夏休みも終わりに近づくと、寄宿舎にも三々五々戻って来る者が出始める。例によって休み明けからは壮絶な試験週間が始まるとあって、ちょっと早めに学校に戻り、落ち着きを取り戻してから試験に臨もうという学生が多いからだ。ファーンやウィルたちもそういう生徒の一人だったから、休暇終了の期日に二日ほど早く学校に出て来ていた。
その日も午後になって、談話室では夏休みの思い出話でみんなが盛り上がっていたが、部屋に入って来たウィルは、ランドルフ・シンプソンがその一画で友人たちと楽しそうな話に興じているのに気がついた。前日にはまだ姿が見えなかったから、今日になって学校に来たのだろう。それにしても登校期日前に出てきているとは、どうやらかなりマトモ度を取り戻しているらしいと内心笑いながら、ウィルは彼の方に歩いて行った。姿を見かけたら、どうしても話したいことがあったからだ。
「ランディ」
声をかけられてランドルフはちょっとそちらを向いたが、相手がウィルなのに気づくと知らんぷりを決め込もうとした。そういう態度を取られることが分かっているので、長いことウィルの方が遠巻きにするようになっていたのだが、今日という今日は彼はそれで諦めるつもりはない。ファーンからいろいろ話を聞いていることもあって、そろそろランドルフとの旧交を復活させられる時期になったと判断し、夏休みの間からこの時を心待ちにしていたのだ。それに今回に限って彼は、"力の論理"に訴える覚悟がある。
「ランディ、ちょっと話があるんだけど」
「うっるせ〜な〜。こっちで話してる最中だぜ。見て分かんねえのかよ」
「分かってるけど、少し時間をくれないかな」
「忙しいんだよ、おれは」
「だから、ほんの少しでいいんだ」
もう久しく無かったことなのに、どうも今回はウィルがいつになく諦める気配のないことにランドルフは気づいたらしい。
「優等生のお説教になんて興味ないね。あ〜あ、気分そがれた。外行こうぜ、外!」
言って彼は立ち上がり、話していた友人たちに合図して扉の方へ歩いて行こうとした。しかし、ウィルはランドルフと、それに続いて部屋を出ようとした少年たちの間に割って入り、彼らを見て、悪いけど借りるよ、と言うとランドルフの腕を有無を言わせず掴んで引っ張った。いつも穏やかな優等生のウィルにしては珍しく、言われた方が一瞬ひるむほど迫力のあるきついモノ言いだ。その横でランドルフが、いつにないウィルの強引さに少し戸惑いながらも文句を言っている。
「おい、何だよ、やめろよ」
「いいから」
「良くない!
どこ連れてく気だよ」
「ついてくれば分かる。あんまり四の五の言うと、折るよ」
言って彼はランドルフの腕を掴んでいた手に、一瞬相手が顔を歪めるほどの力をこめた。
「やめろったら。分かったよ、分かったから、行くよ、行く」
ファーンからウィルが拳法の使い手だと聞いていたせいもあるだろうが、今回ばかりは彼が多少の暴力に訴えてでも自分に話を聞かせる気だという意気込みが見えたこともあって、ランドルフはここは素直について行った方が得策と判断したようだ。しかし、ウィルは彼の言葉を信じず、逃がさないようにそのまま腕を掴んで引っ張って行った。
「行くって言ってんだろうが。とにかく放せよ」
「黙って、歩く!」
日頃のんびりした優等生のウィルの方が、乱暴な問題児のランドルフに力ずくという光景は、後に残された少年たちの好奇心をそれ相応に引くものだったが、ウィルの様子がただならなかったこともあり、また、彼がランドルフに怪我をさせるような乱暴をするわけがないとも思ったらしく、皆、それ以上の見物は遠慮することにしたようだ。
一方、ウィルは道々、放せ放せと抵抗する旧友を引きずって、寄宿舎の裏にある小高い丘の方へ歩かせていた。そのうちランドルフにもウィルがどこに連れて行こうとしているのか分かったようで黙って歩くようになったから、逃げ出そうとしたらいつでも引き戻せる態勢は取りながらも力だけは緩めてやるようにした。そうするうちに目的の丘の上に着くとウィルは、ちゃんと話を聞くね?
