一か月ぶりに東京に帰るとまや子さんは大喜びだったがマキはやっぱり拗ねていて、ご機嫌をとるのに二、三日かかった。週末を元箱根のヴィラまでドライヴして夏休みの代わりに一緒に過ごし、東京に戻ると原宿につきあわされてショッピング、夜はル・カトルでお食事、と、そうこうするうちにすっかりマキはもとに戻っていたが、綾がまたニューヨークに行くと言うとつまらなそうな顔をして、お仕事なんてやめちゃえばいいのに、と唇をとがらせた。
けれどもその間中、修三さんはどこに出かけているのか全く姿を現さなかった。これでもうひと月以上顔を見ていないことになる。綾は彼の性格をよく知っていたから、一旦拗ねるとマキより始末が悪いんだから、と心の中で深いため息をついていた。
そしてウォルターと約束した通り一週間ほどして綾がニューヨークに戻ってみると、こちらでは珍しく彼とドリーが大げんかをしている。ドリーは絶対彼のブロンドや見事なサファイアの瞳をプロモーション・フォトに活かしたいと言い張り、一方ウォルターは絶対イヤだっ、とまたワガママを言っていたのだ。このあたりのウォルターの執念深さはその後もずっと続くことになるのだが、ともかくもそこは綾の頭の中にあったプロモーションのコンセプトを話すとドリーの方が折れることになった。
綾はウォルターをポップアイドルみたいにする必要は全くないと言い、何よりもまず本当に音楽を聞きたがっている人たちに稀にしか聞けないような作品を提供することから始めるべきだと言った。放っておいたってウォルターが美形なのはいずれわかることだし、別に飾って見せる必要はないんじゃないの、と綾が言うと、彼は嬉しそうにご協力感謝します、と言った。その代わり綾はドリーの納得がいくようなフォトグラファーの名前を挙げ、アルバム自体のナチュラルで美しい音の流れに合った画面を創ってもらえばいい、と落ち着かせたのである。
レコーディングの間もウォルターに内緒でたくさん写真は撮ってあったから、それと合わせてもう一度秋のパリに飛び、あの見事な庭園を背景にジャケットも含めたプロモーション・フォトを撮って来ればトータリティのあるイメージを創ることが出来るだろう、というのが綾の意見だ。それを聞いたドリーは、後でダンにくやしいけどっと言ってから笑って、姫の実力を見た気がしたわ、と言っていた。
綾はそのあと少しずつ仕事に戻り、一方でウォルターのことにも気を配っていたが、しばらくして修三さんと顔を合わせても彼はまるっきり全て忘れてしまっているかのようにいつもの調子で、ウォルターとどうなったのかも聞かなかった。
それが気にしていないからではなく、相当根深くご機嫌をそこねているからだということくらい綾には見当がついている。おそらく彼女がはっきりウォルターと別れるまで彼は絶対に許してくれないだろう。そうとわかっていて綾は逆にそれを無視して時間が取れるたびにウォルターと会っていた。こうなってくると意地の張り合い以外の何者でもないが、表面的にはどちらも全く変わりがなかったから、それは二人しか知らないことだ。
*****
「はーい、みなさん、おそろいで」
ダンとドリー、それにウォルターが執事のメイスンに迎えられてロングアイランドの綾の屋敷に入って行くと、吹き抜けのエントランス・ホールで二階の手すりに寄りかかって彼女が声をかけた。
パーティの間ロックウェルの両親にベンを預ける約束をしていたから三人で送って来て、ついでに綾を迎えに来てくれたのである。今夜はご夫妻そろって正装で、しかもおじいさまのリムジンでお出ましだったから、ダンには珍しく本来の上流階級らしい様子に仕上がっている。ところが綾の方はタイトなミニのカシュクールにマニッシュなジャケットをひっかけているだけで、黒を基調にゴールドを散らしてあるから華やかには見えたがエレガントとは程遠かった。どちらかと言えばいつものオテンバ娘の延長のパーティ・ヴァージョンといったところだ。
