The Polittics of ecstasy

Sounds magazine - May 1982

Interview by Simon Dwyer

 

彼はにこやかな、けれどもちょっとはにかんだような笑顔を浮かべて、夏の雨の中を私に近づいて来た。若い健康そうな、そして気さくで自信に満ちた様子のその青年は明らかに私を知っているようだったが、私にはまるで誰だか見当がつかない。

頭の中でざっと思い返してみても学校の友達でも顔見知りや親戚でもなく、思い当たった時には信じられない気持ちが先に立った。これがあのスクリッティ・ポリッティのグリーンなのか?

未だにその豹変ぶりが私には信じ難い。前に彼に会ったのは1980年のことで、その頃の彼は今とはかけ離れたイメージを持っていたものだ。神経質そうで繊細な外見は血色が悪くて健康そうには見えず、その瞳は射るような鋭さを秘めていて、アレックス・ヒギンズ(アイルランドのビリアード・プレイヤー)を連想させた。目には濃いアイライナーを引き、ジェット・ブラックの髪も整えられてはいなかった。

以前の彼は知的には鋭いが肉体的には酷い状態で、救いはその本質的な品の良さと類稀な声だと言って良かった。そしてそれはグループが共同生活していたカムデン・スクオットの、かび臭いブルースと本の世界から響き出していたのである。

きわめて独創的で将来的に影響力を備えたスクリッティの中心的人物として、彼は当代的な「取って代るべき」知識階級の代弁者となったばかりではなく、それとは矛盾するかもしれないが、意図せずして無政府主義的な共同社会のリーダーとなった。それは聖域と決定的勝利を求めてパンク全盛のノース・ロンドンに集ったアート・スクールの反逆児たちの集まりである。

彼ら独自のセント・パンクラス・レーベルから一枚のシングルと二枚のEPを発表するかたわらで、グリーンは断固としてマルキシズムや音楽的革命についてとうとうとまくし立て、このドイツ系ウエールズの「孤児」(崩壊した家庭とニーチェ,そして犯罪の混交)は、最も考え深く底の知れない人物としての定評を獲得していったのだ。

無名だったグループは間もなくその才能に適した地位を手に入れ、ギャング・オブ・フォアやジョイ・ディヴィジョン、バニーメンといった高く評価されるパンクバンドと肩を並べる存在になってゆく。しかしその頃になると日々の不摂生が彼らにその代償を求める所まで来てしまっていた。

1980年にギャング・オブ・フォアをサポートして、いつもの即興的なギグを終えた後、私とグループの面々は飲み過ぎ、話し過ぎて、ついには友人の家に転がりこみ床に沈没してしまったことがあった。その中で朝までしつこくタチの悪い薬を欲しがっていたのがグリーンである。数時間後、彼は酷い状態で病院に担ぎ込まれたが、その時すでに誰にとっても残念きわまりないこのグループの崩壊は始まっていたと言える。

9ヶ月の田舎での療養生活の間にグリーンは心理学と音楽の政治性について大論文を書き(いつの日か出版されるかも知れない)、言語の制約や共産主義、ポストパンクにおける美学的理論を放棄して、スタックス、アップルから日本の輸入モノに至るまで全般に渡る様々な音楽を聴きまくった。そしてすばらしい音楽を創りたいという切望にかられて戻って来たのである。信条や制約をかなぐり捨ててしまった結果グリーンは不誠実(フェイスレス)になったわけだが、「フェイスレス」はジョン・ピールのシングル・オブ・ザ・イヤーに選出され、ここに新たなる物語が始まったのである。

スクリッティ・ポリッティのデヴュー・アルパム「ソングス・トゥー・リメンバー」がついにラフ・トレードから今月末に発売されようとしている。制作に一年を要し、ラインナップの変更やチャートでのインパクトを出来るだけ効果的にするという、彼らにしては珍しい戦略上の理由からリリースが遅らされていたからだ。