と念を押してから、ランドルフが頷くのを確認して手を放してやった。
「全く。なんだってんだよ、バカ力出しやがって」
つかまれていた腕を揉みながらランドルフが言うと、ウィルはちょっと笑って、痛かった?
ごめんね、といつもの素直さで謝った。
「いいけどさ。で?
話って? 聞いてやるから早く言ってくれ」
「まあ、座ろうよ」
ウィルがそう言って促すとランドルフもしぶしぶ頷き、二人は手近にある大きな木の下まで行って腰を降ろした。丘の上はちょうどいい具合に草が茂っていて、まだ暑い陽ざしを遮ってくれる大木が何本も立っている。眼下には古風な外観を持つ昔ながらの寄宿舎、遠くには由緒ある堂々とした本校舎が見渡せた。名門中の名門校と言われるだけあって、その敷地は小さな湖まで含むほど広く、そして緑も豊かな最高の環境だ。
「変わらないよねえ、ここ。覚えてる?
昔よくここで話したよね」
「思い出話をするために力ずくかよ。たまんねえな」
「だから、それは謝るからさ。ただ、どうしてもきみと話したかったんだ」
「聞くって言ってるだろ?
早く言えよ」
「どうしてそうケンカごしかな」
「無理矢理引っ張って来といて、よく言うよ」
「じゃあ、言うけどさ。もういい加減、ぼくを避けるのやめてくれないかな」
「避けてなんかいないだろ」
「あれだけ無視を決め込んでおいて、それこそよく言えるよね。今日だって、こういう手段でなきゃ、ぼくの言うことなんて聞こうともしなかったくせに」
「じゃあ、おれも聞くけど、なんでおまえは未だにおれなんかにそんなに拘ってるんだよ。おまえみたく家柄も良くて優等生なら、ダチになりたいヤツなんぞいくらだっているだろ?」
「それはもちろん...。友だちなら沢山いるし、みんな尊敬できる友人だと思って大切にしているつもりだよ。でもさ、こと勉強に関して、ぼくと一時期でも成績を張り合ってくれたなんて、きみだけなんだもの。きみがすっかりマジメに勉強しなくなってしまってからというもの、ぼくは殆ど恒例の万年首席でつまらないったらありゃしない。自分でも気を抜いてるなって思う時でもそうなんだから、一生懸命勉強しても張り合いがなくってさ。まるでぼくだけ一人でムダに頑張ってるみたいで」
こいつは...、と、ランドルフは半ば呆れながら言った。
「前々から思ってたんだけど、おまえ、そんなに勉強好きなのか?」
それへウィルは、何を今さらという表情であっさり答えた。
「好きだよ?
ファーンがスキップしてぼくらと同じレベルに来てくれたら、きっと楽しいだろうなあと思うんだけど、あの子はそんなつもり全然ないみたいだし」
「張り合えて?」
「もちろんさ。あの子とだったら、激烈な首席争いなんていうエキサイティングなことが毎日毎日...」
「分かった分かった。でもな、世の中、おまえらみたいのは珍しいと思うぞ。ふつーはな、子供は勉強なんてキライなもんだ」
「きみも?」
「いや、おれは...」
「少なくとも、ぼくと張り合ってた頃のきみは楽しそうだったけどなあ...。だから、きみもぼくと同じ特異体質だと思ってたのに」
ランドルフは、特異体質って自覚はあるんだな、と思ったが、口には出さなかった。
「それにさ。きみは本当に頭がいいし。以前、きみが書いたレポートには、悔しいけどぼくがかなわないなって思うものがいくつもあったよ。だから、すごくもったいなくって。せっかく世の中の役に立つ頭脳や才能を持ってるのに、きみがこのまま身をもち崩して"社会の役立たず"に成り下がって、そのうちヤードのご厄介になるようなことになって...」
「勝手に想像を進めるな!
言っとくが、いくらなんでもおれはまだそこまで落ちぶれてない!」
「だけど、今のままじゃきみ、この先、卒業だって危ないかもしれないんだよ?
