綾が三日ぶりに東京の屋敷へ帰って来るとカセットが一本山積みのメール(郵便物)の中に混じっていた。ウォルターのデヴュー前、つまりもう六年も前のことだから綾はまだ十七才、荒っぽいところは今と同じだが、絶世の美少女 ― 言ってみればまだほんの子供にすぎない頃だった。

カセットの差出人はダン・ロックウェルとアドリア・レヴァインの連名で、また珍しい連中から来たもんだな、と彼女は興味を持った。それにはダンらしいぶっきらぼうな文章で、ことの次第が書かれた手紙がついていた。

「あいかわらずきったねー字だな、あいつは。タイプくらい打てないのかよ、いーかげん」

ぶつぶつ言いながら斜め書きの筆記体を苦労して読んでから、彼女はテープをデッキにかけてみた。

綾がこの大先生と初めて会ったのは十三才の頃の事だ。つまりこの四年前ということになる。もともとダンの家系はクラシック界に逸材を輩出して来た名門で、指揮者の祖父を筆頭にヴァイオリニストからこれも指揮に転向した父親、ピアニストの母親、兄貴三人も似たようなもので、ことごとくクラシック一色のお家柄だった。彼自身も子供の頃からどっぷりそれにつかって育ったし、成績優秀でおじいさまも最も目をかけていた末っ子だったのである。そのままでゆけば今頃は著名なピアニストの一人におさまっていたことだろう。ところが結局この鬼っ子は天才だったのだ。

もちろんクラシックに対する愛情は家族の誰にも負けないし、多くの作曲家や演奏家にも少なからない敬意がある。しかし彼はそれであき足りなかった。どうしてもすでにある作品、そして体系化された楽典を奉り、作曲法だの奏法だの、更にはクラシックというスタイルの上をなぞってゆくことが耐えられなかったのである。

クラシックがクラシックという宇宙を創造してゆく過程においてはすべてがもっと自由だった。天才的なイマジネーションを持った作曲家のオリジナリティによってこそ、それが成立し得たのだ。しかし、あらゆる表現形態はある程度確立されると必ず同じジレンマに陥る。言ってみればギルド化だ。同じことを繰り返す、上手に真似る、それは人間の芸術に対する大きな誤解から来る堕落であって、芸術家の創造性とはほど遠い。確かにすでにある作品に生命を与えるのは今生きている人間には違いないが、再現者の精神に創造性がなければ芸術とは呼びえない。

ダンがクラシックの世界に残れなかったのは、あまりにも広い範囲の音楽に対する興味と愛情のせいだった。彼はクラシックと同じくらいジャズやその他の現代音楽に魅かれていたし、何よりも作曲家として自分のイマジネーションをクラシックというスタイルに限定しておくことが出来なかったのである。そこで彼が目を向けたのはなんと、その頃生まれて間もない何でもありのロック・ミュージックだった。

彼はことにアメリカのものよりも英国人の創るものにご執心だったが、そこにはどちらかといえばヨーロッパ的な根本命題を追求する芸術家気質が生きていたからである。"ヨーロッパ的な根本命題"なんてものが理解できる日本人が存在するなどとは、この頃彼は夢にも思っていなかったが、数年後認識を改めなくてはならなくなった。加納修三の存在を知ったからだ。彼がジュネーヴにヘッドクオーターを置いて作った財団は、ことに科学、芸術、文化の国際的な交流や育成を目的としたものだが、その最高会は現在ではルネッサンス会議と呼ばれている。

ルネッサンス期において追求されたのはあらゆる概念を超えた真実に他ならない。だからこそ芸術と科学は兄弟として生まれ、育ち得た。この財団の目的も概念の消去と真実の追究にある。つまり現代に至るまでの人類の歴史、その悲惨の根源となって来た迷妄を除去することだ。人間はそれぞれが個人以外のものではないということ、それを明確にするために財団は底辺での国際交流に尽力している。それはそれ自体で芸術的な試みと言えたが、ダンに言わせればそれはきわめてロック的と言っていい。音楽史において明確な思想性を持つ音楽はロック以外にないからだ。それは人間の作り上げた幻影でしかない概念に対する神々のレジスタンスとも言えるだろう。

そうした経緯もあって加納家はすでに世界から現代のメディチ家とまで評されるようになっているのだが、綾とダンとのつきあいは、そうした背景のもとに始まったものである。

この四年ほど前 ― つまり綾が十三の時 ― ダンが父親に呼ばれてどうしても出席しなければならなかったパーティに、綾を伴って修三氏も顔を見せていた。

丁度パリ・コレクションのシーズンで、毎年これの季節になるとまや子さんにはまるっきり修三さんにかまけている余裕がなくなってしまう。パリからミラノ、マドリッド、と、自家用機でショーを追いかけて飛び回るわけだから、その最中にアメリカまで足を伸ばしているひまなど、どこにもないのだ。仕方がないのでたいていの場合、綾がひきずり出される。もちろんドレスに宝石で着飾るわけで、何を着るかは全部まや子さんが指示して行ってくれる。迷惑な話だがマキはまだ小さいし、修三さんは他に女性を誘いたくないと言い張るから仕方がない。

