「裏切りものっ!!!」
言ってアリシアは手近にあったクッションをディに向かって投げつけた。それをかわしながらもディは全くの弱腰で、ごめんなさいと言っている。めちゃくちゃ怒っているアリシアだが、そういう時でもとてもキレイでサマになって見えるから美人は得なものだ。
「やっぱり、そおいうことやってたんだよね。ぼくが一番好きだとか、愛しているとか、一緒に暮らそうとか、散々言っておいて子供?
それも一人や二人じゃなくって、三人って」
言って、怒りのあまりまた別のクッションをわしづかみにすると投げつけて、アリシアは、よくもそんなことが言えたもんだよねっ、と大声を挙げた。今度はそれを受け止めながらディは、だから謝ってるじゃないですか、と困り果てた様子で言って続けた。
「それに、ぼくがきみ以外に女の子とつきあってることについては、きみはよく知ってながら気にも留めてなかったじゃない。第一、ぼくがマーティアと別れてぼくのところに来てってあれほど頼んだのに、どこまでもどこまでもきみはマーティ、マーティって、あの子の方が最優先だったんだから」
「だって、マーティの方が好きだもん」
「ほらあ。だから、きみがそんな調子では、ぼくだって淋しいでしょお?
だから、つい...」
「つい?」
「ぼくの子供が欲しいとまで言ってくれる女性がいたら、やっぱりグラっと来ますよ。だからつい、リクエストにお答えしてしまったわけで...」
「それで三人も?
じゃ、いっそその人と結婚すれば?」
「それは無理だよ。母親も三人いるんだから」
それを聞いてアリシアは、呆れ返って溜め息をついた。
二人はいま、市内にあるディの小さな家で話している。ここはディが一人になりたい時や、何かと邪魔の入りやすい屋敷から離れて絵だけ描いていたい時に使っている隠れ家的な別邸だ。古風な外観を持つ古い家で、敷地はそこそこ広いが家そのものはこの辺りでよく見かける造りのものだから、全くと言っていいほど人目は引かない。ゆったりとした居間は彼のお気に入りのアンティークで満たされていて、奥にはアトリエがあった。ここの存在はアーネストしか知らないし、ディがここにいる間は余程のことがない限り連絡は取らないようにと言われているので、屋敷に比べて遥かにのんびり過ごすことが出来る。それで、ディはアリシアと会う時によくここを使っているのだ。
仕事でも社交でも、たいていの場合はマーティアと行動を共にするアリシアだが、彼がアレクと会っている時だけは単なるおジャマ虫になってしまうので遠慮することにしている。そういう時、一人でいるのもちょっと淋しいから、都合よくちょっかいを出してくるディにかまって長いこと来ているわけだが、しかし相手がディだけに、アリシアにしても甘やかし放題でかまわれることそのものについては悪い気はしていなかった。と言うよりも、そんな関係が長く続いてきているし、今ではすっかり"ディはぼくのもの"と半ば確信しているようなところがあって、だから、彼がヨソでどれだけ遊んでいようが気にもならなかったのである。しかし、そこへ"子供が三人"などと聞かされては、アリシアが怒らない方が不思議だ。ましてや、うまくまとまっているアリシアとマーティアの間に無理に割り込んで来たのはディの方だったのだから、なおさらだろう。
「だったらさっさとぼくに言っとけばいいじゃない。ぼくは、今の今まで隠されてたってことが一番アタマに来てるんだよ」
「だから、隠してたわけじゃないって言ってるだろ?
ぼく自身がつい最近まで、子供たちのことなんて殆ど忘れてたんだから、話題にも何もならなかっただけだよ」
自分に子供がいることを"忘れていた"などとは、他の誰かが言ったんだったら明々白々なウソと思われても仕方がないところだが、言っているのがディだけに、長いつきあいのアリシアにはそれがウソでないことくらいは分かる。しかし、それでも腹が立つことに変わりはないのだ。
「どっちにしても、もうね。今度という今度は、ぼくたちこれで終わりだからね」
「お願いだから、そんな酷いこと言わないでよ。ちょっとした行き違いじゃないの」
「子供三人が"ちょっとした行き違い"で済むと思ってるわけ?」
「だから、もうしませんから」
宥めようとするディに、アリシアは両手を膝に置いてわざとらしく頭を下げながら、長いことお世話になりました、これで、おいとまさせていただきます、とバカ丁寧に言って問答無用でソファを立とうとした。それを、ディが慌てて止めている。
「ちょっと待ちなさいよ」
「それでは、ごきげんよう」
「アリシアってば、もう。冗談言ってないで」
「誰が冗談?
