実の父と初の対面というビッグ・イヴェントを果たした翌朝、しかし、デュアンはいつも通りに朝起きて、ふつうに登校した。ディにはっきり息子として認められた今、デュアンとしては昨日までの自分と今日からの自分は全く違っているような気分ですらあったのだが、彼にとってのそんな一大事などまるで知らぬげに日常は変わらず流れてゆく。そういうものなのだろうと思いつつも、デュアンにはそのいつもと同じ朝が、何故か新鮮に感じられているのも事実だった。
世界中に、ぼくにはあんなに素敵なお父さんがいるんだぞ、と叫びたいような気がする反面、この秘密は大事にして自分だけの胸にしまっておきたいような気もする。ディは何も隠しておいて欲しいようなことは言わなかったし、友だちに話したところで何も問題はないのだろうが、しかし、なんだかんだ言っても彼がクランドル屈指の天才画家であるばかりでなく、華やかなスキャンダル・メイカーのプレイボーイで超有名人なのも確かだ。ヘタなことを口にして、隠し子がいるなんてことがメディアに流れでもしたら、大々的なゴシップねたになることはまず間違いない。それを考えると、お父さんは慣れっこでもママがな、という気もして、やはりデュアンはそれなりに時が来るまで、この秘密は誰にも話さないでおくことにした。そうすると逆に、回りの誰も知らないその事実が、なんだかわくわくさせてくれる宝物のように思えてくる。
「おっはよ、デュアン」
「あ、おはよう、エヴァ」
いつも学校に行く通り道で一緒になるエヴァが、角を曲がったところで声をかけて来た。そこから少し横道に入ったところに、彼女が両親と住んでいるコロニアル風のきれいな家がある。
クランドルの現在の学校制度では、こうやって登校して授業を受けるのは週に3〜4日のことだ。それに、授業そのものは午前中しか行われず、午後は主にサークル活動やカウンセリングが中心になっている。なぜならメインの授業の大半はクランドル全体でGrand
Class(大教室)と呼ばれる通信を通した講義で統一的に行われているからだ。これは主に講義内容の均質化とコストダウンを目的として定められた制度でもあるが、そもそもクランドルでは子供の教育は基本的に親の責任。特に、15才までの子供の普通科目、一般教養にあたる勉強、つまり大人なら通常、常識的に知っているようなことは親が教えることが原則でもある。しかし、親が忙しかったり、何らかの理由でその義務が果たせないような場合も考えられるので、時間的にも選択の自由がきくGrand
Class
を通じて講義を受けることも出来るようになっているのだ。
ただ、通信を利用した教育では教師や友人との直接的なコミュニケーションの場が持てないという問題が生じる。そこで、旧来の「学校」は主にサークル活動の中心とされ、能力の個人性を重視する観点から学年も年齢で決まるわけではなく、カリキュラム習得についてだいたいの目安はあるが、資格制のステップアップ式で進んゆくことになっている。従って、「落第」という概念もない。逆に、学年のスキップは基本的に奨励されておらず、どんなに学力の高い子供でも一般に18才で大学に進むことを目安としている。これは学力が高いからといっていたずらにスキップさせることは、子供の精神的な成長を歪める恐れがあり、周囲へも負の影響を与える可能性が高いと考えられているからで、「賢ければ偉い」式の考え方はクランドルでは非啓蒙的であるともされている。
また、「学校」はそこに通っている子供たちのデータを見ながら、その個々の性質や能力に沿って勉強やサークル活動のコンサルティングもしてくれるが、それはこういった開放的な制度だと、生徒個人それぞれに応じて無理なくカリキュラムが組める反面、ある程度のガイドラインに沿ってゆかないと教育の均一性が保てないという弊害が生じるからでもある。
以上のような制度に従って、スタンダードの目安からプラスマイナス1〜2年で9年生のレベルまで上がるというのが一般的な家庭の子供の進み方と言っていいだろう。その後は大学進学を準備するコースや、アートスクール、専門学校など、それぞれの進路に応じて選択されることになっている。これとは別に、寄宿学校というものがクランドル全国にいくつかあるが、これは主に良家の子女のためのものだ。こちらは就学年齢になってから12年生まで、つまり大学に進むレベルになるまで寄宿制で面倒を見てくれる。アレクやディが行っていたのも、この寄宿学校の方だ。
「ねえ、昨日どこに行ってたの?
