ファーンとデュアンを乗せたフェラリはベントレーを後に従える格好でゆるゆると動き出し、港から広々とした本道に出て速やかにスピードを上げていった。しばらくは二人とも呆然と車窓に流れてゆく景色を眺めていたが、どうやら安全そうだと思えるようになってくると車本体に対する興味も弥増して来たらしく、デュアンがまだ半信半疑ながら、ねえ、きみは"アシュバ"っていうの?と、おそるおそる問いかけてみている。すると、穏やかな青年をイメージさせる声で、当然のことのように答えが返ってきた。
― そうです。アッシュと呼ばれることもありますけどね
聞いて、デュアンとファーンは顔を見合わせた。二人にとってはその答えの内容そのものよりも、デュアンの質問を明確に認識して、的確な答えが間を置かずに返されたこと自体が大きな驚きだったのだ。ファーンが言っている。
「きみは会話機能だけでも、相当凄いみたいだね」
― 有難う、ファーン
その答えにも二人は驚かされたようだ。
「ぼくが誰か分かるの?!」
― もちろんです。今回のお客様に関する基本的なデータはマーティアが与えてくれましたし、個体認識に必要な生体情報は先ほど採取して登録しましたから
「じゃ、全く普通に会話できるってことなんだね?」
― はい。たいていのことなら、誰が何をおっしゃっても理解できると思いますよ
それへデュアンがつくづく凄いなあ、と言うと、アシュバは
―これまた驚いたことに嬉しそうな声で ―"有難う"と言った。彼は単に音声による応答だけではなく、感情表現まで可能なようにプログラムされているらしい。
「単に話すコンピュータやロボットなら今どき珍しくもないけど、きみのように滑らかには話せないよね。ましてや自由に会話できるなんて」
― 私の会話機能にはマーティアがヒューマノイドに組込むために研究していたプログラムが応用されているからでしょう。それ自体が彼独自の連語・連文節変換理論に基づくものですし、従って音声認識プログラム単体からして従来のものとは全く違っていますから
二人はアシュバの解説に、心底感心した様子で頷いている。そこへ柔らかなチャイムが鳴り、ダッシュボードのディスプレイがふいに明るくなってマーティアの姿が映し出された。
「アシュバ、おまえ、今どこにいる?」
― お客さまを乗せて、屋敷に戻る途中ですよ
「なんだ、おまえも一緒に迎えに行ってたの?」
― ええ、お客さまに早く会いたかったので
「それならそうと、おれに言ってけよ。心配するだろ」
― この島の上で、何を心配するというんです?
「道に迷うとか、海に落ちるとかさ」
― バカ言わないでください。この私が、そんなドジ踏むわけないでしょう?
一本しか道はないんだし。第一、それではあなたは自分のプログラムを信じていないということになりますよ
「信じちゃいないよ、当たり前じゃないか」
― まったくもう...
アシュバが呆れる横で、マーティアはファーンたちの存在を向こうのディスプレイに捉えたようだ。
「ああ、デュアン、ファーン、遠いところようこそ」
「こんにちわ!」
「ルーク博士、お久しぶりです」
「お披露目の時以来だものね。どう?
オーストラリアは楽しかった?」
「はい、凄く楽しかったです!
コアラが可愛くて♪」
「ラーソンさんのおかげで、とても楽しい滞在になりました。彼女に宜しくお伝え下さい」
「うん、言っとくよ。ま、後はこっちに着いてからゆっくり話そう。無事到着を祈ってるからね」
"無事到着を祈る"という発言にふと不穏なムードを感じたらしく、デュアンが尋ねている。
「あ、あの...。もしかしてアシュバって本当に危なかったり、...するんですか?」
それへアシュバが即座に、そんなことはありません! と怒ったように言ったのでマーティアは笑って答えた。
「大丈夫、大丈夫。少なくともおれが十年以上は乗りまわしてて危険を感じたことないんだから。脅かしちゃったんならごめんなんだけど、安全性は保証できるから安心して」
― マーティア、お願いですから今後、私の名誉に関わる冗談はヤメて下さい。信頼性の問題なんですから。今回のお客さまたちには特に会うのを楽しみにしていたのに、これじゃ嫌われてしまうじゃないですか
「はいはい。しかしね、アシュバ。おまえはもうちょっとジョークに寛容になることを覚えなきゃな」
― 自分の名誉に関するジョークに寛容さを示すようにはプログラムされていません
「おれのせいだと言いたいんだな」
― まあ、そういうことです
「分かった、分かった、悪かった。ともかく、さっさと帰って来いよ。歓迎の用意して待ってるんだから。じゃ、ファーン、デュアン、後でね」
それに二人がそれぞれ返事すると、マーティアは通話を切ったらしくディスプレイはオフになった。アシュバが溜め息まじりに言っている。
― 我が創造主ながら、あれでIGDともあろう組織の重職が務まっているんですからねえ...。人間の世界というのは、私にはそれ自体がまだまだ非常なナゾです
二人はそれに笑いながらも、これほどまでに多様な感情表現が可能なプログラムを搭載しているアシュバと、その創造主たるマーティアの知性につくづく感嘆させられていた。
― ところでファーン、デュアン、滞在中はぜひ私と仲良くして下さいね。私は存在そのものが未だIGDのトップシークレットに分類されているので、日ごろは身内の限られた人たち以外とは自由に話すことを許されていないんです。況や、勝手に動き回って叱られないのもせいぜいこの島の中くらいですから。でも、今回はお客さまと自由に話していいと言われましたし、それでお会いするのがとても待ち遠しかったんですよ
