そんなわけで、アリシアとリデルはソファに落ち着いて、午後のお茶会ということになったようだ。もちろん、トロリーも側でウロウロしている。

「それでね、アリシア。私、夏の始めはダーヴィルに行ってたのよ。あ、ありがと、トロリー」

リデルのグラスのアイスティが殆ど無くなっていたので、トロリーが注ぎ足してくれたのだ。トロリーはふだん、ウサギらしく身体の前で二本の手を甲を上向きにして構えているが、それが180度転回するように作られているから、例えばティポットなどを掴んで持ち上げて注ぐことくらいできる。90度程度転回したところでポットの取っ手を握り、そのまま持ち上げてグラスの側まで持って行くと、45度ほど傾けるのである。もちろん、視覚的にグラス側にどれだけの量が入ったかも確認しながら傾けるから、適量が注がれた段階で角度を元に戻す。これまでのロボットだとこれをやったとしても、その動きがぎこちなくていかにも"ロボット"という体裁になってしまうのだが、トロリーはそれを実にスムースにやってのけるので生きものらしく見えるのだ。実際、トロリーの驚異的な点のひとつは、その動きが従来のロボットに比べて格段に滑らかで、時に敏速、時に緩慢、状況に合致したリズムのある動きはまさに生きもののそれと変わらないところだろう。

一方、リデルの言うのを聞いたアリシアは、そりゃ、ご愁傷さまの往ったり来たり、と答えた。リデルは"ダーヴィル"と言っただけでアリシアの共感を得られたのが分かったらしく、嬉しそうに言った。

「あ、じゃ、アリシアも? あそこキライなんだ」

「まあね。キライってゆーか、とりあえず、積極的に行きたいってとこでもないのは確か。そもそも、お父さんがマーティを引取った辺りから、向こうの親戚連中とぎくしゃくしてるんだよ。それで、マーティも、まあ、いい感情は持ってないわけ。彼のことだから、そう激烈に嫌ってるってわけでもないけどね。いろいろあったらしくて、つくづく呆れてるってとこかな」

「そうなんだ。なんか分かるわ、あの連中じゃ。とにかく家柄がどうの、格式がどうの、ウルサイったらありゃしないのよ。い〜じゃないよねえ、そんなの。なんだかんだ言ったって貴族ってわけじゃなし」

「そういうわけにもいかないんじゃないの? ああいうタイプは、ぼくらにとっては今どきどーでもいいような原始的なことに人生賭けてるからなぁ。実際、ぼくたちを養子にするまでにも、お父さんは相当苦労してると思う。幸い、彼の大叔父さん、えっと、どうなるんだっけ。だから、お父さんの父方の親の弟に当たるのかな。その大叔父さんがバークレイ一族の最長老ということもあって、先代が亡くなった後は、お父さんの後見みたいになってたんだけど、さすがに年の功か親戚連中の中ではモノ分かりのいい方だったらしくてさ。マーティは彼には早くから気に入られてたみたいで、最長老の号令一下、ぼくたちの養子の話も決まったってわけ。でも、それって結局、お父さんがマーティを引取ってから、実に十八年後だったんだよ」

「うわ〜、ソーゼツ」

「だろ? 跡取り問題が無ければ、もう少しなんとかなったかもしれないんだけど、当時は当然、きみなんて影も形も現れる気配さえなかったしね」

「私?」

「そう。正真正銘、バークレイ家の直系の血を引いている、お父さんの実子。以前は、実子どころか、彼、結婚の気配すらなかったから、そうなると養子のマーティがバークレイ家を継ぐなんてことになりかねない。かねないどころか、そうなりそう度は限りなく100%に近かったんだもん。そりゃ、連中にしてみれば、そんなの冗談じゃありません!となっても不思議はないよね」

「なるほどねえ」

リデルはつくづく納得して、頷きながら続けた。

「それに親戚だけならまだしも、執事やメイド連中が末端までもウルサイのなんの。私がちょ〜っと騒いだだけで、"良家のお嬢様のなさることではありません!"なんちゃってくれちゃうのよ。よっぽど殴ってやろうかと思ったけど、さすがにパパのメンツがあるから思い留まったわ」

