午後のお茶を楽しみながらひとしきり話がはずみ、それぞれお互いに顔見知りになったところで、ひとまず子供たちを部屋に案内して落ち着かせようということになった。1階にあるゲストルームのうち、庭に面して窓からの景色の特に良い三室が、彼らのために用意されている。

「こちらのお部屋でよろしゅうございますか?」

案内してくれたアーネストが尋ねるのへデュアンは、ブルーと白を基調にしてまとめた明るい雰囲気のモダンな部屋を見回しながら、ええ、素敵なお部屋ですねと答えた。入り口の次の間の奥に、ゆったりした居間が広がり、その向こうにベッドルームがあるようだ。居間や寝室のフランス窓は緑豊かな庭に面し、そこからは陽光が溢れるように差し込んでいる。

「あ、ね、アーネストさん」

「なんでございますか、坊ちゃま」

「ぼく、兄さんたちのお部屋を訪ねたら迷惑かしら」

「そんなことはないと思いますが、お話になりたいのでしたら、お尋ねして参りましょうか?」

「お願いします。迷惑じゃなかったら、ちょっとお話してみたいので」

「かしこまりました。しばらくお待ちくださいませ」

そう答えてアーネストが出てゆくと、デュアンはほっと溜め息をひとつついて、居間の方へ歩いて行った。窓の外にはよく手入れされた芝生が広がり、その向こうに美しい庭園や迷路が見渡せる。

いつもディのアトリエで話すことが多いし、何度か泊めてもらった時に使った部屋もこことは違っていたので、デュアンは家の中でもこの一画に案内されたのは初めてだ。窓からの景色がアトリエや、これまで知っていたどの部屋からのものともまるで違った表情を見せている。もうかなり慣れたと思っていたのだが、この様子を見るとまた本当に広いんだなあと改めて実感させられるような気がしていた。

一晩だけのお泊りだし、必要なものは何でも用意されているので特に何も持って来なくてもいいと言われていたが、バスルームやクロゼットを覗いてみると確かにこれまで泊まったことのある部屋と同じように、日常の生活に必要な細々としたものはもちろんのこと、ちょっとした着替えやパジャマなども用意されていて、そこは既にデュアンが自分の部屋同様にくつろげるよう、整えられているみたいだった。窓の外は時折りの鳥のさえずりの他は、風の渡るさやさやさやという音が気持ちよく耳に届いてくるくらいだ。

こうして一人で静かな部屋に落ち着いてみると、朝から自分は随分気を張っていたんだなあと気がつく。こんな緊張感は、ここに初めて来た時以来かもしれなかった。

デュアンはベッドに腰掛けて庭を眺めながら、先ほどの祖父や兄たちとの初めての会見について想うともなく想っている。まず、何よりも、おじいさまってどんな人なのかなあと、会う前は気に入ってもらえるだろうかと不安だったものだが、とても優しそうな人で、自分のこともすんなり受け入れてくれたようだったのが嬉しかった。夏には彼の城にも招待してくれると言われたし、おじいさまとも仲良くなれそうだなと思うと、これまで家族の少なかったデュアンは楽しくなってくる。

ディから、祖父や兄たちについても少しは聞いていたが、ファーン兄さんは自分とひとつしか違わないとは思えないくらい社交慣れしている感じで、ちょっとオトナな雰囲気がした。お茶を楽しんでいる間にも折りにふれてデュアンに声をかけてくれたり、おじいさまの思い出話には自分の家族の話も交えて終始明るく受け答えして、そのせいで座が随分盛り上がっていたほどだ。それでいて少しもでしゃばったように感じさせるところがなかった。育った環境が環境だからなのだろうが、もうすっかり社交術と言って良いようなものを彼は身につけているらしいのだ。

翻って、メリル兄さんは最初の印象通り、ずいぶんとっつきにくい感じの人で、何を聞かれても、はい、といいえ、くらいしか出てこないように見えた。何よりもデュアンが不思議だったのは、彼はちっともこの一族の初めての集まりを楽しんでいない様子だったことだ。自分などは、祖父や兄に会えると聞いて以来、ここ2週間ばかりわくわくし通しで、昨日などはいろいろ考えてなかなか寝つけなかったほどだったのにである。

そんなことをとりとめもなく考えていたデュアンの耳に、ふいに扉をノックする音が聞こえた。

「はい?」

「坊ちゃま、ちょっとよろしゅうございますか?」

アーネストの声にデュアンは、はい、どうぞ、と答え、ベッドから立って扉の方へ歩いて行った。部屋に入って来たアーネストが言っている。

「ファーン坊ちゃまにお伺いしましたところ、喜んでお迎えするとおっしゃっておられます」

「そうですか、じゃ、ちょっとお邪魔しようかな」

「メリル坊ちゃまも宜しいそうですが、どちらからお訪ねになりますか?」

「あ、じゃあ...」

少し考えて、デュアンはファーン兄さんから、と答えた。本当なら長兄からが礼儀なのだろうが、人一倍ひとなつっこいデュアンをして、ちょっとどう扱ったらいいんだかというようなところがメリルにはあって、とりあえず難なく受け入れてくれそうなファーンからにしておいた方が無難なように思えたからだ。

