子供たち三人を集めた会合の後、父がここぞとばかりに本格的に跡取りのことを決めてしまいたい様子だったので、ディも話を進めないわけにはゆかなくなったわけだが、彼自身もどうするのが良いか改めて考えてみた後で、やはりまずマイラとアンナに打診してみることに決めた。

本来なら子供たちの性質をもっと見極めてからにするべきなのだろうが、ロベールは一も二もなく三人とも気に入ったようだし、ディにしてもそもそもその三人の母親がどういう女性であるかよく知っている。それも考え合わせると、既に半年前から見知っているデュアンについては今更考えるまでもなかったが、一度会っただけでもメリルやファーンが賢くて真っ直ぐな少年であることに疑問の余地はなかった。ロベールの方も、あれでこれまで沢山の人間を使って来た立場にあるから、子供たちの本質くらいはもう大体の見極めがついているのだろう。

それに、今の年から跡取りと決めて近くに置いていれば、"貴族的な生き方"というものについていくらでもいろいろなことを教えてやることが出来るし、そうすればどの子がどちらを継ぐことになっても、立派な伯爵さまになってくれるに違いない。実際、ファーンについては、そんなことすら教える必要もないように思えたが、自分たちの方はそれで問題ないとしても、ディが一番気になっていたのはメリルがモルガーナ家を継ぐことをそう簡単に承諾してくれるかどうかだった。彼が受け入れてくれなければ、どうしてもデュアンにその役が回ることになる。

ともあれ、どうなるにしても、あんなに可愛がって育ててくれている母親たちから子供を取り上げる格好になるのはディとしても気の進まないことではあったが、それについては後の話合いで折り合いをつけるより他はない。話だけ決めておいて、彼らが成人するまでは基本的に母親たちの手元に置くという方向で父が納得してくれれば、それほど彼女たちを淋しがらせずに済むだろう。要は、モルガーナ家とシャンタン家に正式な跡継ぎが既にいると公表されることが、特にロベールにとっては大切なところなのだ。それは莫大な財産を巡っての無用な争いを避けることにも繋がるし、両家とも麾下に多岐に渡る事業を抱えているだけに、それが社会的信用とも直結してくる。

そんなこんな考え合わせて子供たちが一同に会したその数週間後、ディがまずマイラに電話をかけてみると、メリルから会合の時のことをいろいろと聞いていたのだろう。今度は彼女もそんな話が出るだろうとは以前よりもかなり現実的に予測していたようで、ディからの電話を受けてもあまり驚いた様子ではなかった。

しかし、ディでさえメリルが跡継ぎの話をそう快くは受け入れてくれないだろうと予測がついたわけだから、マイラにはそれがもっとはっきり感じ取られているようだ。なにしろ、先日の集まりから帰って来た後で、メリルはぼくはもう、お父さんとは会わない方がいいのかもしれないなどと不穏なことを言っていたくらいなのだ。確かに、ディの画家としての技量や、モルガーナ家がクランドルきっての大貴族であるという現実、そして祖父の人柄や弟たちのことなど、いろいろと彼にも感じるところはあったようで、ディと会う前のように父に対して一方的に否定的な感情や言動は影を潜めたものの、逆に現実問題として捉えるようになったことで、メリルの中ではかえって深刻さが増しているようにさえ彼女には思えていた。

しかしそれでもやはり、まずはメリルにディからの申し出を伝え、その気持ちを聞いてみることから始める以外にない。そのことはマイラにも分かっていたので、話し合ってから返事をするということで彼女はとりあえず受話器を置いた。

彼女にしてみると、長年大事に育ててきた自分の息子のことである。だからこそ性質的にそんな大家の当主が務まる子かどうかという気もするし、そもそもが人の上に立ってリーダーシップを発揮するようなタイプではないことも既によく分かっている。反面、今既にメリルの絵はほんの一部でではあるが注目を集めつつあるし、彼女の親しい画商に見せてみても、大変面白いものを持っているから、このまま伸びれば十分、画壇で通用する力量に発展する可能性は大いにあると太鼓判さえ押されている。そのことをマイラはまだメリルには言っていないが、彼女にはメリルはそうやってコツコツと絵を描きながら、少しずつ認められてゆくのが一番良いことではないかという気がするのだ。画家として売れようと売れまいと、息子が絵を描くことそのものに取り憑かれていて、時間を忘れて描いている時が何よりも幸せそうなことを見ていてよく知っているからである。

自分の生んだ私生児が、モルガーナ家のような資産家の跡継ぎにしてもらえるかもしれないなどという話が出てくれば、普通の女性なら何が何でもそのチャンスを捉えようと躍起になっても仕方がないところだが、そこはやはりマイラもディが子供を持たせても良いと判断したほどの女性である。様々な事情を考え合わせて、客観的に冷静な判断を下すことが出来るからこそ、出版社のオーナーとして成功をおさめてもいるのだろうが、その能力は私事に関しても同様に発揮されるようだった。

結論はもちろんメリル次第だが、マイラの印象としてはこの話、結局は断ることになるだろうというのが、話す前から分かりきっているようなものではあった。果たして...

