ポップ音楽にも哲学的な考えを持ち込むスクリッティ・ポリッティ

新作を完成させたグリーンに会って

インタヴューと文 小倉エージ(1985年、初出誌不明)

 

パワー・ステーションの取材で出かけたロンドンで、滞在日数の残り少なくなっていたある日の朝、グリーンの取材OKのテレックスが届いた。あらかじめ日本で取材を申し込んでいたが、急に決ったロンドン行きで連絡もうまくとれず、取材しづらいとの話もあって、あきらめかけていた時のことである。その日の午後、指定されたラッセル通りにある彼のマネージメント・オフィスに出向いた。

東京の地図が貼ってある部屋に招き入れてくれた彼は、思った以上にたくましい大柄で、レコードでのあの声からは想像もつかない低めのトーンで話す。そして、おだやかな調子で、よどみなく、とうとうと話し続ける。自身の音楽分析や、ポップスに対する哲学的考察が面白く、知的な印象を受けた。その種の人々に特有の、いい意味での"青臭さ"を持っているのも興味深かった。

 

★二ュ―ヨーク行きのメリット★

もうすぐ新作が出るそうですね。いつですか。

「いい質問だね(笑)。多分、4月29日だと思う。アメリカで発売するワーナー・ブラザーズが主導権を握っていて、イギリスやその他の地域と同時に発売しなくてはいけないんだ。最後に僕が耳にした発売日は、4月29日だったんだけど.....。で、今やってるのは、イギリスでのシングル、それに12インチのリミックスだよ。それからアメリカでのシングルのリミックスの為にロスアンジェルスに行かなくてはいけないんだ。それにジャケット作り...、いつも僕が自分でやってる。あとはビデオをとったり...」

アメリカでのリミックスが違うっていうのは?

「アメリカが、イギリスとは違ったシングルを要求したからね。長さも変えて、12インチ用のも編集した。だから、ジャケットもビデオもふたつずつ必要なんだ」

ここ最近、特に"ウッド・ビーズ"を聞いた時、"ソングス・トゥー・リメンバー"とはえらく違うんで、びっくりしたんだけど。

「僕はそんなに変わったとは思ってないんだけど。ただ、本当にやりたいことを、よりよくやれたと思うよ。"ソングス・トゥー・リメンバー"は、プロデューサーと作ったものではないんだ。昔のラインナップで作ったもので、僕らは誰もうまく演奏できなかった。まあ、パンクの動向の中で、そんなにうまく演奏できないってことにひとつの良さがある、っていうんでバンドが始まったということは覚えとかなきゃいけないだろうけどね。で、わざとそうした部分もあったんだけど、へたな演奏、へたなプロデュースのもとでやって、以来、スタジオのテクニックにすごく興味を覚えはじめてね、もっと磨きあげられた整ったものを作りたかったんだ。」

"ソングス・トゥー・リメンバー"がナイーヴな味を持ってたのは、そんな理由によるんですね。その素朴さと、ソウル・ミュージックに対するひたむきさ、パッションみたいなところが僕は好きだったんだけど。

「うん、今度のアルバム作りの終りの方でなんとなくわかってきた。それを大切にしてもいいんじゃないか、ってね。ずいぶん洗練されたこともやったけど、シンプルなものには、それなりに大きな魅力があると思うよ。僕の音楽って、イギリスの伝統的な音楽に、アメリカの黒人音楽やカリブ海の音楽などかミックスされてる。それが今回のレコーディングでは、最後の力になって、もとの方向に戻って来たんだ。そこんところが気に入ってるよ。」

しばらくニューヨークに行ってたということですが、何か変化がありました?

「うん、絶対に。きっかけは"スモール・トーク"をやる為だったんだけど、ナイル・ロジャースと一緒に仕事をしてね...、ニューヨークでいろいろ話してると、これまでに会ったことのないミュージシャンと会ったり一緒に仕事をするのは、とてもたやすいってことを発見するんだ。しっかりした人を通じてコンタクトを取れば、向こうもすごく積極的な態度を示してくれる。それって、僕にとっては大発見でね。そういうことがありえるなんて思ってもみなかったから。

ナイル・ロジャースとは、彼がボウイの"レッツ・ダンス"をやり始める3,4ヵ月前に会ったんだけど、彼や他のミュージシャンの仕事のやり方、とりまとめ方を見てるだけでも、僕にとっては啓示を受けたような大発見だった。それに、熟練度というか、ニューヨークに行って現場のミュージシャンの刺激を受けることが、僕にとっていいことだと思ったんだ。この国では、ソウルの影響を受けた音楽を作るっていうことが何かしっくりこないっていうか、ちゃんと受けとめてもらえないような気もして。初期のスパンダー・バレエやABCがR&Bをやったりしてても、うまくはいってないように思えた。で、ニューヨークに行くってことは、僕にとってはとても筋が通ったことだと思ったし、いい仕事ができると思ったんだ。実際、みんな協力的だったし、確かにうまくいったよ」

 

★ヒップ・ホップの重要な意味★

そこでよくわからないのはスクリッティ・ポリッティというグループの形態なんだけど、その時点ではひとりになってたの?