現在のグループは暫定的に7名で構成され、その基本はビートであって、かつて彼らが嫌ったリズムの一致適合を超える方法を手探りするようなことにはもうこだわっていない。しかしそれはビートの強い感覚的なパワーを実感するに至ったからである。

***貴方の政治信条の変化がこのポップへの大変革をもたらしたのでしょうか、それともいずれはこの方向に来るということだったんでしょうか。

「あのままやり続けてたとしたら、まずこんな風にはならなかったと思うね。こうなるには幾つかはっきりと決意したことがあったんだけど、それはかつてぼくらが関わっていた対立的な政治姿勢というものが、多くの点でぼくに魅力も信頼性も感じさせなくなったからなんだ。」

「マルクス主義の一枚岩的な原理をぼくは否定した。もうそのメカニズムを支持することはやめて、音楽に移行したんだよ。それにぼくらがかつて出していた騒音にもウンザリだったしね。」

***じゃあ今ではずっとポジティヴになったということでしょうか。

「いや...。そうだな、自分を身動きできなくしてるものや大儀から逃れてしまうとね、例えばこういうもの、"私はマルキストで社会を科学的に理解している"、でそういう意識から逃れることが出来ると今度は自由になれるんだ。言ってみれば、それに強く固執していた前のグループは、結局混乱を引き起こしてしまったんだよ。」

「でもそういう信条を放棄してしまうことは、物理的にさえ辛いことだ。だって、自分の中から沢山のものを放り出さなきゃならないんだから。そうするためには"フェイスレス"になるより他ない。それが明確ではないまでも自由を与えてくれるというわけ。そしてその通り、ポジティヴな姿勢もね。これはポスト・ポリティカル・ポリティクス(訳注:後政治的政治...政治の後に来る政治。現在までの政治的思想をより包括的に発展させた視点。)とも言うべきもので、分かりにくい言葉だけど、今まで背負っていた荷物の中身をぶちまけてしまった時に、より政治的なものに関与する事になるというような意味なんだ。」

「政治に関わる言語を放棄した現在、未だ政治について語ることを大衆に納得させることは難しい事だと思う。より強い力を得たことは確かだけど、弱くなったものもあるよね。それが"フェイスレス"に"Tears of sorrow tears of joy(哀しみの涙、喜びの涙)"という一節がある理由でもある。」

***そのシングルを買ってくれる人が、貴方が以前に変わらず政治的であるという事が理解出来る、もしくしは理解する必要があると思いますか。

「"フェイスレス"は適当な例じゃないね。ぼくの言う政治というのは、今では昔のように議論の対象でも福音的なものでもなくなっているからだよ。でもそれを整理してもう少し分かりやすく描き出した曲もあるけど。」

「それに今では音楽業界に対して手厳しい非難を浴びせるってこともなくなって来てるしね。政治的に何が顕著な点であるかはっきりさせるためにも。ぼくの言う政治性に対する妥当な理解は、多くの作品を通して、そのうち見えてくるものじゃないかと思う。意識するとしないに関わらずね。」

***私たちが初めて会った1979年に、貴方がメジャーなレコード会社を打倒してやりたいと言っていたのを覚えてますよ。

「打倒ね!! まあそういうものがかなりパワーやビジネスの勢いを削いでいたとは思うけど、それから得るものもあったんだ。そういう姿勢がなかったら、そもそもレコードなんか作り始めなかっただろうし、ぼくらはそこから力をもらってたからな。でも結果的にそれが泥沼状態や混乱を招いたんだ。インディペンデント・レーベルは大きな会社がそうであるように互いに攻撃的に争うようになり、おしまいには様々なセクトに分かれて膠着状態に陥っている。」

***では、バンドに取って今でもインディペンデントであることやディミスティフィケーション(訳注:神話性の除去...スクリッティを始めとした当時のインディペンデント・レーベルによる、レコード制作の透明化を狙う活動。大企業によるレコード制作の不透明な部分を変革することを目的とした。)は重要なことなんでしょうか。

