「で、メリルはどうかな。ここには馴染んでくれたようか?」

「はい、それはもう。この辺りの風景がことのほかお気に召したようで、毎日、あちらこちらスケッチしに出てゆかれます。とても楽しそうでらっしゃいますし、だんなさまにもお話したいことが沢山あるとおっしゃって」

数日してロベールは予定通りローデンの城に顔を出した。メリルは部屋で絵を描いていたから、クロードは家の者を呼びにやり、自分は居間に落ち着いた主に近況を報告している。

「そうか。ここで過ごすことが、あの子の絵に良い刺激になるといいとは思っていたが...」

「スケッチを見せて頂きましたが、だんなさまの仰っていた通り素晴らしいもので、とてもまだ十二、三の方とは思えないほど達者な筆致でしたので驚きました」

「だろう? しかし、あの子の本領はやはり油彩だよ。ああ! きみにも今すぐ実物を見せてやりたいものだな」

ロベールが自慢げに言うのを、クロードは待望の孫、しかもその父同様に芸術的才能に恵まれているらしい少年であることを思えば、だんなさまのお喜びも如何ばかりと微笑ましく思っている。そうするところへノックの音がしてドアの向こうから、メリル坊ちゃまをお連れしましたと声がかけられた。

「ああ、入りなさい」

ロベールの答えに応じて扉が開かれ、メリルが入って来ながらにっこりして、おじいさま、と言っている。その後ろから大きな包みを抱えて運んで来た黒服の青年は、クロードの孫でアルベールだ。

クロードの父の代では既に先代シャンタン伯の執事を勤めていたが、そのため一家はこの城の敷地の中に瀟洒な別棟を与えられて暮していた。それはクロードの代になっても変わらず、そのためアルベールはうんと子供の頃から祖父や父の手伝いで本邸にも出入りしていたのである。

ディがいつまで経っても結婚しないものだから、ロベールは身近に子供がいないのをいつも嘆いていたものだが、それもあって執事の孫のことは小さい時からとても可愛がっていたのだ。頭の良い子だったし、祖父やロベールの勧めもあったので大学まで進んだものの、結局シャンタン家で働くことを希望して現在は祖父の下で執事見習いをやっている。アルベールにしてみれば、曽祖父の代からずっとこの家の家政を預かるともなれば、それはもう家業のようなものとも思えているらしいのだが、そればかりではなく、幼い頃から祖父や父を見ていて他のことよりやりがいのある仕事とも考えたようだ。成り行きとはいえ、いずれは彼がファーンを支えてくれることになるだろうとロベールは思っている。そして、アルベールはその信頼に値する誠実で有能な青年でもあった。

「やあ、よく来たね、メリル。どうだい、ここは?」

向かいのソファにかけた孫に、これ以上はないにこにこ顔でロベールが尋ねた。

「はい。とてもきれいでのんびりした土地なのですっかり気に入ってしまって、もうスケッチブックが2冊もいっぱいになってしまいました」

「ほお、そんなに?」

「ええ」

「それは見たいものだな」

「じゃ、後でお見せします。でも、その前におじいさまにお渡ししておきたいものがあって...」

言って、メリルは運んで来た包みの方を見た。その視線の先を追って、ロベールが聞いている。

「何だね?」

「ぼくの絵なんですけど」

メリルは立ってゆくとアルベールに手伝ってもらって梱包を解き、中身を取り出した。それは、ロベールが以前メリルの部屋で見てその才能を確信したとディに語っていた、廃屋をテーマに描いた油彩だった。

「それは...」

かなり驚いた顔をしているロベールの横で、出てきた油彩を目の当たりにしたクロードもそれに目を瞠っている。

「この前おじいさま、これが一番気に入って下さってたみたいでしたから」

「いや...、いや、いけないよ、メリル。そんな、きみの大事な作品を」

「いえ。ぼくの絵なんてまだ、おじいさまのコレクションに加えて頂けるような値打ちはないって分かってはいるんです。でも、どうしてもあの時計のお礼がしたくて。あんな立派なものにこんな絵では吊り合うものじゃないですけど、ぼくに出来る一番のお返しってこういうことじゃないかと思うので」

ロベールはメリルの言う意味を理解して、既にうるうる状態で言葉にならず頷いて見せるくらいしか出来ない。

「ぼくはまだまだ未熟で、お父さんのような画家になれるまでには何十年もかかると思います。でも、ぼくにとってもこの絵は原点のようなものなので、ぼくのファン第一号と言って下さったおじいさまに持っていて頂きたいんです。そしていつか必ず、この何倍も値打ちのある絵を描いて見せるとお約束します」