クラシック界のお歴々が大集結しているロングアイランドのロックウェル邸で、どーしてもその空気に馴染みきっていない二人は、もちろんダンと綾だった。綾は申し分なく美しく着飾っていたし、完璧なお上品英語とまや子さんじこみの立居振舞いでどこから見ても"お嬢さま"に化けきってもいた。ダンにしても長身に着こんだタキシードは、そこそこ生まれ育ちの良さが漂っている。それでも馴染まないものは馴染まないのだ。それは外見ではなく精神性の問題だった。修三さんに関してはその化けっぷりがあまりに完璧なために誰も決して彼が教養豊かな紳士以外のものだとは思わないだろうが、綾はまだ修行が足りていなかった。

声をかけようとしてくる人たちから逃れて退屈きわまりない顔でテラスに出ていた綾に、ダンはカクテルのグラスを持って来てくれた。シルクジョーゼットの真紅の布で作ったドレスの、ドレープをたっぷり取った肩先から、華奢な、人形のような腕がすんなり伸びて見える。見た限りでは十三才の彼女は妖精のようにさえ思えた。

「どうぞ、お姫さま」

「まあ、どうもありがとう。ロックウェルさんでしたわね」

「ええ。美しい英語をお使いになりますね」

「お褒めにあずかりまして」

「おうわさはかねがね・・・」

「あら、どんな?」

「加納修三氏には、活発で頭の良い美しいお嬢さまがいらっしゃるとか」

ダンは紳士らしく丁寧な言い回しを使ったが、"活発で頭の良い"は"おてんばで小ざかしい"と綾には聞こえた。事実そのあたり、ダンの頭の中にあった言葉とあながちかけ離れてもいなかったのである。しかし、同病あいあわれむというのか、綾にだってダンが見た通りの紳士だとはとうてい映っていない。ついさっき紹介された時、ロック・ミュージック界にその名の響く大プロデューサー、とは彼の父親が冗談口で言った文句だったが、それで綾にはひっかかるものがあったのだ。

「肩がこるでしょう、着馴れないドレスは」

どう答えようかと綾が思案していると、ダンの方から"本当は知ってるんだぞ"と言いたげに水を向けて来た。それで彼女はこのやろう、と思ったが、ここでボロを出してはと口にはしない。

「庭に出ませんか。広いのでご案内しますよ。少なくともここよりはきっと面白い」

彼について月あかりの庭に出るとホールの喧騒は遠いものになった。彼の言う通り、少なくともボール・ルームでダンスにつきあうよりは気が利いているように思えた。

「少しは肩の力が抜けたかな」

「え」

「苦手なんじゃないかと思ってね、ああいう場所は」

こいつ、何が言いたいんだろうと警戒しながらも、綾は黙っている。

「おれもなんだ。しばらく離れてよう、どうかな」

「んー」

「おれはお客さまのおもてなし、きみは庭の散策。あとで親父にその池の噴水でも褒めといてやってくれれば喜ぶよ」

「それはどう受取ればよろしいんでしょうね」

「何が」

「ぼくのこと知ってるの?」

「やり手実業家の跡取り娘、誰でも知ってるよ。きみが事業の天才だと言われてることもね」

「ふうん」

「今日はお母さんの代理かい」

「そんなとこ」

「めずらしい人に会えたなと思ってたんだ」

「あんたこそずいぶん毛色が変わってるじゃない。アーサー・ロックウェルの息子が、どこをどう間違ったら流行歌のプロデューサーになれるんだ?」

「流行歌、と言ったな、いま」

「言ったよ」

「本気で言ったのか冗談で言ったのか教えてくれるかな」

「何が言いたいの」

「加納修三の娘ともあろうものが、それはあまりにも認識不足じゃないか、と言いたいんだ」

「へえー」

「何だい」

「流行歌は流行歌じゃない」

綾はバカにしたような言い下し方をした。ダンは気分を害し始めている。それへ、綾はしれっとして言い継いだ。

「いつの世の中だって本物の芸術ってものは、邪魔なくらい元気のいいもんでしょう、違う?」

「・・・・・」

「少なくとも世間にチヤホヤされたくらいで、でかいつらしてふんぞり返ったりしないよなあ。そりゃ確かに厭世的になることはあってもさ」

彼は一瞬言葉につまったあとで大笑いし、以来二人は友達である。

パーティが終わるまで庭の凝ったファウンテンのふちにかけ、バロック、クラシックから始まる音楽史を際限なく語り合いながら、彼は自分からめったにしない芸術論をこうまですらすら引き出してしまう小娘に内心感嘆さえしていた。