綾はみんなのいるフロアに降りて来たが、その格好を見てドリーは何か言いたそうな顔をしている。
「どう、ウォルター、これ。おかしくない?」
「よく似合ってるよ。綾らしい」
「だめっ」
横あいからドリーが叫んだ。
「え・・・」
「だめよっ、だめだめ。絶対、だ、めっ。許さないから」
「ドリー」
「いらっしゃいっ、綾。着かえるのよっ」
「えー」
「なんて格好してるのっ、プラザよっ、ザ・プラザっ。あんなとこでパーティやるっていうのになんなの、その半分男の子みたいな格好はっ」
「だってー」
「何がだってー、なのよ」
「パーティっても内輪みたいなもんだしさあ。ダンちみたいにうるさがたの集まってるわけじゃなし・・・」
ウォルターもダンもタキシードなんか着こんでいるし、ドリーにしたってとっておきのイヴニング・ドレスはシャネルの見事なインディゴ・ブルーである。確かによく似合って可愛らしかったが、綾の格好はちょっとばかり今日のようなパーティの席にはハネっ返り過ぎた。
「いらっしゃいったら。ドレスの一着や二着どうせあるんでしょっ。選んであげるから着がえるのよっ」
ドリーの見幕たるやこういう時のまや子夫人といい勝負をしている。
「やだよお、せっかく着たのにぃー。助けてよお、ダン、ウォルターぁ」
情けない声で反抗しながら綾は殆どひきずられるようにしてドリーに連れて行かれようとしていた。
「四の五の言わないのっ。ウォルターに恥をかかせるつもりなのっ。あなたはっ」
「まやさん以外のコーディネートでドレスなんか着たことないんだよお。許してー、ドリー、きゃー」
「ドリー、いいよ、ぼくなら。そんなにイヤがってるのに・・・」
「ま、ま、いいからさ」
ダンはウォルターの肩をたたいて言うと綾に向かって叫んだ。
「ひめっ、期待してるぞー」
「裏切りものっ」
「でも、ダン」
「ファザコンのうえマザコンだからな、姫は。こういうことで、あの年代の女に逆らえないんだよ」
「え・・・」
「ドリーと彼女のおふくろさん、同い年なんだ」
「そうなの?」
「そう。な、おまえ姫がドレス着たとこなんて見たことないだろ」
「うん・・・」
「ちょっと見ものだぜ。ま、期待してなって」
二人がエントランス・フロアでそんな話をしている頃、綾はドレッシング・ルームで最後の抵抗を試みていた。
「やだよお、やだあー」
「おだまりっ。まーっ、すごいじゃないの、これはヴェルサーチ。わっ、これなんてシャネルよお。きゃー、やっぱりあなたのお母さまって趣味が良くてらっしゃるわ」
ドリーは壁一面を使った五メートル近くあるワードローヴに並んだドレスの列に感嘆の声を上げている。
「うーん、これね。絶対、素敵よ」
ドリーが選んで来たドレスを見て綾は殆どパニックを起こしかけていた。
「ドリー、許してよお、そんな身体の線がもろに出るやつ・・・」
「似合うわ、きっと。黒髪が映えて」
黒いシンプルなシース(*注)のロング・ドレス、綾が言う通りスタイルが良くないととても恥ずかしくて着られないような身体にぴったりしたドレスだ。袖も長いし飾りけがないから一見清楚に見えるのだが、背中がウエストまでオーバルに開いていて着てしまうと実にゴージャスに仕上がる。
「・・・・・」
「アクセサリーどこ?」
綾はじっ、と拗ねた顔をして黙っていた。
「どこっ」
ドリーに重ねて尋ねられて、やっと綾は不承不承チッペンデールのチェストを指さした。
歩いて行って開けてみてドリーは再び感嘆符付きの声で叫んだ。
「まあっ」
その中のヴェルヴェットの台に並べられていたのはダイア、ルビー、エメラルド、サファイアと、いずれ劣らない一級の宝石ばかりで作られたおびただしい数のアクセサリーだった。