「え、跡継ぎ?」

「そうよ、この前、おじいさまが言ってらしたんでしょう?」

「うん...、でもそんなの、ぼくには全然関係ないと思って...」

話した途端、断る、断らないという話になる以前に、なんでそんな話が自分に持って来られるのかまるっきり予想外という顔をしているメリルを見て、マイラはくすくす笑いながら言っている。

「関係ないわけないじゃないの。ほんっとーに、のんびりしてる子ね、あなたって」

「だって」

「成り行きとはいえ、あなたは一応、ディの長男なのよ。一番最初に生まれてるんだから」

「それはそうかもしれないけど...」

言いながら、まだメリルは全く実感が沸かないようだ。

「三人の中では、まあふつう、一番最初に話が来るのも当然ね」

「そんなものかなあ...」

「そんなものだと思うわよ? で? どうするの?」

「どうって...。ぼくは画家になるのが夢だし...」

「ディは画家だけど、モルガーナ伯爵よ? 絵を描きながらだって、別に構わないんじゃない?」

「母さん、もしかして分かってて言ってる?」

「何をよ?」

「だから、そんなの全然現実的じゃないって」

「なんで現実的じゃないのよ?」

「だってさ。ぼくがモルガーナ伯爵になるなんて、そんなのまるっきりヘンだよ」

「どうヘンなの?」

「なんていうか...。感覚的に? 想像もつかないよ、そんなの」

メリルは言葉で細々説明するのが面倒になるとよくこの"感覚的に"という言葉を使う。それは、メリルの中ではとても明々白々なことなのだが、何をどう説明すれば分かってもらえるのか分からない時の彼の決まり文句なのだ。マイラは、出たわね、と思って内心笑いながら、面白いのでもうちょっと苛めてやろうという気になったようだ。

「だったらちょっと頑張って、想像してごらんなさいよ」

「だから、想像つかないって言ってるじゃない。第一、十何年も放りっぱなしにしておいて、一度会ったくらいで跡継ぎなんて、お父さん、いったい何考えてるんだろうって思わない? それって絶対、ヘンだよ」

「でもあなた、ディにもだけど、おじいさまにも気に入られたみたいよ?」

「おじいさま?」

「ええ。あなた、おじいさまのことは好きって言ってたじゃない」

「それは確かに言ったけど、だって優しくて、ちゃんと筋の通った人みたいだったもの。あんな人の息子が、どこをどう間違ったらお父さんみたいになるのか全然分からなかったけど」

息子の言い分に、マイラは笑っている。

「おじいさまだって、これまでお父さんがぼくたちのことを隠してたことについては随分怒ってらしたみたいだし、それって常識的な感覚だってぼくも思うもの。でも、お父さんは...」

なんとか表現しようと適当な言葉を一生懸命探して、メリルは珍しくズバリな一言を発見したようだ。あ、そうだ、と手をたたいて、今度ばかりは自信をもって断言した。

「ぼくにとっては彼って殆ど"宇宙人"だよ」

これに至っては、聞いている母の方はとうとう吹き出して大爆笑である。

「ねえ、母さんてば。笑わないでよ。ぼくはマジメに言ってるんだから。帰って来てからもずっと考えてたんだけど、彼がもっと、なんていうか...、ぼくが思ってたみたいに単に傲慢で尊大なヤツだったらぼくだってこんな悩まないんだよ。でも、会ってみると全然人当たりがよくって、優しくって、なんかすごく"いいヒト"なんだよね。ぼくや弟たちのことにもちゃんと気を回してくれて、すごく気を使ってくれてるなっていうのも分かったし。でも、問題は...」

またメリルは正確な表現を探して黙り込んでしまった。しかし、息子のこういう様子には慣れっこのマイラは急かすようでもなく黙って彼が続けるのを待っている。しばらくして、メリルが言った。