ダンは綾のことを未だにお姫さまと呼ぶ。何度もやめろと言ったのだが、からかい半分でずっとその調子だ。いつの間にか気にならなくなり、最近では開き直って返事してやっている。

 

*****

 

綾はしばらく手もとの他のメールに目を通しながら、スピーカーから流れてくる曲を聞くともなく聞き流していた。が、何曲か進むうちにあれえ、と思い始めた。 ― 悪くない。

まがりなりにも名の売れたプロデューサーがこうまで執心するほどの相手だから、そこそこ聞けるかなと思っていたのだがとんでもなかった。ジャック・ポットである。

これをどうしてデヴューさせないのか不思議に思ったが、その時の疑問は翌日解かれることになる。ともあれその時点では綾はウォルターの外見(みば)を知らなかった。始め手紙を読んだ時は、あんまりひどくなきゃアメリカに持っているRMCレコードの社長、サイモン・クラインに電話のひとつもして、ダンの言うことを聞いてやれ、と言っておくくらいのつもりでいたのだが、曲を聞いているうちに気が変わった。

彼女は開けかけていたメールもそのまま放り出し、今脱いだばかりのダッフェルコートをひっかけると、車のキィを持って部屋から出て行った。エントランス・ホールで見城(みしろ)とすれ違い、お嬢さま、お出かけですか、と声をかけられた。

「うん、ちょっとニューヨーク行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」

その後ろ姿を見送りながら、さっき帰って来たばかりなのにいつものことながら元気だなあ、若いなあ、と執事は感心していた。

ジャガーから自家用機であるセイレーン ― SIREN ― に電話をかけると、まだ整備だのなんだので居残っていたらしい野村機長がびっくりしている。つい数時間前にニューヨークから成田に降りたばかりだったのに、何事か、という様子だ。

「ライヴハウス行くんだよ、ライヴハウス」

「は・・・?あの・・・」

「ロック聞きに行くのに決まってんだろ、すぐ飛べるのか」

綾の簡略な説明に、東京にだって星の数ほどあると思いますけどねえ、と言いかけて、彼は丁重に別のことを言った。

「フライトの準備を整えて、お待ちしております」

 

*****

 

綾がニューヨークに降りた時、そろそろ夕闇が濃くなり始める時間だった。しかし、ヴィレッジのライヴハウスにまさかリムジンで乗りつけるわけにもいかないので、近くまでキャブを使うことにした。

セーターにジーンズ、コートだっていいかげん古着である。どこから見たって金持ちの日本人には見えない。加えて綾にとってすでにここは庭みたいな街だ。だからと言って安全というわけではもちろんないが、彼女はこういう時間にこのあたりを歩き回るのがキライではない。スティーヴなどは心配するのだが、時々ダンが書いてよこしたライヴハウスのあたりにも、出かけて行ったことがある。

スティーヴでも誘えば良かったかな、と思いながら綾はタクシーを降り、目的の店に入って行った。客が八分がたといったところの雑然とした店の中で、すみのテーブルに落ち着いて一時間近く退屈なカントリーを聞かされた。それからしばらくしてウォルターが友人三人と組んでいるバンドを伴ってステージに現れた時、綾はまるっきり期待していなかった。まだ待たされそうだ、と思い、ひょっとするとダンの書いていた曜日を間違って読んだんじゃないだろうな、と心配し始めた時だ。よそ見していた彼女の耳に、短なイントロから深みのあるバラードを歌う声が聞こえて来た。

綾は思わず振り返り、歌っているのがウォルター・ウルフだということを瞬間的に認識していたが、聞いている間になるほど、と、すべて納得がいった。

  ― そりゃあ確かに難しいや、これは

容姿と歌のうまさがそぐわなすぎるのだ。曲だってどちらかというと派手で覚えやすいメロディ・ラインではない。けれども確実に聞きこみたくなるような歌だ。 ― 中毒になる。

テープで聞いた時よりも格段に迫力のあるヴォーカルは、録りかたにもよるがレコードというわくの中でも十分に生かせそうだったし、ダンの書いていたように大きいホールでライヴということになっても、それ用にアレンジし直せば相当なリアクションが期待できそうだった。

彼の歌を聞いている間、綾は他のことを何も考えられなかった。詩と言ってもいいほど美しく韻を踏んだ歌詞が、一語一語ウォルターの想いを語っている。三文ラヴソングなど足もとにも寄れないような象徴詩は、創り手の精神性をそのままに反映している。文句のつけようがなかった。

彼の演奏が終わるや店を出た綾は、時計も見ずにRMCレコードに電話をかけていた。が、当然社長室にサイモン・クラインのいる時間ではなかった。 丁度つかまった秘書に即刻探し出して夜中でもいいから電話させろと言い置くと、綾はタクシーをつかまえてロングアイランドにある屋敷の住所を告げた。

  

Book1 original text : 1996.10.15〜1997.1.15.

revise : 2008.7.15.

revise : 2010.11.28.

  

© 1996 Ayako Tachibana