Where radical meets chic NME magazine - October 1981 Interview by Barney Hoskyns
「スクリッティ・ポリッティ」 ― 彼らの「政治文書」がどの点にあるのか疑問に感じられたことはないだろうか。私はずっとその核が、音楽にあるのか精神性にあるのか、もしくはありきたりな決り文句の中にあるのか分からないでいる。スクリッティの音楽業界を侵食しようとする小さな試みは、私にはあまりにも作為的に感じられたのだ。 けれども「スイーテスト・ガール」において、「スクリッティ・ポリッティ」は全く新しいグループに生まれ変わった。まるで長い休暇を経たように、にこやかに日焼けした笑顔で舞い戻り、今しもLPをリリースしようとしているのだ。 構造主義と記号論を徹底的に研究することを通して、アート・カレッジ時代からマルクス主義を信奉したパンク・バンドだったわけだが、それから現在の「ポップ・グループ」へという変貌は、いささか奇妙な放浪を感じさせる。音楽的にも政治的にもだ。 2年前のスクリッティと言えば、ロック・プレスを相手に彼ら独自の考え方や言語を武器に戦いを挑んでいたと言っていい。グループのイメージは ― 特にその中心的人物、シンガー、ライター、ギタリストであるグリーンのイメージでもあるが ― 知的アウトローが集まることで名高いカムデン・タウンにスクオットしていることもよく引き合いに出されたように、普通のポップ・バンドが読んでいい数を遥かに超えた本を読みまくっているバンドというようなものだった。 このイメージのせいで、実はグリーンが大変音楽そのものを愛していること、その畏敬の念、ユーモア、喜びといったようなものは、すっかりぼやけてしまっていたのだ。そうした歪みは言葉を超えた美に対する喜びを希薄なものに減じ、言語の基本的なルールに引き戻すことに狂信的なグリーンを生み出してしまった。グリーンが書いたものも、その救いにはならない。***「美学とは、それ単体で存在するものであり」、その一つはこう続く、「行き着く先のない会話以外に、何の有効性も供給し得ない」
グリーンはニーチェが「The Birth Of Tragedy」の中で言った「世界は美学的な現象としてのみ正当化される」という永遠の真理を忘れてしまっているようだ。全く明らかなことだが。 しかしもしこのイメージを無視するとしても、音楽そのものがいささか厳格にすぎる。2枚の7インチEP、 Pre-Langueと名付けられた12インチ、それに「スイーテスト・ガール」までの全ての作品を含めても、この時代の一般的な音楽のようにオープンで自由な響きを持っているとは言い難い。彼らの飽くなき焦燥と通常のロック的構造に陥ることへの懸命な否定、それは何をも実を結ばないコンセプチュアリティ(概念形成)のオーラを感じさせるものだ。 抽象性や、ポップにおける罠について熟知していることをひけらかすことで、スクリッティ・ポリッティは人工的な檻の中に自らを隔離している。確かに気は引けるし、公正ではないかもしれないが、その音楽の危険性は形を変えたポップ批判であるという事実のみにあると思う。耳に不愉快なのは、社会階級に属すこともなく、スクオットの中で乾いて腐敗したような鼻につくトーンでグリーンがその声を使う時だった。 残念ながら、そういうイメージはずっと完全には消えなかった。そして1979年の終わり頃、どういうわけかグリーンは著しく健康を損なう。あまりにも酷くなったせいで、彼はその後9ヶ月間回復のためにウエールズに引きこもることになった。それで1980年は全くの沈黙期間だったわけだが、その間こうしたプレス・イメージはそのまま引きずられ続けたのである。 そしてついにその沈黙が破られた時、現れたのは少なくとも1ダースもの新曲と大部の音楽に関する理論上の雑文を携え、全く新しいスクリッティ・ポリッティに対するヴィジョンを持ったグリーンだった。彼が戻るやいなやグループはスタジオに入りLPの制作に取り掛かった。ロンドンを去る前、グリーンはドラマーのトムとベーシストのナイアル(最近バンドを去ったばかりだ)に、「次にやるのは」ソウルやファンクだと言明していたが、グリーンが戻ってから彼らは「スタックス風に」やり始めた。 スタックスのすばらしいリズム・セクションから影響を受けるばかりではなく、確かにダック・ダンやアル・ジャクソンのオーラが「スイーテスト・ガール」には輝いているが、この曲の試聴版が入ったNMEの「C-81」カセットで初めて聴いた時、79年のスクリッティに何かが起こったとはっきり感じることが出来た。