真夜中もとっくに過ぎて、子供たちにはすっかり遅い時間になったが、そもそも眠れる気分ではないところへ持ってきてベッドひとつないと来ている。昨日も一昨日もソファにかけたまま寄り添って、明け方うとうとするくらいしか出来なかったが、今夜も二人はまるで眠れそうになかった。それで、何か楽しいことを考えていれば気がまぎれるかなと思ったデュアンは、エヴァの気を引き立ててやるためにも話題を見つけて話しかけてやっていたのだが、それすら尽きてきて途切れがちになった頃、見張りがいる以外はしんとしているはずの扉の外で、微かではあるが明らかに異音が聞こえた。二人ともそれに気づいて顔を見合わせたが、それからドアの鍵を開ける音がしてそっとノヴが回される様子があったので、デュアンはさっきのような奴らがまた何かしに来たのかもしれないと思い、もしそうならエヴァをかばわなくてはと立ち上がって様子を伺っている。

しかし、静かにドアを開けて入ってきたのはさっきのように無礼な感じのする男たちではなかった。シンプルな戦闘服とよく訓練された身のこなしからは明らかに軍人と分かるが、デュアンたちがここに連れて来られてから見た連中とは全く質が違っている。

入ってきた長身のまだ若い男は、デュアンたちを見て安心させるように笑顔を浮かべ、それから口の前で人差し指を立てて見せた。子供たちにも十分その意味するところは伝わったようだ。デュアンはもしかして助けに来てくれたのかもと思って、半信半疑ながらも頷いている。続いて入ってきたもう一人が素早く扉を閉め、最初の男がデュアンたちにさっと近づいて来た。ブラウンの髪は軍人としてはちょっと長めに切っているかなと思わせるが、ひとなつっこい茶色の瞳の印象も手伝って、子供たちにも彼が敵ではないことが分かった。

「デュアンくん?」

「はい」

「それから、エヴァちゃんだね?」

「ええ」

「私はケネス・ウィンスロー、彼はフィリップ・ルロワ。我々二人ともロウエル卿のところで働いています」

「アレクさんの?」

言ってデュアンはほっとしたような笑顔になり、それからエヴァを見て安心させるように頷いて見せた。

「ええ。ロウエル卿とルーク博士、アリシア博士、それにお父さまのモルガーナ伯爵も近くに来られています。もう、心配することはありませんよ」

「ディ...、お父さんが?」

「はい。とにかく早くここを出ましょう。1階には敵が大勢いるので、2階の窓から脱出することになりますが、怖いですか?」

言われてデュアンは即座に首を横に振った。

「ぼくは大丈夫だと思います。でもエヴァが...」

「私だって大丈夫よ。デュアンがやるなら、私もやる」

デュアンのエヴァを気遣う様子と、彼女のはきはきした態度にケンも好感を持ったようだ。それへにっこりして頷いている。

「私が先に出て支えますし、下にもちゃんとサポートがいます。降りてしまえばこちらのものですから、頑張って」

二人はそろって、はい、と答えた。

話が決まればこんなところに長居は無用だ。ケンが合図すると後ろにいたフィルは扉をそっと開き、外の様子を伺っている。しばらくしてどうやら安全と判断したらしく、彼はケンの方を見て頷いた。

「さあ、行きましょう」

エヴァの手を引いて二人と一緒に外に出たデュアンは、いるはずの見張りの姿がないことに気がついた。それに不思議そうな顔をしていると、ケンが聞く前に答えてくれた。

「見張りなら、そちらの部屋でちょっと眠ってもらっています。しばらくは起きないと思いますよ」

さっきの微かな物音はそれだったのかと納得してデュアンは頷き、その後は何も余計なことは気にせずに、エヴァを守ってケンたちに着いてゆくことに専念しようとした。それでも狭い部屋に二日も閉じ込められていたせいか、広い廊下に出てくるとなんだかとても無防備な感じがして、廊下の端にある階段までの距離がずいぶん長く感じられる。3階には誰もいない様子ではあるのだが、もし見つかったらという気がするせいもあるだろう。しかし今では自分たちを守ってくれる大人、それもアレク配下ということは精鋭中の精鋭なんだろうと分かる二人がいてくれるんだと思うと、さっきまでよりはよほど気が楽になっていた。それにも増して、ディがすぐ近くに来ているということが、デュアンには何よりも心強く感じられている。なにしろこの二日というもの、自分の無力のせいでエヴァを守りきれなかったらという不安がずっとつきまとっていたのだ。でも、もうこれで大丈夫、デュアンは自分にそう言い聞かせながら彼女の手をしっかり握り、ケンの後ろにぴったり付いて歩いていた。

