スティーヴ・スタンリー・ロジャースがニューヨークに住み始めてもう十三年になる。彼の部屋はこの街でもけっこうな高級住宅が並ぶ一郭にある建物のペントハウスだ。今では一戸建ての家など一軒もないと言われるマンハッタンの中枢にあって、ひときわエレガントなアパートメント・ビルディングである。
軍関係、企業、時には一国から依頼を受けることさえあって、爆薬や銃器のからむ荒仕事が専門なのだが、頭もいいし腕もいいうえ性格もけっこういいので女の子にも人気があったりする。修三さんのように繊細優美というわけにはいかないが、どちらかといえば無神経な戦争屋と言うよりは気さくで頼りになるあんちゃんといったところだ。背は百八十以上あるから綾よりずいぶん高い。それにさすがに偉丈夫な印象のある、ブロンドにブルー・アイズのまさにアメリカ人、ただ、年は綾より十三も上だ。
寄ってくる女の子にも博愛主義的に優しくしてしまうので、必然的に例えば綾からプレイ・ボーイという汚名を着せられたりしているが、毎日忙しくて ― 仕事ばかりのせいでもないが ― あちこち飛び回っている彼が、それでも綾からの頼みごと、となると最優先になるのにはいろいろと理由がある。
まあ、だいたいわかってもらえるだろう。 ― 彼は綾に惚れているのだ。しかも彼女が十五の時から。
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ウォルター・ウルフのコンサートは三日間に渡ってハーレムにあるホールで行われる。二人が出かけることにしたのはその初日だった。
スティーヴが言ったようにウォルターは全米で最も人気のあるミュージシャンの一人で、今回、ワールド・ツアーの総仕上げとして行われるこのコンサートのチケットは発売と殆ど同時にソールド・アウトしてしまい、すでに数倍のプレミアさえついているという。生粋のニューヨーカーなこともあって、ここでは特に熱狂的なファンも多いのだろう。
近くのカフェで奥の方に席を取って綾が待っていると、やがてスティーヴがドアを開けて入って来た。雑然として混んだ店の中には夕刻の喧騒が満ちている。綾は彼に気がつくと、ななめ読みしていた雑誌を閉じて、Steveと声をかけた。その声の方を向いて彼は微笑し、綾の方へ歩いて来た。
「久しぶりだな、顔見るの」
椅子にかけながら嬉しそうに彼は言ったが、綾の答えはそっけなかった。
「そういやそうかな。電話ではよく話してたからそんな気がしない」
「はいはい、どーせね」
「なに?」
「いいよ。で、何食うの」
何の変哲もない料理をメニューの中から選んで注文したあとで、ワインを飲みながら綾が言った。
「何かわかった?」
「ぜんぜんだめ。あれ以来無風状態で動きもしない」
「そんなはずないんだけどなあ・・・」
彼女は表情を曇らせた。
「嵐の前の静けさじゃないのか」
「恐ろしいこと言わないでくれる。今までだって十二分に台風だよ」
「じゃあ目に入ったんだ」
言われて綾は、しかめっつらをしている。
「やれるだけのことはやってるよ。リスト・アップした連中は全員朝から晩まで監視させてるし盗聴までやってるんだぞ」
「お手数をおかけして」
「毎度のことだ」
「ひとがせっかく・・・」
「ああ、はいはい。どういたしまして」
「めんどくさそうに言うなよ」
「ま、そのうち動くんじゃないの」
「悠長な奴だな。こっちは足もとに火がついて来てるんだから相当あせってるよ。とにかく誰がこんなばかげた茶番の首謀者なのか分からない限り、安心して眠れやしない」
「、のわりには、コンサートか」
「気晴らしだよ、気晴らし。忙しかったしさ、それに・・・」
「ん?」
「いくらぼくでも気分がいいわけないじゃない。続けて二人は」
綾が苦笑して言ったのへスティーヴは頷いて見せた。それから彼は空いている椅子に大輪のバラの花束が置かれているのに気がついたようだ。
「なんだ、花なんか買って。ステージにでも投げるのか」
「ああ、これ?楽屋行くんだよ、陣中みまい」
「おいおい」
「え」
「どうせ入れてくれねーよ。いちいちファンの相手してたらきりがないじゃないか」
綾は意味のありそうな微笑を浮かべていたが、それ以上は説明しようとしなかった。
Book1 original text
: 1996.10.15〜1997.1.15.
revise : 2008.7.15.+2009.6.15.
revise : 2010.11.29.
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