デュアンがあの通り、会う前からすっかり父に心酔していて、初めて顔を合わせてからは一も二もなく懐きまくっていることや、アンナが特に気に病む様子もなくファーンに話してみると言っていたことなどから、ディにしても外で育てた子供たちではあっても、最初考えていたようにそれほど恨みは買っていそうにないなと既に安心し始めていた。しかし、どうやら世の中、そう何もかもが都合よく運んではくれないようだ。

もう一人の息子であるメリルの母親はマイラ・スティーヴンスというが、ディとつきあっていた頃既に、若いながらも新人作家の発掘にかけて定評のあるブックエージェントとして活躍していた。その後、それだけでは足りずに結局自分で出版社を興し、現在ではなかなかの成功をおさめてもいる。ブルネットの美人ではあるが、自身も作家、詩人としてペンネームを持つだけあって、才媛の常でけっこう生真面目な女性でもある。

ディとは別れてからも公の席で顔を合わせることはあったが、個人的な問題を話し合うような機会も必要もなく、なんとなくそのまま十数年が過ぎようとしているような状態で今日まで来ていたのだ。

ディからの電話を受けて事情を説明された彼女は、そんな話もいつかは出るだろうと思いながらもそれほど深刻には考えていなかったらしく、ちょっと驚いた様子だった。

「と、いう話なんだよ」

― まあ、そうなの...

言って、彼女がちょっと困ったように黙りこんだので、ディはあれ? と思い、何か不都合があるかな、と尋ねた。

― いいえ、私は構わないのよ。元々、私がわがままを言ってメリルを産ませてもらったんだし、私としては貴方の負担になってはいけないと思って、これまで特にあの子を貴方に会わせようとは思わなかっただけだから。貴方やあの子のおじいさまが会いたいと言って下さるなら、それはあの子にとってもとても素晴らしいことだと思うのよ。

「うん」

― ただね、その当のメリルが...

そう言って彼女が口ごもるのを聞いて、ディにはなるほどと事態が飲み込めたようだ。

「メリルの方がぼくになんか会いたくない、ってかい?」

― というか...。実はあの子は私に輪をかけて生真面目なの。クソまじめと言ってもいいわね。それで、私はちゃんと貴方との経緯も説明したつもりだったんだけど、それが...」

「お怒りを買ったと」

― まあ、そういうことね。

「う〜ん、困ったね。まあ、ぼくにしてもそれは当然の反応かもしれないなとは思うし」

― そう?

「ただねえ...。なにしろうちの父が今話した通りの剣幕で、何がなんでも3人集めろという勢いなんだよ。もちろんきみから即刻メリルを取り上げてどうこうなんてことはぼくがさせないけれど、ただ、彼にしてみたらメリルはぼくの長男なわけでしょう? そうすると、その子を欠いてはやはり納得しないと思うんだ」

― それはそうでしょうね。

「まあ、お怒りを買ってるんなら潔く受け止めるから、文句があるならこの際、ぶちまけるつもりでおいでって話してくれないかな」

ディの言うのにマイラは笑って少し考えていたが、結局、そうねと言って話してみることを承知してくれた。

さて、その問題のメリルだが、マイラの言った通り全く生真面目な少年で、この年頃の男の子に時々あるように、他の子に比べて珍しいくらい潔癖な性質とも言えた。決して暗い子ではないが、どちらかと言えば内気で無口な方で、しかも、とにかく絵さえ描いていれば機嫌がいいという、比較的こもりがちな子でもある。

顔立ちはマイラによく似ていて、長めに切ったサラサラした髪や瞳の色も彼女と同じブラウンだから、ディを思わせるような所は全くない。ただ、もし十代の頃のディを知る者が見ていたとしたら、その生真面目さや潔癖さ、繊細さこそが、メリルが父親から継いでいる性質そのものだと指摘したことだろう。

今でこそ回りからちゃらんぽらんといい加減の代名詞のように思われているディではあるが、十代の頃まではあれでけっこうハタ迷惑でさえあるくらい、真正直で曲がらない少年でもあったのだ。しかし、初恋の少女の早逝、尊敬していた師や最愛の母の死などを経るうちに、彼の中で変化する心境というものが多々あったらしい。そのせいで、根本的なところは変わらなくても、今では少年の頃より遥かに柔軟に物事に対応する人間的な大きさが身についているようだった。

