6月から7月に向かうこの時期は、クランドルで一番爽やかで気持ちの良い季節だ。今日も初夏を告げる風が心地よく吹きすぎ、空は雲ひとつない快晴である。
オシャレなカフェの街路に張り出したテラス席で、デュアンはさっきからレモネードを飲みながら道行く人たちを眺めていた。ここでファーンと待ち合わせしているからなのだが、週末、まだ早い午後の大通りには華やかに装った人たちが行き交い、その喧騒の中へどこからともなく音楽が聞こえてきたりして、見ているだけでも楽しい気分にさせてくれる。
兄とは、以前からメールや電話で会いたいねと話し合っていたのだか、ついに跡取りの話も本決まりになったことではあるし、積もる話もあるのでということでファーンが寄宿学校から帰れる日を見計らって会うことになったのだ。
今日のデュアンは白いデニムの上下に淡い色のシャツ、マッチングの良い白のスニーカーという普段着ではあるが、まだ幼いとはいえ、さすがに美貌の父譲りの容姿はどこに置いても目立つようで、道行く人々が時折り驚いたように振り返ってゆく。それにはこの子も気がついていたが、その種のことにはもう慣れっこになっているから特に気にしてもいないようだ。
そうするうちに通りの向こうからサングラスをかけた背の高い少年が近づいて来た。何かのロゴの入ったTシャツにジーンズという何の変哲もない格好なのに、スタイルがいいせいもあって周囲からズバ抜けて際立って見える。カッコイイおにーさんだな、と思ってデュアンが見ていると、近づいて来た彼が自分に向かってにっこりして、やあ、と手を上げて見せるものだから、デュアンは戸惑って回りをキョロキョロ見回してしまった。自分が声をかけられているとは思わなかったのだ。
しかし、後ろの席には誰もいないし、回りの席にもそれに反応するらしい動きはない。あれ?
と思ってもう一度前を見ると、さっきの少年がテーブルのところまで来ていて、どうしたの?
と言いながらサングラスを取った。
「え?
ファーン兄さん?!」
「うん。あれ?
気がついてなかったの?」
「だって!
この前会った時と全然雰囲気違うんだもの。びっくりしちゃって」
それに笑って、椅子にかけながらファーンが言った。
「この前は、何と言ってもみんなと初対面のビッグ・イベントだったじゃない。だから、けっこう気を張った格好してたかもね。でも、いつもはこんなだよ?」
もともと、デュアンから見ておとなっぽい印象のある少年だが、今日の彼はどうかすると長兄のメリルより年上に見えそうなくらいだ。
「なんか、すっごくカッコいいんだもん。ぼく見とれちゃってて、でも、まさか兄さんとは...」
「またまた。おだてたって何も出ないよ」
弟の驚きに笑ってそう答え、ファーンはちょうどやって来たウエイターにロイヤル・ミルクティをアイスで、と頼んだ。ウエイターが行ってしまうと、ファーンは再び弟に注意を戻して、で、元気だった?
と尋ねた。
「ええ。兄さんも?」
「もちろん。この前会った時以来、いろいろ紆余曲折あったみたいだけど、跡取りの話、なんとか落ち着いたようで良かったね」
「でも、おかしなことになりましたよね。ファーン兄さんがおじいさまの跡を継ぐのは最初の予定通りって感じだけど、まさかぼくがお父さんの跡継ぎになろうとは」
「メリル兄さんでも面白かったかなという気はするけど、でも話を聞いてるとあの人は今既に画家への道一直線っていう感じだし、生真面目で潔癖っていうタイプだとけっこう辛いことになるかもしれないから。そこいくと、きみは器だとぼくも思うよ。うちのおじいさまたちを見ているとやっぱりああいう立場では、イヤでも腹芸のひとつもできないと回るものも回らないっていう場面に頻繁に直面することもあるようだし、きみはそういうの、うまくやれそうじゃない?」
「えー、そうかなあ」
「うん。まあ、メリル兄さんに断られた以上、きみに頼むしかないってこともあったんだろうけど、お父さんはさすがにそのへんもちゃんと見抜いた上で、きみを跡取りに据えたんだろうなとは思うよ」
「だといいですけど」
「これからずっと長いつきあいになるんだし、兄弟仲良くやってゆこうね。ま、ヨロシク」
言って差し出されたファーンの手を笑って握り、デュアンはこちらこそ、と答えた。そうするうちにウエイターがファーンの注文したものを運んで来てくれて、二人はそれぞれの飲み物を手にどちらからともなく乾杯した。
見た目はまるで似ていないし、母親が違う上にほんの数ヶ月前に初めて会ったきりで、以来今日まで顔を合わせる機会すらなかった兄弟である。しかし、デュアンは素敵な兄さんが、ファーンは可愛い弟が出来たことをそれぞれに喜んでいるらしく、もうすっかり打ち解けているようだ。電話やメールではひんぱんにやりとりをしていたせいもあるだろう。
「この前ロベールおじいさまがこっちにいらしたとき、きみは会えたんだろ?」
「ええ。週末ずっと一緒にいて、チェスやったり、ビリヤードを教えてもらったりしてたんですよ。すっごく楽しかった」
「いいなぁ...。ぼくは会えなくて残念」
「兄さんは学校だったんですよね?」
「うん。試験週間で四苦八苦してる最中だった」
「でも、夏休みにはおじいさまのところに行くでしょ?」
「もちろんさ。今から楽しみにしてるよ」
「ぼく、そのとき釣りや乗馬を教えてもらう約束してるの」
「へえ、そうなんだ」
「兄さんは馬乗れる?」
