祖父や兄たちと過ごした楽しい夏休みを終えてデュアンもまた元気に学校に通い始めたが、来月にはお披露目を控えているとあって、いよいよディのところに移る日も近づいて来ている。まだ幼いながら、自分の父が社会的にどういう人物かをよくよく知っているこの子には、彼に子供がいるなどということが世間に知れ渡ったが最後、どんな騒ぎになるかは見当がついたし、友だちがみんな驚くに違いないということも容易に想像できた。だから、どうせなら引っ越す前に親しい友人たちにだけは自分から話しておきたいと思うようになっていたのだが、なにしろ未だ極秘扱いの事項ではある。それに、お披露目まで近いとは言ってもまだ1ヵ月ほどあることもあって、沢山いる友だち全員に今言ってしまうのも難しく、そこで母とも相談して、一番仲がよくて電話のやりとりも頻繁にあるエヴァとデイヴにだけは話しておこうと決めた。この二人はデュアンが最も気に入っている連中なだけあって、約束したことは必ず守ってくれるし口も堅い。デュアンが頼めば親にも内緒にしておいてくれることは間違いないほど、律儀な奴らなのだ。
そんなわけでデュアンは学校帰りにちょっと話があるんだけどと二人を誘い、よく寄る公園の一画にあるベンチに陣取って、実はね、と密談を開始した。もちろん用心深く、見通しの良いベンチを選んでいるし、周囲に人影がないのも確認している。そういうところは、こう見えてさすがサバイバル少年のデュアンらしく抜け目はない。
「ぼくのお父さんのことなんだ」
デュアンの言うのにデイヴは鳩豆な顔をして、いたのか?
と脳天気な質問をした。デュアンがいつになくなにやら深刻そうなので身構えていたエヴァは、その茶化しとも取れる言葉を聞いて、黙りなさいよと言うように彼のことをばしっとはたいた。デイヴが逃げ腰で言っている。
「ごめん。エヴァ、ごめん。暴力反対」
「まったくもぉ」
「いや、だからさ。いたのかって言ったのは、今まで立ち入ったことを聞くのも良くないかなと思って、漠然と亡くなったんだろうと考えてたからさ」
「ああ、それは私も」
二人があまり自分の父のことについて聞こうとしたことが無かったのを思い出して、デュアンが言った。
「そうだったの。でも、聞かれないから黙ってたってこともあるけど、実は生きてるんです」
「へえ、そりゃ良かったじゃないか。で?」
何事につけても細かいことに不必要に頓着しない大らかなデイヴらしい、あっけらかんとしたその答えにデュアンは笑っている。一方、エヴァは話のなりゆきに興味津々の様子だ。
「そのお父さんなんだけどさ。実は...」
「だれだれ?
私の知ってる人? 有名人?」
「うん、あのね、...それはデュアン・モルガーナ伯爵なんだ」
「え?」
二人とも一瞬、デュアンが自分たちを担ごうと冗談を言っているのか、それとも本当なのか判断しかねたようだったが、だから、ぼくが大ファンのモルガーナ伯爵が、ぼくのお父さんなんだと改めて言われてやっと真実と理解したらしい。エヴァは驚きのあまり大絶叫しかけて内緒話だったことを思い出し、あわてて口を押さえている。デイヴはまだ腑に落ちない様子で信じていいのかどうなのかという表情だ。
「じゃ、じゃあ、"デュアン"って、その名前、お父さんからもらったんだったの?」
「そう。ママの趣味だけどね」
「どうやら、本当のことらしいな」
「本当だよ。こんなことでエヴァやデイヴを担いだって意味ないだろ?」
「それはそうだけどさ」
「もともとはね、ぼくも小学校に入るまで知らなかったんだよ。全然知らないうちから、お父さんのファンだったんだけど、分かってからも話さなかったのは、まあそういうわけでいろいろと...」
「そりゃ、ちょっと言えないよなあ。そうするとおまえっていわゆる"隠し子"だったわけだし、そこそこの有名人でもそれってけっこうヤバいかも、じゃん。それが、あのモルガーナ伯爵となればなおのこと...。なんか、おれ、ちょっとまだ信じられないんだけど」
「ぼくだって聞いた時はママにからかわれてるのかと思ったくらいだから気持ちは分かる。ただね、まあいろいろとあって、来月にはそのこと、お披露目することになったんだよ。つまり、ぼくがお父さんの子供だって公表するってことだけど」
「ああ、それで?
先に私たちに話してくれたの?」
「そういうこと。あんまり驚かせたくないから本当ならみんなに話しておきたいんだけど、こういう事情なんでお披露目前にあまり話を広げるわけにもいかなくて」
「うん、分かる」
「それでぼく、これからはお父さんと一緒に住むことになって、来週には向こうに行くんだけど...」
エヴァはデュアンが自分に一番先に秘密を打ち明けてくれたことが嬉しそうだったが、彼の次の言葉に一瞬にして表情を曇らせた。
「えっ、それって引越し?