「メリル...」

「コレクションの隅っこでいいですから、置いておいて下さいね」

言われてロベールは答える言葉もない様子だったが、しばらくしてやっと口を開いた。

「...隅だなんてとんでもない。クロード、アルベール。すまないが、あのマントルピースの上の絵を今すぐはずしてくれないか。代わりにこれを掛けるから」

それを聞いてびっくりしたのは誰よりもメリルだっただろう。なにしろ、今そこに堂々と飾られているのは、メリルがここへ来た最初の頃に目に留めて、しばらくその前を動けなかった正真正銘のレンブラントなのである。

「ちょ、ちょっと待って下さい、おじいさま。それって」

「いいからいいから。私が飾りたいんだから構わないじゃないか。クロード、すぐに頼むぞ」

「かしこまりました」

執事は微笑を浮かべて一礼すると、孫に手伝わせて作業に取り掛かった。メリルは目の前であっと言う間に時価数百万ドルではきかない名画が降ろされて、こともあろうに自分の取るに足りない絵が、重厚な調度で飾られた居間の、最も目立つ位置に掛けられるのを呆然と見守っているほかなかった。

「おお、いいな。いやいやいや、やはり思っていたとおり素晴らしい。こうやって壁にかかっているのを見ると、一段と映えるぞ」

掛けかえられた絵を眺めながら、ロベールが嬉しそうに言っている。

「レンブラントより、遥かにいい」

「おじいさま、お願いですから比べないで下さい。ぼくが惨めになりますから」

恐縮して言うメリルに、ロベールはなんの、惨めなものかと笑って言った。

「ごらん。レンブラントが掛かっていたというのに、その後に飾ってもこの絵には少しも遜色がない」

自分の目の確かさを確信する様子でロベールは言い、しばらく深く頷きながら孫の絵に見入っていた。しかし、その絵に感心していたのはロベールばかりではなかったようだ。どうやらクロードにも、主の絶賛が孫可愛さの欲目ではないと思えているようで、彼も一緒にその絵を眺めながら、何かしら納得した様子で頷いている。

確かにロベールが以前言っていたように、その絵の圧倒的な存在感はとてもメリルのような年頃の少年が描いたとは思えないようなものだった。画壇に大家多くありと言えども、打ち捨てられて荒れた廃屋をこれほどまでに美しく描ける画家はそう多くあるまい。ある種の悟りの境地すら感じさせて独特の精彩を放っており、つい目が離せずにその前に立ち尽くしてしまうような作品だ。

この居間はロベールの私室に連なるもので、城のメインサロンと比べればこじんまりしてはいる。しかし、ルイ十五世時代の豪華なアンティークが配され、深い茶を基調にアイボリーやピンクで花々を描き出した厚いカーペットと金糸を織り込んだジャガードのカーテン、白い壁面に時を経て重厚な光彩を放つようになった金の装飾彫刻に、ふんだんに置かれた美術品、そういったディテールが慣れない者には少々威圧的に感じられるほど、歴史と芸術の重みを感じさせる空間に仕上げられているのである。このような部屋に相応しいのは、まさにレンブラントのような作品だと誰でも思うことだろう。

だが、今そこにメリルの絵が掛けられたとたん、そのたった一枚の絵がまるで新鮮な空気を招じ入れたとでもいうように雰囲気が一変したのを、ロベールやクロード、そしてアルベールまでもが感じずにはいられなかった。風雨にさらされて今しも朽ちつつある廃屋に差し込む光、それはロベールがディに語った通り、終末と創世を同時に思わせる清々しい魅力に満ちていたからだ。無常の齎す悲哀を超え、それにこそ福音を見出した者にのみ理解できる美かもしれなかったが、だからこそこの絵は究極的に美しいとも言えた。

若々しい爽やかさすら感じさせながら、その絵は既に周囲の錚々たる美術品を圧倒し、従えすらして、これまでも長年そこにかかっていたかのようにしっくりと空間に馴染んで見える。口には出さなかったが、ロベールはこの存在感こそ真の才能、芸術の力というものだろうなと思っていた。そして、後にこの城を訪れる数々の文化人たちも、その同じ感銘を受けることになるのだった。

original text : 2009.10.25.〜10.26.

  

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