アーネストに伴われてファーンの部屋を訪れると、待っていたらしい二番目の兄が扉を開けて、やあ、いらっしゃい、とにっこりして言った。

「お邪魔しても、いいですか?」

「どうぞどうぞ」

嬉しそうにそう言ってファーンがデュアンを迎え入れると、その後ろでアーネストが一礼して扉を閉めた。こちらの部屋は、アースカラーを基調にしてまとめられていて、床はアイボリーの石材で張られている。次の間の壁にはコンテンポラリーのモダンな額が4枚、均等なスペースを置いてかかり、壁に寄せてはアールデコ様式の優美なソファが置かれてあった。居間も、寝室もナチュラルな素材や色彩で統一されてはいるが、調度もファブリックも最上のものが選ばれていることもあって、モダンとクラシックが融合した暖かな雰囲気を醸し出している。

二人になって、ファーンは弟を奥の居間に通すと、そこに置かれているベッドほども大きなソファにかけるようにすすめ、自分もはす向かいのアームチェアに腰掛けて、くつろいだ様子で足を組んだ。

ファーンにしてみれば別に気取っているつもりはないようなのだが、なんだかその仕草や振舞いがいちいち優雅でしかも決まっている感じで、それを見ていてデュアンは、こういうところ、ファーン兄さんてなんだかお父さんと似てるかも、という気がしないでもなかった。これが貴族的っていうことなのかなと考えると、自分って庶民だなあとつくづく思ってしまうのだが、デュアンの性格ではそれで気後れするということはなく、むしろカッコいいなと思うものだから、こんな人が自分の血を分けた兄だということに嬉しくなってしまうのである。

「来てくれて嬉しいよ。ぼくももっと話がしてみたいなと思っていたから」

「本当ですか?」

「うん。実はね、ぼくには叔父が二人いて、合計8人の従兄弟がいるんだよ。だから従兄弟たちには兄弟姉妹がいっぱいいるってわけ。その中で、ぼくだけがひとりっ子状態だったんだよね」

「はい...」

「従兄弟たちも一緒に暮らしているし、みんなぼくともとても仲良くしてくれているから、まあ、彼らがぼくの兄弟みたいなものって言えば言えるんだけど、ある意味、羨ましかったんだ、彼らみたいに本当の兄弟がいるっていうのが」

「あ、それぼくも分かります。友達にも兄さんとか姉さんとかいる子がいて、いいなあって思ったりしてたから」

「だろ? それで、母からぼくには兄と弟がいるらしいって聞いてから、会ってみたいなあと思ってたんだよ。だから、やっと願いがかなったってとこかな」

「じゃあ、ぼく、ファーン兄さんって呼んでもいい?」

「あ、いいな。もう一回言って」

「え? ファーン兄さんって?」

「そうそう。じゃあ、ぼくもこれで晴れてきみのことを弟だって思えるわけなんだ。デュアンって呼んでもいい?」

「ええ、もちろん」

どちらも兄弟が欲しいと思っていたということが判明して、そもそもお互いの第一印象も双方良かったから、この二人は難なくまとまったようだ。

「さっき聞いてたんですけど、ファーン兄さんは寄宿学校に行ってるんでしょう?」

「うん」

「どんなところなんですか?」

「きみは普通の学校に通ってるの?」

「はい」

「そう。まあ、寄宿学校と言っても、基本的にはきみの行ってる学校とあまり変わりないと思うよ。ただ、遠くから来てるヤツもいるから、寄宿制ってことになってるだけで。通学する必要がないのは助かるけどね」

「家族と離れてて淋しくない?」

デュアンの素朴な疑問にファーンは笑って答えた。

「ホームシックにはなったことないなあ。入ったばかりの小さい子にはよくあるようだけど。母はぼくが日常側にいないっていうのがちょっと淋しいらしいけど、だから試験週間以外は殆どの場合、週末になると帰るしね。それにまあ、毎日のべつまくなしドタバタやってるから、一週間なんてあっという間だし」

「そうなんだ」

「うん」

「なんか、イメージ的には寄宿学校ってすっごいお上品って感じがあるんだけどな」

「とんでもない。考えてもみてごらんよ。6才から18才まで、男ばっかり集まってるんだよ? それでみんながお上品でおとなしかったら返って気味が悪いだろ?」

「う〜ん、言われてみるとそうかもしれないけど...」

「だいたい、いまどき女の子がいないなんてのが、そもそも不自然なんだよ。まあ、寄宿制だからさ、ハメはずすヤツが出てきちゃまずいってことなんだろうけど、特にその点は普通の学校に行ってる連中が羨ましいってのは、みんな言ってることだよ、一部の例外を除いてね」