ぼくは、本気だよ」
「まあ、ちょっと座りなさいったら」
言われてアリシアは、不機嫌な顔ながらも、もう一度ソファに腰を降ろした。
「思い出してごらんよ、ぼくときみが出会ってからのこの十数年間を。いろいろあったけど、それなりうまくいってたじゃない」
「何がうまくいってた、だよ。ぼくと、マーティの間に無理矢理割り込んだくせに。しかも、あんな方法で」
「それはもう時効だろ?」
「勝手に時効にしないでよね」
「だけど、きみだってあのことについてはもうずっと前に許すって言ってくれたじゃないか」
「それは言ったけど、それとこれとは別問題」
「だから、子供のことについては謝ってるでしょう?
悪気があって隠してたわけじゃないし、そもそもぼくが意図的にきみに隠す必要なんてないことは、きみだってよく分かってるはずだよ」
「それはね」
「前々から言ってるように、ぼくにとってきみは誰より特別なんだし、言い換えれば、ぼくには他の女の子たちや子供たちのことと、きみのこととは別次元の話なんだよ。それに第一、一人めの時はまだぼくはきみとそんなに親しくなってなかったし、きみがマーティアと別れてぼくのところに来てくれていたら、少なくとも二人め以降の子供は在りえなかったんだから」
「それは、どうだか」
「ねえ、アリシア」
「分かってるんだからね、ディがぼくにそんなに執着する理由」
「理由って、何が」
「ディは今でもマーティのことが好きなんだよ。だから、ぼくにちょっかい出してれば、マーティと完全に縁が切れるってこともないわけだし」
「あのね、アリシア」
「そりゃ、ぼくだってディがぼくを側に置いておきたい理由がそれだけじゃないってことは分かってるよ。ディはぼくと似たものどうしだから、マーティより遥かにぼくを理解してくれてるかもしれないし、マーティよりぼくの方がディを理解してるとも思う。でも、ディが未だにマーティのこと好きなのは単なる事実だもの」
言われてディは深い溜め息をつき、それは確かにそうだけど、と言って続けた。
「あの子とはそりゃ、長いつきあいなんだから。そもそも、ぼくは凄く気に入ってたわけだしね。でも、今のマーティアは子供の頃とはまるで違うよ。ぼくがもし、今でも恋人として取り戻したいと思ってるとしたら、それは、もう今は存在していない子供の頃のあの子だよ」
アリシアにもそれは分かっているらしく、何も言わないで頷いている。
「マーティアをアレクに譲った時、ぼくはそれが一番正しいことだと思ったんだ。なにしろ、あの二人はあの通りで苦労知らずの脳天気お坊ちゃまどうしなんだから、性質的にもこれ以上はない取り合わせだろ?」
「まあね」
「で、マーティアはアレクを手に入れたがってたし、女の子とつきあいはするけど恋知らずのアレクが初めて本当に興味を持ったのがマーティアだったし。これはもう、運命かなと。だから、きみが現れた時には、今度こそぼくは、最後の恋人を手に入れられるかもと思って期待したのに」
言ってディはもう一度深く嘆息し、それなのにきみは、マーティアに恋しちゃうんだもの、とつくつぐがっかりした様子で言った。
「それで思ったよね、ぼくは。神さまはもう、ぼくには誰も用意してくれてないんだって。シベールを亡くし、ダニエルを亡くし、マーティアはアレクに取られて、きみは振り向いてもくれない。もうどうせ、ぼくの一生なんて、このまま絵だけ描いて終わるだけなんだなあって」
「一人で悲劇に浸らないでよ。それともそれは、三人も子供作っちゃったことについての言い訳なわけ?」
「いや、そういうつもりじゃないけど、きみがマーティアのことなんて持ち出すからだよ」
「そもそもね、"神さまは誰も用意してくれてない"だって?
