★何のことか分かりますか★ パノー、メリカ、ダ、フィウム、バタン、ドォー、ワイト、ストー、チャノー、フロォー これらは、皆さんがよく知っている単語なのですが、口頭で発音された時には、ほぼこんな風に聞こえてきます。耳から入って来た時に、何のことを言っているのか認識できるでしょうか。解答はこのページ一番下をご覧下さい。 解答をご覧頂ければ分かると思いますが、これらは我々が日常よく使っている英単語ではあるものの、全て既に日常語になりすぎているがゆえに発音そのものが本来のものとは全く違ってしまっていて、従って、英会話において相手が「正しい英語発音」でこれらの単語を発声した時、それを知らない方は何を指しているのか認識するのが困難になってしまうのです。
★なぜ、聞き取れないのか★ 簡単なことです。それは発音を無視して単語を覚えているからです。これで聞き取ろうという方が無理な話ではないでしょうか。よく知っているはずの、頻繁に出てくる単語ですらそうなのですから、これが頻度の低い単語になれば尚のこと認識が出来なくなってしまうのも仕方のないことでしょう。 人間の脳は、提示された情報と脳内に蓄積されている情報とを照合することによって認識に至るというメカニズムを持っています。従って、予め脳に正しい情報がインプットされていなければ認識を得ることは出来ません。ヒアリングの場合、照会されるのは音声情報ですから、例えその単語のスペルや意味を記憶していても、正しい発音が同時に脳内に記録されていなければ照合不可となり認識に至りません。 英語教師でありながらコミュニケーション能力がない人がたくさん教壇に立っている事実は周知の通りですが、これは言語の習得において重要とされる「聴く、話す、読む、書く」のうち聴覚的要素(聴く、話す)が、「学校英語」におけるカリキュラムでは著しく軽んじられているという事情と通底しています。平たく言えば、学校で6年も英語を習いながら、マトモな発音が習得できる環境にないわけですから、我々が英語の聞き取りができないとしても仕方がないでしょう。それは状況の犠牲となっているというべきもので、決して「英語の才能がない」ということではないのです。逆に言えば、「聴く、話す、読む、書く」がバランスよく配合されたカリキュラムで学習しさえすれば、殆ど誰にでも英語を習得することは必ずできます。
学習カリキュラムには 4つの要素がバランスよく配合されなければならない
また、発音を正しく記憶することは、言うまでもなく、こちらが話す場合でも大切なことです。「通じる英語」とは、「正しく発音されている英語」であるとも言えるでしょう。昔、「海外旅行に行ってフィルムを買えれば、英語に関しては一人前だ」という笑い話のようなバロメーターがありましたが、これは当時の日本人が「フイルム」と「イ」を母音としてはっきり発音するのが一般的であったために、今よりもなお通じにくかったという事情を背景にしたものだと思われます。 ネイティヴ・スピーカーの脳内では、「film」に対応する音声情報として「フィウム」とか「フューム」という音が記録されているわけで、それに対して「フイルム」という情報を提供しても、認識照合がスムースに行かないのは、これまた当然といえることです。もし我々がカタコトの日本語しかできない外国人から「ホヤはドコですか」と尋ねられたら「?」となるでしょう。向こうは「ホンヤ」と言いたかったつもりでも、提供される音声情報が正確でないと認識が出来なかったり遅れたりするのは我々だって同じなのです。従って、「通じる英語」を目指すなら、まず、常日頃から発音を意識するということが絶対条件となります。 「日本人の声帯は欧米人と違っているので、英語の発音は無理」という迷信もありますが、しかし、よしんばそれでいくらか発音が不完全になることがあるとしても、ペタペタの日本訛りを直そうともしない言い訳にはなりません。また、正しく学習すれば、限りなく欧米人に近い発音は可能なのですから、やろうとしないのは単なる怠慢というものでしょう。
★単語を単体で覚えるのはナンセンス★ さて、「単語を覚える時は発音もきっちり記憶する」ということの重要性はお分かり頂けたと思いますが、しかしはっきり言って「単語単体を別々に覚える」なんてのはナンセンスきわまりないやり方です。こういうことをやっていいのは、既に相応の知識の蓄積がある上級者だけと肝に銘じておいて下さい。 一般に、日本人は「学校英語」の悪しき影響もあって、英語をまず日本語に置き換えて理解しようとする傾向が決定的にあります。また、英語を話そうとする時にも、まず日本語でこう言うから、これと同じ意味の英単語はこれなので、文法的にはこう並べて...、なんてことをやってしまいます。しかし、コミュニケーションの場においては、これでは理解にも発言にも時間がかかりすぎてしまうのです。 単語単体を覚えるという行為は、実際に使おうとする時にそれを文法に従って並べるという手順を踏むことを前提としています。それならなぜ、始めから並んだまま記憶しておかないのでしょうか。 つまり、実際に話す時には単語単体で用いることは絶無で、必ず何らかのフレーズに組み立てなければならないわけですから、従来の学習方法では、元々は並んだ状態で使われている言葉を一旦バラして覚えてから、文法に従って改めて組み立てるという方法が取られていることになります。しかし、日常よく使われる表現をフレーズ単位でまるごと記憶してしまえば、そのフレーズには予め、単語、文法、熟語という従来バラバラに学習している要素が、全部ワンセットで組み込まれているのです。単語を別々に覚えても、フレーズ単位で覚えても、英単語が記憶されることに変わりはありません。それなら、全部ワンセットになっている方がオトクというものではありませんか。しかも、日常の場面場面において習慣的に使われる表現なら、その場面に出くわした時にそのまま使えるというメリットもありますし、それはそのまま英語らしい言い回しになっているのも当然のことです。 これらに加えて、前後の単語に影響されて、単語の発音は変わる場合がありますし、アクセントは移動する場合があります。