「偉い! きみも人間が出来てきたじゃない」

「へへへへへ」

リデルが笑っている横でアリシアは、これもトロリーが注ぎ足してくれたお茶を一口飲んでから言った。

「それはそうと、今思ったんだけど、きみがファーンをゲットできてもさ、彼はシャンタン家の跡取りだから、バークレイ家には来れないよ? そのへん、どうするつもりなの? 言っとくけど、お父さんの親族がどう思ってようと、ぼくもマーティも元から全然そんな気ないからね」

「構わないわよ、パパんちなんて、うっちゃっといてヨメに行くから。あんな親戚いらないし。親戚づきあいするんならクロフォードの大じいさまんちとか、ディんちの方がずっといいもん。それに、リデル・バークレイよかコンテス・リデル・ド・シャンタンの方が美しいと思わない? わあ、自分で言うのもなんだけど、語呂もぴったりハマってるじゃな〜い♪ すてきぃ〜」

リデルはアリシアに自分の密かな計画を知られていることにも既に開き直ったようで、いけしゃあしゃあと言った。このへんが、トロリーをして"そこはかとなくアリシアを思い出させる"と言わせしめる所以かもしれない。しかし、リデルはそこではた、と重大なことに気づいたようだ。

「でも、うっちゃっとくのはいいとして、パパんちの財産、あの親戚どもにくれてやるのは悔しいわね。あ、そうだ。じゃ、ファーンのおじいさまのパターンでやればいいんだ。私が生んだ子供に、バークレイ家を継がせちゃうことにすればいいのよ。女の子の強みね、自分で産めばいいんだから。なんてったって私はアリシアの言う通り正真正銘の直系なんだし、誰にも文句言わせないわ。それに、私とファーンの子供だったら...」

彼女にばっかり都合のいい計画を聞いてアリシアが笑っているのをモノともせず、リデルは両手を合わせて頬にあて、うっとりと言っている。

「きっと、とっても可愛いわ」

それでとうとうアリシアは吹き出してしまって、大笑いしながら言った。

「なるほど、既に、そこまで夢見てますか。じゃ、ぼくも協力を惜しみますまい」

「ほんと?!」

「うん、ほんと」

「わ〜い。アリシアが協力してくれるんだったら、ゲット確実よ。頼りにしてるわよ、大天才!」

「はいはい。可愛い妹の将来のためでしたら、およばずながら」

「あら、今日はなんか、サービスいいわね。トロリーを押し付けたつぐないのつもり?」

「いや、そんなつもりないよ。だって、きみはいずれ必ず、トロリーを手放せなくなるからね」

「そうかなあ...」

言って、リデルはテーブルの向こうにいるトロリーを見た。確かに、黙ってさえいれば可愛いし、側に置いていて楽しくないこともないんだけどな、と思いながら言っている。

「ね、トロリーってやっぱり、IGDのトップシークレットなわけ? アシュバだけじゃなくて?」

「あたりまえだろ? コレを今の世の中に出せるわけないじゃないか」

「デキソコナイの恥だから?」

お着替えセットのプレゼントに大満足して、しばらくおとなしくサービスに徹していたトロリーだが、それを聞いては黙っていられなくなったらしく横から口を挟んだ。

『ちが〜う! ボクはデキソコナイなんかじゃない! テクノロジーだよ、最先端テクノロジーなんだよ!!』

「まあ、一応な。そういうこと」

『第一、ジョークをこんなに使いこなせるウサギなんて、全世界にぼくっきりいないんだからな。ぼくは、それほど文化的な存在なんだからな!』

「そうそう、不思議なのはそれもよ。ウサギはともかく、電脳としては珍しくアシュバでさえよく冗談トバすよね。あれもアーチストの創造的衝動なわけ? それとも開発者の趣味?」

「う〜ん、どっちもあるけど、もっと実際的な言い方をすれば、商品としての目的からくる必然性かな」

「なんでジョークが必然性なのよ」

「だから、商品化する場合の企画性の問題なんだよ。今や、ロボットは多様な目的で使われてるけど、アシュバや、それに元々はアシュバのリモート端末として開発してたマロリーやトロたちも、ヒューマノイドに乗せるプログラムを作るプロセスで出来てきた過渡的副産物なんだ」

「ああ、マーティアの言ってる"人間の友達になれるロボット"ってやつね?」

「そう。ただ、今のところ、研究室じゃ"ヒューマノイド"というコンセプトのニーズは曖昧になりつつあるんだ。形が人型である必要はないんじゃないかってことで。アシュバはもちろん、トロマロコンビが研究室内でもけっこうウケてて、まあ、成功してるから。そこを条件としてフリーにできるなら、人型では不可能な機能も自由に付加できるしね」