ぼくたちが、っていうのは、マーティとアレクさんと、ぼくとディが、今みたいなややこしいことになってるのは、ぜっんぶ元を糺せばディの陰謀なんじゃないか。マーティたちは気づいてないかもしれないけど、マーティをアレクさんに譲ったこと自体が元々の始まりなんだと今ではぼくは思ってるけどね。つまり、ディは何よりまず最初にアレクさんを手放したくなかったんだ。もちろん、ディが彼に恋愛感情持ってるってわけじゃなく、なんてったって彼はああいう貴重な人だもの。ぼくたち同様、ディの財産目録にハナから入ってるってことだよ。なのに、彼がまともに家庭を持ったりしてごらん。どこの馬のホネとも分からない女に取られて、どうしたって今のように手を延ばせばすぐ届くってとこにはいなくなるよね。だから、マーティと彼の関係を成立させておけば...、なんだかんだ言ってもマーティは今でもディを好きだし、結局は身内なんだから、アレクさんも一緒に手の届くところに置いておけることになるものね」
「また、そんなひねくれたことを」
「とんでもない。ぼくに分からないと思ってる?
さっきも言ったけど、ぼくとディは似たものどうしだよ。だから、ディの考えることくらい、お見通し。で、そうやって二人の関係を成立させておいたところへ、ぼくが図らずも割り込んじゃって、ディにとって楽しそうなことになってるから参加したくてぼくにちょっかい出し始めたんじゃないか。結局ね、そうやってディは、ぼくたち三人とも手に入れたんだよ。それなのに今さらぼくを手放したりしたら、手間ヒマかけて築いたその財産の一角が崩れ去っちゃうわけだし」
ディは黙ったまま、さて、どう答えたものかと思案しているが、かまわずアリシアは続けた。
「救いようのない淋しがりだからね、ディは。お気に入りは何が何でも側から放したくないんだ。それにそれだけじゃなく、ぼくがいつも近くにいないからって次から次へと女の子と遊ぶのも、子供作っちゃうのも、まさにその"淋しがり"のなせる業だよ。違うとは言わせないよ」
それでもまだしばらくディは何も答えなかったが、最後にはとうとう観念して、恐れ入りました、と言って認めた。
「いつもながら、お見事な洞察力。まさか、そこまで読まれていたとはね」
「甘くみないでくれる?」
「だけどさ、そこまで分かってるんなら、ぼくにとってきみの、というか、きみたち三人のことと、他のことは別次元だって言う理由も理解できるだろ?
そりゃ、確かに子供たちのことを話してなかったのはぼくが悪い。でも、本当にその必要を感じなかったんだよ。それに、もうひとつ。発端はそうかもしれないけど、ぼくは今でも、きみはマーティアじゃなくてぼくの側にいるべきだと思ってるよ。きみも言った通り、ぼくたちは似たものどうしだ。だからこそ、なんだかんだ言いながらも十何年も続いてるんだし、きみに相応しい恋人は、マーティアじゃなくってぼくだと思う。ただ、きみたちが離れられない理由も、分からないではないけどね」
「ぼくにとってマーティは、恋人というより先に身体の半分みたいなものだもの。そりゃ、確かにディやアレクさんはぼくたちを誰よりも理解してくれてると思うよ。だけど、ぼくたちにはぼくたちでないとストレートに通じないことがあるから」
「それは分かってる。ぼくやアレクですら、どうやってもきみたちの思考展開にリアルタイムでついてくことは難しいからね。ある種の事柄については、きみたちどうしでなら一瞬にして理解できることでも、他の人間に対しては延々解説してやらなければならなくなるし、そのストレスは相当なものだろうから」
言われて、アリシアは頷いて見せた。
「だけど、ぼくにしてみればきみほどぼくを理解してくれる人は他にいないというのも事実だよ。さっきのことにしても、マーティアやアレクはそこまで気づいてないと思うしね。まあ、ぼくがマーティアをアレクにけしかけた、くらいのことは分かってるみたいだけど。どっちにしろ、確かにぼくはそうやってきみの言う通りきみたち三人を一番近い所に置いておくことには成功したかもしれない。それでもぼくだけを愛してくれる最後の恋人には未だ出会えていないんだ。もうこのまま、現れないかもしれないしね。きみがマーティアと別れてくれないなら、なおのこと」
それでまたディは深い溜め息をつき、あーあ、ぼくだけを誰よりも愛してくれる至上の恋人が欲しいなあと言った。アリシアは、ほんっとーに淋しがりなんだから、と思いながらそれに答えた。
「何言ってるんだか。結婚もしないのに子供まで産んでくれる女性が三人もいたんでしょう?