「そうなんだ。もちろん、ぼくはすっごくきみに興味があるもの。きみのこといろいろ聞かせて欲しいな。ね、兄さん?」
「うん。ちょっと話しただけでもこんなに凄いんだから、ぼくの方でこそ仲良くしてってお願いしたいくらいだよ」
― 有難う、嬉しいですよ。あ、そろそろ屋敷が見えてきます
言われて二人がフロントグラスごしに外へ目を向けると、豊かな緑に囲まれて周囲にはバラスターを巡らし、見事な格子細工を施した真鍮の門の向こうに白亜の大邸宅が見えてきた。豪華な建物にはいい加減慣れきっている二人をしてさえ、そのアーチとアラベスクを多用した外観の繊細な美しさには溜め息が出そうなほどだ。全体にイスラム様式の装飾性を随所に取り入れてあるとはいえ、それはあくまでデザインの一部を為しているだけなので宗教的な重苦しさは全くない。むしろ南海の雲ひとつない青空を背景にして、訪れた者には開放的な印象すら与える明るさに満ちた建物だった。それはイスラム的と言うよりも南欧のイメージに近いだろうが、絶海の孤島にこんな城とも見紛う邸宅が存在していようとは、それそのものがお伽噺のような展開である。ましてや港やここまでの道路、そしてこの屋敷、それらがマーティアとアリシアの安全を確保するためにだけ存在しているのだと思うと、二人は改めてIGDのケタはずれの財力を実感せざるをえない気分だった。
アシュバが近づいてゆくと真鍮の門はゆっくりと両側に開いてゆき、二台の車が通り過ぎてからまた静かに閉じていった。静寂につつまれた前庭は中央に噴水を配して回りに花々と緑と陽射しが溢れている。それを迂回しながらアシュバたちはエントランスへ進んだ。マーティアは既にポーチに出ていて、両開きの大きな扉の前で車が到着するのを眺めていたようだ。
車が止まるとまずアシュバに乗っていたファーンとデュアンが降りたが、二人はそこでまたまた目を瞠る光景に遭遇することになった。自走可能な話す車と、白日夢のように現れた大邸宅。それだけでもここは非日常的な世界だという印象が強かったのに、次に二人の目に入ったのはマーティアと彼が抱いているフランス人形のような少女の姿だったからだ。マーティアだけでも大抵の人間はその神秘的な美貌に見るなり目を奪われるだろうに、その彼が人形なのか生きているのか、一瞥だけでは区別のつかないような小さな女の子を抱いているのだ。事実、デュアンなどは一瞬でそれを人形だと信じ込んだほどだった。
せいぜい三つか四つくらいだろう。腰まで届いた亜麻色のウエイビーな髪とクリアなサファイアの瞳はまるで造りもののように非人間的なまでの麗しさだったし、しかも着ているのはふわふわしたアンティークな雰囲気の凝ったドレスである。二人はついそれに見とれてベントレーからウィルとロイが降りてくるまで、マーティアに挨拶することすら忘れてしまったように見えた。
「マーティア、皆さんをお連れしましたよ」
「ご苦労さま、チャーリー。みんな、ようこそ」
後ろでベントレーから客たちを降ろしたチャールズと目の前のマーティアのやりとりが聞こえてやっと二人は我に返り、こんにちわと言っている。その横へウィルとロイが歩いて来たことに気づいて、ファーンは二人を紹介した。
「あ、ルーク博士。彼はぼくの従兄のウィリアム・クロフォード、そちらは同行してくれたロイ・ハートレイです」
それを受けて二人も挨拶したが、特にウィルは長年の尊敬の的だったマーティアを目の当たりにして相当固まっている様子だ。
「長旅で疲れてるだろ?
荷物はチャーリーに任せて、とにかく入って休んでよ」
そう言ってマーティアが皆を屋敷に招き入れようとするのを、彼の抱いている少女が不満そうにその長い黒髪をひっぱって止めた。
「私のこと、無視しないでよ、マーティ」
それでデュアンは彼女が人形ではないことに気づいたようで、思わず"生きてるんですか?!"と言ってしまってから失礼だったかもと気づいて口を抑えている。マーティアは大笑いだ。
「ごめんごめん、びっくりさせちゃったかな。人形でもロボットでもないよ。これはおれの妹、リデルっていうんだ」
言ってマーティアが少女を下に降ろすと、リデルはふんわりしたスカートを優雅に持ちあげておませに正式な作法で皆におじきをした。その様子があまりにも可愛らしいのでファーンはちょっとイタズラ心を起こしたようで、すっと前に進み出ると片膝を折るようにして彼女の前に身を屈めた。
「はじめまして、レディ・リデル。ぼくはエドワード・ファーン・クロフォード・ド・シャンタンといいます。以後、どうぞお見知りおきを」
彼が自分を一人前の貴婦人扱いしてくれたことがよほど嬉しかったのだろう。リデルの人形のように整った貌に華やかな笑みが広がった。
「あなた、紳士ね。
気に入ったわ!」
その快活な物言いから、皆には彼女がその見た目よりもはるかにオテンバそうなことが分かったようだ。二人の微笑ましいやりとりにぐっと場が和み、マーティアに再度促されて一行は屋敷の中に入って行った。
original
text : 2011.4.15.-4.17.
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