まさか転校とか?」
「いや、引越しは引越しなんだけど、転校はしないよ」
それを聞いて、彼女は心の底からほっとしたようだ。
「もお、びっくりさせないでよ」
「ごめんごめん。でも、お父さんの家は市内からは離れてるけど車だと1時間くらいでこっちに来れるし、あんまり急に環境が変わってもぼくが困るだろうって、それで、学校はそのままってことになってるんだ」
「良かった。1時間くらいならね」
「うん。でさ、これが新しい住所と電話。携帯ももちろん繋がるけど、来週からはママのとこには殆どいないから、家の方にかけるならこっちにして」
言ってデュアンはキレイに印刷した小さなネームカードを二人に渡した。それには、彼の新しい住所と電話番号、それに名前が"デュアン・モルガーナ"と記されていた。もちろん、デュアンのお手製だ。
「本当なんだなあ...」
それを見て、今まで黙っていたデイヴがつくづく言った。エヴァもそれに頷きながら尋ねている。
「じゃあ、デュアンはこれからお父さんの方の姓を使うの?」
「そう。実は兄さんが...、えっと、ぼくには兄さんが二人いるんだけど...」
またまた意外な真実を告白されて、二人は同時に眺めていたカードから顔を上げ、デュアンを見た。
「お母さんは違うんだけどね。ぼくは、お父さんから見て三番目の子供なの。これはぼくも知ったの最近で...」
「モルガーナ伯爵って、これまで子供いるって話聞いたことなかったよな」
「私もない」
「で、なんで三番目なんだよ。それって、おまえの他に隠し子が...、いや、失礼な言い方になってたらごめんなんだけど」
「いいよ、事実だし」
「だから...、公表されてない子供が全部で三人もいたってことなのか?」
「そういうことになるね」
それを聞いてデイヴは、やっぱりすごいよな、モルガーナ伯爵って、と感心したように言った。
「隠し子三人だもんなあ...」
「まあ、ああいう人だからね。で、本当なら一番上の兄さんがモルガーナ家を継ぐべきなんだけど、これもまたいろいろあって結局ぼくが継ぐことになったんで」
これには今度こそエヴァは絶叫せずにいられなかった。えーっ、と叫んでしまってからあわてて声を落とし、じゃ、デュアンが次のモルガーナ伯爵になるってこと?
と念を押すように尋ねた。
「うん。まあそう」
「おいおいおいおいおい、それって、とんでもなく物凄い話じゃないのか?」
「と、いうことになるかな」
「だから、お父さんのところに行って、名前も変わるってことなのね」
「そうなんだ。でもね、なにしろお父さんとおんなじ名前になっちゃうわけだから、ペンネームは今まで通り、ママの方を使うつもりなんだけど」
「ああ、そりゃ、ややこしいよな」
「うん。ま、そういうわけで、一応これから本名は、デュアン・モルガーナになります」
改めて言われて、二人とも頷いている。
「しっかし、そりゃ、大変じゃないか。だから、そのお披露目ってやつがさ。まあ、あのモルガーナ家ならそのくらいのことあったって不思議はないけど、なんてったって"知られざる子供三人"ってのがな。これはマスコミ総出で、盛大に大騒ぎだぞ」
デイヴの言うのにデュアンも頷いて答えた。
「事情があって公表するのはぼくと下の兄さんだけなんだけど、それでも大騒動になるのは当然だから、ママは今、逃亡計画進行中。お披露目の前後ひと月くらい、ヨーロッパのおじいさまの別荘に非難させてもらうんだって。いくら熱心なマスコミの皆さんも、そこまでは追いかけて来ないだろうってことで。だけど、その休暇を取るためには、仕事を早めに片付けなきゃならなくておかげで殺人的スケジュールで徹夜しまくりだよ。ママが逃げたあとの騒動は、お父さんが引き受けるって言ってるけど」
それを聞いて、デイヴは素っ頓狂な声を挙げている。
「ヨーロッパ!
別荘! おじいさま!
ひぇぇぇぇ〜、おまえ、本当にお坊ちゃまになっちゃったんだぁ」
「大げさに驚くなよ、デイヴ。単に、なりゆきなんだから」
「なりゆきったって、それはかなり普通じゃないなりゆきじゃんか。絶叫くらいしたくなるってもんだ」
「だけど、ぼく自身が何か変わるわけじゃないんだから。その他は今まで通りだし」
デイヴはそれに笑って頷き、まあね、と言った。
「おまえのことだから、それはそうだとは思うけど。しかし、やっぱりぶったまげる話ではあるよ。でも、とにかく良かったじゃないか。ちゃんと親父さんが生きてて、一緒に住むってことになったんなら。ましてやおまえ、本当に彼のファンだもんな。嬉しいだろ」
「うん」
「それに、公表されるってことは"隠し子"脱却だし」
デイヴの冗談にデュアンも笑って答えている。
「そうか。そういうことになるよね。よし!