だったらどうして、そのうちの一人と落ち着かないのさ」
「だって」
「それもぼくは分かってるけどね。結婚とか、そういう閉塞的な状況や恒久的な責任に耐えられないんだよ、ディは。淋しがりの上に、閉所恐怖症のワガママなんだから。逆に、ぼくにしてもマーティにしても、基本的に保護を必要とするようなタイプじゃないよね。ディが好んでずっと側に置きたがるのは、そういう人間だけだよ。でも、相手が女性だと、どんなに強い人でもなかなかぼくたちのようなわけにはいかないから」
「かなわないなあ、きみには。本当に"お見通し"なんだから」
だからこそ手放したくないんだよね、と思いながら、ディは続けた。
「ま、ともかくね、うちの跡取りも決まったことだし、父も結婚しろとはもう言わないって約束してくれたから、これからはぼくもやっと本当に自由の身なんだよ。これできみがぼくのところに来てくれさえすれば...」
「行かないよ。都合のいいこと考えないで」
きっぱりと言われてディはがっくりした様子でつっぷしていたが、しばらくして顔を上げると言った。
「じゃ、それはそれでいいけどさ。とにかく、子供のことは謝るから、ぼくと別れるなんてことだけは言わないで下さい。お願いします」
いつものことだけど、何かにつけてこうやってディが下手に出てくるものだから、ぼくがすっかりタカビーになっちゃったんだよね、と思いながらアリシアは考えている。
子供と聞いて反射的に腹が立ち、それが一番ディに応えると分かっていたので別れるのどうのと口にこそしたが、本心を振り返ってみると実際には本気でそこまで考えていない自分に気がつく。それに、子供三人と言われた時には、ぼくの他にそんなに長く続いてる恋人がいたなんてっと思って怒ったものの、話を聞いてみると三人とも母親は違うらしい。ディがとっかえひっかえつきあう相手を変えているのはアリシアもよく知っているから、そうなるとなるほどディらしい自然のなりゆきという気もしないではなかった。それこれ考えてアリシアは、十何年も恋人やってると、なんだかんだでお互い寄りかかってるからなぁ、と改めて思い、それでもしばらく結論は出しかねていたが、やがて仕方なさそうに頷いた。
「ほんと?」
「でも、これはつけとくからね」
「分かってます。埋め合わせは、いずれまた必ず」
まだ不機嫌な顔で言ったアリシアに、ディはあくまでも低姿勢だ。その様子を見て、可笑しそうにアリシアが言っている。
「まったくもお、どうしてかな。昔っから不思議なんだよね。ディは、マーティのことはあんなに苛めたくせに、ぼくに対しては終始その調子で甘やかし放題なんだもの。ぼくが何言っても、怒ったことなんてなかったよ」
「そりゃ、たいていの場合、きみはぼくを怒らせるような理不尽は言わないし、しないだろ?
それにきみは、キツいけど基本的には優しいからね」
お返しに見透かしたようなことを言われて、今さら何をとアリシアはそっぽを向いている。
「ぼくがマーティアを苛めたとしたら、それは愛の鞭というものですよ。あの子はとにかく、バークレイ博士に囲い込まれて過保護放題の甘やかし放題にされてたからさ。だから、純粋極まりなくて、この世の現実なんてものからはまるっきり遊離して育ったんだ。めちゃくちゃ"いい子"でおまけに天才で、出会った頃はそれこそ天使だったな。だからこそ、ぼくは心配だったんだよ」
「分かる気はするけどね。今だって、どうかすると彼って"天使"だから」
それに笑ってディはアリシアの肩に手をかけ、自分の方に引き寄せた。
「と、言うことで、では仲直りのキスでも」
「だめ」
「もぉ、なんでですか」
「先に、埋め合わせに何やらせるか考えてからだよ」
「ねえ、お願いだから」
「何がいいかなあ、別荘かジェット機買わせてもいいけど、そんなのいくらでも手に入るし。もっと面白いことを何か...」
結局、何かやらされそうだと思いながら、ディはアリシアの言うのを無視してその唇にキスしたが、さすがにそれ以上はアリシアも逆らうつもりはないようだった。十三年も続いている関係というものは、やはりそう簡単に解消されるものではないらしい。
original
text : 2009.12.16.-12.20.
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