「それでね、デュアン」
「はい」
「今日はぼくはきみにお願いがあるんだけどな。聞いてくれる?」
マイラからの断りの電話を受けてからまた数週間後。久しぶりにディのところに遊びに来たデュアンとお茶しながら、いつものように二人であれこれとりとめのない話を楽しんでいたのだが、ふいにディがなんだか改まった調子で言う。あれ?
何だろうと思いながら、デュアンはなんですか、と尋ねた。
「この前きみもおじいさまが言うのを聞いてたと思うけど実はうちの跡取りの話なんだよ」
「跡取り?」
「うん。ズバリ言うけど、モルガーナ家を継いでもらえないかな」
アンナやファーンとも話した結果、メリルがダメでデュアンがどちらかを継ぐということならなおさら、自分より年下の弟に馴染みの薄い外国に出ろというのは可哀想だろうとファーンの方が言い出したのだ。それに彼も、モルガーナ家のような芸術の世界と関わりが深い家は、自分よりもそちらに才能や造詣がある者が継ぐ方が良いだろうというのもロベールと同じ意見だったようだ。それで、自分は先に決めた通りでかまわないので、デュアンの希望を先に聞いてやってくれないかという返事が返って来た。それでディは、本日、このようにしてデュアンに改まってお願いしているのである。
本来ならまず、カトリーヌに話してその意向を聞くべきところなのだが、ディには彼女の性質がよく分かっている。他の二人の母親たち同様、まったく伯爵夫人の地位なんてものには興味がない上、デュアンの話を聞いていると、二人は母子というより姉と弟のように仲良しらしいのだ。それも考え合わせると、純粋でちょっと子供っぽいところのあるカトリーヌが、そう簡単に息子を手放そうとはしないだろうとディには思えた。しかし、今度はこちらも絶対にあっさりお断りされるわけにはゆかない事情がある。それでディはカトリーヌより先に、既に自分にすっかり懐いているデュアンをまるめこむ作戦に出たのだ。
「え、あの...。でも」
ディはデュアンの機先を制し、どうぞ宜しくお願いしますと非常に丁寧に言った。
「ちょっ...。ちょっと待ってください、お父さん。お願いって、そんな...」
デュアンは慌ててそう言ったが、何より不思議だったのは、なんで自分にそんな話が回って来たのかということだった。
「えっと、あの...。なんでぼくなんですか。メリル兄さんやファーン兄さんもいるのに」
「白状するけど、ぼくはメリルに嫌われちゃったみたいでね。あの子が長男ということもあるし、先に打診はしたんだよ。でも、お断りされちゃって。ま、こんな父親ってのが許せなかったんじゃない?」
ディが言うとデュアンはしばらく考え深げに首をかしげていたが、納得したような顔で頷きながら答えた。
「...そうかもしれませんね。まじめな方みたいでしたから」
あまりにあっさり納得されて、ディはちょっと唖然としている。
「どうかしました?」
「いや...」
ディはデュアンがメリルと個人的に話して、兄が彼に反感を抱いていると目の当たりにしていることを知らない。それで余計、デュアンの反応が意外だったのだろうが、う〜ん、ここで抗議した方がいいのか、ご機嫌を損ねないように素直に承っておいた方が有利なのか、ちょっと考えてから控えめに言った。
「もう少しなんとかフォローしてもらえるかと思ってたもので」
「あ、ごめんなさい」
「いいけど。で、どう?
聞いてもらえるかな、ぼくのお願い」
「そうですね...。ファーン兄さんはおじいさまが後を継いで欲しいと思ってらっしゃるみたいだったし、そうするとぼくしか...」
またしばらく考えこんでから、ふいにデュアンはディを見て言った。
「他に、いないんですか?」
さすがにこういう無邪気なつっこみには備えていなかったディは一瞬彼らしくもなく固まり、それから、ぼくの知る限りでは、と答えた。
「なるほど、それは困りましたね」
デュアンは更にしばらく考え込み、それから、でも、ぼくに出来るでしょうか、と尋ねた。
「大変なんでしょう?