「じゃ、トロリーってそんなに成功例なわけ?」

「まあね」

「うっそ〜。第一、なんでジョークが必然性なのか分かんないわよ」

『ウソじゃないぞ! ぼくはマロリーを凌ぐ、最優秀電脳ウサギなんだ!』

トロリーの抗議を、はいはい、と言って受け流し、アリシアは続けた。

「だって、例えば、きみは、もう既にトロを"ロボット"とは思ってないみたいじゃないか。ぼくの見る限りでも、こいつの言うこと、することにマジで反応してるようだし。そこなんだよね。トロの存在って、イキモノとしてウソっぽくないだろ? 突き詰めて言えば、実際は全て"プログラム"なんだけど」

「あ、そうか」

「ジョークの必然性ってことなら、日常生活の中ではいろいろな効用があるよ。場を和ませたり、人を楽しませたり。だから、人と一緒に暮らすのに、冗談ひとつも言えないようじゃね。で、会話の流れを的確に判断してタイムリーにジョークを飛ばす。人間だってそれ上手くやれるヤツはそういないからコメディアンが商売になるんだろ? それをプログラムでやるんだもの。そこが実は最先端テクノロジーなわけ」

「でも、マロリーは冗談なんか言わないじゃない」

「いや、言ってる。マーティも、そこのところは最初から分かってるから」

「え゛??? うそうそうそ、私、聞いたことな〜い」

「だから、マロリーのジョークは分かりにくいんだよ。真面目な人間がいきなりジョーク言ったりすると、回りはどう反応していいか分からなくて固まったりするじゃない。マロのはそういう種類のジョークでさ。ある意味ハイブロウすぎて、あいつは言ってるつもりなんだけど、甚だしくは気づかれてないとか、あるわけ。そのへん、さすがにマーティがプログラムしただけはあるよ。けど、それもあいつの"個性"だよね。そういうヤツが好きで、ウマが合うって人もまた、世の中にはいるんだから」

「もしかしてそれって、"人格プログラムの多様化"ってやつ?」

「おや、勉強してるじゃない。感心、感心」

珍しくアリシアにマトモに褒められて、リデルは嬉しそうだ。

「なるほど。そう言えば、マロリーってちょっと、パパを思い出させるキャラかもね。パパは私には甘いけど、確かに基本的に"カタブツ"だわ。でも、だからって冗談も言わないってわけじゃないし。じゃ、マロリーって、あのタイプに近いのか」

「きみは正真正銘、お父さんの娘なのに、そのへんは継いでないね。なんでかな」

「言ってなさいよ。それじゃ、それってママの血筋でしょ? 私に責任ないじゃない」

「テディも立派なレディだけどね」

「なによ、じゃ、私はレディじゃないって言うの? それに、おじいさま、言ってたもん。今の私って、ママの子供のころそっくりって!」

「容姿が? 性格が?」

「どっちもよ! ママだって私の頃は、相当なオテンバだったのよ」

「リデル、自分で自分のこと、"相当なオテンバ"って認めてるって分かってる?」

リデルは自分が口を滑らせたことに気づいたようで、はっとして言っている。

「いぢわる〜。やっぱりアリシアって意地悪だあ」

「今更知ったかのように言うなよ」

「分かってるけど! でも、ママだって今でもいい根性してるんだから。私のことダミアン以上の悪夢とか、口だけじゃなくてアタマも達者だから始末が悪いとか、散々なこと言うのよ。実の娘に向かってよ。それってレディの発言じゃないじゃない」

「でもそれ、ホントのことじゃないの? 言ったとしても、事実なんだからテディに罪はないと思う」

「ひっど〜い! アリシアまでそんなこと言うの?! ほんっとにアリシアのそういうとこ、世間に見せてやりたいわよ。な〜にが、無口な美青年よ、現代のアルフレッド・ダグラスよ。激しく実態と違うじゃない、ねーっ、トロリー?」

『そーだ、そーだ! あんまりボクたちをいぢめてると、身内として実態を世間にチクるぞ!』

「トロ、おまえ、IGDのトップシークレットの分際で、そんな目立つことしていいと思ってるのか。ホントなら研究室監禁は免れない身の上なんだからね。それが親にそうまで逆らうなら、開発者権限で分解してやる」