そうなったら、お父さんだって悲しまれるだろうし」
「親父?」
「うん。すごく心配してらっしゃるじゃないか、きみのこと。うちみたいに何人も子供がいれば一人二人落ちこぼれてもどうにでもなるけどさ、きみは一人息子なんだし」
「おまえ、親父と話でもしたのか?」
「前に何度かね。きみに避けられるようになってからも、以前はよくきみのうちに電話をかけたりしていたから。きみは出てくれなかったけど。それで、お父さんが、"あんなやつだけど、見捨てないでやってくれ"って。ぼくのこと、きみの一番の友だちだとも言って下さったし。ぼくはそれに感動しちゃって...」
感動でもなんでも勝手にしてろ、と思っているランドルフの横で、相変わらず脳天気な調子でウィルが続けている。
「だからきみがどんなことになっても、せめてぼくだけは暖かく見守ろうと...」
「大きなお世話だよっ」
「陰ながら...」
「うるさい」
「きみにそうやって邪険にされても、それはきみの本心ではないとぼくは信じてるんだ」
「おまえ、冗談で押してるな?」
やっとそれに気がついたらしいランドルフにウィルはにっこり笑って答えた。
「へえ、分かったんだ。やっぱり古いつきあいだもんね」
呑気なウィルの言い分に、ランドルフはどっと疲れた様子で頭を抱えている。しかし、ウィルの方は相手の態度がいくらか軟化している今こそとばかりに、更なるアピールを試みた。
「それにそんなことじゃ、きみ、どうやったってファーンの"お兄さま"になんかなれないよ?」
「気味の悪いことを言うな」
「だって、ファーンが言ってたけど、あの子にコナかけてるんだろ?」
「あいつ、おまえにはそんなに何でも話すのかよ?」
「それはそうだよ。ぼくたち、従兄弟どうしである以上に仲のいい友だちだもの。とにかくさ、ぼくだったらきみに拳法を教えてあげることもできるし、遅れている勉強の手助けだってできるよ。きみが本当にファーンを好きなんなら、ぼくに出来る限り協力もしてあげる。もちろん、ぼくにとっても大事な従弟なんだから、結局はあの子の気持ち次第だけどね。でも、それはそれとしても、こんないい友達、捨てちゃったらもったいないと思わない?」
言われて表向きはそっぽを向きながらも、ランドルフは、まあ、こいつは確かに希少価値なヤツだよな、とは考えている。この学校の生徒たちのうちでも家の格で言えばトップクラスという背景を持ちながらもそんなことはちっともハナにかけないし、成績が良いことにも奢っている様子は全くない。ランドルフも常々、本当に育ちがいいんだなと思っていたものだ。こういうのが正真正銘、"サラブレッド"ってやつなんだろうとも思う。
それに比べておれは雑種だからなと内心笑いながら、まだうんと幼かった頃、自分がウィルのことをどんなに大切に思っていたか、一番分かり合える友人として信頼していたか、それを彼は思い出していた。いや、忘れていたわけではたぶんないのだ。むしろ、だからこそウィルにだけは泣き言だの愚痴だのを言い立ててしまいそうになる自分の情けないところなんて見せたくなかったし、それに、幸せなお坊ちゃんのあいつになんか絶対分かるもんかという気持ちも無かったとは言えない。今思えば、全くコドモっぽい被害者意識で"悲劇的状況"に自己陶酔してただけだと自分で自分を笑いたくなる。
どう考えても自分はバカだったし、こんなバカを見捨ててゆくのは当然の権利と、去る者を追う気にもならなかったが、そんな中で今に至るまでウィルは遠巻きにしながらも気にかけ続けてくれていたのである。それは、ファーンに言われるまでもなくランドルフにも分かっていたことだ。と言うより、ウィルだけは変わらないだろうと最初から分かっていたというべきか。そしてそういうウィルの変わらなさにこそ、彼は甘えていたかもしれない。
「なあ」
「え?」
「おれはともかく、おまえはおれにアイソつきたりしないのかよ。昔つきあってた連中なんて、今や誰一人としておれのことなんか気にも留めてないぞ」
「それは、きみがそう思ってるだけだよ。そりゃ、そういうヤツもいるだろうけど、でも、声をかけようとしてもきみの方が無視するんだから処置なしだったんじゃないか。ぼくだけじゃなく、他のみんなにも」
「世を拗ねてましたんで」
「おや、過去形だね。じゃ、もう拗ねてないって思っていいわけ?」
「まあな。ま、昔ほどコドモじゃなくなってるってことは確かさ」
「それはまた、大きく出たね。じゃ、ぼくたちはまた友だちになれるよね?
