブルの上にはたちまちのうちに山盛りの様々な点心が並び、ジャスミン・ティの良い香りが漂い始めている。
「わあ、美味しそう♪
じゃ、まずぼくは海老ギョーザ、一番乗りいきます!」
相変わらず、デュアンのノリは一気に座を盛り上げる効果があるようだ。マーティアはそれに笑って、皆にも食事を始めるように勧めた。
「どうぞどうぞ。沢山用意してあるから、みんなもデュアンに負けないで気合入れて食べてよね」
「ね、ね、マーティ、私も海老餃子と春巻き取って取って〜。ちまきも〜♪」
「はいはい」
テーブルの中央に手の伸びないリデルの代わりにマーティアは彼女の皿にリクエストされたものを取り分けてやっている。リデルは今日も客たちと一緒にいられることが嬉しくて仕方ないらしく、すっかりはしゃいで上機嫌だ。
「あ、そうそう。リデルがさ、みんなと友達になりたいんだって。これから、仲良くしてやってくれる?」
マーティアが尋ねるのへ、ファーンがにっこりして答えた。
「大歓迎ですよ。こんな可愛らしいレディだったら、ぼくの方からお願いしたいくらいだな」
それを聞いて、"ファーンを狙う"と言っていたリデルは内心、やったわ、出だし好調と思いながら、とびきり上等の笑みを浮かべて、有難うと言った。
「ぼくだってですよ。妹が出来たみたいな感じだし」
「うん。ぼくの一番下の妹はリデルとあまり変わらない年なんで、最初からそんな気がしてましたからね」
デュアンやウィルからも友好的な返事をもらって、リデルは嬉しそうだ。
「おー、この海老餃子、絶品♪」
デュアンが一口で大満足したような声を上げると、それへファーンも同意を示した。
「うん、すごく美味しいね。これまで食べた中でも、こんなに美味しいのはなかったよ」
「気に入った?
今日の点心はチャーリー作なんだよ」
「えーっ」
「彼って、料理もされるんですか?」
「そう。もともとあいつはニューヨークのチャイナタウンで育ってて、親父さんが料理人だったんだってさ。そのせいか、それとも稼ぎまくって飽きるほど贅沢したせいか知らないけど、味にうるさくてね。料理も余技のひとつなんだ」
「へえ...。あ、じゃあ、やっぱり東洋系の方なんですね」
「うん。クオーターだから、見た目ではっきり区別はつかないだろうけど」
「料理って、できるといいですよねえ」
デュアンがつくづく言うのへ、マーティアは頷きながら答えた。
「おれもけっこう作るの好きだよ。ただ、最近は忙しくて、自分でやってるヒマなくて」
「えっ、マーティアが自分で料理って、なんか意外」
「そう?」
「だって、"スプーンより重いモノを持ったことがない"って感じですもん。貴族的っていうか...」
「まさか。お貴族サマはきみたちの方だろ?」
「兄さんたちはともかく、ぼくは純然たる労働者階級の出ですよ。場合によっては、ママの食事とかも作ってあげたりしてたし」
「へえ、親孝行なんだ」
「でも、まだ簡単なものしか作れなくて。それで実は今、ジェームズに密かに習ってるとこなんです♪」
「ジェームズって、ディんちの料理長の?」
「そうです」
「それはまた大変な先生だね」
「でしょ?
せっかく近くにいるんだもの。チャンスは利用しないと」
それへウィルが、意外そうに口を挟んだ。
「ぼくも料理は出来た方がいいなとは思うけど、でも、厨房に入ったりして、お父さんに叱られない?」
「え?
お父さん、知ってるのかな、どうだろう。もし知ってても、ジェームズたちの邪魔はしないように気をつけてるから...」
「いや、そうじゃなくて。きみはモルガーナ家の後継者なわけだから。うちもそれほど厳格な方じゃないけど、でもぼくなんかは厨房とか家の雑役をする場所にはあまり近づかないようにって、小さい頃から言われたからね。けじめというか、邪魔になってもいけないし。ねえ、ファーン」
「うん。一応、そういうことにはなってるね」
「えっ?!
貴族の家って、そういうものなのっ?!」
聞いてマーティアは笑っている。
「まあ、家にもよるだろうし、ディは気にしないだろうけど。アーネストは?