これで、堂々と太陽の下を歩けるぞ!」
「今までだって歩いてたじゃない」
「どっちかってば、隠れてなかったよな?」
「だっけ?」
デュアンは言いながら、でも、それってエヴァやデイヴのような友達がいてくれたからかもしれないなと思っている。自分の出生のことなど気にも留めずにうんと幼い頃から仲良くしてきてくれた二人だからこそ、デュアンは大事なことを一番先に話しておきたかったのかもしれない。
「あ、そうだ。この話さ。そういう事情なんで、ご内密にってことで。これから記事とかにもなると思うけど、みんなの手前があるし、二人も知らなかったことにしておいてくれると助かるんだ」
言われてどちらも頷いている。
「分かったわ」
「任せとけ」
そう請合った後で、デイヴは何か思いついたらしく尋ねた。
「そう言えば、おまえさっき、その兄貴がいるって話は最近知ったって言ったよな」
「この春くらいかな。お父さんに子供がいることがおじいさまにバレて、それでおじいさま、怒りまくったらしくってさ。で、会わせろってことになったわけ。それでお互い初めて会うことになったんだよ」
「おじいさまにバレてって...。じゃ、伯爵は子供のこと、身内にも話してなかったってことか?」
「そう。って言うか、お父さん、そもそも自分に子供がいることを殆ど忘れてたって言ってた。だから、ぼくもずっと忘れ去られていたわけで、初めて会えたのは一年くらい前のことだし」
「....何考えてんだ、おまえの親父。いや、ごめん。悪気で言ったんじゃないぞ。ただ、ふつー、自分の子供のこと忘れるか?
と思ってさ」
「お父さんの場合は、掛け値なしの真実だと思う」
デイヴは首を傾げていたが、しばらくして、アーチストだなあ...、とつくづく言った。デュアンも悟ったように彼の言い分に頷いている。
「まあ、そう思って諦めるしかないね」
「別におまえが気にしてないんなら、それでいいけどさ。しかし、なんか不思議な人だよな」
「うん。それは当たってる」
話が面白そうな方向に向いたので、聞いていたエヴァが割り込んで尋ねた。
「ねえねえ、実際に会ってみたら、どんな人だった?」
「そうだなあ...。確かに不思議というか、わりとヘンな人ではあるよ。意外性があるというか」
「ヘン?
意外性って?」
「ぼくも会う前は、なにしろ"氷の王子さま"だし、"偉大なアーチスト"だし。だから、すっごくクールで冗談なんて絶対言いっこない感じの人だと思ってたんだけど」
「それって、モルガーナ伯爵のイメージよね。クランドル中で憧れてない女の子なんて、いたらモグリよ」
エヴァの言うのへ、デュアンは笑って答えた。
「そのイメージ壊して悪いけど、全然優しくて穏やかで、可笑しなことも言いまくるし、みんなが思ってるよりずっと気さくな人だよ」
「ふうん、そうなんだ。でもなんか、その方が思ってたよりもっと素敵かも」
クランドルにおいてはディが画家として人目に立つようになって以来のこの二十五年近く、彼に匹敵する才能と美貌に恵まれた人物なんて殆どタダの一人も出ていない。ましてや、モルガーナ家そのものがそれ以前から社交界屈指の家柄として知られることもあって、その中世からの古い血筋を引く真正の貴族であるばかりでなく、十八歳にして現モルガーナ伯爵ともなれば、エヴァの言う通り多くの女性の憧れの的にならない方が不思議だったろう。
唯一、あらゆる点でディに匹敵すると言えばアレクくらいだろうが、彼は軍人だった上に、本人が社交嫌い、マスコミ嫌いときていて、経済界に入るまで社交欄で扱われることからさえ逃げ回っていたほどだ。しかしそれでも、エヴァの母親くらいの世代になると、モルガーナ伯爵かロウエル卿、若い頃にこのどちらかに憧れなかった女性は稀だったに違いない。順当にゆけばもうそろそろ次世代のアイドルが現れてもいい頃なのだが、この二人の後にハンパな芸能人程度ではあまりに役不足、僅かにその対象になりそうなマーティアやアリシアは学者だから騒ぎにくいし、十代半ばの頃にはもうきっちり恋人もちなことも誰知らない者がなかった。そんなわけで今に至るもディやアレクは、男の子を長年一番の恋人にしているという事実にも関らずクランドル中、いや、今となってはヨーロッパ中の女性の好感度NO1をぶっちぎりで爆走中なのである。
「それにね、お父さんがぼくたち兄弟のこと、ママたち任せにしてたのって実際はいろいろ事情があったみたい。だから、ぼくはお父さんのすることって何でもちゃんと意味があるんだと思ってるよ。それに、芸術家としてはやっぱりケタはずれだしね。この秋は二年ぶりに個展をやることになってて、息子の特権で新作もう見せてもらってるんだけど、今回はギリシア神話がテーマでさ。これがまた、凄いんだ。あ、良かったら個展、一緒に見に行かない?