電話したのにいなかったよね」
「ああ、うん。ごめんね。ママから電話があったとは聞いてたんだけど、昨日は遅かったから」
「ふうん」
「ママのさ、お友達のうちに絵を見せてもらいに行ってたんだ」
ウソはついてないぞと思いながら、デュアンはエヴァの質問に答えた。
「そうなんだ。デュアンって本当に絵が好きだもんね」
「うん」
「いいなあ。もう今から将来何になるか決まってるんだもん」
「決まってなんていないよ。ただ、ぼくがママみたいな絵描きになれたらいいなと思ってるだけで」
それに、お父さんみたいな、とデュアンは内心いたずらっぽく笑いながら心の中で付け加えた。
「あら、今だってもうデュアンの絵って雑誌に載ったりしてるじゃない」
「それはそうだけど、あんなのたまたまママの担当編集が気に入ってちょっと使ってみようかなってそんな程度だったんだから。本当に画家になれるかどうかなんて、まだ全然分からないよ」
「だけど、目標と才能はちゃんとあるんだもん。私なんか、何になりたい?
とか聞かれるたびに困っちゃうんだから」
「なりたいものとか、ないわけ?」
デュアンは何も含むところなく言ったのだが、ズバリ聞かれてエヴァはそんな話題をふってしまったことを一瞬、盛大に後悔した。なにしろ、ここしばらくの彼女の最大の「なりたいもの」は「デュアンのお嫁さん」だからである。しかし、頭の回転の速い彼女のことで、咄嗟に、あったら苦労はしないわよと何くわない顔で答えた。
「でも、エヴァだったらさあ、何にだってなれるんじゃない?
あんなに成績いいんだから」
「それはデュアンだってでしょ?」
「おい、デュアン、宿題写させろ」
仲良く歩いてゆく二人の後ろから追いついて、じゃれついて来たのはデヴィッド・コナー、デュアンと仲のいいブロンドでブルー・アイズの男の子だ。成績はさっぱりだが気のいいヤツで、算数、国語は教科書を見るのもイヤだが、バスケットボールやテニスのサークルでは天下を取っているスポーツ少年でもある。それだけに、生来なかなかの正義漢でもあって、まだうんと小さな頃からデュアンに父親がいないことで揶揄しようなどという者が現れると、本人以上に怒って追い払ってくれるのはいつも彼だった。
「なんだよ、デイヴ、それがヒトにものを頼む態度かよ」
「失礼いたしました、デュアンさま。あなただけが頼りなんです、宜しくお願いします」
「悪いね、いいよっていいたいとこだけど、ぼくもやってないの」
「えーっ」
「あら、珍しいわね、デュアン」
「うん、ちょっとね」
なにしろこの週末の出来事はデュアンにとって人生の一大イヴェントと言っていいようなものだったのだ。金曜の夜から何を着てゆくか、どんな話をしたらいいのかとトチ狂っていたのだから、宿題なんて今の今、デイヴに言われるまですっかり忘れてすらいた。
「ってことで、エヴァ」
「なによ、二人とも男の子のくせに情けない」
「ごもっとも」
「と、言いたいところだけど、バッファローズのジェラート三段積みで手を打ってあげるわ」
「太るぞ〜」
からかうように言ったデイヴに肘鉄を食わせて、エヴァは大きなお世話よ!
と言った。ちなみに、バッファローズは最近街で子供たちに人気のジェラート専門店だ。テイクアウトの他にイートインもやっていて、好みのジェラートでボリュームのあるパフェを作ってくれるのも人気の秘密である。
結局、デュアンとデイヴ、二人でお小遣いを出し合ってエヴァにアイスクリームをおごるということで話がつき、宿題に関してはコトなきをえることになったが、そんな友だちとのよくある日常のヒトコマですら、今日のデュアンにはいつにも増してキラキラと輝いているように感じられて、それはとても幸せな気分にしてくれるものだった。
original
text : 2008.7.5.
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