〜〜 宣戦布告 〜〜
晴天の空の下、一面の蒼い大海原を純白のクルーズ船アーク号が航跡を曳いて滑るように進んでゆく。マーティアたちの島で優雅に春休みを過ごしたデュアンとファーン、それにディを伴って、彼らを送りがてらアークは数ヶ月ぶりにクランドルに寄港すべく、太平洋上を順調に航海していたが、全長数百メートルにも及ぶ巨体も、この広大な海の上にあっては移動する小さな点でしかなかった。
「アリシア博士、ちょっといいですか?」
デッキで海を眺めていたアリシアのところへデュアンがやって来て声をかけた。そちらを見てアリシアは気の無い様子で頷いて見せただけだ。いつの間にか密かにディの内緒の恋人におさまってしまい、必然的かつ一方的にアリシアをライバル視しているデュアンに対して、彼は基本的にいつも態度が冷たい。本人としては決して嫉妬してそういう態度に出ているわけではないし、そもそもマーティアという歴とした恋人がいるアリシアにとって、その片手間でつきあっているディが今更ひとつやふたつ妙な遊びを始めたところで気にするほどのものでもない。今までだってディは、アリシアがいるのに散々女性となら遊んでいるのだし、そんなものいちいち気にしていたらキリがないだろう。しかし、デュアンの方がアリシアを最大のライバルと思っているようなので愛想よくしてやる必要もないと思うのと、どうも今回のはいつもの遊びと言い切ってしまうには多少勝手が違うような雰囲気がしないでもなくて、アリシアとしてはちょっと複雑な気分でもあるのだ。
「ディに聞きましたよ。アリシア博士、この前ぼくにウソつきましたね」
「ウソ?」
「ぼくとディのことですよ。ディから聞いた、なんて全然全くウソだったんじゃないですか」
「ぼく、言ったっけ?
そんなこと」
「言いました」
「ふうん」
「ずるいですよ、あんなひっかけでぼくに白状させるなんて」
「ひっかかる方がバカなんだよ」
アリシアがしれっとして言うのでデュアンは内心むかっとしたが、ここで感情に走ったら負けとあえてそれは見せない。なんと言っても相手は8才で物理学博士号を取った大天才でディの15年来の恋人、しかも自分より16才も年上なのだ。太刀打ちできない不利な条件の三段積みだが、少なくともガキと思われるのだけはデュアンは意地でもイヤだった。それで気にしないふりを決め込んで、彼は本題に入ることにした。
「それにディとつきあってるくせにアリシア博士ってマーティアが本命なんですって?」
「あ、おまえマーティのこと呼び捨てにしたな。ルーク博士と言え、失礼だぞ」
「マーティアがいいって言ったんです。彼もぼくのことデュアンって呼ぶからって」
「あっ、そう」
「そんなコトいうなら、アリシア博士こそ断りもなしにぼくのことデュアン、デュアンって言ってますよね?
おまえ、とかも言うし」
「ガキはそれで十分なんだよ」
「ガキ、ガキって、それこそ失礼じゃないですか。ぼくはいつもちゃんとアリシア博士って呼んでますよ」
「はいはい、それは失礼いたしました」
「気をつけて下さいね。で、聞いてるんですけど?
マーティアの方が本命って本当ですか?」
「マーティアって呼ぶな」
「だから、マーティアがいいって...」
「ほんと、おまえって可笑しなガキだよね。そもそも自分の父親に恋なんかする?
女の子ならまだわかるけど」
言った側から、おまえにガキでは、アリシアがまるっきり反省していないのはデュアンにも明らかだったが、水掛け論になりそうだったのでぐっと我慢して彼は本題の方に集中することにした。
「そんなこと言ってもムダですからね。それについてはディに告白する前に自分でも散々悩み抜いたんです。それでも好きなものは好きなんだから仕方ないじゃないですか」
「お、開き直ってるじゃん」
「そうですよ、悪いですか?」
アリシアには内心、デュアンが大真面目で言うのが可笑しかったが、それほどディが好きらしいと分かると改めて苛めてやりたくなるのも彼の性格だ。このあたり、長年ディとつきあっていてその悪いクセがうつってしまったようである。
「あのね。確かにぼくにはマーティがいるけど、それを知ってて割り込んだのはディの方なの。おしかけのおまえと違ってさ、彼はぼくを愛するあまり、強姦までしたんだから」
それを聞いてデュアンは今度こそ本マジで怒って言った。
「ウソです!
ディがそんなことするわけないじゃないですか」
「そう思うんだったらディに聞いてみな。それにそのことはマーティだってアレクさんだって知ってるよ」
また大ウソに決まってると思いたかったが、マーティアのみならずアレクの名前まで出て来ては、もしかしたら本当かもと思えてくるから困る。
「ともかくそういうわけだから、さっさと諦めた方がいいんじゃない?