もう、きみがぼくを無視する理由なんてないわけだから」
ランドルフはその問いにしばらく答えなかったが、やがて、でも、いいのか?
今のオレは、問題児の劣等生だぜ?と尋ね返した。
「そんなの、心がけ次第でどうにでもなるじゃない。モトの出来がいいんだから」
「おまえに言われてりゃ、世話ないよ」
「だいたいね、きみのグレ方なんて可愛いもんだよ。ルーク博士が十歳そこそこの頃、それってちょうどきみの素行が悪くなりだした年頃と同じくらいだと思うけど、天才ってやっぱりグレ方もスケールが違っててさ、十歳やそこらであのモルガーナ伯の恋人だったし、それがこじれて最終的にロウエル卿と落ち着くまで、クランドルどころかヨーロッパ中の美少年愛好家に追っかけまわされて、それだけじゃなく社交界の超・アイドルだったもんだから、それをいいことにあっちこっちで遊びまくって、それも文字通り"悪い遊び"で。挙句の果てがコカイン中毒にまでなって、人間ヤメかけて...」
自慢げに言うウィルに彼がマーティアの熱狂的ファンだと知っているランドルフは、意地悪く"それってただのバカじゃん"と茶々を入れた。しかし、こと尊敬するルーク博士のことに関しては、そのくらいでひるむウィルではない。
「と、今ではルーク博士ご自身がおっしゃってる。人間が大きいよね。だから、それに比べればきみのなんて"子供の遊び"ってこと。まあ、われわれ凡人はさ、せいぜいグレてその程度だよ。きみ自身はどう思ってるかしれないけど、だからきみの道の踏み外し方なんて、簡単に踏み戻せるようなものでしかないさ」
思いっきりバカにされたような気もするが、お説ごもっともという気もしないではない。
実は、確かに最初の頃こそ自暴自棄になって回りを困らせたり、驚かせたりするような行動に出ていたランドルフだが、そのうちみんなが"問題児"などと言って、畏れたり羨ましがったり、心配してくれたり遠巻きにしたり、様々な反応を見せるのが面白くなってきて、ことさらそういう態度を取って見せるようになったというところも確かにあった。それに、"優等生"でいては絶対に見れないような世界を体験するのもどんどん楽しくなってしまい、つまりは"問題児ってけっこう得だよな"というところに落ち着いてしまっていたのである。
それに、おとなしい優等生組の生徒たちとは疎遠になりこそしたが、逆に学校の内外を問わずいろいろと面白いことを知っている"ワル"い友人はその倍くらい出来たのだ。しかしそれはランドルフ自身の性質のせいか、"デキが悪い"とか"頭が悪い"という種類の連中ではなく、むしろ自我が強いために型にはまるのを嫌い、結果としてちょっとばかりハミ出すことになってしまっているような奴らばかりだった。結局のところ、ランドルフは自分では今の状況をなかなか気に入っていると言っていい。
ケンカ騒ぎで痛いめを見せられたこともあれば、それでノビているところを助けてくれて暖かいスープを飲ませてくれたアーノルド親父のような人にも出会うことがあった。かと思えば、ホームレスのおっちゃんと夜通し語り合ったり、いかがわしい商売の姐さんたちと顔見知りになって弟分扱いで可愛がられたり、回りからはバカなことをやっていると見えたに違いないが、しかしそれは、曲がりなりにも上流の家庭でお行儀よく育てられたランドルフにとっては、ひとつひとつが新鮮で貴重な経験だったのだ。もしあのまま"優等生"でいたらそんな経験は出来なかっただろうし、結果としてたぶん退屈でつまらない大人にしかなれないことになるだろう。机上の勉強も大切かもしれないが、もし将来、本当に人の上に立とうと思うなら、それ以上に大事なのは現実世界の実像を身をもって学ぶことだ。なんとなくそんな気もして、母のことから実際にはそれなり立ち直ってきた後も、元の自分に戻る気には全くなれなかったのである。