しかし、こういう時に限って不測の事態というのは起こるもので、なんとか2階の踊り場まで辿りついた時、先を歩いていたフィルが並んでいる部屋のどれかで微かに人の歩く気配に気づいて後ろの3人を止めようとしたのだ。しかし、それはあまりにもふいだったので間に合わなかった。4人が身を隠すより先に一室のドアが開き、仮眠していたらしい敵の一人ともろにはちあわせしてしまったのである。こうなってしまってはどうしようもない。1階に降りれば敵の真っ只中に少ない戦力で突っ込んでゆくことになるし、2階から脱出するという計画ももちろん諦めざるをえない。しかし、アレクたちとかねてから詳細に打ち合わせていたケンたちの対応は素早かった。

彼らはデュアンとエヴァの手を引いて3階に駆け戻り、最もたてこもりやすいと思われるデュアンたちが元いた部屋に飛び込んだ。そうしながら、既に緊急信号を飛ばしている。この部屋は両翼の階段から遠い3階の中央部分にあるので、それもあって子供たちを閉じ込めておくのに選ばれたのだろうが、ケンたちにとっては逆に敵の戦力を殺ぐのに都合が良かった。

「中尉から緊急信号が入りました。緊急事態発生、通信管制解除要請です」

無線機にとりついていたルイが言うのへ、近くで家の様子を見ていたアレクとマーティア、それにクリフはそちらへ飛んで行った。アリシアとディも後に続く。マーティアがルイからマイクを受け取って言っている。

「ケン、何があった?」

「2階で敵とはちあわせです」

「大ドジだな」

言いながらもマーティアの声は笑っている。そういうこともあるだろうとは予測していたのだ。

「申し訳ありません」

「デュアンたちは?」

「無事です。我々と一緒にここにいます」

「よし、そっちは子供たちを守っててくれればいい。後はおれたちでなんとかする」

「はい」

言って、マーティアは判断をあおぐように側にいるアレクを見た。しかし、その一瞬のスキにアリシアがマイクをひったくると、さっさと指示を出している。

「ケン、以後プランBに移行。了解?」

それを聞いてケンは即座に了解、と言ったが、その声はさっきまでよりちょっと嬉しそうで、それに力強く響いてきた。これまでのプランAと今アリシアが命じたプランBでは本質が違うのだ。ケンにとってはそちらの方がよほど本領発揮だろう。軍人として指揮系統に組み込まれている限り上からの命令は絶対だし、止まれと言われれば止まり、動けと言われれば動く。ケンにしても優秀な兵士である限りそれはもちろん徹底していて、有能で礼儀正しいことにかけても一級品だ。しかし、それでも彼ばかりではなく敢えてこんな仕事をしている連中などというものは、本質的に少なくともその極道ぶりでテロリストと選ぶところはない。また、それでなければ兵として使いものにはならないだろう。従ってアリシアの一言は、虎を檻から解き放ったも同じだった。

アリシアはマイクをマーティアに返すと、ちゃっかりその場を離れていたが、踏み込むことになったからには、彼にもそれなりの準備があるのだろう。一方、マイクと指揮権をひったくられたマーティアとアレクは、しかし怒るようでもなく顔を見合わせている。彼らにとっても判断には変わりがないのだが、内容が内容だけにマーティアは即断しかねたのだ。アレクが言っている。