彼女はその中でもひときわ美しいダイアのネックレスとマッチングのいいイアリングを選んで、指輪もダイアともうひとつサファイアを出して来た。
「着るのよっ」
「やだっ」
「逆らう気?!」
「だってー。これだってカール・ラガーフェルドだよ。これでも気を使って見ばえのいいの選んだのにぃ。これでいいでしょーお」
「だめと言ったら、だ、めっ。着、な、さ、いっ」
*****
しばらくしてドリーは階段の上に現れたのだが、綾はあきらめ悪く柱にしがみついてその陰から出て来ようとはしなかった。声だけが聞こえてくる。
「笑うもん。絶対、ダンもウォルターも笑うんだからっ」
「あきらめの悪い子ねっ、いらっしゃい」
「笑わないって約束する?」
ウォルターは綾がかわいそうになって来て、するから、絶対笑わないって約束するから出ておいで、と声をかけた。
「ダンはー?」
「おかしかったら笑ってやるから安心しろ」
「そんなこと言ったら出てくるものも・・・」
あまりに冷たいダンの言葉にウォルターが抗議した。
「いいからって。笑われたらさっきのに着かえて来いよ、な。姫」
「ほんとー?」
「ほんと」
「ドリーに言ってくれるー?」
「言ってやるよ」
綾はやっと柱の陰から真赤な顔をして出て来たが、その姿を見たウォルターは声も出せなかった。あまりに彼女がいやがるので、これはよっぽどひどいのかなと思っていたからだ。けれどもひどいと思っているのは綾だけだ。まや子さんの選んでくれる組み合わせは、とりあえず定評もあるし受けもいいので安心して着ているが、それ以外に自分でドレスに袖を通すということのない彼女だから、どうしていいのかまるっきりわからない。
しかし、純白の肌に漆黒のドレス、それをゴージャスなダイアのネックレスと大きなイアリングが飾り、綾の普段は隠れている抜群のスタイルが存分に際立って見えた。それへセーブルのロングコートとスエードのパンプスまで仕上げは行き届いている。まさかここまでエレガントに仕上がるとは思ってもみていなかったから、ウォルターは茫然として綾が声をかけるまで目を離すことも出来なかった。
「どう。おかしい・・・、よね?」
綾はウォルターの前まで来て上目使いに彼を見上げた。ウォルターの方はそのあまりの美しさに声もない。
「ねえ」
綾に重ねて尋ねられて、やっとなんとか彼は言葉を引き出した。
「・・・、すごく・・・」
「え」
「すごく綺麗だよ、綾。よく似合ってるよ」
「うそだ」
「ほんとだってば。ほら、ダンだって笑ってないだろ」
綾はダンの方を見たが彼はにこにこしているだけだった。
「よく似合ってるよ、姫」
「ほんと?」
「うん。それでさ、ウォルター。姫にここまでさせといて、これはないと思うんだがな」
「え・・・」
ダンは素早くウォルターのかけていためがねを取り上げた。
「あ、やだ、ダン、それ・・・」
「さあ行った行った。お姫さまと王子さまの出来上がりだ。あとから着いてくから、さっさと姫んちのリモで行きな」
「でっ・・・、でもお・・・」
「あきらめろ、いい加減に」
この場の最年長者に仕切られて、とうとう二人は覚悟を決めたようだ。仕方なさそうに頷いて、やっとエントランスの方へ歩き始めた。
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(注*シース : 身体にフィットしたスタイルのドレスのこと)
Book1 original text
: 1996.10.15〜1997.1.15.
revise : 2008.10.22.
revise : 2010.11.29.
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