さすがに"分解"というコトバはトロリーに効いたようで、多少、逃げ腰になって言っている。

『ちっ、とーちゃんマジでやりかねないからな。立場、弱いぜ』

「こら、とーちゃんとはなんだよ、とーちゃんとは。アリシア博士と言え」

「自分でやったプログラムなのに、マジ怒れるって凄い。さすが天才」

「だから言ってるだろ、それが最先端テクノロジーだって」

自分の皮肉に動じる様子もなくアリシアがしゃあしゃあと言い切るので、さすがのリデルもお手上げだ。ご本家にはやはりまだまだ敵わないらしく、腕を組んで唸っている。

「う〜む...」

「と、いうことで、ズバリ、言うけどさ。ぼくはトロが気に入ってんの。だから、プログラムに手を加えたくないわけね」

その結論を聞いて、リデルは不満そうに言い返した。

「だったら、なんでわざわざ来たのよ」

「そりゃ、トロもきみも可愛いからだよ。だから、仲良くして欲しいってことさ。分かる?」

聞いて、リデルは話の流れとは別に何か嬉しい気分になったらしく、ふいにさっきまでとは打って変わってニコニコしながら言っている。

「ね、ね、ほんと? ほんと?」

「何が?」

「さっきも言ってたけど、私のこと、ほんとに可愛い?」

今度はアリシアが口を滑らせたことに気づいて、一瞬、固まった後に、あっかんべをして見せた。

「なによお、その態度。こら! アリシア! 白状しろ。可愛いよね? 可愛いよね? 私のこと、可愛い妹って思ってるよね?」

「・・・、その問題に関しては未だ明確にする段階に至っていないため、本日のところは言明することを控えさせて頂くべきであると・・・」

「こら〜、どっかの政治家みたいな逃げかたするんじゃな〜いっ」

「とにかく!」

「勝手に話をまとめないでっ!」

「だーかーらー。いいじゃない、もう分かり切ってることを今更言わせるなよ。今は、トロの話をしてるんだよ」

「ぶー」

「それにね。ぼくが世間に"現代のアルフレッド・ダグラス"なんて言われて喜んでるなんて思わないで欲しいね。実際、ぼくはその称号だけは、諸悪の本家本元ディにノシつけて進呈したいと常々思ってるんだから。彼こそまさに、今も昔もダグラス卿を凌ぐロクデナシってだけじゃなく、子供の頃の写真を見比べてごらん。ほんっとーに、他人とは思えないくらい似てるんだよ」

「そうなの?」

「うん」

ふと、美形って似るものなのかしら、と考えているリデルに、どうやらそちらに注意が行ったらしいと見て、アリシアはすかさず話を引き戻した。

「それはともかく置いといて、そもそもぼくたちがきみにトロを押し付けたっていう、きみの考えも間違ってるよ。トロをきみに預けるまでには、こっちにもいろいろ経緯があったんだから」

アリシアの性格をそれなり理解しているリデルは、それ以上さっきの件を押すのも可哀想かと思って不承不承ながらもはっきりさせるのは諦めたようだ。一応、ごまかされといてやるかと思いながら尋ねた。

「じゃ、どんな経緯があったのよ」

「例えばね、トロとマロはまるっきり性格的基盤が違ってるもんで、意志の疎通が殆どできないみたいでさ。それで、不用意にあいつらを一緒にしとくと会話がかみ合わなくなるもんだから、ケンカを通りこしてボケつっこみ状態になるんだよ。おかげで研究室内、爆笑の嵐で仕事にならない。それって、作ったぼくらは全然予測すらしてなかった事態だったんだけど、結果的にそれはそれでいいじゃないってことになって、だから、今のところ、ぼくだけじゃなく、開発陣全体としてもトロのプログラムをいじるつもりはないんだ。たださ、どっちも一緒にぼくとマーティの側に置いといてごらん。どういうことになるか、想像つくだろ? リデルだってマロリーを知ってるし、トロとはしばらく一緒に暮らしてるんだから」

「それ、ありありと想像できるわ」

「だけど、研究室に監禁しといちゃ実際的なデータは取れないし、だからと言って、めったなところに預けるわけにもいかない。で、ぼくらの考えるところ、一番妥当なのはお父さんのところだと思ったんだよ。彼の意見も聞きたかったし、それに、きみはマロリーみたいな電脳ウサギを欲しがってたしね」