「プランBって、アレ?」

「そう、アレ」

「何? プランBって。打ち合わせにはなかったけど?」

ディの問いにマーティアが答えた。

「Aは爆発物不可で、極力敵を殺さない。Bは爆発物OKで、場合によっては敵を射殺してもよし」

「...ハードだね」

「かなり。だから、うちのこういう作戦行動の場合は特に指定しない限りAが基本なんだ。一応、こっちも企業だから、例え敵が今度のような連中でも、あまり派手に人死にを出すのは避けたいわけ。だからと言って、相手によってはいつもいつもそう紳士的にはやっちゃいられないけど」

マーティアが言うのへアレクが補足した。

「でも、実際に動く連中にとってはそっちの方がよほど楽なんだよ。敵の心配までしてやりながらじゃ、戦いにくいことこの上ないからね」

ディは納得して頷いている。

「さて、じゃあちょっと暴れてきますか」

マーティアが気合いを入れるように言う横でディが、じゃ、ぼくも、と言ったので、マーティアはやっぱりか、という顔をして彼を見た。

「だめ」

「いいじゃない。ぼくの息子のことなんだから、参加くらいさせてくれたって」

「これだからっ、連れて来るのはイヤだったんだ。ここまで来ちゃえば、行くなと言っても行くに決まってるんだから!! なんとかしてよ、アレク。縛りつけて転がしとくって言ったじゃない」

「仕方がない。じゃあ、責任を取っておれも行こう」

「ああもう!」

アレクが言うのを聞いて、マーティアは頭を抱えた。

「必ずこういうことになると思ったんだおれは!もう好きにしてっ! 心配するだけバカバカしくなってきた」

「ちょっと待って下さい!」

横から割って入ったのはクリフだ。ディが行くと言うのをマーティアもアレクも本気で止める気がなさそうなのによほど驚いたのだろう。

「伯爵、危険過ぎます。どうか、やめて下さい」

言われてもアレクとマーティアは、まあ当然の反応だろうなと思ってどう説明したものかと首をかしげている。ディも何も言わなかったが、装備を終えて戻ってきていたアリシアが口を挟んだ。

「クリフ、ディはぼくの射撃の先生だったんだ」

アリシアの言うのを聞いてクリフはちょっとぎょっとした様子になった。アリシアがマーティアともどもクリフたちでさえどうかすると太刀打ちできないようなグッドショットなのをよく知っているからである。それへアレクが更につけ加えた。

「それにきみはおれが軍人上がりだってことを忘れてるようだな」

言われてクリフにも彼らがディを是が非でも止めようとしない理由が理解できたらしい。そうまで言うならお手並みを拝見しようとばかり、彼は不敵な微笑を返して最敬礼で答えた。

「失礼しました、大佐。差し出口でした」

クリフが納得したと見てアリシアが言っている。

「ほらほら、こんなとこでモメてるヒマはないんじゃない? だーっと行って、ばーっと蹴散らして、奥からあのクソガキ担いで出てくればいいだけじゃない。楽勝、楽勝、さっさと行こうよ」

その言い方にかなり険があるような気がして、アレクはマーティアに尋ねた。

「アリシア、いつにも増して辛辣じゃない?」

「まあ、いろいろありまして。後で話すよ」

結局、子供たちの救出に当てた4人を除いても、こちらはクリフたち4人に加えて、アリシア、マーティアばかりではなく、ディやアレクまでフル参戦することになったのだから、かなり有利にはなったわけだ。しかしまだ一部、問題が残っているようだった。

アレクはさすがに、最初は一緒に踏み込むつもりはなかったので、護身用に愛用のSWを身につけているだけだったが、行くとなった限りは弾薬類がまるで足りない。それでそれをまとめて置いてあったところへ歩いて行ったのだが、ルイがついてきて言っている。

「やめて下さい、アレク。代わりにぼくが行きますからここにいて。危険なんですよ? 」

「何が悲しくてこんなとこで見物してなきゃだよ。楽しいパーティなんだから参加しなくちゃ損じゃないか。きみはココで無線係をやってなさい」

「またそんなことを言って、おいてけぼりにしようったって...。本当に弾が飛んでくるんですからね。立場を考えて下さい、立場をっ! 今度という今度は絶対行かせるわけにはいきませんっ!」