「僕らはラフ・トレードに所属してはいたけど、きちんとした契約を交わしていたわけじゃなくて、レコードを作る義務もなければ、特に決まった支払いを受けていたわけでもなかった。どうして僕らが経済的にやっていけたのか不思議なんだけど、とにかくデタラメだったんだね。そういうわけで、グループという形をつなぎとめておくものは何もなかった。僕にとっては、それがよくなかったんだね。だって、そもそもが怠け者だから。何もしないでブラブラしてたんだ。で、結局、先細りになって、僕ひとりが興味あることをやり続けるようになってしまったというわけ。"ソングス・トゥー・リメンバー"が発売された直後にニューヨークへ行ったんだけど、その時にはひとりになってた。そこでデヴィッド・ギャムソンに会ったんだ。

彼はアーチーズの"シュガー・シュガー"のエレクトリック・ヴァージョンをラフ・トレードから出したことがあり、僕は彼の音楽がとてもいいと思ってたし、彼も僕らのことを気に入ってたらしいんで、実際に会って、以来、一緒に仕事してきてる。彼はニューヨークに家があってね、そういうことが僕の最初のニューヨーク行きの背景にあったんだ。

今は新しい別のスクリッティ・ポリッティがあってね、ルー・リードのバンドのドラマーだったフレッド・メイハー、シンセサイザーのデヴィッド、それに僕の3人」

ヒップ・ホップに興味があるそうですけど、それは、やっぱりニューヨークにいたからこそ見つけだせたものじゃないですか?

「うん、僕にとってはすごく大切な意味を持ってる。だって、パンク以来の初めての動きっていうか、同じようなエキサイトメント、エネルギーを持ってて、同じように育ってきたからね。熟練したミュージシャンではない人達によって作られたものだし、僕は好きだよ。

とにかく僕にとってはすごく重要なことだと思ってたよ。僕の興味を惹き、音楽をやり続けるきっかけを与えてくれたんだからね。でも、こんなに早くどれもが同じような状態になってなければ、もっとつきあってたと思うよ。去年の終わりぐらいかな、ほとんどのイギリスのグループがフェアライトとかDMXを使い始めたたろ? 意識的にそういう動きから離れてなくちゃと思ったんだ。もともと僕の今度のアルバムがヒップ・ホップに影響されたものになるだろうと思ってたから。それをうまく修正できたと思うけど。今、イギリス版のヒップ・ホップのレコードを出すのは、最低だと思うしね。当時、ニューヨークにいた頃は、僕にとっては重要なことだったんだけど...」

実際にヒップ・ホップをやってる人達と会いました?

「ビル・ラズウェルとかマテリアルの連中を通じて、かなりの数のDJに会ったよ。特にラン・DMCが気に入ったね。でも、黒人ばっかりだったから、そんなにつきあいを深めることはできなかったけど。僕はアメリカの白人音楽って好きじゃない。とにかく黒人音楽が好きなんだ。アメリカの白人音楽って、ホール&オーツで何とか耐えられるようになったけど、あとは耐え難いものが多いね。

とにかく、いい経験になった。でも、アメリカの人種差別って、たまらないね。レコード会社でさえ、黒人とはうまくいってないんだ。黒人レーベルのA&Rは黒人だし、白人は白人の音楽だけだし。エレベーターで出会っても話もしないんだからね。本当に分離しちゃってる。つい最近、マルチ・フォーマットと彼らの呼んでるレコードがやっと出るようになったぐらいなんだ」

 

★アメリカ黒人音楽の魅力★

あこがれのアリフ・マーディンとの仕事はどうでした?

「素晴らしかった。思ってたよりずっと順調にコトは運んだよ。この国じゃあまりポピュラーではなかったけど、彼はチャカ・カーンの最初の頃のアルバムを手がけてて、僕はその輸入版を手に入れて、よく聞いてたんだ。"アイム・エブリ・ウーマン"の入ってるアルバムや"恋を抱きしめよう"のカヴァーなんかをね。とにかく、感激したんだ。すごいなあって思ったよ。クインシー・ジョーンズより好きだね。