確かにそれは、リデルにも納得のゆく理由だったが、その他にもアリシアたちには、リデルがまだほんの子供なので順応力が高く、日常的にトロリーの存在に馴染みやすいだろうということも大きかった。今、実際に彼女が無意識のうちにやっているように、トロリーを"生きモノ"として反応してくれると、それに対してトロリーのプログラムがどう対応してゆくかの実際的なデータも集めやすいのだ。ちなみに、トロリーは自分の回りで起こる事を視覚、聴覚に相等するセンサーでエンドレスに採取していて、一定量のデータが蓄積されると古い内容の中でも不要と判断されたものから自動的に圧縮、もしくは消去してゆく。その辺りは人間の記憶と似たようなものだが、それらはリアルタイムでラボにも送信されているから、ラボ側では全ての記録が残っていることになる。ただ、今の段階ではリデルのプライバシーに配慮して、個人的な会話や生活状況の詳細などまで送信することはさせていない。それでもトロリーの日常的行動記録は、今後の研究に大いに参考になるだろう。もちろん、そういった事情は既にバークレイ夫妻には話してあるし、限定的なデータ送信に関する了承も得ている。

「きみはトロリーをなんとかしてくれと言うけど、でも、その"ままならない"ってところも、現実感なんだよ。例えば、きみはぼくに意地が悪いの、性格が悪いの、歪んでるの、好きなこと言ってくれるよね。だけど、それでもやっぱり、ぼくといたがるじゃないか。きみにとっては、ぼくは"ままならない"けれども、だからってキライってわけじゃない。トモダチとか家族って、そんなもんじゃないの? 単に都合がいいだけの友達ならそれはバーチャルでしかないし、でも、リアルなら、"ままならない"という要素も必要だと思うわけ。ぼくはね」

「お〜、なるほど! アリシア、やっぱりダテで博士号いくつも持ってるわけじゃないのね。今の発言、なんか学者っぽい。説得力ある」

「ぽい、じゃなくて学者なんだよ。 天才科学者!」

調子良く念押ししたアリシアに、横からまたトロリーが茶々を入れた。

『自分でゆー』

「トロ、ちょっと来な」

『やだ』

「親をからかうようなことを言う奴は、ぶってやるからちょっと来な!」

『や〜ん。ごめんなさ〜い』

アリシアが立ち上がろうとしたので、トロリーはまた危険を感じたのかすっとんで逃げて行った。それを見てソファに腰を降ろしたアリシアに、リデルが尋ねた。

「それはまあ分かったけど、じゃ、マニュアルは? 持って来てくれたの?」

しかし、アリシアの答えは素っ気ない。

「あるわけないだろ、そんなもの。攻略本片手にゲームやって楽しいか? そもそも、友達だの家族だのの攻略本なんて、なくて当然なんだから」

「ゲーム?!?!?! これってゲームなの???」

「そういう見方もできるってこと。だからメールで言ったじゃないか、"健闘を祈る"って。頑張って、自分で手なづけておくれ。生きてるペットと同じで、教えれば覚えるから教えてやればいいんだよ」

「もしかしてそれ、あの伝説のたまごっち状態?」

「未来派三次元進化版かもね。だから、お世話が大切。トロを歪んだコにしないよーに」

「アリシアみたいに?」

「きみはね、どうしてそう、未だにぼくのことを誤解してるかな。第一、もしぼくが歪んで見えるとしても、それはぼくだけのせいじゃないぞ。一度は、お父さんのおかげで更生しかかってたとこ、ディのおかげでブチ壊しにされたんだから。彼さえいなきゃ、ぼくは少なくともこうはなってなかったと断言できるね」

「でも、そのディと今だってつきあってるんじゃない」

「それはそうだけどいろいろあるんだよ、オトナの世界は」

「ふうん、いろいろねえ...」

言われてリデルは首を傾げていたが、話の流れに別な興味が湧いたらしい。

「あ。で、そのディは? アリシアがわざわざ私のところに来れるくらいヒマしてるって、考えてみれば珍しいじゃない」

「ああ、ディなら今、ローデンで子守やってる」

「じゃ、マーティは?」

「アレクんとこ」

「わ〜い、じゃ、二人にふられたんだあ」

「何言ってんの、残念でした。ここんとこぼくは、ディと地中海にいたんだよ。それで、王子サマ暮らしに飽きたからきみが淋しがってるだろうと思って、わざわざ時間作って来てやったんだろ? ディは、ぼくにヒマさあえれば、側から離したいとは思わないからね」