やっぱり伯爵さまって」
それへディは、こともなげに答えている。
「いや、大丈夫。ぼくで務まってるくらいだから」
「あ、そうか。お父さん、気楽そうにやってますもんね。それなら...」
これがかなり失礼な発言であることが分かっているのかいないのか、さっきのも含めてわざとなのか失言なのか、それとも単に、ディが画家としての仕事をしながらでも、特に苦労している様子もなくやっているのを見て言っているだけかもしれないが、それにしても、どうもこの子は無邪気なのか、作為的にそう見せているだけなのか判断のつかないような時がたまにある。なるほどこれはぼくの息子だと前から時々思うことがあって、そのたびにディは可笑しくなってしまうのだが、可愛らしくてモノ言いも丁寧なくせに、ちょっと何を考えているんだか、というようなところがあるのも、逆にディはけっこう気に入っていた。
そのへんも含めて改めて考えてみると、この子にはなかなかめんどうな「伯爵家の主人役」をうまくこなせそうなしたたかなところがありそうだ。生真面目で駆け引きが苦手そうなメリルよりも、むしろ向いているかもしれない。
「ああ、でも。ぼくは良くてもママが...」
「カトリーヌ?」
「ええ。だって、やっぱり跡継ぎってことになったら、ママのところを離れることになるでしょう?
ママってぼくがいないと家の中のこと、全然分からないヒトだし、淋しがるだろうし...」
「それはそうだろうけど、きみが引き受けてくれるんなら、カトリーヌはぼくがなんとか説得するよ。彼女から離れるのはきみがもっと大人になってからだっていいんだし」
言われてデュアンは考え深げに頷いている。
「いちおう、ファーンはおじいさまの後を継いでもいいって言ってくれてるんだ。だからあとはこっちだけなんだけど、困るんだよねえ、きみにまで断られると」
「それはそうかもしれませんけど、でもぼく、上流社会のことなんてなんにも知りませんよ?
ファーン兄さんみたいにこういう世界で育ったんだったら、何も問題ないんだろうけど」
言われてディは改めて、確かにそれはあるかもと考えている。彼は自分もファーンと同じように貴族社会で育っているから特にそこまで気は回さなかったのだが、これで普通に比べるとなんだかんだと厄介な世界だ。つきあいだの慣習だの、あれこれの行事だの集まりだの、幼い頃から馴染んでいるとそうでもないが、一度に覚えようとすると大変かもしれない。それこれあるから寄宿学校のようなところが必要なのでもあるし、ある程度の年令になると社交界に出て経験を積まなければならなくもなる。
「そこまでは考えてなかったな。でも、きみの言う通りかもしれない」
「そうするとやっぱり、お父さんのところに来た方がいいってことになりますよね?」
言われてディはちょっと考えてから答えた。
「でもまあ、そうなるにしても市内からうちまではクルマで1時間ほどの距離だし、いつでもきみの好きな時にカトリーヌに会いに行ったっていいんだから。そのへんは、きみさえOKしてくれたら、ぼくが彼女と話し合うよ。だから、なんとかお願いします。今となっては、きみだけが頼りなんだよ」
ディは言って、祈るような仕草をした。
「もぉ、お父さんったら。そんな風に言われたら断りにくくなるじゃないですか」
「断られたら困るからこうやってお願いしてるんじゃないですか」
自分の口調をディが真似るので、デュアンは思わず笑っている。会う前に持っていたイメージでは、冗談なんて言いそうもない感じだったのに、日頃話していても、ディはこの調子でよくデュアンを笑わせてくれるのだ。そんなだから、ほんの短期間ですっかり親しくもなれたのだろう。
もちろん今でも彼を尊敬していることに変わりはないし、近しく知れば知るほど折にふれて"やっぱりすごい芸術家"と思わされることもしばしばだが、それ以上に今ではデュアンは彼のことを父として母と同じくらい好きになってもいた。会う前は"大画家"というかなり遠い存在だったものが、今ではすっかり"大好きなお父さん"になっているのだ。