そんなわけでウィルとのつきあいを再会してしまえば、それは自動的に彼の言い分、つまり回りを心配させるような行動はやめて、元の彼に戻ってくれという旧友として至極まっとうな要請を受け入れることになってしまいかねないのがイヤで、ここしばらくはよけいに彼を避けようとする傾向にあったかもしれない。しかし、考えてみれば今や自分もウィルもそろそろ十六歳だ。お互いもう"コドモ"という年齢ではないし、今さらおれも元に戻ってどうするよ、と言いたいくらいグレ始めてからも時間が経っている。ランドルフにとっては十歳の頃の自分はもうすっかり遠い他人になっていて、今のオレはオレ、という自覚が確固としてあるのだ。
時間は流れた。しかし、それはランドルフばかりではなくウィルの上にも均等に変化を齎したようで、今の彼は自分がちょっとやそっと意想外のことをやらかしたくらいでは大して驚きもしないだろうと思える。今のコイツとだったら、昔以上にいいダチになれるかもなと考えて、ランドルフはとうとう分かったよと言った。
「じゃ、おまえはおれのやる程度のことじゃもうビビらないってことだよな。虫も殺さないようなおとなしい優等生と信じてたけど、ファーンの話じゃ拳法の使い手でらっしゃるそうだし、さっきの様子じゃどうやらそれは本当らしいし」
「小さい頃からやってるだけだよ。大じいさまのオススメだったからね」
「おまえんちのシーラカンス?」
言われてウィルは笑っている。
「ファーンに聞いたけど、うちの大じいさまのこと"化石"とか言ったんだって?」
「まあね」
「そう思うんだったら、一度会ってみなよ。全然そうじゃないって分かるから」
「そのうちな」
全くそんな気はなさそうにランドルフは受け流したが、ウィルはいずれ本当に合わせてみようと思っている。実はウィルがいろいろ話したこともあって、今では曽祖父の方が彼に興味を持っているのだ。そんなこととは知らないで、ランドルフが言っている。
「ただ、これだけは言っとくけどさ、今のおれはおれだぜ?
だから、問題児の劣等生ってことさ。家柄も成績もズバ抜けてる大公爵家の跡取り息子サマのご学友には、それっておよそ向かないタイプだな。だけど、元に戻れは言いっこなし」
「今更?
三年前ならともかく、今更きみを元に戻してどうこうなんてナンセンスなのは分かってるよ。ただね、さっきも言ったけど、きみは現実を直視する必要はあると思うよ。マトモに卒業したければ」
「言ったな」
「事実ですから」
「んなこた、おれだって分かってんだよ。まあ、なんとかするさ」
ウィルはそれに頷き、じゃ、そういうことで、と言って右手を差し出した。その意味を理解してランドルフは少し笑うと、ウィルのお望み通り仲直りの握手を交わしてやった。それでしばし沈黙、という雰囲気になったのだが、ふいにランドルフが何か思い出した様子で尋ねた。
「そうだ。そう言えばこないださ、ファーンのやつが弟とか言ってたんだけど、おまえんち、またガキ増えたのか?」
「いや、増えてないけど...。ファーンが言ったの? "弟"って」
「ああ。やけに意味ありげに言ってたな」
「ふうん...」
そうすると、ファーンはけっこうランディに気を許してるんだなと思いながらウィルは頷いている。
「なんだよ」
「いや、別に」
「おまえまでなんか歯切れが悪いぞ。じゃ、その"弟"ってのはなんなんだよ。えらい可愛いコらしいけど、それってもしかして、あいつの親父と関係あったりしないだろうな?」
鋭く指摘されてウィルはちょっと困った顔になった。ファーン自身が彼に弟のことを口にしているのだから、話したって怒りはしないだろうけどとは思ったが、時期が微妙なだけに自分が言っていいものかどうか憚られる。しかし、ウィルが答えかねているのを見てランドルフの方は自分の言ったことが当たっていたらしいと直感的に悟ったようだ。
「なるほどな。じゃ、ファーンの親父っていったい誰なんだよ。おまえ、知ってんだろ?」
「それはぼくの口からはまだちょっと...」
「やっばり知ってるんだな?」
「知ってはいるけど、時期が悪いんで」
「時期が悪いって何だよ。知られるとそんなにヤバいやつなのか?