スピーカーやヘッドフォン、ウォークマンを通して流れてくるのは、ソフトでスイートな誘惑的な音色、軽やかなドラム・マシーン、シンセやピアノと滑らかにスイングするベース、要所要所で決まる音、そしてアーサー・リー以来の澄んだうっとりさせるあの声だった。 いったいどんなすばらしい病気にかかれば、こんなことが可能になるのだろうか。ポップに要求されるそのままにシンプルで魅力的なサウンドである。商業的な業界に対する大胆な論理的挑戦は影を潜め、代わりに現れたのは素直で愛に満ちた色彩豊かな音だ。ポリッティは魅力溢れるポップの世界に密かに侵攻し、現れた時には作法にかなった穏当な音楽をエキゾチックなそれに変えていたのである。 こうしてメタモルフォーゼを遂げたスクリッティの新しいアルバムを我々は現在待っているのだが、それはソウル、ファンク、ラヴァーズ・ロック、バラッドなどが融合され、今までにない楽しい経験を与えてくれるものとなるはずだ。さて、それではスクリッティ・ポリッティの新しいインタヴューをお届けしよう。ポピュラー・ミュージックの世界において今まででもっとも感動的な声を持つグリーンの話をストレートにお伝えする。もう言葉は費やすまい。 以前はインタヴューの際によくトラブルがあったものですが、どうしてだったのですか。 ぼくらの話すことがそのへんのコドモにわかりにくいってことで責められるということがよくあったね。ぼくが困ったのはまず、この「そのへんのコドモ」って概念がやっかいに思えたことと、どちらにせよぼくらの話がそれほど理解しづらいとは思わなかったせいだと思う。でもNMEスタイルってのはごちゃごちゃとした特異性に陥ってて、ぼくら自身よりもさらにわかりにくい存在になっているとはよく思ったもんだけど。 LPのレコーディングに時間がかかっていることについて聞かせて下さい。 たくさんアイデアがあってね、特に歌詞とか。そういうものがスタジオ入りする前にまとまりきらなくて、少しずつやっていこうと決めたんだ。それにぼくらはアダム・キドロンと仕事をしてて、彼はデルタ・ファイブやPere Ubu、オレンジ・ジュースなんかとも仕事してるんだよね。そういうわけで時間がかかったんだけど、加えて参加ミュージシャンがとても大勢いて、その多くが2時間きざみのスケジュールでしか動けなかったんだ。 *** ここで少しバンドの背景についてお話したい。グリーンとトムはリーズのアート・スクールで知り合ったが、そこでは文化や教育が通常より全般的に政治的なものに繋がる。当時セックス・ピストルズのアナーキー・ツアーなどというものは、単なるロック・バンドを結成することとはまるで違うもののように感じられたので、彼らは「パンク・グループ」を結成することに決めた。グリーンとサウス・ウエールズで同じ学校に通っていたナイアルはリーズに来て3週間でベースを覚えたという。 そういう状況下で、「政治的にはリダクショニスト、エッセンシャリストになり、同時に議論的になって行った。でもこれはそういうレコードに熱狂するのと同じくらいパンク・バンドを作りたいと思う僕らに取ってすばらしい点だったんだ。政治に対する誠実な真剣さもあったし、知的要素から免れないとは言え楽しくもあった。政治性というのは、思うに随分変化したけれどね。」とグリーンは言う。 あなたの病気の他に1979年の一時的なグループの解散には何か理由がありますか。 素材が不足したことと、演奏についての技術的な限界。まあそういう中でも楽しんではいたけど。その頃にはなんとか立ち直ろうとする努力に焦点を当てるようになってて、ジョイ・デヴィジョンやバニーメン、ギャング・オブ・フォアなんかとも積極的につきあってた。でもそういう事みんなが僕には結構な骨折りに思えてさ、自分の健康もないがしろにしてたし結局それで具合も悪くなったんだけどね。 そもそも貴方にとって問題は言葉にあったわけで、それなのに何故音楽を選んだんでしょう。 通常のアートやカルチャーというものにウンザリしてたからだよ。音楽の魅力やどうしてそれを選んだか、それでどうするつもりだったのかについて話すのは難しいことだけど、そういうものはパンクによって僕らの中に生まれたものなんだ。それと言葉を使うこと、乱用することについてもずっと考え続けてたことだったしね。 音楽に関する考え方がフレキシブルになったわけですが、言葉との関係も希薄になったのでしょうか。それとポップ・ミュージックは人々の感情に様々な事柄を激しく訴え得ると信じていますか。 