そんな彼の願いだからこそ聞いてあげたいし、確かに自分まで断ったら、お父さんもおじいさまも困るんだろうなということは分かったので、また少しどうしたものかと考えてからデュアンはディを見て言った。
「じゃあ、ママとも相談してみてからですけど、そんなに困ってらっしゃるなら、ぼくとしてはお受けしてもいいかなって思います」
後で考えると、ディがあっさり"ぼくでも務まる"と無責任に言ったこともあって、この時のデュアンは本当にモルガーナ家のような大家を継ぐことの大変さを分かっていたとは言いかねる。それが分かるには、まだ本当に幼かったのだ。しかし、その一言を待っていたディは喜んでそれに飛びついた。
「本当?」
「ええ。でも、ママがもし...」
「カトリーヌのことはぼくに任せておきなさい。必ず説得してみせるから」
「じゃ、今日帰ったら、話してみます。お父さんにお願いされちゃったって」
「うん。ぼくがいきなり話すより、先にきみに切り出してもらった方がいいかもしれないね。ぼくからは、明日にでも電話するよ」
「はい」
とりあえず、デュアンのまるめこみは成功したようだ。こうやって本人の言質を取っておけば、カトリーヌにも切り込み安くなる。それに、自分がそんな話を直接持ってゆこうものなら、彼女がどう反応するかもディにはなんとなく分かっていた。たぶん、"そんな酷いことってな〜い"と言い出し、イヤイヤイヤと来るのにまず間違いはない。そんなちょっと駄々っ子のようなところがつきあっていた頃は返って魅力的ですらあったのだが、今回に限り、出来るだけ話がこじれないように冷静でいてもらわないと困るのである。デュアンが間に入っていれば、息子の手前、彼女もそうは子供っぽく振舞えないはずだ。
たいていの場合、ディはこうやって相手の立場や気持ちを読み、思う通りに転がるように謀略を巡らすのがキライではない方だが、長年大切に育ててきてくれた母親から子供を横取りすることになると思うと、さすがに彼もうしろめたい気持ちにはなった。しかし確かに、モルガーナ家に約一名様限定で跡取りが急募なのは切迫した現実だ。条件としてはやはり血縁を重視せざるを得ないし、また、貴族の家に相応しい器であるかどうかということも問題になる。例え血の繋がりがあっても、財産に執着して取り入ろうとしてくるような者では論外だが、その点、三人ともが性質的にも十分に合格点を出せる子供たちであるようなのは有難い。
それもあるからディとしても三人のうち誰かが継ぐことになってくれればそれに越したことはないわけだが、その上、万が一にもデュアンにまで断られたりしたら、また父が結婚しろのどうのとうるさいのに決まっている。ディにしてみれば、ここまでお気楽にしたい放題で生きてきて、よほどの女性が現れれば格別、今更、跡取りのためにめんどくさい結婚だの家庭だの、ふるふるごめんというのもあったから、ここは心を鬼にしてカトリーヌに納得してもらうしかない。それに、マイラをはじめ、子供たちの母親がとてもよく出来た女性であることはロベールに言われるまでもなくディ自身が一番よく分かっている。その彼女たちとでさえ家庭を持とうと思わなかったのだから、彼が結婚しないのは相手が優れているかどうかという問題ではなく、ディ自身の性質によるものかもしれなかった。
どちらにしても、これまで跡取りのことなど漠然としか考えてみなかったディだが、事実は自分には既に三人の息子がいるんだからということも、彼ののんびりの原因のひとつではあったようだ。自分でも気づいてはいなかったが、話が現実的なものになってくると、確かにそれはあったかもなと思う。ともあれ、何事にも時期というものがあり、話は既に転がり出しているのだ。そうである限り、結論もおのずと出てくることにはなるだろう。
original
text : 2008.9.22.+9.23.+9.27.
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