リデルはディの、アリシアが可愛くて仕方ないぶりをよく知っているので、その言い分も自信過剰とは思えなかった。

「ちぇっ。でも、じゃあ、アリシアにとって私の優先度はディとマーティの次くらいなわけ?」

「ま、そんなとこかな。妹なんだから妥当じゃない?」

「う〜ん」

リデルはちょっと考えてから、ま、いっか、と、まんざらでもない様子で言った。それへアリシアがまた意地悪く言っている。

「パパとママ以外に一番に思ってくれる人が欲しければ、そのうち恋人見つけるんだね」

「言ったな。いずれゲットしてやるわよ! とびっきりのやつ!」

「で、伯爵夫人の地位も一緒に手に入れる計画なわけだ」

「必然的に、そうなるわね。仕方ないじゃない、狙ってる相手が相手なんだから。悪い?」

「いいえ。大志を抱くのは、いいことだよ。実現するかしないかは別として」

「私を甘く見ないでよね。きっと、実現させて見せるから!」

自信満々で言ったリデルに笑いながらアリシアはアイスティのグラスに手を伸ばしたが、中身は殆ど無くなっていた。さっき、トロリーが注いでいたから、ポットの方にももう全く無い。それでアリシアは、安全距離を保ちつつ遠目でこちらを見ながらウロウロしていたトロリーに言った。

「トロ、お茶がない。マジェスタに頼んできて」

アリシアが機嫌を直しているのに安心したのか、トロリーは嬉しそうに答えた。

「ヘイ、合点承知だ! 待ってな、ひとっ走り行ってくるぜ!」

言って、イエ〜イ! と叫んで飛びあがり、部屋から駆け出して行ったトロリーを見送って、リデルがまた溜め息交じりに言っている。

「だーかーらー。なんで、"はい、行ってきます"程度にしとかないのよ、お返事のプログラム」

「言ってるだろ? アーチストの...」

「創造的衝動?」

「そういうこと!」

そうこうしているところへ、アリシアの携帯電話に着信音が聞こえた。それに気づいて、彼はジーンズのポケットにつっこんであった携帯を取りだして、はい、と言っている。この若さではとてもそう見えないだろうが、円卓会の中枢に籍を置くともなればIGDでもエグゼクティヴ中のエグゼクティヴ、立場が立場だからオフでも何でも、あらゆる場合を想定して常に所在を明らかにしておかなければならないのである。しかし、かけて来たのはマーティアで、どうやら仕事の用件ではないようだ。

― アリシア? おれだよ。もう、うち帰ってるの?

「マーティ? うん、今、リデルとお茶してるとこ。マーティは? 明日あたり、こっちに戻ってくるって言ってたよね」

― そう。きみがそっちにいるんなら、おれも寄ろうかなと思ってるんだ。仕事に戻る前に、もう、二、三日、クランドルでのんびりしようよ。今のとこ、有り難いことにいずこも平穏無事みたいだから

「大賛成。ぼくも、そのつもりだったし」

電話の相手がどうやらマーティアらしいと知って、リデルが横から言っている。

「マーティ、わたし、わたし。聞こえてる〜?」

それでアリシアが携帯をハンズフリーにすると、マーティアの声が聞こえてきた。

― リデル? ああ、聞こえてるよ

「ねえねえ、マーティも、うち帰って来なさいよ。パパ、相変わらず淋しがってるしぃ」

リデルの言うのへ、マーティアは笑って尋ねた。

― パパだけかい? きみは?

「もっち、淋しいわよ。アリシアもマーティもうちに揃うなんて、めったにないもん。私はいつも、ひとりだけ置いてけぼりなんだから」

― はいはい。今、アリシアにも言ってたとこなんだ。明日には、そっちに戻れるって。夕方頃には行くよ

「ほんと? わ〜い。やた! パパたちにも言っとくわね、喜ぶから」

― うん、よろしく。じゃ、二人とも明日ね

二人がそれぞれ返事すると、マーティアは通話を切ったようだ。マーティアが来ると知って、リデルは大はしゃぎしている。それからしばらくして、外からトロリーの声が聞こえてきた。

『おふたりさ〜ん、お茶だよ。開けて、開けて』

どうやら、マジェスタに入れてもらったお茶をトロリーが運んできたらしい。アリシアは立ってゆくと、ドアの方へ歩いて行って、扉を開けてやった。

original text : 2012.11.23.-12.9. 

Coming Soon!!