また、フレーズ単位で記憶すれば、単語単体には含まれていない重要な要素「イントネーション」を、一緒に習得することもできます。それに、英語独特の表現で、単語単体や熟語の意味だけ知っていても理解できないものも多くあります。これらは、単語や熟語だけを単体で記憶している段階では、出てくることすらない要素だと言えるでしょう。従って、コミュニケーションに有効な実用性のある英語を習得するためには、単語も熟語もフレーズに仕立てられている状態で記憶してしまうのが最も実用的と言えます。もちろんそのフレーズは、日常実際に使われている表現である必要があるでしょう。 従来から、「海外旅行英語」などのように、その場面で通用するフレーズを付け焼刃で覚えるという方法もないではありませんでした。しかし、これに対しては「その場面でしか使わない言い方をいくら覚えても、他の場面では役に立たない」という、一見正当に見える反論がありました。けれどもこれは、覚えるフレーズがせいぜい100とか200とかの場合で、1000、2000、3000という単位になってくると、単語数とともに、フレーズに入った時の単語の発音、アクセントの変化、イントネーションや冠詞、前置詞、更には英文の構造についての情報が同時に蓄えられてゆくことになります。これらについて文法的な分析を行うのは後(上級者になってから)で構いません。理屈ぬきで、実際にどのように使われているかを先に記憶してしまうのです。特に、冠詞や前置詞は日本人が一番苦手なところですが、どういう時にどの冠詞や前置詞が用いられているかということは、感覚的に認識する方が理屈を覚えるよりよほど早く理解でき、実用性もあります。 <<どっちがオトク?>>
「その場面でしか使わない言い方をいくら覚えても、他の場面では役に立たない」と考えて、単語や熟語を覚え、それを文法に従って組み立てるという方法が一般的に行われているわけですが、実はこれには意外な落とし穴があります。この方法は、「日本語に対応する英単語を文法に従って並べれば、それは必ず同じ意味として伝わるはずだ」という誤った前提のもとに組み立てられているために、その英文が「通じない英語」になってしまう場合がままあるということです。英語には英語らしい言い回しや英語独特の言い回しというものがあって、単語や熟語を意味だけ合わせて文法通りに並べてもニュアンスが違っていたり、日常では実際にそんな言い方をする習慣がなかったりすることがあり、こうなると、単語も文法も合っているのに「ヘンな言い方」だったり、イミが伝わらなかったりしてしまうんですね。こういった不都合を解消するためには、やはり実際に用いられているフレーズをそのまま大量に覚えてゆくことによって、言い回しやニュアンスを感覚的に習得してゆく他の方法はありません。 この項目の最初のところで、「単語単体を別々に覚えるなどということは、既に相応の知識の蓄積がある上級者しかやってはいけない」というようなことを書きましたが、それは実用的なフレーズのパターンが十分な数アタマに入っていれば、英語的な感覚が既に養われており、従ってそのフレーズの中で一部の単語を置き換えるだけで、いくらでも言いたいことが言えるようになっているからです。ここまでになれば、自動的にフレーズに組み立てるデータが蓄積されているということなので、もうフレーズ全体を覚えなくても、単語や熟語単体を増やしてゆけば良くなっているのですね。そういった基礎もないのにいくら単語を覚えても、実際に使うためのデータが欠落しているのですから、それは殆どムダというものです。また、文法にしても、十分なデータが脳に蓄積された状態で分析結果としての文法を研究するのと、データもないのに分析結果だけ理解しようとするのとでは、認識に大きな差が出ます。 ということで、まずは実例データを脳にインプットすることから始めることが大切だと言えるでしょう。
★始めに口語ありき★ どうも「勉強」というと「難しくないといけない」と思い込んでしまう堅いヒトが多いのか、一般に「まず文法」みたいな「文法崇拝」がはびこっているような気がします。彼らにとっては「文法こそ善」なのかもしれませんが、ちょっと待って下さい。 エスペラントのような人造語を除いて、全世界で自然発生してきた言語のうち、文法が先にあった言語があるでしょうか。 「文法崇拝者」の皆さまには残念ですが、言語というものはその殆どが先に「口語」として発生してきているものなのです。もちろん、英語も例外ではありません。そして、実際に使われている多様な「口語表現」から、一定の法則性を見出して並べたものが「文法」なのです。つまり、どのような言語でもネイティヴ・スピーカーは文法に従って話しているわけではなく、もし、文法にそぐわない口語表現があったとしてもそれは「誤り」ではなく、単に「文法の方が不完全」であるために、その口語表現をカバーできていないだけのことなのです。 このような背景を正しく理解すると、実用的な表現を蓄積することによって、自然と文法も習得できてゆくという流れがご理解頂けるでしょう。十分なデータの蓄積があれば、文法を理解することは全く難しいことではありません。文法が難しくなってしまうのは、データがないのに分析結果だけを見て理解しようとするからです。これも「そういうことは、上級者だけがやっていい」ことのひとつでしょう。初心者はまず、実際に使われている表現をどんどん覚えてゆくことが実用性のある語学力を養う第一歩と考えて下さい。 では、次の章で実際にどうやって勉強してゆけば良いのかをお教えしましょう。
<ページトップの問題解答> Panel America the film button door white store channel floor パネル アメリカ ザ フィルム ボタン ドア ホワイト ストア チャンネル フロア が日本式の発音です。 2007.3.15.+3.27.-3.29.
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