アレクと話した数日後、ディナーをセッティングするためにディはファーンに電話をかけてみた。週末だったこともあってちょうど彼の次男坊は家に戻っていて、いつも冷静沈着を心がけているらしいこの子には珍しく、父からその話を聞くなり、えっ、本当ですかと、かなり驚いた様子で声を上げた。ファーンにしても相手がアレクだけに先日の約束は話半分くらいに聞いていて、実現の可能性についてそれほど本気で期待していたわけではなかったようだ。なにしろ昨今、アレクは忙しすぎてクランドルにいることそのものがめったにないし、その上、今のような立場に立ってもなお彼の堅苦しい社交を嫌う傾向は健在で、政治家だろうが経済人だろうが、どんな地位にある人物でも容易にアレクを会見の席に引っ張り出すことなど出来ないというのが通説なのである。
もっともそれはアレクがセレモニカルな仰々しさをことのほか嫌うからであって、彼をよく知るディのような古くからの友人や気に入っている者からの紹介さえあれば、今回のように気軽に交流の端緒を開くのを躊躇わないのもよく知られている話だ。
元々の性質に加えて、まだ四十代の半ばという若さで高すぎる地位についてしまっていることが常識との間でアンバランスを生んでいるとも言えるのだろうが、軍人だった頃も、学生時代も、どこにいようがどんな立場に立っていようがアレクがアレク流なのは変わらない。そしてそれは今のようにクランドル経済界の重鎮などという、本人にしてみれば迷惑なだけの地位に置かれるハメに陥ったとしても変わりようがないらしい。
ともあれ、ファーンはディから都合を尋ねられて、ロウエル卿とお会い出来るなら、例え授業の最中でもすっ飛んで帰って来ます、と熱心に答えた。その声から息子の舞い上がりぶりを察知してディは笑っている。それはデュアンが自分と初めて会った時の様子に似ていて微笑ましい気がするのと同時に、この子は本当にアレクのことを尊敬してるんだなと思わせたからだ。
この前会った時は落ち着いていてオトナっぽい子だと思ったものだが、どうやらその本質はまだまだデュアンとひとつ違いでしかないという事実に相応しいところなのだろう。それでディは、もう少し慣れてくればもっといろんな面を見せてくれそうだと楽しく思いながら、それではと、アレクが都合が良いと言っていた日にディナーと決めて受話器を置いた。その日は週末であることもあって、ファーンにも全く問題はないようだ。
そちらはそれですんなり落ち着いたわけだが、アレクのリクエストを受けて今回のディナーにはデュアンも呼ぶことになっている。それで、ディは続けて電話をかけてみることにした。この前デュアンが遊びに来てからひと月近く経っているので、カトリーヌと最後に話してからもそのくらいにはなるだろう。それを考えると跡取りの件、そろそろもう一押ししてもいい頃かなと思いながら彼が呼び出し音を聞いていると、はい、と言って出たのはデュアンだった。
「やあ、デュアン?」
― あ、お父さん。はい、ぼくです
「今ちょっといいかな」
― ええ、もちろん。なんですか?
「きみに、ディナーのお誘いなんだけど」
― え?
それってもしかして、おじいさまがまた来られてるってこと?
だったら、ぼくすぐにでも...
「いや、そうじゃなくてさ。今回のお誘いはアレクからなんだよ」
― アレクって...
デュアンにとっては"ロウエル卿"である。そんな天上人にも等しい、別世界の遠い人物からいきなりディナーのお誘いがかかるなんて考えてみたこともなかったデュアンは、すぐには父が誰のことを言っているのか分からずに誰だっけと首を傾げている。しかし、少し考えて気がついたようだ。
― それ、ロウエル卿のことですか?
「うん、そう」
― えーっ、まさか。お父さん、ぼくのこと、かついでません?
「そんなことしないよ。実は、ほら、この前みんなが集まってくれた時、ぼくがファーンにアレクと会わせてあげるって約束してたの、覚えてないかな」
― ああ、はい。覚えてます
「アレクに話したらファーンだけじゃなく、どうせだったら子供たち三人ともに会いたいって言い出してさ。メリルは、知っての通りちょっと微妙な時期だから、あまり刺激したくないんでしばらくそっとしておくつもりなんだけど、きみは来てくれるかなと思って」
― それは、もちろん。でも、兄さんはともかくぼくなんて、お邪魔なんじゃ...
