「だんなさま。ベンソンご夫妻とお嬢さまがお見えで、お会いになりたいとおっしゃっておられるのですが」
「そう?
なんだろうね。いいよ、応接室にお通しして。すぐに行くよ」
この前のことで何かあったのかなと思い、ディは読んでいた美術誌をソファに放り、アトリエから応接室の方へ出て行った。
「突然、お邪魔して申し訳ありません、伯爵。お邪魔ではなかったでしょうか」
ディが入ってゆくとベンソン氏が立ち上がって言った。
「いえ、とんでもない。ぼくの方は構いませんよ。何かありましたか?」
言ってディはソファにかけ、まだ立っているベンソン氏にも座るように促した。側でエヴァがずいぶん悄然とした様子なので気になったが、まずは話を聞かなければ対応のしようがない。
「で?」
「それが、その、何と申し上げたらいいのか...。実は娘に泣かれまして」
「は?」
「伯爵は今後、デュアンを寄宿学校に行かせるご意向でいらっしゃるとか」
「ああ、ええ。一応、そういうことで準備は進めていますが?」
「デュアンからそれを聞いて、娘がびっくりしましてね。なんとかしてくれと言って泣くんですよ」
「はあ...」
言われている意味がもうひとつ分かりかねて、ディは首を傾げて見せる他なかった。
「こちらのような家柄ともなれば、それはいろいろとしきたりなどおありでしょうし、我々もそういうことがあるだろうとは理解しているつもりなのですが...」
「いえ、そんなしきたりなんて上等なものはうちには特にありませんが」
実際、モルガーナ家はロウエル家同様、他に比べるとオープンで、貴族的習慣に嬉々としてがんじがらめになるようなところはない。しかし、もし先代までにそんなものがあったとしても、ディの代で吹っ飛んでいることはまず間違いなかったはずだ。
「なにぶんにもエヴァはデュアンとは幼稚園からのつきあいで、仲が良かったものですから、学校が離れるというのがショックらしくて」
「お願いです、伯爵!
デュアンを寄宿学校になんか行かせないで!」
突然、今までうなだれていたエヴァが必死の決意を見せて叫んだので、ディは一瞬驚いてひるみかけたが、それからその彼女の様子に、ははあ、なるほど、と思い、デュアンを呼ぶことにした。例え相手が子供でも、このテのことにピンと来ないようではプレイボーイなんて務まらない。
「ベンソンさん。本当にうちにはそんなしきたりなんてものはないんですよ。ぼくも、こういうことはデュアンの希望を何より優先させたいと思っていますし、ただ、あの子が今度のことでお嬢さんや他の友達にまた迷惑をかけることになるんじゃないかと気に病んでましてね。寄宿学校うんぬんはデュアンの方から言い出したことなんです。だから、とにかくあの子を呼びましょう」
言ってディは机の上のべルを取り上げて鳴らし、アーネストが入って来ると、ちょっとデュアンを呼んでくれないか、と言った。デュアンが来るまで、ディはそれとなくエヴァを観察していたが、誘拐されて助け出された時でさえあれほど毅然としていた少女が、これほど真っ青状態になる理由なんてひとつしかない。さっきの彼の直感通り、彼女はデュアンに恋しているらしいと知って、ディは可愛いなぁと内心で微笑ましく思っていた。
「ディ、何か用?」
デュアンは言いながら入ってきて、それからベンソン一家の存在に気づいたようだ。
「あれ、エヴァ?
それにおじさん、おばさんまで。どうしたの?」
ベンソン一家の突然の訪問が、自分の転校騒ぎの巻き起こした波紋だと知るよしもないデュアンは、呑気に言っている。
「うん、まあ座りなさいよ」
ディに言われて頷き、デュアンは彼の横にかけた。
「何かあったの?」
「転校するってエヴァに言ったんだろ」
「え?うん。いけなかった?」
「ぼくの方はいけなくはないけど、全く、迂闊だねえ、きみも」
「なんで?」
「きみが突然そんなことを言うもんだから、彼女がびっくりしちゃったんじゃないか」
「え?」
「きみに寄宿学校に行って欲しくないんだってさ」
言われてデュアンは彼らの訪問の意味をやっと理解したらしい。
「ベンソンさんは、ぼくがうちのしきたりかなんかできみを転校させようとしてると思われたようなんだけど、実際にはきみが言い出したことだし、もう一度、彼女とも話し合った方がいいんじゃないかと思ってね」
「エヴァ...」
デュアンは困ったような顔をして彼女を見た。この世の終わりみたいな気分で両親に泣きつき、押しかけてきてしまったことでさすがに気が引けるらしく、エヴァは申し訳なさそうにデュアンを見返している。
「でもね、エヴァ。電話でも話したけど、本当に冗談ごとじゃないんだよ?