「お父さんが?」

「うん、そう」

「なんで今頃。今までぼくのことなんて見向きもしなかったくせに」

「そうじゃないわよ。前にも言ったと思うけど、ディはそんな薄情な人じゃないのよ?」

「でも、事実今の今まで、ぼくなんているとも思ってなかったわけでしょう?」

「う〜ん、彼のことだから悪気はなかったんだと思うけど。それに第一、私が何も報告ひとつしてなかったんだしね」

「だけど」

「彼が今まであなたのことを忘れていたとしたら、それはきっと私のせいよ」

「そんなことないよ、母さんは何も悪くないじゃないか」

ふだんは優しくて素直な子なのに、たまに父親の話となるといきなり態度が硬化する。しかし、メリルの不興の最大の原因は、自分のことよりも母のマイラのことなのだ。マイラは自分の方がディに子供が欲しいとねだったことや、自分のそんな大それた望みをディがかなえてくれたということや、経緯の全てをありのままに話してはあったのだが、当時の彼女の「格違い、身分違い」という心境はなかなかメリルには理解し難いことのようなのだ。彼にしてみれば、美しくて芯が強く、才能豊かな彼の母は、例え相手が貴族だろうが大画家だろうが、決して吊りあわないなどとは思えない。しかも、潔癖なところのあるメリルには、ひっきりなしに聞こえてくるディの素行そのものが気に入らないらしい。

どうしてそんなにいい加減に女性とつきあっては別れるなどということができるのか。彼の子供まで一人で育てている母をないがしろにされているだけでも腹が立つのに、反省の色もなく遊び回り続けているとは、まったくなんて男だと、それがまさにメリルの父親観だと言っていい。しかも、そればかりではなくクランドルでは誰知らない者もないというアリシアとディの関係がある。今どき、恋人が男の子だなんてことは、特に芸術家ならよくある話で、さすがにそれだけならメリルもここまで父を悪くは思わなかっただろう。事実、彼が大変優れた画家であることくらいは、自身、絵に打ち込んでいるメリルにはイヤというほど分かっているし、その才能は認めてもいる。しかし、それならそれでアリシアと仲良くしていれば良いものを、なんでその他にあっちでもこっちでも、ひっきりなしに遊び回るのか。あんまり腹が立つものだから、ある一時期を越えてから、メリルはもう彼のことは自分の父親だとは思わないことに決めた! とマイラに宣言すらする始末だったのである。

「とにかく、ぼくは行かないからね。今までだって関係なかったんだし、これからだってなくてもいいよ」

「メリル」

深い溜息をついてから、彼女は諭すように言った。

「ディは、あなたに不満があるなら潔く受け止めるとまで言ってるのよ? 分かってあげて頂戴」

「やだよ。全く、なんで母さんはそんなに彼に甘いの?」

「だから、そういうことじゃないって言ってるじゃないの」

「母さんはどんな人の妻になっても恥ずかしくないくらい立派な人なのに」

「妻になるとかならないとか、そういう問題じゃないのよ。それに、そうね、確かに今ならそのくらいの自信は持てたかもしれない。でも、あの頃は私だって若かったの」

「.....」

「分からないかもしれないけど私にとって、...今でもある意味そうだけれどね。あの頃のディは私にとって今よりももっと神さまみたいな存在だったのよ」

「そんなの分からないよ」

「だったらディと会って頂戴。そうすれば、少しは私の言うことが分かると思うわ」

「どうしても?」

「どうしても。それに、今まであなたのことを知らなかったおじいさまが、是非にも会いたいとおっしゃって下さってるのよ? 」

「そんな、突然おじいさまなんて言われたって...」

「それから、あなたはまた怒るかもしれないけど、どうせ後で分かることだし...」

「何?」

「あなたには弟が二人いるのよ」

それを聞いてメリルは一瞬押し黙った。言われたことの意味を理解するのに少しかかったらしい。いや、最初に理解できなかったというわけではなく、自動的にアタマが拒否したので改めて呑みこむのに時間がかかったのだろう。しかし、一旦理解すると、彼には珍しく意地悪な口調で、なるほどね、と言った。

「分かった、行って来る」

「本当?」

「お父さんは文句があったらぶちまけに来いって言ったんでしょう?」

「うん」

「ぶちまけてくる」

「メリル」

「弟って、なにそれ? それってぼくの腹違いのってことでしょう? 迂闊だったけどいて当然だよね、あれだけ遊びまわっていれば」

「だから、メリル。彼のことをそう頭から悪く思わないでって...」

「とにかく、行って来るよ。でも、これが最初で最後だよ」

弟と聞いて、今度という今度は完全にブチ切れたらしく、いつもおとなしい彼にしては珍しいくらい強い口調で言い切って、それ以上は母の言うことさえ聞きたくないという様子でメリルは部屋に下がってしまった。まだ年齢的には幼いと言っていい域の彼の弟たちに比べて、12〜13才といえばそろそろそれでなくても難しい年頃なのだ。ディのことだから、きっとうまくまるめこんでくれるとは思うけどと考えながら、マイラはまた深い溜息をついていた。

original text : 2008.7.9.

  

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