「一部の例外って?」

「聞かない方がいいんじゃない?」

「えー、なんで?」

「寄宿制の男子校には昔からありがちなアレだよ、アレ」

デュアンは言われてなんとなくピンと来たようだ。

「ああ、なるほど」

「きみなんて、普通の学校に行ってて幸せだと思った方がいいよ。女の子の友達だっているんだろ?」

「うん。幼稚園の頃から仲良かったりする子とかはいるけど...」

「ほら。それに、きみくらい可愛いと、しなくてもいい煩わしい思いは絶対させられるよ」

「そうかな。でも、兄さんだって」

「ご明察」

「え、やっぱり?」

「最初はけっこう驚いたけど、今じゃもう慣れっこさ。それなり強くないと生き抜いていけない世界なんだよ、あれは」

ファーンが冗談めかして頷きながら、悟りきったような口調で言うのでデュアンは笑っている。

「こらこら、本人にしてみたら笑いごとじゃないんだよ?」

「はい...」

言いながら、まだ笑っている。

「今日、お父さんと会ってふと思ってたんだけど、彼って昔、ぼくが行ってる学校にいたでしょう?」

「え、そうなの?」

「市内やその周辺に家がある場合は、一番近場だからね。それにうちはクランドルでも最高の教授が集まってるってことになってるし、だからわざわざ遠くの学校には行かないよ」

「なるほど、それはそうですね」

「母や教授にもその話は聞いたことがあるしね。それで思ってたんだけど、大変だっただろうなあって」

デュアンは、たまりかねて今度は大笑いしている。

「いや、だからさ、本当に笑いごとじゃないんだってば。ぼくでさえ、毎度上級生をかわすのにけっこう苦労してるんだから、彼だったらもう、無事でいられた方が不思議っていうか」

デュアンは笑いながら考えてみて、そうだね、と答えた。

「まあ、そんなこんなであれこれすったもんだは絶えないな」

「ふうん、案外に面白そう」

「いやいや、外から見てるうちが華だよ」

ファーンは弟が笑っているのを楽しそうに眺めていたが、しばらくして、じゃ、今度はきみの学校のことを聞かせてよ、と言った。

「んー、と言っても、ほんとによくある普通の学校だから」

「幼稚園からの友達がいるって言ったよね」

「うん、だいたい近所に住んでる子が同じ幼稚園から同じ学校に進むって当たり前なパターンなんだ」

「そうか、それは自然とそうなるだろうね」

「だから、女の子もそれほど意識的に"女の子"って感じはしないなあ」

このセリフは、エヴァが聞いていたら足のひとつも踏んづけてやりたいような気分になっただろうが、デュアンはそんなこととは思いもよらずに無邪気に言っていた。

「いいよね、回りに普通に女の子がいるって。ぼくの場合、従兄弟のうち半分が似たような年の女の子だからさ。まあ、それはそれなりに慣れてるんだけど、家族と友達じゃやっぱり違うよね?」

「どうだろう。それくらい小さい時からつきあってると、幼なじみっていうのかな。それってもう兄弟と殆ど違わない感じもするけど」

「ふうん。そういうもの?」

「少なくともぼくはそう」

デュアンが言うのにファーンは頷いている。

それからまたひとしきり、好きな本や音楽のこと、それに父や今日会ったばかりのおじいさまの話などで盛り上がって、気がつくと小一時間ばかり経っていた。年もひとつしか違わなければ興味の対象もそれほどかけ離れてはいない。それでファーンと話すのはとても楽しかったので、デュアンは離れがたい感じがしたのだが、彼は夕食の前にメリルとも話しておいてみたかった。それで、話が一段落したところで、じゃ、また続きはディナーの後にでもということにして、デュアンは兄の部屋を辞したが、ファーンは弟が部屋を出てゆく前に自分のメール・アドレスと家の電話番号を教えてくれ、今度は一度、外でも会おうよ、と言った。もちろんデュアンも同じ気持ちだったから、自分の電話やメールを教えて、じゃ、後でね、と言って部屋を出た。

メリルの部屋がそのはす向かいにあることは教えられていたが、やっぱり先触れと案内を頼んだ方がいいんだろうなと思い、デュアンは一旦部屋に戻ってアーネストを呼んだ。ファーンは最初から快く受け入れてくれそうなことが分かっていたから気が楽だったが、さて、実際にメリルと相対するということになると、デュアンはいつもの彼にもなくちょっと気持ちが堅くなるのを感じていた。なにしろメリルはお茶の間中、デュアンの方を見向きもしなかったのだから、それも無理はなかっただろう。

アーネストを先に立ててメリルの部屋へ歩きながら、この会見はちょっと気の重いものなりそうだとデュアンは気を引き締めていた。

original text : 2008.7.22.+7.26.+ 8.16.

  

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