天窓から快晴の夜空に星が無数に煌いているのが見える。湖のほとりに広がる広大な私有地にはこのログ・キャビンとゲスト用のコテージがいくつかあるだけだから、風が木立ちを揺らす音くらいしか聞こえて来ない。
夕食のあと綾はしばらくマキにバックギャモンやチェスにつきあわされていたが、遅い時間になったので部屋に戻ってシャワーを浴びた。それからローヴのままベッドでブランディのグラスを傾けながら何か考えごとをしているようだったが、ふいにナイト・テーブルから受話器を取り上げるとどこかしらへかけている。
相手が出ると彼女は微笑して、Hi, Steve と言った。
― なんだ、綾か。何かあったのか
「別に。元気かな、と思ってさ」
― 気味が悪いぞ。おまえがただでご機嫌伺いなんて
「どういたしまして。実はさ、コンサート行かないかと思って」
― コンサートぉ?!
「そう。来週の金曜にあるんだ。ニューヨークなんだけど、スティーヴそっちいる?」
― そりゃいるけど、よくそんなのん気なこと言ってられるな、おまえ
「うるさいな。たまには遊ばせろよ。行くの、行かないの」
― あーはいはい。行ってもいいけどさ、でも何の?
あんまり堅いのはお断りだぞ、オペラとか
「誰がそんなもんにあんたを誘うもんか。ロックだよ、ロックコンサート。知ってんだろ、ウォルター・ウルフだよ」
― それって、あのウォルター?
「他にいるのか」
― でも・・・
「あれ、キライだっけ。じゃあ・・・」
― 待て待て待て、行くよ、決まってるじゃないか
「そう?じゃさ、食事してから行こうよ。水曜に仕事でニューヨーク行くから金曜の夜には時間あると思うし」
― 夕食くらいごちそうさせて頂きますよ、もちろん。しかしよく手に入ったな、そんなの。テレビじゃ発売同時ソールドアウトみたいな人気だって言ってたぞ。おまえ金にもの言わせなかったか
「言わせてませんよーだ。チケット送ってくれたからもったいないと思ってね。スティーヴがそっちいるんなら行こうかな、と」
― けっこうおれもファンだから。嬉しいよ。いいよね、彼の歌って
「うん。じゃあ近くで待ち合わせようよ、場所はね・・・」
綾はニューヨークでスティーヴと会う時によく行く店の名前と時間を告げて受話器を置いた。
そうする間に、いつの間にか部屋に入って来てちゃっかりベッドの半分を占領し、耳をそば立てていたマキが不機嫌そうに唇をとがらせている。
「いいんだ、綾」
「何が」
「ウォルター・ウルフのコンサート行くの。マキも行きたーい、ファンなんだっ」
「ニューヨークだよ。今度東京でやるとき連れてってやるから」
「やだ。ついて行く」
「だーめ。学校あるだろ」
「ちぇっ」
かわいらしくしかめっつらをしてから、マキは続けた。
「ね、スティーヴって誰」
「友達」
「まさか恋人じゃないでしょうね」
「冗談」
「綾のお友達って何人も知ってるけど、マキその人会ったことないわよ」
「そのうち会わせるよ」
「ね、本当の本当に恋人じゃないの」
「違います」
綾はきっぱりと言い切って自分も足もとからブランケットを引っぱって来た。横でマキが言っている。
「うそだったら、許さないんだから」
「マキこそいい加減ボーイフレンド作りなさいよ」
「言ってるでしょ。あたしは綾がいるからいいの」
全くいつまでこの調子なんだろ、と綾はあきれていたが、マキが喋り疲れて眠ってしまうと、その無邪気な寝顔を眺めながらいつまでもこのままだといいのに、と思わないと言えばうそになった。彼女にとってマキも含めた家族は何よりも大切なものだったからだ。
それを考えると余計、今自分たちが巻きこまれつつある暗雲を思って気持ちが沈んで来る綾だったが、やがてナイトテーブルのランプを消すと、マキにおやすみと囁いて目を閉じた。
prologue original text
: 1996.9.9〜10.15.
revise : 2008.6.25.-6.26.+2009.6.13.
revise : 2010.11.29.
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