お父さんに言って、二人とも招待するよ」
「え、いいの?」
「もちろん。デイヴも来るだろ?」
「興味あるな」
二人の答えにデュアンはにっこりして、じゃ、お父さんに話しておく、と言った。二人も嬉しそうに頷いていたが、この話のなりゆきにはまだまだ興味がつきないらしく、デイヴがまた別のことを尋ねた。
「でさ、おまえの兄貴ってどう?
賢そうか?」
「え?
ああ、上の兄さんのことは詳しく知らないけど、下の兄さんはね。おじいさまが、学校では常時トップクラスだって言ってた」
「あのな、兄貴持ちの先輩として言えば、これでけっこうフクザツなものなんだぜ、兄弟って。例えばうちは、兄貴のデキが良くって弟のオレがこれだろ?でも、兄貴はスポーツはカラキシで、だから、ヤツの言い分では父さんも母さんも、元気のいいおれの方ばかり可愛がるってけっこうスネてんだ。おかげで兄弟間争議が絶えないんだよな。おれとしてはさあ、自慢じゃないけどこちとらアタマを使うことなんてまるっきりのからっきしなんだから、デキのいい兄貴に対抗するにはスポーツしかないじゃん。もう、先行きメシ食ってくには、そっち行くしかないから身体張ってるだけなのに。まあでも、デュアンは大丈夫か。おれと違ってアタマいいもんな」
「ぼくはママの名誉のために頑張ってるだけ。ファーン兄さん...、って、それ下の兄さんのことだけど、ぼくとは比べものにならないくらい頭いいと思うよ。でも、そんなのハナにかけるような人じゃないし、ぼくはもうすっごく好きだけどね。一緒に育ってたらまた違うのかもしれないけど」
「ああ、それはあるかもな」
「それよりさ、デイヴはやっぱりそっち方面に進む気なんだ?」
「ん?
それ以外にないだろ?
それに、将来テニス・プレイヤーってちょっとカッコいいじゃん。ザセツしなければだけどな」
「いいなあ、男の子は。もう今から何になるか決めてるんだもん」
「なんだ、まだ悩んでるんだ。エヴァだったら何でもやれそうだけど...」
「そうそう。エヴァくらいオテンバだったら何だってできる...」
「なんですってえ?!」
「わああああ、ごめんなさーい!!!」
言ってデイヴは飛び上がり、物凄い勢いで公園の出口めがけて逃げ出した。確かに、テニスプレイヤーにくらい難なくなれそうなほど軽いフットワークだ。エヴァはそれを追いかけるつもりまではないらしく、もお、と言いながら唇を歪めている。もっとも、追いかけようとしても本気で逃げるデイヴには、さすがおてんば少女のエヴァもちょっと追いつけないだろうとは分かっていた。デイヴの方は公園の出口で振り返り、二人に向かって叫んでいる。
「じゃ、おれそろそろテニス・クラブ行かなきゃだから!」
それへ笑って手を振って見せたデュアンに、話してくれて有難うな、と付け加えると、彼はまた元気よく駆け出して、あっと言う間に残る二人の視界から消えてしまった。
「相変わらずだよね、デイヴ」
「テニスプレイヤーって本気らしいわよ。先生も才能あるって言ってた」
「ぼくもそう思う」
「デュアンはイラストレーターだしね。あ〜あ、私は何になろう」
「いいじゃない。先生も、ぼくたちの年のうちからあんまり深刻に考えなくていいって言ってるし、そのうち好きなことが分かってから決めればいいんじゃない?」
「う〜ん、そうねえ...」
何にもならないでデュアンのお嫁さんになれたらなあ、と内心思いながらエヴァは続けた。
「あ、そうだ私も。ありがとデュアン、先に話しておいてくれて。嬉しかったわ」
言われてデュアンはにっこりしている。どうやらとりあえずこの話、一番の友人たちにはうまく伝えられたようだ。それにほっとしながら彼はエヴァに、じゃ、アイスクリームでも食べて帰ろうか、と言った。エヴァもそれに賛成し、バッファローズね、と念を押してベンチを立った。デュアンも立ち上がり、二人はまたさっきの続きを話しながら、仲良く公園の出口へ歩いて行った。
original
text : 2010.2.7.〜2.9.
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