彼、何も言わない?」
「ええ...。別に何も」
「なるほど。よっぼどきみは可愛がられてるんだな」
「え? ...それは確かに、ぼくアーネストとも、それに他のみんなとも仲いいですけど。もしかして、それっていけないことだったんですか?」
「いや、いけなくはないと思うよ。ただ、アーネストは伝統を重んじるタイプだから。家の中の秩序ということでは、本来なら少しうるさく言っても不思議じゃないかも」
「秩序、って?」
「"立場"ってやつだよ。でも、きみがそんな風だからみんな好きなんだろうし、たぶん、アーネストも今のきみを変えたくないんだろうね」
言われて深く考えこんでいるデュアンの横で、ウィルが笑って言った。
「愛されてるねぇ、デュアン」
「そっ、そうみたいですね。なんか、ちょっと感動...」
言われてみれば思い当るフシがないでもない。もちろん、アーネストはまるでそんなことは言わなかったし、素振りも見せたことはないが、ディからは何度かそれとなく"立場を考えて"というようなことは言われたことがあったのだ。そのたび、気をつけようとは思っていたのだが、一方でそれにそんなに深い意味があるとは思っていなかったのも事実である。それに気づいて、デュアンは小さな溜息をつくと言った。
「今でも貴族の家って、やっぱりいろいろ普通と違うところがあるんですね。ぼく、そんなに深くは考えてなくて...」
「いいって、いいって。アーネストが何も言わないんなら、そんなに急に変わる必要なんてないと思うよ。それに、きみはまだそんな年なんだし、今の環境にいれば自然と馴染んで分かってくるものだろうから」
マーティアに言われて、デュアンは頷いている。
「ところで、みんな長旅の疲れが取れたら何かやってみたいことはある?
ダイビングでも、ジェットスキーでも、ヨットでも、モーターボートでも、たいていのマリン・スポーツなら楽しめるよ」
「あ、ぼくはダイビングをぜひ。今回の旅行では、初歩的なことくらいはマスターして帰りたいと思っているんです。ロイに教えてもらう約束もしていて」
「そう。じゃ、誰かに船を出すように言っとくよ。きみたちは?」
尋ねられて、デュアンが言った。
「ダイビングもやってみたいけど、ぼくはやっぱりジェットスキーですね。でも、ぼくに出来るでしょうか?」
「大丈夫、大丈夫」
「なら、頑張ってみます。あ、でも兄さん。さっきアシュバと後で島を案内してもらうって約束したんだけど、兄さんも行くでしょ?」
「そうなの?
もちろん、行くよ。じゃあ、ダイビングは明日からということで」
マーティアはそれに頷いてから、今度はウィルの方を向いて尋ねた。
「きみは?」
「そうですね。実はぼく、今度、船舶ライセンスに挑戦したいと思っているので、ぼくに扱えそうなものがあればモーターボートを」
「OK、OK、まかせなさい。おれが教えるよ」
「えええええーーーっ」
「何?
そんな大絶叫するようなこと?」
「すいません、でも、そんなっ。お忙しいのに」
マジで驚愕しているウィルに、横からリデルが口を出した。
「いいのよ。マーティは仕事をサボる口実が欲しいんだから」
「本音をバラすな、本音を」
「でも、本当にいいんですか?」
「いいよ。それに、モーターボートだったら、リデルも乗りたがってるし。な?」
「うん!」
リデルが元気よく返事する横で、デュアンが言っている。
「ぼく、そっちも乗りたいです!」
「ああ、じゃ、ウィルには先にランチで教えるから、その後、みんなででかいやつに乗ろうよ。パワーボート」
「あるんですか?!」
熱狂的な声を上げたのは珍しくウィルだ。クルマのライセンスをクリアした後の彼の興味は、どうやら今、船舶関係に向いているらしい。
「あるんだよね、これが。アリシアが欲しがったんでオーダーしたんだけど、おれもけっこう気に入っててさ。いわゆる"オフショアスーパー艇"ってやつ。10000cc2基積んでるからパワーもハンパじゃなくて、2700ps、時速200キロは出るな。これを水上で走らせるといい加減ド迫力なんだ。それで、今じゃビーストって呼んでるよ」
「凄いです。まさか、そんなものまであるとは」
「うん。じゃ、こうしよう。二、三日はみんなそれぞれ覚えたいものをやるといいよ。ジェットスキーやダイビングはチャーリーも教えられるし。ビーストと遊ぶのは、その後のお楽しみということで、どう?」
マーティアの提案に、みんな一も二もなく頷いている。どうやらこれで、この先のアクティヴィティの予定は決まったようだ。食事もお喋りも佳境に入り、その後も次々と出て来る新しい点心の皿に皆から歓声が上がっている。最初の緊張感などは、もう既にどこへやら、だ。
original
text : 2011.6.2.-6.12.
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