「今でもインディペンデントだよ。でもね、それは必ずしもインディペンデント・レーベルと同義である必要はない。以前はそう思っていたんだけど。それによる効用はストップしなきゃいけないんだ。もしオサラバしないとすれば...、まあ以前はそれから得るものもあったけど、同時に邪魔なものでもあったんだよ。」

「余程うまい口実でもみつけない限り、今ではぼくは以前のようなやり方が正しいとは思えないだろうしね。どちらにせよ僕らは器楽奏者的なアプローチはしてこなかったけど、音楽は僕らの政治信条を押し付けるための道具じゃなかったんだ。歌というものは左翼主義者がよく使った酷い例えみたいにハンマーやメスや鏡のようなものじゃない。今までも歌というものは、そうじゃなかったし。」

***逆に言えば、今では昔のスクリッティをシニカルに見ているということなんでしょうか。

「今のところ当時からはかけ離れた所にいるということに、とても満足してるよ。いつかは自分の中でその時代を適当な場所に位置付けることは出来るだろうけどね。」

「ぼくらの始めのシングルは凄かったと思うよ。でもピール・セッションのEPは酷かったな。ホントにどうしようもないレコードだった。まるで当時のぼくの精神状態のインデックスみたいで驚くよ。今じゃ全く自分でも理解できないようなものだけど。」

***当時のことを話して下さい。病気のこととか。

「不健康、神経衰弱、その他悪いものが集大成した結果だったね、あれは。知ってると思うけど、当時ぼくは自分の身体なんか全く気にかけてなかったし、それで当然と思ってもいた。でもそういうこと全てが知らないうちに蓄積して来ていて、気がついたら病院のベッドで上から覗きこんでいる人たちの質問に答えてたというわけ。」

「で、最近何か食べたかと聞かれて初めて全く何も食べてなかったことに気がついて、どこに住んでるのか聞かれて、ゴミだめみたいな所だと気付き、最後に眠ったのはいつかと聞かれて、長いことロクに眠っていないのに気付くといった始末さ。更には一日どれくらい飲んでたのか聞かれて、ふと振り返ると「ウソだろ!」みたいな量で、何か心配事はあるかと聞かれて、何もかもに不安がってることに気がつく。」

「そしてそこで自分は死ぬかもしれないという衝撃に見舞われたんだ。今じゃすっかり健康だし、満足してるよ。」

***グループの経てきたそういう日常はレコードのカヴァーにもなっていましたね。

「うん。今ではスクオット時代は終わってしまったけれどね。熱狂的なファンなら15000枚作った"スカンク"の、コーヒーじみがついたようなゼロックス・コピーのジャケットを、レコード・コレクションの底の方にでもしまっておくのかもしれないけど。今では僕らのジャケットはトリノでロボットが作ってるんだよ!」

「ダンヒルやEau Sauvageのパッケージを気に入ったもんだから、そういうカバーを見習うように努力して来たんだ。ダンヒルの小さな包みなんかは普遍性があるだろ。今の僕らのレコードと同じように気軽に近づけるというかね。」

「今じゃレコードが売れて欲しいと思ってるよ。"コンフィデンス"や"スイーテスト・ガール"がうまくレコーディングされて妥当なプロモーション展開を得られてたら、ものすごいヒットになったと思うから。そういう意味ではラフ・トレードの真価が問われる時でもあるし、そのセールスと共にビッグになれるかどうかも興味深いところだな。」

「そういうわけで、とてもクオリティが高いポップ・レコードを作っているし、作りつづけていくつもりだよ。」

***有名になりたいと思いますか。

「そりゃね! なれると思うし、徐々にそうなっていくんじゃないかな。マージナルであることに、こだわる必要はないと思う。そういうのは僕のやり方にも性質にも合わないし、僕としてはレコードの作り方に関する問い合わせを山ほど受け取るより、レコードが沢山売れる方がずっといいからね。何故なら、僕のエネルギーも信条も音楽にこそ注ぎ込まれるべきもので、誰かの出来損ないの作品を150枚ほど作って売るためのアドヴァイスに向けられるべきじゃないと思うからだよ。」

