パーティーが終わったあと綾とウォルターはいつもと同じようにそのままヴィレッジの彼のアパートに帰って来ていた。明日から綾は本格的に仕事に戻るし、ウォルターもすぐコンサート・ツアーの準備にかからなくてはならない。二人で静かに過ごせる夜も、もう当分ないだろう。

バスルームからシャワーの音が聞こえてくる。

ウォルターはベッド・サイドに脱ぎ捨てられていた綾のドレスを拾い上げて椅子の背にかけた。その下に転がっていたのは彼女が部屋に入るなり放り出した大粒のダイアのイアリングとネックレス、それにサファイアやダイアの指輪だった。彼はそれも拾ってテーブルに置くと、ネックレスだけ指先で拾い上げてしばらく眺めていた。こんなに何カラットもありそうなダイアがいくつも本物だとすると、とウォルターは考えてみたが、値段なんか見当もつかなかった。もしかしたらつけようがないようなものなのかも知れない。彼は大きくひとつため息をつくとベッドに腰かけた。

綾はバースデイのプレゼントだと言っていた。毎年両親が贈ってくれる宝石がもう十二個になってるとも言っていた。これはそのうちのひとつなんだろうな、とウォルターは思っている。彼女は両親から、それに妹からも愛されている。ダンが言っていたように綾がファザコンの上にマザコンにまでなるくらい二人とも彼女を溺愛している。きっと長いこと家を空けているのも心配しているのに違いない。そうわかっていてもウォルターには綾を側から離すことなど出来そうになかった。

でもいったいぼくは綾のために何がしてあげられるんだろう、と思うと、ため息しか出て来ない。ぼくじゃなくても彼女に何かしてあげられる男なんかきっと多くはないだろうとさえ思えてくる。

こんな高価なアクセサリーでも、つけているのが邪魔だと言って放り出してしまうし、あたりまえのことのようにショーファーや執事やメイドを扱い、リムジンを乗り回して、相手がどんなに偉くても、おかまいなしな態度で通してしまう。それが違和感ひとつなく受け入れられているから余計彼女の家、と言うよりも、加納修三という人の存在を思い知らざるをえない。しかも綾は自分でその人の跡を継ごうとさえしている。

綾になら出来ることなんだろう。そう考えると自分が思っている以上に綾という女の子は途方もないような気がして来た。仕事に戻ったらもう会ってもくれなくなるんじゃないだろうか。明日、― から、彼女は側にいてくれない。

「ローヴ、借りたよ」

「え・・・」

綾の声がしたのでウォルターが顔を上げると、バスルームから彼女が出て来たところだった。

「袖、ちょっと長いかな」

言いながら綾はローヴの袖を折り返していたが、ウォルターがネックレスを持っているのに気づいて尋ねた。

「どうしたの、そんなの眺めて。面白い?」

「きれいだな、と思ってさ」

ウォルターはつまらなそうに答えてそれをテーブルに置いた。

「邪魔なだけ。うっとおしいったら」

「こっち来て」

「え? うん」

綾が歩いて行って彼の前に立つとウォルターは微笑して言った。

「たけも長いね」

「ウォルター背が高いから」

「可愛い」

言いながら彼は綾を抱き寄せて膝の上に座らせた。彼女を抱いてウォルターはしばらく黙ったままだったので、綾が不思議そうに声をかけた。

「どうしたの」

「・・・明日になったらきみはいなくなっちゃうよね?」

「仕事があるからね」

「今までみたいに毎日顔が見られなくなるってわけだ」

「う〜ん、それは仕方がないかも。でもまたすぐ会えるよ」

「だけど、しばらくはこの髪にも肌にも触れていられなくなるし、声も聞けないんだよ」

「電話があるでしょ」

「きみは忙しくって出てくれないかもしれないじゃないか」

「そんなことしないよ。第一ウォルターだって忙しくなるじゃない。さっきも言ったけど今夜来てた連中が気に入ったんなら間違いなく成功するよ。そしたら・・・」

「死んだ方がましだよ」

そう言ったウォルターの声は綾が今まで一度も聞いたことがないようなものだった。話しているときより、むしろ歌っている時の方の声に近い。デヴューを控えて本来なら舞い上がっているはずの立場の彼が、しばらく綾と会えなくなる程度のことで相等マジで落ち込んでいるらしいと知って、彼女もちょっと言葉が返せない気持ちになった。

「ウォルター・・・」

「わかってる。こんなこと言ってバチがあたるんじゃないかとさえ思ってる。きみのしてくれたこと、いくら感謝しても足りない。今夜集まってくれてた人たちにだって・・・。もし綾と会う前のぼくなら最高の夜だと思っていられたのに・・・」

「・・・・・」

「最低最悪の夜だよ、今のぼくには」

言うと彼は綾が答える間も与えずに唇を重ねて、しばらく離さなかった。

綾だって仕事のことも家のことも気になっていないとは言わない。けれどもウォルターの側を離れたくないのも事実だ。考えてみろと言われたことの答えはわかりきっていても結論まで先走りしてしまう気はまるでしない。もう少しくらいこうしていても構わないじゃないか、という気さえしている。

でも、いつまで。

ダンにも言われた。本気じゃないなら早くわからせておいてやってくれって。

わかってるよ、言われなくっても。 ― 言われなくってもっ。

「綾」

呼ばれて、綾は答える代わりにウォルターを見た。

「会ってくれるよね、これからも」

不安そうな彼の表情に笑って、綾は答えた。

「ウォルターさえそう思ってくれるなら、もちろん」

「思ってるよ」

「だったらいつでも」

「約束してくれる?」

「うん」

「誓って」

「誓って。必ず」

綾は微笑してそう言った。

二人にとってこの数か月でどれほど多くのことが変化したか信じられないくらいだ。けれどもそれも今夜ですべて終わってしまう。たぶんもう二度と戻って来ない数か月なのに違いない。ウォルターが無名なのも綾が無邪気なのも。 ― もう、おそらくそう長くは続かない。

今度会う時にはすでに少し ― おそらくかなり ― 変わってしまっているはずだ。ウォルターは最後の一秒まで綾を離したくなかった。

        

Book1 original text : 1996.10.15〜1997.1.15.

revise : 2008.11.4.

revise : 2010.11.29.

 

© 1996 Ayako Tachibana