ポップというものは言語やロゴセントリズムの枠外にあるものだ。そうだね、音楽に言葉のような「厚み(thick)」はない。言葉は煮込んだスープみたいに例えばバースのイメージしたものにしても、気をつけていないと「愚鈍な(thick)」ものになりかねない。音楽は限定されてはいるけれど、同時に果てしないものでもある。しかも意味というものがない。音楽にあるのはパワーそのものであるという点で、確かに衝撃的で通常の感覚から逸脱していると思うよ。ぼくは音楽について「もの知り」なつもりもないし、それを捕まえて飼い馴らし、自分の用に供しようなんて考えてもいない。全く正反対だよ。それはぼくのポップ・ミュージックに対する畏敬の念から来るものだし、特異性のある音楽と比較してずっと反閉鎖的なものだと思うしね。 でも、問題はそういうことじゃないんだ。反復されることによる認識や本質的な同一性の破壊について理解する必要がある。反復による主張、反復による容認、反復による神話性の除去、そういうものは一枚岩的で、限りなくパワフル、その最も小さい一片でさえ影響力がある。言語と文法によって手に入るのは構造的で制限的なものだけど、音楽(ビート)における文法というのは同時に建設的かつ破壊的な喜びをもたらすものなんだ。これまでのどのような音楽的現象もビートやその反復作用に勝るものはないし、批評の歴史や産業もそれを凌がない。条件付けに基づいて進む必要はあるけど、ぼくらの音楽が冷静に計算されたものであるとか、堅苦しいものであると考えるのは間違ってると思う。ビートには「知識」なんてないし、あるのは重大な変化についての型にはまらない強い主張だけだ。ポップの根底にはパワーがあり、知識を一掃する。言語による束縛、知識の優越性を阻止することが、ポップにおける最も重要なポイントでもあるんだ。 "Pre-Langue"12インチに比べて、新しいスクリッティの音楽はある意味でラジカルであることをあまり意識していないということなんですか。 うん、本質的にある音楽がラジカルであるとかそうでないとかいう考えは信じてない。なぜならそれはその同時期に書かれた他の曲との相対性によるものだからだ。でもぼくは過去にぼくらが作っていた音楽の奇抜さや特異さは好きじゃなかった。と言うのは、「現実と合致している」もしくは「適性にかなっている」という点での正常性と、一歩引くとか離れる、珍しいとか特別という点での閉鎖性によって特徴付けられていたと思うからだよ。努力して得ようとかそれに属しているとか意識していたわけじゃないけど、新しい音楽の方向性はまさにそれから離れようとするものだと思うよ。 そういう新しい音楽、この「ポップ」ミュージックを妥協だとは考えていないんですね。 あのね、元来ポップ・ミージックというものは性質の異なったもの、皮肉なものなんだ。犯罪とかセクシュアリティとか狂気とかね。画一的なものとは正反対だと言っていい。もちろんその異質性は代案を構築しようとする馬鹿げた試みやあれこれ話すことによってではなく、聴く事によって、またその語られずに存在するものを認識することによって明らかにされなければならないわけだけど。でもポップは少しも閉鎖的ではなく、また異質性を秘めているものなんだよ。 けれどもポップはとても条件付けが厳しく、公式化されたものではありませんか。 ポップに歴史的な決まった条件づがあるとは思ってないよ。その意味は言語によって決定されるものとも思ってないし、ぽくらが出来ることはそれとうまく歩調を会わせることだけだと思う。こう言うと以前のインタヴューと同じ印象を与えるかもしれないけど、ぼくは全くそうは思わない。 誰でもそういう印象を受けると思うんですけど。 うん、全く残念だよ。気の効かないことを言うようだけど、ぼくが書いたりやったりする事の裏には、いつでも並ならない情熱と怒りがあるんだ。もし以前のレコードがきみをうんざりさせるようなものだったとしても、ぼくにはそれについて出来ることはない。でもぼくは生きて行く過程でその人の歴史が築かれ、そしてそれをずっと引きずって行かなければならないものだということについては恐さを感じるね。ぼくの書くものに真髄というものはない。それにその過去からキャラクタライズされるのもお断りだ。 「神話性の除去」ということについてですが、それはもうZoundsみたいなラフ・トレードの他のアーティストに任せておくべきなんでしょうか。 「神話性の除去」というのは、しかつめらしいこだわりじゃなかったんだ。