そんな彼と一緒に仕事ができるなんて、夢だと思った。ニューヨーク郊外の小さなスタジオで作ったデモ・テープを彼に送ったところ、一緒にやろうって言ってくれて。とても魅力のある人だよ。かなり年配でトルコ人の老紳士って感じさ。ちょっと驚いたんだけど、彼は曲に手を加えず、僕のサウンド・ポリシーも変えずにやってくれたんだよ。どのミュージシャンを使いたいかってことについては、僕にははっきりとした考えがあって、アリフがプロデュースした連中とやりたかったんだ。ただひとつ、これでよかったのかなと思うのは、ふたりとも行儀がよすぎて、頑固に我を通さなかったことかな。でも、結果的には満足してるよ。アリフもね。」

ところで、"ウッド・ビーズ"のサブ・タイトルにはアリサ・フランクリンの名が出て来るし、それ以前にも"フェイスレス"がアリサ的だったように思ったけど。

「うん、"フェイスレス"はアリサの"ドゥ・ライト・ウーマン"をベースに作ったんだ。あの曲のリズムを拝借した、というか...。アリサを好きになったのは、スクリッティ・ポリッティの初期の頃、僕がひどい幻滅を味わって病気になってた時でね、健康的にすぐれなかったというのが、グループがバラバラになったひとつの理由かもしれないな。

僕はロンドンを去って、生まれ故郷のウエールズにしばらく行ってたんだ。当時、PILとか多くのバンドが死のイメージを作ってて、苦悩の中で疲れ切ってる英国人っていう感じにうんざりしてたんだよ。スクリッティ・ポリッティもそのひとつに含まれてたし、それにイギリスのロックのオーソドックスなイメージにはめこまれてしまうんじゃないかってことも、ちょっと心配だったし。ウエールズに帰ったのは、そういうことに我慢ができなくなって、離れたかったからなんだ。古いレコードを聞いてみたくなってね。かといって僕は、アリサのレコードを聞いて育ってきたわけじゃない。イギリスのポップばかり聞いてたからね。そのうち、アメリカの黒人音楽が、僕に大きな発見をもたらしてくれたんだ。ちょっと待てよ、ここには僕達の夢のようなものが詰まってるじゃないか、ってね。たった3分の歌の中に、何か夢をかなえてくれるようなすべてが詰め込まれているという感じで、イギリスの音楽よりも、もっと繊細で微妙で、とても魅力的だった」

あなたの声のことなんですが、今しゃべってるのとレコードとでは、ずいぶん違うみたいですね。

「そうなんだ。みんな、僕がスピード・アップしてレコーディングしてるように思ってるみたいだけど、そんなことはない。高いところを歌うと、自然にそういう風になるんだよ。みんなしかけを知りたがるけど。のどをつめて頭のてっぺんから声を出す感じで、小さな声で歌ってるんだ」

あの声とファンキーな音の対照がおもしろいと思うけど。

「本当にそう思う? あの声で歌うと、表現に乏しいととらえられがちなんだ。平坦で一元的だし、腹式じゃないから感情をあまり出してないってこともあるし、なんか平べったく聞こえちゃうんだね。これは、よく耳にする批評でもあるよ。だから、ちょっとは気をつけようと思ってる。別のものもやってみてね」

ソウルフルなところもあるし.....。

「うーん、僕には答えられないね。僕自身はそんなにソウルフルとは思ってないし、普通のソウル・シンガーの持ってる深さとか表現の幅みたいなものはないし、単にR&Bの影響を受けたポップという感じがするけど」

 

★理性と感情のコントロールの難しさ★

ゴスペルに興味はある?

「ほとんど知らないけど,深く勉強してみる価値はあると思うし、やってみたいとも思うよ。時間があればね」

アフリカの音楽なんかどうです?

「アフリカの音楽は、まあ通り抜けたって感じかな。サニー・アゲは良かったけど、特にこれってものはなかった。ハイライフにしてもジュジュにしてもね。それより、他のヨーロッパの音楽にとても興味があるんだ。ブルガリアとかハンガリーとか。ブルガリアのコーラスは最高だね」

ジャズにも興味があるんでしょう?

「少しの間、あったね。パンクが出てくる前だよ。いつも、チャレンジの姿勢がくみとれる音楽を聞くようにしてたんだ。アカデミックな勉強という意味だけじゃなく、いつも同じようなレコードをプレイヤーに乗っけるのに飽きて、他のものを探し出すのさ。ジャズは、マイルスとかコルトレーン、オーネット・コールマン、ローランド・カーク、それにアンソニー・ブラクストン...、ニューヨークのロフト・ジャズと呼ばれてたものが好きだったね。こう、何か感じるものがあるし、心動かされた。でも、特にのめり込みもしなかったよ。将来、何らかの形でかかわってくるのかもしれないけど」