この前のことでも、万一きみが大ケガでもすることになってたりしたら、ぼくはもうどう責任とっていいか分からないし、そんなのどうやっても取りきれる責任でもないと思うんだ。だから...」
デュアンはなんとか説得しようとしたが、エヴァの結論はただひとつで、四の五の説得されるつもりもないようだった。何がなんでも行かせるものかという意気込みの方が、押しかけてきた申し訳なさよりまさったのだろう。それで彼女は、どんなリクツも吹っ飛ぶような勢いでまた叫んだ。
「イヤ! 絶対にイヤ!」
さっきので既に事態を把握しているディは笑って見ているが、ベンソン氏の方は娘の無礼をどう詫びたものかと恐縮して頭を抱えているし、夫人の方も既にエヴァに散々泣かれた後なので、はらはらしながらも止めるに止めらない様子だ。一方、デュアンは彼女のあまりの勢いにひるんで、それ以上は何も言えなくなったらしい。
「お願い、デュアン。寄宿学校になんか行かないで」
エヴァが涙ながらに訴えるので、ディもこの恋する少女にかなり同情的な気分になってきた。以前から思っていたのだが、この子はなんとなく彼の初恋の美少女、シベールを思わせるところがある。
「まあ、ぼくが思うに、女の子を泣かせるというのもどうかという気がするしね」
ディの言うのを聞いてデュアンは反射的にむかっとしたらしく、日頃の恨みか、思い切りキツいヒトコトで切り返した。
「ディ...、いえ、お父さんにだけは言われたくありませんね、それ!」
「.....」
デュアンはディをぴしりと黙らせておいてから、エヴァに向き直った。こんな状況ではあったが、これには思わずベンソン夫妻も笑っている。
「じゃあ、エヴァ」
「はい」
「本当にぼくがこれからも今まで通り学校に通っても、迷惑がらずに友達でいてくれるんだね?」
「もちろんよ。当たり前じゃない」
「おじさんやおばさんも?」
今度は夫妻を見て言ったデュアンに二人もそれぞれ頷いていた。確かに今度のようなことがあった限りは、彼らにしても心配ではあるのだろうが、もともとデュアンのことは気に入っているし、何よりも娘がこの調子では反対などしようものならそれこそ家出されかねない。
「分かりました。じゃ、寄宿学校に行くのはやめてここにいます」
「やったぁ!」
エヴァは今までの涙もどこへやら、それを聞いて大喜びで飛び上がっている。しかし、ディは妙に複雑な表情で、一緒に笑っているデュアンの肩を遠慮がちにたたいた。
「あの、デュアン、ちょっと...」
「え? 」
「いや、さっきのきみの発言について質問が...」
「何?」
「後でもいいんだけど」
「じゃあ、後にしましょう。お客さまもいらっしゃることですし」
ディがどうもすっきりしない表情をしている他は、とりあえずのところ問題は解決したようだ。それで、そろそろ3時を回る頃合いでもあったし、ディは気を取り直してアーネストを呼び、皆のためにテラスにアフタヌーン・ティの用意をするよう命じた。庭に面したテラスはガラスの天蓋と大きく両側に開く窓に囲まれていて、今のような肌寒い季節はサンルームとしても使えるようになっている。美味しいお茶とお菓子にご機嫌な子供たちの横で、ディはベンソン夫妻と談笑しながらも、デュアンとは後でちゃんと話をつけなければと密かに思っていた。ディにだけは言われたくない、というデュアンのヒトコトが、彼にはかなりひっかかっていたのである。
original text : 2008.4.8.
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