ぼくらが鉄壁の保証を得られる過去や意義についてこだわることでもなかった。当時確かにぼくらはそれにこだわってたけど、でもそれは音楽を衛生的にクリーンナップするとか、逆に汚すとかいう作られた概念を意味してはいなかったんだ。それにとりわけ音楽を擬人化することでもなかった。それにぼくに関する限りは、既に音楽が囚われていた批評的な認識から解き放つ方法でもなかった。 究極の神話化や疎外というものは、人々がその通貨 ― この場合ポップ・ミュージックのことだけれど ― が、何らかの形で貧窮化したと思いこまされた時に起こるものなんだよ。 2001.6.17.-6.20. でもざまざまな通貨、つまりさまざまなスタイルのポップ・ミュージックがいくらかなりとも商業性に侵され、価値や意義といったものを失い始めているのじゃありませんか。 さあ、どうだろうね。例えば60年代のダンス・ビートというものは、それ自体で伝説的なものだということが僕には好ましい事実なんだ。それは消費側、つまりオーディエンスに使われて来たわけだけど、オーディエンスは誰が作品の背景にいようとも作者と同じくらいその制作に関わっているものなんだ。それがポップにおいては面白い匿名的効果なんだけど、ぼくはこれが大きな曲解であり、振り返ってみると皮肉な成り行きでもあるとも思う。何故なら作品の制作者はその作者ではないからだよ。つまり作られたイメージの中には作者の真意は置き去りにされているということだ。例えば「ザ・スイートスト・ガール」における"スイート"とは...、そもそも穢れ、それとも犯罪性と言ってもいいかもしれないけど、そういう内的意義を含んでいるからね。
LPについてコメントはありますか。 出来上がりには満足しているよ。以前と同じようなアンチ・ロッキズムとか、そういうものについてのスクリッティの申請書のようなものでは全くないしね。 1978年において貴方にとってダブやジャズが大きな影響力を持っていたわけですが、今回のアルバムには何かそういったバックボーンになるような影響はあるんでしょうか。 "Pre-Langue"を作るずっと前に聴いていたものはソウルやファンクだったんだ。その頃はよく分かって聴いてたわけじゃないけどね。1979年の夏頃になると、例外的なものを除いて僕はもう小さいレーベルのレコードをすっかり買わなくなっていた。それは当時既に、プレスが騒ぎ立てていたアンチ・ロッキズムなるものが見かけだおしのものになってしまっていたという事も理由の一つだと言える。そういうものから抜け出して、まあ当時のぼくには孤立状態に思えたものだけど、シックだとかジャクソンズ、それに古いスタックスのレコードなんかを買うようになったんだ。そしてその中にアレサ・フランクリンやシャーリー・ブラウンを発見した。(インタヴュアー・コメント : おいおい、中には14才で既にアレサ・フランクリンを「発見」してた奴もいるんじゃないの? ― まあね、読者諸君。僕はかなりヒップ(物知りな、世事に通じた)なコドモだったんだろうね。)それから僕は初期の英国のビート・ミュージックに還って、The Metersとか、そのへんを果てしなく聴き続けたよ。 そういうものによって僕は音楽に開眼した。国中に同じ体験をしているヒトは山ほどいると思うんだけど、誰もそれについて書いてはいないよね。(インタヴュアー・コメント : おい、こいつなんとかしてくれよ!!)ラジオで流されているわけでもないし。(シックが? ジャクソンズが?)そういった音楽のパワーやヴァイオレンス、セクシュアリティ、それにもちろん匿名性といったものが渾然一体となって今度のLPに影響を与えているんだ。そしてそれは基本的にラヴァーズ・ロックやソウル・バラッド、それに色あせることのないブラック・ミュージックにも迫るものだと思う。 だから確かに大きくブラック・ミュージックに傾いているとは言えるけど、でもどれほどそれから学んでもやっぱり音はホワイトだよね。ある部分は享楽的で楽しいものだし、別の部分ではかなりメランコリーなんじゃないかな。 タイトルはもうつけましたか? 始めレコーディングに入った時には「スタンド・アンド・ディリバー」にしたかったんだけど、もうずっと前にアダム・アントが同じタイトルを使っちゃってたんだ。で次に「ジュニア・ギチ」、ギチというのはアメリカの古いスラングで、鋭いとかスマート、威勢がいいみたいな意味なんだけど、アメリカから帰って来たらジュニア・ギスコームというのを見つけてさ。