デュアンが居間に戻ってみると、母はお茶を飲みながら考えごとをしているようだった。もちろん、息子をモルガーナ家に行かせるべきか否かということについてあれこれ考えているのだろう。

「ねえ、ママ」

声をかけても母がしらんぷりしているので、これはまだご機嫌はけっこうナナメらしいと悟って、デュアンは側に歩いてゆくと、その横に腰掛けてジャレついた。

「ママってば」

「もお、なによ。いまさら甘えたって遅いわよ。あなたがママのことどの程度に思ってくれてるか、今度のことでよっく分かったから」

「怒らないでよ、ぼくだって辛い立場なんだから。それに、ね? ぼくとママの仲じゃない」

それへカトリーヌはいまいましそうに舌打ちして言った。

「ほらあ、すぐそうやってマネるんだから。ダメよ、あんな男のマネなんかしちゃ。言ったでしょ? 」

「あんな男って、ママ、今でもお父さんのこと大好きなくせに」

「それとこれとは別です! 本当に承知しないわよ、あんなふうになったりしたら」

「だって、お父さんはずっと前からぼくのアコガレだもん。 知ってるでしょ?」

「だから、憧れるのは才能だけにしなさいねってことよ。あれはディだからこそ許される生き方なんだし、あなたには気立てが良くて、可愛いお嫁さんもらって幸せになって欲しいもの」

「ママみたいな?」

「また、そんなヒトを喜ばせるようなことを。そのくらいじゃ、ご機嫌なんて取られてやらないわよ、私は」

「ご機嫌なんて取ってないってば。それに、ぼくにとってママが一番大事なのは単なる事実だもん。だからさっきも言ったけど、本当にママが絶対イヤって言うなら、お父さんには悪いけどモルガーナ家には行かないよ」

それを聞いて、カトリーヌはまたちょっとぐっと来たようだ。

「本当にほんと?」

「うん」

頷いて見せるデュアンに、ほっとひとつ溜め息をついてカトリーヌが言った。

「そう言われると弱いのよねえ、私も。ディの立場は分からないわけじゃないし、あなたが彼のことを好きで助けてあげたいと思ってるのも分かるから」

「だから言ったでしょ? ぼくだって辛い立場だって。どっちも好きなのに、どっちか選べって迫られてもさあ。選べないよ、そんなの。だから、最終的にどうするかはママにお任せしますってコトだよね。でも、そもそもこれってどっちか選ぶって問題かなとは思う。そりゃ、どちらと一緒に暮らすかってことを言えば"選ぶ"ってことになるのかもしれないけど、ぼくにとってママはやっぱりママだし、お父さんはお父さんだもの。それに、何年も会えなくなるとかじゃないんだし」

言われてカトリーヌはまた大きく溜め息をついた。それへ、デュアンが何か思い出した様子で、あ、そうだ、と言った。

「なに?」

「お父さんから伝言があったんだ。"無理言ってごめんねって言っといて"って」

「またぁ、あの男は...」

「え?」

「全く、始末が悪いわね」

「なんで?」

「そんなふうに言われたら、私が無理押しできなくなるタイプって知ってるからよ」

それを聞いてデュアンは笑っている。

「でも、お父さん、あとはママのお心次第とも言ってたよ? お父さんだって本当に無理なお願いしてるって思ってるから、ごめんねって言ったんじゃない?」

「まあね。それはそうだと思うわよ、私も。確かに、類マレないい男よね、そのへん。だからこっちも、惚れた弱みで無理なこと言えなくなるのよ。彼とつきあってた女が、別れても騒動起こさないのはだからこそだなぁ...。ま、バカな女は始めから相手にしてないしね」

それを聞いてデュアンは深く頷きながら言った。

「う〜ん、やっぱり憧れちゃう、そういうの」

「憧れるだけにしときなさいよ、そういうとこは。さっきも言ったけど、あれはディだから許される生き方よ。そりゃ、私だって親の欲目もあるかもしれないけど、あなたには絵描きの素質ってあると思うし、そこそこいいとこまでいけるだろうな、とは思う。でも、彼は"預託者"だから」

「"預託者"って?」

「"天地創造を預託されし者"、昔でいう"預言者"みたいなものね。どこかの哲学者が言ってたの」

「なんか、それってスケール大きい?、分かるような気もするけど」

「"哲学は天地を創造する"、芸術史の核に哲学ありっていうリクツね。一般に絵画は単純な視覚芸術である場合が多いけど、ディは単に絵描きとして才能があるだけじゃなく、哲学的資質がズバ抜けてるのよ。彼の絵を見れば分かると思うけど、視覚芸術としても当然最高峰、だけど、常に詩的象徴性に裏打ちされてるでしょ?」

「うん」

「そういうところが"近代美術の流れを汲む"とか、"バーンスタインの後継者"とか言われる所以よね。そりゃ、マルセル・デュシャンをひとつの起点とする近代美術の流れとディの作品が、バーンスタインを間に置いて深い関連性があることはよく言われる通りよ。でも、デュシャンは最後まで"花嫁"を手に入れることが出来なかったけれど、ディはそれと結婚しちゃったヒトだからね。哲学的資質で言えば、彼の方が断然、格上」

カトリーヌがマルセル・デュシャンの"the bride stripped bare..."に言及していることは、幼い頃からお伽噺代わりに母が面白おかしく語ってくれる偉大な芸術家たちの逸話を聞いて育ったデュアンには当然理解出来ている。ディが感じた通り、見た目に似合わずこの子にはこの年で既に芸術を理解する素地があるのだ。

デュアンが感嘆の溜め息まじりに言っている。

「やっぱり、すごいね、お父さんって」

「うん。だからね、彼がつきあうのは、そのくらいのことは理解できる程度のアタマはある女ばかりよ。私も含めてそいう女には彼が"預託者"と呼ばれる種類の人間だってことも、まあ、分かるでしょう。彼が"結婚"を必要としない理由もね。モルガーナ家の一人息子っていう生まれつきよりも、そんな才能を生来背負わされてるってことの方が、よほど重いんじゃないかと思うわ、私は」

母の言うのへデュアンは真面目な顔で頷いている。それへ、ちょっと重い話になってしまったのを吹き飛ばすようにカトリーヌが言った。

「あ〜あ! 結局、あんな男に惚れたのが運のツキ、っていうヤツですかね、こりゃ」

「もぉ、ママったら」

「ね、デュアン」

言いながら彼女は横に座っている息子を抱き寄せた。

「なあに? ママ」

「もしね」

「うん」

「万一にも、よ? まだ決めたわけじゃないんだから」

「はいはい」

「万一、モルガーナ家に行くことになっても、絶対に、絶対に、ママのこと忘れたりしない?」

「しないよぉ。当たり前じゃない」

今は迷いのないその答えにカトリーヌは頷き、デュアンを抱きしめてしばらく放そうとはしなかった。

original text : 2009.2.23.+2.27.

  

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