何があってもディはぼくとは別れないよ」
言われてデュアンはひるみかけたが、何か言い返さなくてはと無理矢理態勢を立て直した。
「自分だってヘンじゃないですか。お兄さんとそういう関係なんだったらヒトのこと言えないでしょう?」
「残念でした。ぼくとマーティがそうなったのは、ぼくたちがバークレイ家に入るずっと前のことなんだからね。それにぼくたちには血のつながりはないよ」
もちろんそれは知っていて言ったデュアンは一瞬言葉に詰まったが、こちらもこちらでそのくらいのことではすっかり負けてしまうほど、ヤワな神経はしていない。口げんかでは何でもいいから相手の弱点を攻撃して、言い負かした方が勝ちとデュアンもよく心得ている。
「アリシア博士って、すっごくキレイだけど、すっごく意地悪ですよね」
「キレイってとこだけもらっとくよ」
「勝手に選らないで下さい、セットなんですから。とにかく!
マーティアがいるのにディも、なんてずるいですよ。マーティアのことが好きなんなら、ディとは別れて下さい」
「やだよ」
「なんで?」
「だから言ってるだろ?
ディの方が別れないって」
「アリシア博士はどうなんですか?」
「おまえね、面と向って無粋なこと聞くんじゃないよ。それなり好きじゃなかったら、15年もつきあってるわけがないだろ」
当たり前のことを言われて、デュアンはとうとう黙るしかなくなった。しかし、それで引き下がるくらいなら、こうやってマーティアのことを問い質しに来たりはしない。言うべきことは言ってやるぞという意気込みで、デュアンは再び挑戦的に言った。
「じゃあそれはそれでもいいですけど、言っとくことがあったんです。アリシア博士みたいにカケモチじゃなくて、ぼくはディ、だ、け、が好きなんですからね。だから、必ずいつかアリシア博士からディを奪って見せます」
どうやらデュアンが真正面から宣戦布告に来たらしいと分かって、アリシアはなおいっそう心の中で全く可笑しなヤツと笑う気持ちになったが、口に出しては、やれるもんならやってみなと言った。アリシアはこれでなかなか内心、このナマイキな少年が気に入っていなくもないのだ。だから、デュアンはそんなこととは思ってもみていないが、アリシアの方はこの子との口げんかをけっこう楽しんでいる。
「その時になって泣いたって遅いですよ」
「ぼくが泣く理由なんてないだろ?ディがぼくと別れるわけはないんだし、おまけに何がどうなろうと、ぼくにはマーティがいるんだから」
その鉄壁の自信にくっそ〜と思いながらも、デュアンは表向き素知らぬ顔で通し、じゃ、そういうことで、とだけ言い置いて退場した。デュアンがフロアへの扉の向こうへ消えてしまうと、偶然行き合わせて物陰でなりゆきを聞いていたらしいマーティアが姿を現し、くすくす笑いながらアリシアに声をかけた。
「全く、何やってるんだよ。まるでコドモのケンカだな」
「立ち聞きしてたわけ?」
「たまたま通りかかっただけだよ。込み入ったお話中だったみたいだから遠慮してたのさ」
「込み入ったも何も、全く迷惑な話だよね。何が悲しくてこのぼくがあんな子供にライバル扱いされなきゃならないんだか。ディときたら、とんでもないことやってくれるよ。あんなガキ相手にしてると、こっちまでコドモっぽくなっちゃうし」
「だけど、あれでけっこうディはデュアンを可愛がってるみたいじゃない。今までと違ってきみにとっては強力なライバル出現ってとこだね」
「マーティまでそんなこと言うの?」
「おれは最初っからきみがディとつきあい続けてることについては嫉妬してるよ?
知ってるだろ?
だけどおれも立場が立場だから別れろとか言えないだけで。性格悪いかもしれないけど、おれとしてはデュアンを応援したい気持ちになっても仕方ないってものじゃない」
「ふうん、嫉妬してくれてたんだ」
「知らなかった?」
「マーティって表に出さないもの。でも、そう聞くと気分いいな」
ディとアリシア、それにマーティアとアレクは、そんな関係をもう15年も続けて来ている。最初の頃はこれでいろいろ別れるの別れないの、身を引くの引かないのと大騒ぎしていたものだが、今となってはこうしてつかず離れず関わっていることに4人ともが安住しているようなところがあって、それはそのまま彼らの信頼関係の基盤になっているとも言えた。結局それぞれお互いがお互い必要で、それは恋人としては17年も前に別れた上に、アリシアに関して恋敵のはずのディとマーティアの間でさえあまり変わらない。さっきデュアンが好きなものは好きなんだから仕方ないと言っていたが、それは彼ら4人の最終的な結論でもあったのだ。
ともあれ、デュアンはそんなところへ割り込んで行っているわけだが、不思議とそれには違和感がない。アレクはまだディとデュアンのことを知らないから別としても、アリシアもマーティアもなんだかなるべくしてなったという感じすらするのが自分たちでも不思議な気がする。デュアンとディ、これからどうなるんだろうね、と話しつつアリシアとマーティアはしばらくそこで降り注ぐ明るい春の陽射しを楽しんでいた。その間もアークは刻々と波を蹴立てて進んでゆくが、クランドル到着まではまだ数日かかるはずだった。
original text : 2008.4.3.
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