運命的にそういうタイトルは排除されたと言うか... でもレコードを振り返ってみると、何を歌っているかと言えば「管理されながら溢れてくるもの」についてなんだよね。ある意味では、慎重と厳密、スタイルと韻律、時間的要素の明確化、それは引き起こされるエネルギーに比べてシンプルでさえあるんだけど、控えめに表現すれはするほど、スタイルが「古典的」であればあるほど、殆ど浸透性と言ってもいいようなエネルギーを引き起こして欠落した部分を充足する。それは僕がスタックスに出会った時に感じたもので、そのビートやスネア・ドラムとかね。空白が充足を要求するというか。それはヴァイオレントでさえあり、劇的に溢れてくるものでもあるんだ。そしてそれは僕にとってこのLPの曲を書いていた時に、とても重大な要素だったんだよ。 「C-81」カセットのマニュアルの中で、「感覚的なものではなく、意味の上でフェスティバルのようなもの」と言ってましたよね。それは今言った事と相反するように思えるんですが。 音楽において興味深い点なんだけど、それは1小節4ビートという中に本来は見出すことの出来ない大きなセクシュアリティや喪失、喜びが存在することと関係がある。例えばfootsy-footsyの意味する所は、性的、感情的、肉体的な反応全体を関連づけるということであり、僕の言っている言葉に出来ない音楽的なパワーにいくらか光を投じる方法でもあるんだ。わかるかな、密かに示される一連のジェスチャー...、それは語られることのない秘密でもあるんだけど。もし必要性がある場合にはその真に意味するものを見出すことがもちろん可能なんだけど、業界のためと、それに音楽が消費される状況を継続するために、評論家やレコード会社、ミュージシャン自身もそういう方法を際限なく続ける必要があるんだ。でも基本的には音楽が表現するものは大きなミステリーで、ドラッグのようにはっきり見ることができないほど効果的だと言えるね。 貴方の知的な部分、こう言って良いならですが、それは現在の方法論の中で、どういった位置にあるものなのでしょうか。 グループは明らかに変わったし、その変化はとても大きいものだ。その信条は知識体系としての歴史が未来において意味をなし得ると信じていたエッセンシャリストそれにリダクショニストとしての立場から、人間には必要性、要求、切望といったものが内在するということ、そしてそれを満たすためには戦わなくてはならないということを認識する方向へ移ったと言える。つまり今の僕らの音楽は、ある点では大文字のPを伴う政治性(固有名詞としての政治性=特定の意味を伴う政策)を示すものになっていると同時に、ある点では完全にそれを超越したものでもあるということなんだ。現時点では僕は僕たちの興味がずっと何にあったのかについて、より前向きに正直に感じていると思う。善良な、殆どカトリック系左翼主義者として育ったとしたら、自分のセクシュアリティや内的なパワーを恐ろしい物として感じる時期があるけれども、今ではもう僕たちはそういったものに対して臆病じゃない。そしてそういうものをコントロール出来るということも、はっきりと確信している。 そうするとスクリッティの変化は、言語的に問題の多いグループからソウルでセクシュアルなグループへのものであると理解しても良いんでしょうか。 言葉の問題というのはこのLPでもそれぞれの曲の本質的なフィルターとして存在してるよ。それは殆どの場合、愛やセクシュアリティと関連して機能している。どのような問題に対してでも発言する時に第一に考えなければならないことは、― ちょっと待てよ、その質問はどんな意味で提出されたのか? ということだ。でもスクリッティが「よし、これがタブーだってことは分かっている。その仕組みを使うような規則違反よりはもっとマシなやり方を知ってる」なんて感じで仕事してると思ったら大間違いだよ。誰でも同じようにやってると思うんだけど...。そうだな、ベース・ラインと曲を持って来て、遅かれ早かれ歌詞をつけて、それからあれこれ、というね。でも僕たちが自分たちの音楽に感じている喜びというものは、言葉で表現出来るものじゃないんだ。最近ぼくが使った修辞を引用してこのインタヴューを完了するとしよう。「全ての言葉が引用符に囲まれ、全ての概念が整理された時には、我々はそれが語られる前、そのメッセージもしくはパフォーマーや評論家の理由付けが混合する前、そして魂なき魂(その原点)に戻る。」 ああ、これは酷く混乱したフレーズだね!! 2001.8.10.
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