「問題はね。彼の絵なの」

「絵?」

「うん」

「絵がどうかしたの?」

「だから、それが三番目の人格というか...」

「なによそれ。ディが多重人格だとでも言いたいの?」

「あ、そう! 母さんさすが。そうなの、ぼくが言いたかったのは正にそれなんだ」

息子の言うのへマイラは首を傾げている。

「だからね、ぼくたちを十何年も放りっぱなしにして、あまつさえ今でもあんなに遊びまわってる無責任でいい加減なところと、ぼくたちをあんなに完璧に"おもてなし"してくれる"いいヒト"なところと、それがそもそもぼくの中では一致しないんだ。なんか、正反対じゃない?、それって。でも、彼の絵がその二つの人格さえ完全に裏切ってて、あんなの"ちゃらんぽらんなヤツ"にも、普通に"いいヒト"にも、絶対描けるようなものじゃないよ。そうすると、どれがどう本当の彼なのかなと、それ考えると判断つかなくて混乱しちゃうんだ、ぼくは」

マイラはやっと息子が言いたいことの見当がついたようで、頷きながら言った。

「ああ、なるほど。それで"宇宙人"で"多重人格"なのか」

「そう。分かってくれた?」

「...そうね、少なくともあなたが何を言いたいかは分かったような気がするわ」

「で、ぼく思ってたんだけど」

「うん」

「やっぱり本物の芸術家にとっては、根本的に作品がその人そのものだっていう法則があるじゃない?」

「それは確かにあるわね」

「逆に、つまんなくていい加減なヤツだったら、絶対それは作品に出るしさ。ふつーのヒトだったら作るものだって凡庸にしかならないし」

「そうね」

「そう考えると、お父さんのぼくたちに対する"いいヒト"な態度は、結局ぼくたちのことがどうでもいいからなのかなとしか思えないわけ。少なくともぼくには」

「そうかしら」

「そうだよ。そう考えるとこれまで放りっぱなしにされてたのも分かるし。少なくとも絵を描いてる時の彼はあんなじゃないはずだよ。本当ならあんなふうに機嫌よくぼくたちを"おもてなし"してくれるような人だとは思えないし、本当にぼくたちに関わってくれるつもりなら、もっとちゃんと接してくれるんじゃないかと思う」

メリルが普段おっとりしているにも関わらず、どうかすると妙に鋭い観察眼を発揮することがあるのをマイラはよく知っている。言ってみれば、それがこの年ですら彼の絵を、単に大人どころか専門家にまで"面白い"と思わせる基盤にもなっているようなのだ。普通、人が気にも留めずに見過ごしにしてしまうようなことを、けっこう拘って追求するクセがこの子にはあって、そこから何かしら大切な本質を引き出してしまう能力を生まれつき持っているらしい。

「それで余計ぼく、その跡取りって話がすごく不思議で見当はずれにしか思えないんだよ。お父さんはぼくのことなんて何とも思ってない。好きとかキライとか、負担になるとか迷惑になるとか、そういうことさえ何一つ感じないくらい"どうでもいい"存在なんじゃないのかなって。つまり居ても、居なくても」

マイラは彼女自身ですら考えてみたこともなかったことを息子が言い出したので、ちょっとショックを受けて黙って聞いている。

「それなのに跡継ぎって、じゃあ、彼はぼくが彼の血を引いていて、長男だからってだけでそういう話を持って来たわけ? そんなのってヘンでしょう? 親子ってそんなことだけじゃないはずだよ」

「.....」

「ぼくと母さんだってさ、ぼく、母さんのことがすごく好きだし大切だよ? 母さんだって、ずっとぼくのことそう思って育ててくれたんじゃない。だからこそぼくはこれまでお父さんの態度に怒っていたし、ぼくにとっては笑い事じゃなかったんだ。それをさ、ちょっと会っただけで、自分の血を引いてるからって跡継ぎ? まだそれが普通にお金持ちの家とかなら格好がつけばそれでいいのかもしれないけど、モルガーナ家って、ぼくだって知ってるくらいクランドルでも名門中の名門なんじゃない。一回会っただけだからお父さんには分からないかもしれないけど、母さんなら分かるでしょう? そんなのぼくが継げるわけない。あんな大きなお屋敷や豪華なリムジン、山ほどの美術品、おまけに沢山の大きな会社を持ってるような家を継ぐなんて、ぼくには絶対できない」