「いや、そんなことないよ。むしろ、アレクの方が会いたがってる」
― うわー。ロウエル卿に会いたがられてるんですか?
ぼく
「そういうこと」
― それって凄い!
ママに言ったら、絶対羨ましがると思います。あ、もちろん、そう言って下さるなら、ぼく、宇宙の果てでディナーってコトでも絶対参加させて頂きますから!
それへ、ディは笑って答えた。
「宇宙の果てまでなんか飛んでかなくていいよ。会場はうちだから」
― あ、そうなんですね。
「そう。アレクの都合もあって、三週間後の週末ってことなんだけど、泊まりがてらおいでよ。迎えをやるから」
― はい!
楽しみです!
言っているところへ横から声をかけられたらしく、受話器からデュアンの、え?
なに? ママ...という声が聞こえてきた。どうやら、そのへんにいたカトリーヌがディからの電話と察知したようで、代われと言っているらしい。
― あの、お父さん。ママが話したいって言ってるんですけど
「うん、いいよ。ただ、今の話、きみの都合は大丈夫かな」
― 大丈夫です。たとえ大丈夫じゃなくても、無理矢理大丈夫にしますから
それにまたディは笑って、じゃ、それはそういうことで、と答えた。
「で、ぼくも話したいことがあったから、そこにいるならカトリーヌに代わってくれるかな」
― はい
言って、デュアンが受話器を手渡すと、今度はカトリーヌの声が聞こえてきた。
― ディ?
「うん」
― デュアンと何話してたの?
「ああ、アレクがさ、子供たちのこと話したら会いたいって言うんでうちでディナーってことになって、それでデュアンにも来て欲しいと思ったんだ。あの子の都合は大丈夫みたいなんだけど、別にいいだろ?」
― それは構わないけど...。アレクって、ロウエル卿よね?
「そうだよ」
― う〜ん...
「どうしたの?
何か問題ある?」
― 問題っていうか...。やっぱりそういうことになるのよね、と思って
「そういうことって?」
― でもまあ、仕方がないわね。何をどう言っても、あの子はあなたの子供でもあるんだから
「何?
なんか持って回ってるみたいだけど?」
― 跡取りのことよ。そろそろ結論出さないといけないなって思って、あの子ともよく話し合ったの。それで、一応、デュアンをモルガーナ家に行かせてもいいとは...
「ほんと?」
ディがいつもの彼に似ずいきなり嬉しそうな声を上げるものだから、カトリーヌは、これは本気で跡取りのこと困ってたのねと改めて納得して続けた。
― だーかーらー。一応、そういう結論は出たんだけど、ロウエル卿とディナーだなんてそれはまたとんでもなく豪勢よね。私だって一回くらい、そんなゴージャスなことしてみたいわよ
それを聞いてディは、なるほどデュアンの言う通りだったなと思い、そのうち機会があったらカトリーヌもアレクと会わせてみようと考えている。
― とにかくね。モルガーナ家の跡取りなんてことになれば、今までとそれほど環境が変わるということでしょ?
それもよく考えてはみたんだけど、それがデュアンの生まれつきなら仕方ないなと思って。まあ、あの子もあの子で、私が言うのもなんだけど頭もいいし才能あるし、平々凡々では終われないとは思うのよ。それでも大海に小船を送り出す心境ではあるんだけど、でもまあ、ああいう子だから、それなり乗り切ってゆくだろうし...
「大丈夫、デュアンなら」
― もお、また。自分の都合のいいように...
「それは確かにあるけどさ。でも実際、あの子がうまくやってくれるだろうってことについては、ぼくはこれでけっこう確信してるんだよ。ぼくより、ずっと優秀な伯爵さまになると思う」
― だといいんですけどね。ま、そういうことだから。あなたも肩の荷、下りたでしょ?
「うん、有難う。それにごめんね、無理言って」
― 本当にそうよ、私が一番貧乏クジ。どんなに淋しくなると思う?
分かってるでしょうけど、これはひとつ貸しよ?