「DIY(Do it yourself = 自費制作)レコードの改革運動者なんてことはやめたんだ。今ではバカげてると思うし、そういうことをやっている人たちに対する今のアドヴァイスは"どうかやめてくれ"ってことだけだよ。」

***LPはどんな仕上がりになっているんですか。

「さまざまな要素を盛り込んだメロディアスなものになってるよ。曲の上に心に響くようなヴォーカルと女の子のバックコーラスがキレイにかぶってるって感じのね。独自の様式を必死で打ち出そうとしてるようなものじゃ全くなくて、ブリリアントだしパーフェクトだよ!」

***その確信はどこから来てるんでしょう。

「僕の知る限り、このレコードは全てがバランス良く決まっているということからだよ。今の僕らはものすごく調子よく行ってるんだ。土曜にはピール・セッションをやったし(今週放送予定)、それもバッチリだった。グループとしてものすごくまとまった演奏がやれて、そういうことからも成功を確信する以外にはないと思う。それに、僕自身はいつも落ち込んでることに、いい加減ウンザリしてるしね。」

***じゃあ今度こそツアーの可能性もあるわけですね。

「面白いことを聞くね。そのピール・セッションが、ここ暫くのうちで初めてやったライヴだけど、とても楽しめたし、だからまたツアーをやる可能性はあるかもしれない。」

***貴方がずいぶん分かりやすい人になったように思いますよ。以前はインタヴューと言えばわかりにくい言葉で煙に巻くのが常だったし、それはメディアでやってゆくにしてはコミュニケーションの点で不利な部分だと思ってましたから。近づきやすい存在になるために意識的に決めたことなんでしょうか。

「今では自分でもどうしてそう理解しづらい人間だったのか理由がわからないんだ。特にあいまいな存在でありたいという意識があってああいう話し方をしていたわけじゃないんだけど、たぶん僕を理解しようとしない人たちに対して、傲慢な部分があったんじゃないかと思う。そう思ってたんだよ、誰でもそうなのかもしれないけど、誰もがレコードを作るってわけじゃないからね。」

「そういう変化は徐々に起こったもので、ある日突然そうしようと決めたわけじゃないんだ。もし長いこと本に埋もれた生活をしてたんじゃなかったら、ああいう言葉が頭のいつも出てくるところにはなかったと思うけど、当時の僕はものすごく本を読んでいたからね。」

***いつも思ってたんですが、以前のグループではセオリーだけは売るほどあっても直感に欠けていたんじやないでしょうか。

「その通りだよ。今じゃもう長いことフランスのわかりにくい哲学者に頼るようなことはしてないし、パワーはたっぷりあるけど思想的には根無し草の状態だからね!」

***ジャック・デリダ以降はね。(デリダはフランスの哲学者で"ソングス・トゥー・リメンバー"には彼にちなんで名付けられたボサノヴァが収録されている。)

「うん。彼に関するその曲が、たぶん次のシングルになると思うよ。内的な切望がどれほど強くて矛盾するものかということについて歌ったんだ。」

「(この曲は)魅力のあるものと極右思想、魅力あるものと左翼主義、ぞれぞれの間で引き裂かれてしまうこと。でラップの部分ではどちらも切望のために不用な物になってしまうということについて歌ってるよ。」

++(ジャック・デリダのラップ部分)++

きみが与えられる以上のものが欲しい

でもキミが持っているものならなんでももらうよ

切望というものは欲張りなんだ。

丸ごときみを食い尽くしてしまいたいくらいね

 

これをラップで表現するとは、大変シャープな演出である。

2001.7.25.-2001.8.6.