メリルがこの調子で断言した限り、これは何があっても翻ることはなさそうだと思うと同時に、マイラは今初めて、息子のディに対する反感の根源がどこにあったのか分かったような気がしていた。そもそもの始めからマイラにとっては"ディの子供を産む"などということは、"神さまの子供を産む"というのと同じくらい大変なことであったし、ましてや子供が欲しいとねだったのは自分の方だ。だからこそ最初からディの父親としての責任なんてものは、彼女にとって思い浮かびもしないことだった。それについては今だって大して変わりがないが、しかし、当の息子本人にしてみると事情は全く違う。メリルが自分よりもずっと客観的な見地から父に対して怒っていたのだということが、彼女にもここに至ってやっと理解できたのだ。

マイラ自身文人であると同時に、人の芸術的才能を測るのを仕事にしてすらいる。母としてというよりも、彼女の公人としての基準で今のメリルの言い分を聞いていると、自分の息子はこれまで思っていた以上に純粋で、芸術家としての資質に恵まれているのではないかと思えるのである。今まではまだ子供のことでもあるし、親の欲目であまり期待しすぎるのも、と息子の才能に対しては懐疑的なスタンスを貫いていたマイラだが、とうとう彼女も、この子には本格的に画家への道を歩ませてやるべきかもしれないという気がしてきた。彼女にはそれがとても嬉しいことだったが、それにも増して、この子は本当に私を愛してくれているんだなあということも、ほのぼのと暖かい気持ちにさせてくれる。しかし、マイラはそれを表情には出さなかったから、彼女のそんな心境の変化には気づくヨシもなくメリルが言っていた。

「だからさ、結局、ぼくが思うのは、お父さんとぼくって根本的に合わないんじゃないかなって。ぼくにとって大切なことはお父さんにとってはどうでもいいことみたいだし、彼には彼の言い分があるんだろうけど、それって主観の相違ってものだと思うし、最終的に平行線にしかならないなら仕方ないじゃない。だからぼく、この前ももう会わない方がいいかもとか言ってたんだよ」

「なるほど」

「それにやっぱりちょっと悲しいしさ。実のお父さんに何とも思われてないって確認しちゃったわけだから」

「それについてはそう決めてしまうのはまだ早いかもと思うけど」

「そう?」

「うん。ディがあなたをどう思ってるかってことについては、私も言われてみればその通りかなという気がしないでもないのよ。でもね、ディは...」

マイラは少し考えて、それはまたそのうち自然と明らかになるだろうし、この子の場合、今私が何をどう弁護したところで、自分がそうと納得しない限りは考えを変えることもあるまいと判断したようだ。

「まあ、いいわ。この先、会う、会わないはこれからのこととして、じゃ、ともかくこのお話はお断りしていいってことなのね?」

「もちろんだよ、それ以外にある?」

息子があまりにきっぱりはっきり、未練も何もあったものではない様子で言い切るので、マイラは本当に可笑しな子よねと内心笑いながら、ちょっとからかってみたい気持ちにもなって、意地悪なことを言い出した。

「全く欲のない子ね。モルガーナ伯爵になったら、あの大邸宅やリムジンや沢山の会社やお金や財産が全部あなたのものになるのよ? 本当に断っちゃっていいの?」

それへ再びあっさりとメリルは答えた。

「ぼくがなりたいのは伯爵さまじゃなくて、画家だもの。その方がずっと欲張りな望みだと思うけど?」

この子にとっては、まさに言っている通りなのだろう。しかし、彼女はディも成り行きで若くして爵位を継いだとはいえ、そもそもが「貴族になんか生まれたくなかった伯爵さま」であることを知っている。メリルはディと自分が"相性が悪い"みたいに言ったが、なかなかどうして親子ってヘンなところが似るものなのねと思うと、マイラにはそれがちょっと可笑しかった。案外にこの父と息子、時間はかかるかもしれないが、長い目でみればそのうち歩み寄る可能性もないとは言えない。メリルの場合、無理に馴染ませようとすると返って反発する怖れもあるし、それでマイラは、まあ見ていましょうという気持ちになったらしい。

どうやら母が納得したようなので、メリルはほっとして、さて、絵でも描こうかなと言って、話していたダイニングのテーブルを立った。彼女の息子は毎日この調子で、ヒマさえあれば絵を描いているのだ。たぶんそれはこれから大人になっても一生変わりそうはない日課だったが、実はその父親もそうなのだということがマイラにはまた"似たものどうし"な感じすらして、それが密かに彼女を楽しませる事実でもあった。

original text : 2008.9.13.+9.14.+9.17.

  

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