「分かってますよ。心して、つけておきます」
― よろしい
「でも、とにかくこれでほっとしたよ。うちの父も喜ぶと思う。もう、すっかりデュアンのこと気に入ってるから」
― それは私も有難いことだなって思ってるわ。でもね、言っておこうと思ったんだけど、あの子の外見に騙されないでね。見た目はあんなでも、あれでけっこう爆弾っ子のサバイバル少年なのよ。とにかく思い込んだら一直線なとこがあって、手を焼くことがあるの
「へえ。まあ、元気のいい子だとは思ってるけど」
― "元気がいい"なんて言ってる間に手遅れよ。例えばデュアンが初めてあなたに会いに行った時、あの時、私言ったと思うけど、私が絶対ダメって抑えてたもんだからあの子、ネットであなたの住所を調べて、自分ひとりでも会いに行くって私にひざ詰め談判だったんだから。それが単なる脅しじゃないから困るのよね、デュアンの場合。それでも私がダメを通そうとしたら、絶対ひとりで行ってたから。間違ってると思うことはしないけど、逆に、自分に理があると思えばとことんなの
「いいじゃない。それは"行動力"ってものだと思うよ?
第一、ぼくは見た目通りに風にも耐えない儚げな少年でしたから、それってきみの血だと思うけど?」
― なーに言ってるんだか。見た目はどうあれ、あなたがそんなひ弱な少年だったなんて私は信じないわよ。そりゃ、私にだってそういうところあるかもしれないけど、私だけの責任にしないでよ
「そうかなあ...」
― それとか、あれは幼稚園の時だったかな。あの子に父親がいないってことで、からかおうとした子がいたみたいなの。でもあの子、昔から私のナイトのつもりらしくて、私が悪く言われると絶対許さないのよね。それでケンカになっちゃって、そこへまた、あの子の友だちがみんな正義漢というか、理不尽を許さないというか。...まあ、類友なんだけど
聞きながらディは笑って言った。
「なるほどね」
― おかげで、デュアンをからかおうとした子の方が逆に吊るし上げ状態になっちゃって、挙句に泣き出しちゃって、先生が気づいて止めに入ったんだけど、理由を聞いたらその子の方が悪いわけじゃない?
それで先生も困っちゃったらしくて...
それへとうとうディは声を上げて笑っている。
― で、一応私に、そんなことがありましたって先生から申し送りがあったんだけど、話聞いてアタマ抱えちゃったわよ。それは、そんな小さな子が私の名誉を守ろうとしてくれたのは嬉しかったけど、結局は集団で逆いじめみたいになっちゃたわけでしょう?
あの子も、勢いで止められなくなったのはマズかったと認めたから、ほどほどにしときなさいねとは言ったんだけど。みんなあなたたちみたいに強い子ばかりってわけじゃないんだからって
「いい友だち、持ってるじゃない」
― そりゃ、確かにいい子たちよ。また、仲がいいのよねえ、類友だから。
「今の話聞いてますます思ったね。確かにあの子は、モルガーナ家の当主に相応しい器だよ」
― また、無責任なことを
「いや、うちにはいろいろと伝説があってさ。そのうち機会があったら聞かせてあげるけど、それは確かにうちの血筋かもしれない」
― ふうん、面白そうね
「ま、それもデュアンの個性として聞いておくよ」
― そうね。まあ、あなたのことだから、たいていのことでは困らないと思うけど。じゃ、後はお任せしますから。でも、会いたいときにはいつでも会わせてくれるわよね?
約束よ?
「もちろん。そんなこときみが心配する必要はなんにもないよ。きみに辛い決断をさせたことくらい、ぼくはよく分かってるつもりだから」
― うん。じゃ、後のことが決まったら連絡ちょうだいね
「はい。これから父とも相談して、お披露目の話を詰めてかなきゃならないんだけど、大体のとこがまとまったらすぐ知らせるよ」
― ええ。じゃあ...
言って受話器を置くと、カトリーヌは大きなため息をついた。デュアンをモルガーナ家に行かせることに決めたと、いつディに話そうかと考え始めていた彼女だが、なかなか自分からは電話をかけられそうになかったのだ。彼女にとってはそれを告げたが最後、デュアンが側からいなくなることが確実になってしまう。それでカトリーヌは、息子が電話で話している相手がディらしいと気づいた時に、もう今の勢いで言ってしまおうと決心したのである。
しかし、電話を切ってからも彼女には自分がデュアンを手放すと口にしたこと自体が信じられなくて、まるで悪い夢の中にでもいるような気分でそこに立ち尽くしてしまっていた。
original
text : 2009.7.6.+7.7.
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