「一応ね。それに釣りも好きだよ。リチャードおじさん...、って、ぼくの上の方の叔父だけど、彼がすごい釣り好きで、キャンプに行った時なんかによく教えてくれてたから。残念ながら、ぼくはまだあんまりうまくないけど、でも、きみも興味あるなら一緒に楽しめそうだ」
「ええ。なんだか今からわくわくしちゃいますね。早く、夏休みにならないかな」
「どうせなら、こっちからもう一緒に行かない?スケジュール合わせて」
「あ、それいいアイデア」
「おじいさまも、その方が安心なさるだろうし」
「よおし、夏休みはめいっぱい、遊ぶぞ!」
弟の気合いの入れ方に笑いながら、ファーンはロイヤル・ミルクティのグラスを口に運んでいる。それを見るともなく見ていて、デュアンは兄の左腕にこともなげに祖父から贈られたボヴェの時計があるのに気づいた。
「あ、兄さん、その時計」
「ん? これ? きみもおじいさまにもらっただろ。兄弟三人おそろいだって言ってらしたよ?」
「もらいましたけど、ぼくそんなのあまりにもったいなくって兄さんみたいに日常使いできませんよ」
「日常使いというか...。ふだんはぼくだってこんなのしないよ。でも、今日はきみもつけてくるかなって思って。
おそろいだし、せっかくの初デートなんだから。特別の日だろ?」
「えっ、デートって...」
「冗談だってば」
「もお、兄さんったら」
「でも、実際さ、おじいさまと会う時はつけてあげてるときっと喜ばれるよ。あ、使ってくれてるんだなって」
「そうでしょうか?」
「うん。あ、そうだ。夏休みはおそろいでつけて行くってのはどう?」
「いいかもしれませんね。そういうキッカケでもないと、ぼくなかなか使えそうにないし...。あー、でもなんか差を感じちゃうな。兄さんってやっぱり育ちが違いますよね。そんな時計つけてても、まるっきりあたりまえって感じで。それに比べてもったいながって使えないぼくって、つくづく庶民」
「何言ってるんだか。次のモルガーナ伯爵が」
「あ、そっ、そうでしたね。でもぼく、庶民根性引きずりそう」
「別にきみはきみらしくしていればいいんじゃない? 今どきじゃ、貴族と言ったってそれほど一般の世の中と掛け離れてるわけじゃないよ。第一、それなり経済観念がないと逆にちょっとまずいかもって思うし」
「そんなものですか?」
「そんなものそんなもの。大きな屋敷だのなんだのあっても、全部莫大な税金かかってくるんだからね。
それ払うのだって大変なんだから。それに、ぼくは今のきみがとても好きだし、だからそのままで全然いいと思うよ。それはお父さんやおじいさまだってきっと同じだ」
"好き"と言われてにっこりし、デュアンは、ぼくも兄さんが好きです、と答えた。
ファーンはそれへ笑って言った。
「じゃ、相思相愛と判明したところで、そろそろ待望のランチに行くとしましょうか? ぼくの知ってる店でいい? パスタは好きかな?」
「あ、はい」
デュアンが答えるとファーンはウエイターを呼び、彼が二人分のチェックを済ませてから席を立ったが、立ち上がって初めてファーンはデュアンが大きな白ウサギのぬいぐるみポシェットを肩から斜めにかけていたのに気がついた。弟が膝の上に何か置いているらしいのはテーブルの向こうに見えていたのだが、どうやらそれはウサギの耳だけだったようだ。その様子が、まるで子供服のCFかポスターのように可愛いらしいので、にっこりしながらファーンが言った。
「可愛いぬいぐるみだね」
「でしょ?
おじいさまのプレゼントなんですよ。 兄さんもいろいろもらいませんでした?」
「もらった、埋もれるほどたくさん。欲しかったものばかりだったよ」
「おじいさまの愛ですよねっ。ぼく、もう全部が宝ものです」
二人はカフェの席を離れて街路に出ると楽しそうにそんな話をしながら歩き出したが、それを通りの向こう側から偶然見つけたのは、母とショッピングに出かけていたエヴァだった。声をかけるには距離があり過ぎたものの、なにしろデュアンは目立つから、幼い頃から親しい彼女には遠目でも見間違いようはない。
「どうしたの?
エヴァ」
彼女が母に声をかけられて振り返っている間にも、デュアンたちはどんどんエヴァのいるのと反対の方へ歩いて行ってしまっている。
「デュアンがいたの」
「デュアン?
ママと?」
「ううん、そうじゃなくって、なんか知らない男の子と歩いて行っちゃった。見かけたことのない人だったわ。誰かしら」
「本当にデュアンだった?」
「間違えっこないわよ」
「このへんの子じゃないなら、親戚とか、カトリーヌのお友だちとかだったかもしれないわよ?
学校に行ったら聞いてごらんなさい」
「うん...」
デュアンちは、ママと二人きりで親戚はいないはず、と思いながらエヴァは頷いた。ママの友だちということはありえるかもしれないが、それにしては一緒にいた男の子の年齢がデュアンに近すぎるような気がする。長いつきあいだからこれまでも、たまに街で彼がエヴァの知らない誰かといるのを見かけることもあったが、そういう時はたいていカトリーヌも一緒だったり、デュアンよりずっと年上の相手だったりしたものだ。
誰だろう、と不思議に思いながらもエヴァは母に促されて、デュアンが行ってしまったのとは逆の方向へ歩き始めた。
original
text : 2009.7.30.+8.2.
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