そういういろんな音楽への興味が、音楽作りに反映してるわけでしょう? そんな中で、知識的なこととエモーションをうまくコントロールしてるように思うけど。

「もっと厳密に言うと、気どりたくないけど、ポップ・ミュージック以外に、政治とか哲学にも興味はあるんだ。アート・カレッジに行ってる時、たくさんの人が絵を描いたりスタジオにこもって作業したり、自分のしてることにすっかり心を奪われてるのを見て、僕は、彼らは自分達のしてることをどう考えてるのか、ってことについて考えたりした。そういった疑問とかが、僕の哲学的な方向の考えの基礎になったんだ。

物事の意味、それについての考え方、それをどのように伝えるか...、そんな哲学的な問いかけを政治にも向けたよ。芸術や文化が、どう政治を支えているか、とう政治に支えられているか、また、それが一般の文化とどう違っているか、ってね。

大学時代には、本当に哲学書を読みあさった。絵を描くのはやめたんだ。余分なことだと思ったからね。ヴィッケンシュタインとか、フーコーなどのフランス哲学者について、ものを書いたりもしたかな。そうしてるうちに言葉ってものの影響力を感じたんだ。イデオロギーとか文化についても、いろいろ考えさせられるものがあったし。そういう方向からの考え方っていうのが避けられない形で僕の頭の中にあって、それが僕のポップ・ミュージックに対する興味の特徴をなしてるんだ。どうしてそんなに好きなのか、言葉をどう超えるのか、ってことを考える。言葉にすることの意味、そういうことのすべてが僕の興味の対象としてあるんだ。よく人がいう知的な関心事っていうか、直接本能的なものに対比してのそれっていうか、それがどこか表面に顔を出してくる。理性と感情をうまくあわせるっていうのは、非常に難しいことだからね。まったく正反対のものだからおもしろいよ。

音楽っていうのは、、リズムとかフィーリングとかで言葉や考え方を表現していくものでしょう? それらを直接的に表現しようとするわけだけど、その表現の場としてポップ・ソングを選ぶのは間違ってるからね。ポップっていうのは、そういう意味ではちょっとやりにくいところなんだ。フォーマットが決まってるし、やろうとしたこともあるけど、難しいね。ポップ・ミュージックそのものに惚れ込んでるのは事実だけど。

じゃあ、ポップ・ミュージックのメリットやおもしろさはどこにあると思います?

「メリットねえ...。それは最高のものを見なくちゃいけないと思うけど...、例えばアリサ・フランクリンとか。まあ他にもいろいろなアーティストがいるけど、それは複雑で興味深いことさ。フランキーにしろカルチャー・クラブにしろ、とてもミステリアスで力強く、何か心を動かすものがあると思うんだ。

僕はたくさんの政治問題を見てきた。そういうものの解決は必要だし、いろんなイデオロギーとかは、とにかく言葉で表現していくものだよ。例えばマルキシズムの問題ってのは、まあ僕の考えでは、人々にイデオロギーの問題をうまく訴えかけれていないってことじゃないかと思うんだ。人々が、強制されずにどのように組織を作り直していくかっていう問題ね。そういうことってのが意識の中に入り込んで、言葉として表われてくると思うんだ。でも音楽ってのは、言葉よりもっと抑制なしに何かを表現できるものでもあるんだよね。人々の怒りの発散というか、そういうものを映し出す方法っていうか、そのレコードの中に若者が彼らのアイデンティティを見つけられるようなものだと思うんだ。でもその反面、そういう中に溺れちゃうって面もあると思うし...。とにかくすごいよ。それ以上はっきり言えないけど、人々の怒りのパッケージみたいなものなんだ」

あなたが考えてることは、あなたの音楽の中で実現されてると思う?

「まだまだ、ほど遠いね。どこまでいけるのか、とごまで明確にできるのか、もっとよくできるようになるのかは、なかなかわからないことだし。僕が本当にやりたいのは、本を書きながらレコードを作ることなんだ。ポップにはどんな意味があるのかってことについて書きたくて。さっきも言ったように、こういう問題ってのは、やっぱり言葉での表現を必要としてるしね。ポップっていうのは、ヒントを与えることはできても、そこまでだと思うし。一曲ですべてを表現することはできないよ」

あなたにはアイディアがあるし、それに近づいていくってことは、いい目標になると思うんだけど。

「ポップのナイーブさや無垢なところはすごくいいと思うんだけど、それらをなくすことなしに、話題にされ方や理解の度合のレヴェルを上げるってのも必要だと思うんだ。表現力やまじめさがジャズや他の音楽に劣ってちゃいけないと思うよ。すごくシンプルなレヴェルで、例えば若者がレコードにどれだけお金を費やすかってことにさえ、結局は社会的な意味があるはずで、どうしてポップが大切なのかって考える前のそういう段階でも、おもしろいことだと思うんだ。それだけでも目標にしていきたいよ」

 

2002.1.8..

(このインタヴューは国内において、日本語で発表されたものです。)