「うるさいな。もうこうなったらこれは命令だ。言うこと聞かないんなら解雇してやる。これからもおれの側に居たかったら、言うこと聞いておとなしくココにいろ。誰かが無線のお守りをしてなきゃならないんだからな」

「もお! いいトシして駄々っ子なんだからっ!どんなことになったって知りませんからねっ!!」

一方、アリシアとマーティア、それにディは既にクリフたちと一緒に建物の方へ歩き出していたのだが、ディがアレクの遅れているのに気づいて言った。

「向こうでもなんかモメてるけど?」

「ああ、ルイはおれ以上の心配性だからなぁ、止めてるんじゃない?」

「きみは止めないの? いちおうアレクはIGDの総大将なんだし、ぼくもキングが一緒に殴りこんでどうするって気もしないではない。チェスにだって、そんな手はないよ」

「止めようとするにはアレクを知りすぎてるってゆーか。ディだって止めようとは思わないでしょう?」

「それは確かに。あれでけっこうやりたいようにしかやらない奴なんだよな、アレクって」

「そうそう、止めるだけムダっていうか...。アレク!来るんならさっさとしなよ。置いてくよ!」

マーティアが声をかけるとアレクはすぐ行くとばかりに手を挙げて見せ、ルイを振り切ってこちらに歩き出した。

「あ、ディ、はいこれ」

アリシアが思い出したようにディに持ってきていた補充用の弾薬を渡している。彼の愛用しているコルトで使えるものだ。

「有難う。足りないかと思ってたとこだったんだ」

それへマーティアがいまいましそうに口をはさんだ。

「全くもお、 最初からそのつもりだったんだろ? 銃を持って来てるなとは思ってたんだ」

「単に護身用のつもりだったんだよ。なにしろこんな場所だし」

「はいはい、そうでしょうとも!」

こうして8人が正面切って、もちろん裏に伏せていた二人もそちらからなぐりこみの態勢に入った頃、建物内では当然のことながら侵入者に対する攻撃が始まっていた。ケンはフィルに部屋の中で子供たちを守らせ、自分は扉の外でタイミングを計っていたが、片側の階段から大勢が上ってくるのを見計らってウージーの一連射をお見舞いして足を止め、もう片方は手榴弾一発で階段ごとつぶした。そして素早くフィルと一緒にソファと、窓の前に置かれていたカップボードで扉にバリケードを築く。これで階下で大騒ぎが始まるまでは、なんとかもつだろう。

しかし、この騒ぎに子供たちがさぞや脅えているだろうと気になってそちらを見ると、案に相違してデュアンもエヴァも顔を輝かせ、わくわくした様子で頷きあっている。どうやらどちらも根性の据わった子供たちらしい。これにもケンは好感を持ったようで、その様子に微笑していた。

「これから、どうなるんですか?」

近づいて行ったケンにデュアンが尋ねている。

「我々の仲間と、それにルーク博士、アリシア博士が一緒に下から攻撃をしかけてきます。当面それで、敵はこちらに手が回らなくなるでしょう」

「アリシア博士も?」

「はい」

これはデュアンにはちょっと意外だった。ディに関して正面きって宣戦布告しているデュアンのことを、アリシアはなまいきなヤツとか言って、いつもいじめてくれるからだ。

「階下で制圧してくれれば、難なく降りることができると思いますが、万一、敵がここに侵入して来るようなことがあったとしても、その時は私たちがいますからね」

敵に発見されてからこっちのケンの的確な対応を既に見ているデュアンたちには、これほど力強い味方はないと思えている。それに、さすがにアレクたちのやることで、あらゆる場合に備えて対応が打ち合わせされてもいるらしい。それでデュアンもエヴァも、もう殆ど助かったつもりになっていて、映画を見るようにその後の展開に期待しているようなのがケンには可笑しかった。それにしても、さすがにモルガーナ伯爵家の後継者だけのことはある。なかなかこの子はオオモノらしいぞとも彼は思っていた。

original text : 2008.3.18.〜3.20.

 

   

© 2008 Ayako Tachibana