」
「ヤバくはないと思うけど、ただ、今はまだ大じいさまからうちのみんなに緘口令出てるから」
「緘口令って、そんなに凄い問題なのかよ?
おれは、あいつの親父って誰か相当有名なヤツだろうなとは思ってたけど、なにしろあいつ、どう見たってタダもんじゃねえし。だけど、そんな一家をあげて秘密にしとかなきゃならないようなことなのか?」
「と言うか、近々、公にはなることになってるんだけど、その前にヘタに情報が流れるとマスコミの騒動が怖いというか。もちろん、きみが口外すると思ってるわけじゃないよ。でも、学校でそんな話、壁に耳アリだからね」
話のなりゆきに思い切り興味を引かれたらしい様子で、ランドルフは、誰にも言わないから教えろよとウィルに詰め寄った。
「だめ」
「なんだよ。また友達になろうって言ったわりには隠し事するんだな」
「隠すつもりはないんだけど」
「隠してるじゃないか」
「だから、ぼくはファーンや大じいさまの信頼を失うようなことは死んでもしたくないってことだよ。この場合、きみが口外するしないに関らず、"ぼくが喋った"という事実が問題なんだから」
「まったく、スクエアなやつだな」
「じゃ、ちょっとヒントくらいはあげとこう。でも、絶対に内緒だよ?」
「ああ。約束する」
それでウィルはランドルフに手招きして近く寄るように促し、少し声を落として言った。
「マスコミに流れると騒動になるような有名人ってことは今言ったよね?
それと、ファーンはお父さんの方からヨーロッパの名門貴族の血も引いているんだ。これだけ言えば、たいてい見当はつくと思うけど」
「つかねえよ。知ってるだろ?
おれんちは立派な成り上がりだって。社交界のことなんか分かるもんか」
だけど、お父さんはそうでもきみのお母さんはちゃんと伯爵家の出じゃないか、と言いかけて、ウィルは思い留まった。今、ランドルフに母の話題なんて振ろうものなら、せっかく軟化している彼の態度が一気にまた硬化しかねないと思ったからだ。
「あのねえ、ランディ」
「なんだよ」
「いったい何年、この学校にいるわけ?
ふつー、イヤでも少しは覚えると思うんだけど」
「何年いようとキョーミねえもん。家柄がどーのこーのなんて」
「とにかく、これ以上は言えないからね。いちおう、言っていいかどうか大じいさまとファーンには聞いておくけど、ヒントはあげたんだから後は自分で考えてくれる?」
ランドルフは不満そうだったが、話している間に陽は傾きかけ、もう夕食の時間になってきている。それに気づいてウィルは言った。
「じゃ、そろそろ戻ろうか?
もう夕食、始まってるよ」
言われてランドルフは腕時計を見た。
「もうこんな時間なのか。メシ食いっぱぐれちまうじゃん」
「なんか昔を思い出すね。よくここで話してて遅くなって、一緒にダイニングに駆け込んだもんだったよ」
「だったな」
「よし、じゃあ友情復活記念に競争しよう。負けた方が食事を運ぶこと!」
言うなりウィルは立ち上がり、相手に有無を言わせず駆け出した。
「おい、おまえずるいぞ!」
慌ててランドルフも立ち上がって追いかけてゆく。走りながらウィルは、今夜にでもこの話をファーンにしてやろうと楽しく考えていた。こうしてほぼ五年ぶりに、彼は一番好きな古くからの友人を取り戻すことに成功したのである。
original
text : 2010.1.28.〜1.31.
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